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September 30, 2015

ミントの新芽

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buds of mint

枯れたミントを根元から伐ったら、すでに新芽が顔を出していた。このまま冬を越して、春になると大きく育つ。ミントは生命力が強く、こちらも強力なドクダミと縄張り争いをしている。

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世田谷美術館へ

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Hamaya Hiroshi photo exhibition

先週木曜日に「写真家・濱谷浩」展を見に世田谷美術館に行ったら、連休明けで休みだった。きちんと調べないのが悪かったとはいえ、浦和のわが家からここへは1時間半もかかるので時間も交通費もばかにならない。今日は新宿で映画を見て小田急・千歳船橋からバスで。

先日見た平塚美術館の「濱谷浩」展とかなり重なっているが、こちらのほうが質量ともに上。戦前の東京のスナップ「モダン東京」、代表作の「雪国」「裏日本」、1960年の安保反対デモを中心にした「戦後昭和」、作家や画家のポートレート「学芸諸家」と充実した展示を楽しんだ。濱谷の新たなプリントや写真集を見られない時期が長かったので新鮮。図録として同時出版された『写真家・濱谷浩』(Crevis)も、この値段でよくここまでと思える内容と印刷だ。


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September 26, 2015

島唐辛子が赤く

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はじめて栽培している島唐辛子が赤くなってきた。実は7、8個。まだ青いのも、黄色くなってきたのもある。この数は多いのか少ないのか。少ないとしたら地植えでなく鉢植えのせいか、沖縄と関東では夏の日照、暑さが異なるからか。よくわからない。

島唐辛子はキダチトウガラシの一種。キダチは木立と書くから、そのまま大きくなれば木のようになるんだろう。沖縄ではコーレーグスとも呼び、「高麗草」あるいは「高麗薬」が訛ったものという。泡盛に漬けこんで香辛料にすることが多いけど、わが家では乾燥させペペロンチーノ用にする。


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September 22, 2015

『されどスウィング』を読む

Saredo_aikura

相倉久人『されどスウィング』(青土社)の感想をブック・ナビにアップしました。

http://www.book-navi.com/ 


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September 18, 2015

今夜も国会前へ

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午後7時半、国会議事堂前駅を降りると、集会から帰ってきた参加者とたくさんすれ違う。たぶん昼間から参加していた人たちだろう。国会ではずっと本会議が開かれている。2時間ほどコールして10時前、議事堂前駅に向かうと、この時間になっても駅から国会前に向かう参加者とすれ違う。今日はこういうふうにして、どれだけの人が議事堂前に詰めかけたことだろう。

国会の代議制が民意を反映しないから、40年間静かだった路上に民主主義、立憲主義が生まれた。これは安倍ソーリの最大の「功績」だろう。仮に安保法制が通ったとしても、路上の民主主義にとっては出発点にすぎない。

民主主義ってなんだ? これだ!
立憲主義ってなんだ? これだ!
賛成議員を落選させよう!

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September 17, 2015

雨の国会前

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ボランティアの用事を終えて8時過ぎに国会前へ。参院特別委で強行採決されたこの日、雨というのにすごい数の人たちが詰めかけている。国会正面ではSEALDsが、国会前の集会を終えた「総がかり行動委」は国会裏の議員会館前に移動して、表と裏から本会議中の国会に向けて叫びつづける。

♪あ♪べ♪は♪や♪め♪ろ

のラップ調と、急速調の2拍子で

あべは やめろ

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一昨日に比べて警官も機動隊輸送車もおそろしく増えた。自民党は「不測の事態」がいちばん怖いんだろう。

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September 16, 2015

『黒衣の刺客』 風と水のゆらぎ

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The Assassin(viewing film)

ホウ・シャオシエンはなぜ武侠映画を撮らないんだろうと思っていた。

中国系の映画監督はふだん武侠映画と無縁の作品をつくっている監督でも、チャン・イーモウもウォン・カーウァイもアン・リーも武侠映画を撮った。武侠映画は日本で言えば映画全盛期の時代劇みたいなもんで、みんな武侠映画を見て育っているからだろう。ホウ監督もインタビューで、子供時代から武侠小説を読みあさったし、1960年代にキン・フー(台湾武侠映画の巨匠)の映画をたくさん見たと語っている。

ホウ・シャオシエン8年ぶりの新作『黒衣の刺客(原題:刺客 聶隠娘)』は遂につくられた武侠映画。原作は彼が若い頃読んだ唐代の伝奇小説「聶隠娘」。いちばんの問題は資金だったようだ。中国のチャン・イーモウ、香港のウォン・カーウァイ、ハリウッドのアン・リーと違って台湾のホウ監督は資金調達にいつも苦労する。武侠映画は歴史ものだからセットや衣装その他に金がかかり、大きな予算を必要とする。今回、初めて中国資本と提携することで企画が実現した(wikipedia)。

いかにもホウ・シャオシエンらしい美意識に貫かれた、スタイルの徹底した映画になっている。

唐代の魏博(現在の河北省)。女道士に預けられた隠娘<インニャン>(スー・チー)が故郷に帰ってくる。彼女は道士によって小刀使いの暗殺者に育てあげられ、魏博の支配者・田季安(チャン・チェン)を暗殺する使命を帯びている。隠娘はかつて田季安の許婚だった。隠娘は田を狙い、田の喉もとに小刀をつきつけるのだが……。

画面が絶えず揺れている。あるいは流れている。室内の場面では、カーテンのように吊るされた紗を通して撮影されるシーンが多い。その紗が、わずかな空気の動きに揺れている。紗が一重、ときには二重になって揺れる。また夜のシーンでは、たくさんの蝋燭の炎がかすかな空気の流れに揺れている。外のシーンでも、風が吹いている。梢がそよぎ、草がなびいている。水が流れている。雲が流れている。全編にわたって、空気と水の流れが捉えられている。

この映画のもうひとつのスタイルは、顔のクローズアップや上半身のバストショットが少ないこと。だから役者たちは顔や表情で演技することができない。台詞も切り詰められている。女道士が隠娘に言う。「汝術を極めるも、情を絶てず」。これは、暗殺者の隠娘がかつての許婚への情を絶ち切れず、暗殺に失敗する映画なのだ。その情を、スー・チーは表情や言葉で表現することを封印されている。どんな場面でも彼女は寡黙で無表情だ。その代わりに、かすかな風のゆらぎや水の流れが暗殺者の感情の揺れと動きを代弁している。

「情を絶てず」という言葉には、もうひとつの意味がある。隠娘が鑑磨きの青年(妻夫木聡)に対して抱く感情だ。暗殺者が、さわやかな若者に惹かれていく。負傷した隠娘が、肩を脱いで青年に背中の傷を手当てしてもらうショットの官能的なこと! 最後近くのロングショット、隠娘が青年の元へ帰ってきて彼女はこの映画で初めての笑顔を見せる。ロングショットだから笑顔が強調されるわけではないけれど、そのさりげなさが好ましい。

画面は圧倒的に美しい。山水画ふうの山河。戦いがおこなわれる白樺林。暮れなずむ湖沼と森。室内でも外でも、風と水の流れに鳥の鳴き声、虫の声がかぶさって、ホウ監督の長回しは風景に命を注ぎ込む。

さらに見事なのは日本のいくつもの寺で撮影された王宮などの建物と内部。唐代の建築は中国にはほとんど残っていない。そこで大覚寺、長谷寺、海龍王寺などにロケしている。奈良時代の寺院建築は、唐の官庁の建物をモデルにしている。「唐の長安に一番近いのは奈良の風景だ」と言ったのは司馬遼太郎だった。画面に映しこまれた柱や床や壁の歴史を経た存在感に、中国の歴史もの大作の金をかけた豪華なセットとは別のリアリティがある。

アクションもいかにもホウ監督らしい。武侠映画のクンフーには型があり、一方、ワイアを使った超絶アクションがある。ホウ監督はどちらも採用しない。刀をふるうのも、かわすのも最小限。派手なアクションはまったく登場しない。血沸き胸躍るのとは対極にある武侠映画になっている。説明的な映像や台詞は最小限だし、派手な物語があるわけでなし、心理描写もないから誰もが楽しめるエンタテインメントではないけど、ホウ・シャオシエンの世界を堪能した。

脚本チュー・ティエンウェン、撮影リ・ピンビン、音楽リン・チャン、編集リャオ・チンソン、録音ドゥー・ドゥージに、初期ホウ映画の名母親役メイ・ファンもちょっとだけ顔を出して、ホウ組が完全復活しているのも嬉しい。

ひとつ残念なのは、日本版はカンヌ映画祭で監督賞を受賞した国際版と違うこと。日本で撮影したシーンや、青年の妻(忽那汐里)のシーンが追加されているという。妻のシーンがない国際版では、隠娘と青年の間にもっと親密な空気が生まれるのではないか。ここは国際版で見たかった。


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September 15, 2015

今夜の国会前

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明日にも与党が参院特別委採決の構えを見せているこの夜も、国会前にはすごい数の人々が詰めかけている。SEALDsのコールもテンポがあがっている。

おや、奥田君は公聴会のために茶髪をやめたんだね。彼の素人っぽい、時に照れたようなしゃべりはこういう緊迫した場面になっても変わらない。ここでいろんな人の話を聞いていると、いろんな型があるのに気づく。運動家の型、政治家の型、学者の型……。彼は意識してそういう型に染まらないようにしてるんだろう。

彼が国会でもここでも語った「路上に出た人々が社会の空気を変えた」という言葉は記憶しておきたい。3.11後の反原発で四十数年ぶりにようやく路上に出た僕自身の反省もこめて。


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September 14, 2015

国会前道路を自力で解放

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今日は朝からボランティアの会議に出席し、ホウ・シャオシエンの『黒衣の刺客』を見て、夜は国会前の安保法制反対集会へ。国会議事堂前駅を降りると、今夜は警備が一段と厳しい。大回りしないと国会前に近づけない。

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ようやく国会正面へ通ずる交差点に出ると、ここもバリケードが張られ通行が規制されている。参加者があふれ、自然に「ここを通せ」「道路を開けろ」と合唱が起こる。

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誰が扇動するわけでもなく、暴力をふるうわけでもなく、皆が少しずつバリケードを押し込み、隙間をつくってゆく。

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やがて人が通れる隙間ができ、国会正面の道路に参加者があふれる。その数の多さ、警官に立ち向かうわけでもないから、警備する側も制止しようもない。

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「警察の皆さん無駄な抵抗はやめましょう」とマイク。いつのまにか警官の姿は消えた。

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皇居方面を振り返ると後ろにもいっぱいの参加者。

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解放区になった道路ではSEALDsが機動隊輸送車の前でコール。

民主主義ってなんだ? これだ!
立憲主義ってなんだ? これだ!

この言葉、いつにもまして実感できる。

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September 12, 2015

国会前 SEALDs他の集会

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国会前は1000人委員会、SEALDs、安保法制に反対する学者の会が主催する集会。国会前は広場がないので、議事堂正面から三方向に延びる歩道に参加者が長い列をなす。

国会で安倍総理や中谷防衛大臣がああだこうだと答弁する映像を毎日のように見せられて、僕たちに無意識のうちに刷り込まれているのは、「結局、法(言葉)なんてどうにでもなるものさ」というニヒリズムではないだろうか。言葉を実質のともなわない記号としてもてあそべば、どんな屁理屈だって立つ。黒を白と言いくるめることもできる。

憲法学者が「法的安定性をそこなう」と言っているのを僕たちの日常の言葉に置きかえてみれば、そういうことだろう。戦後70年、いろんな問題はあるにせよ「他人の戦争に加担しない」ことで国民的合意のある憲法を、ちゃんとした手続きをふまず180度ひっくり返そうという。もしこの法案が通るなら、言葉へのニヒリズムはいっそう深く浸透するだろう。

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SEALDsのコールで今日はじめて登場したフレーズは

一見きわめて明白に 違憲無効!

コールの前に登場した憲法学者が紹介した、砂川事件判決の一節。裁判所が違憲かどうか審査できるのは「一見きわめて明白に違憲無効」の場合に限るという、でも安保法制は「一見きわめて明白に違憲無効」じゃないかとスピーチしたのを受けて、即、コールに取り入れた。むずかしいフレーズだけど、さすがに若い。一拍の休符を入れて、ちゃんとリズムにのせた。

砂川事件判決は、自民党が集団的自衛権は合憲と強弁する根拠にしているもの。石破が言った「なんか自民党感じ悪いよね」と同じように、相手の言葉をこっちの武器に転化するのは遊び心あってこそでしょう。SEALDsのコールに唱和していて自然に体が動くし気持いいのは、国会内で言葉が死んでいくのを見ているしかないのと反対に、ささやかであれ言葉に命が吹き込まれる瞬間をみんなが同時体験してるからじゃないかな。

なんか自民党感じ悪いよね
なんか安倍ソーリ大人げないよね
ケンポー読めないソーリはいらない
センソーしたがるソーリはいらない
Tell me what democracy looks like.
This is what democracy looks like.
♪あ♪べ♪は♪や♪め♪ろ

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September 09, 2015

渡り温泉から鉛温泉へ

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from Watari Spa to Namari Spa

花巻南温泉峡に出かけた。

新花巻駅から奥羽山脈の豊沢湖に向かって登っていくと、豊沢川沿いに一軒宿の温泉が8つ点在している。10年ほど前、そのうちのひとつ、大沢温泉に行ったことがある。今回行ったのは大沢温泉の手前にある渡り温泉。

花巻南温泉峡は古くからある温泉だけど、渡りは戦後になってから開発された。宿も大きくて新しく、何百人も入るコンベンション・センターがある。とはいえ夏休みは終わり紅葉はまだとあって、宿は閑散としている。

湯は弱アルカリ性単純泉で無色透明。熱くもなくぬるくもなく、長くつかっていられるのがいい。

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台風が2つ本州に近づいていて、雨が降ったりやんだり。豊沢川を挟んだ西の山稜から雲が湧きたつ。

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翌日は上流の鉛温泉へ。藤三旅館は600年前に温泉を見つけた先祖からつづく古い宿。

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600年前、白猿が温泉につかって傷を治しているのを木こりが発見し一族の湯にしたという伝承がある「白猿の湯」。源泉の真上の岩を掘って湯船にしている。湯船は1メートル25センチもあり、深いので立って入る。中央の岩の下から源泉が湧きだしている。

湯は渡り温泉と同じ無色透明。かすかに硫化水素の匂いがして、飲むと苦い。この湯は混浴で撮影禁止の張り紙があったが、誰も入っていなかったので宿の許可をもらって撮影した。

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湯の脇には猿の木像があり、温泉の神が祀られている。

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ここは昔ながらの自炊もでき、売店では食料品も売っている。

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そばを豊沢川が流れる露天風呂。ここはぬるめで、いつまででも入っていられる。せせらぎの音を聞きながら岸辺の緑と川面の白波をながめていると時間を忘れる。

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September 06, 2015

『ナイトクローラー』の不気味

Nightcrawler
Nightcrawler(viewing film)

「ナイトクローラー(夜を這う虫)」とはよく言ったもんだ。こんなにも冷酷で、金と成功のために人を人とも思わず、他人の気持ちを踏みにじることに快感を感じ、反抗した者に冷たく復讐する。これほどに感情移入できない男が主人公の映画って見たことがない。でもこれが面白いんだなあ。

ロサンゼルスのコソ泥・ルー(ジェイク・ギレンホール)は、血まみれの交通事故を撮影するパパラッチ(ナイトクローラー)が金を稼ぐ現場に居合わせ、中古のソニー製ビデオ・カメラと警察無線傍受装置を手に入れる。強盗現場にいち早くかけつけ、撃たれた被害者のアップ映像を地方テレビ局に持ち込むと、深夜報道番組の女性ディレクター・ニーナ(レネ・ルッソ)がそれを買ってくれる。刺激的な映像が金になることを知り、ルーの撮影はどんどん過激になっていく……。

ルーがニーナに自分を売り込んだり、アシスタントを雇ったりするシーンはじめ、怪しげな自己啓発セミナーで教えられそうな格言やセリフを得々と、表情ひとつ変えずしゃべりつづけるのがおかしい。低視聴率に苦しむニーナは金額を吊りあげるルーを拒めず、二人の関係はニーナ主導からルー主導へと逆転する。

アシスタントがギャラ・アップを求めると、物わかりのいいボスのふりをしておいて危険な撮影現場へ立たせる。復讐しておいて、「将来的なリスクは排除しておく」みたいな台詞を吐く。共同で仕事をと持ちかけた競争相手の提案を拒否し、やがて彼が事故に巻き込まれ死に瀕しているのにカメラを向け、彼の提案をパクッて自分で実行する。

ルーはもともとこそ泥だから、報道に関するモラルやコードなどまったく気にしない。無断で他人の家に入り込み、血まみれの死体を撮影し、警察に伝えるべき情報も隠す。あげく銃撃場面を「演出」までする。そんなふうに狂ってゆく男をジェイク・ギレンホールが怪演。ジェイクが出演した映画は『ブロークバック・マウンテン』『ゾディアック』『プリズナーズ』『複製された男』と、役者としての選択眼のすごさを感じさせる。

これが第一作のダン・ギルロイ監督は、もともと『ボーン・レガシー』などの脚本家。実際にナイトクローラーに会って取材し、ハリウッド的な善悪と無縁なダーク・ヒーローをつくりあげた。

舞台になるロサンゼルスの風景が素晴らしい。夜の都会を映すショットの数々のなかで、家族も友人も恋人もいないルーの孤独が際立つ。『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』を撮ったロバート・エルスウッドの撮影と知れば、それも納得。違法すれすれの夜の世界に棲むルーのやり方は極端だけど、新自由主義的むきだしの資本主義が世界を覆うこの時代に生きるわれわれの歪んだ自画像かもしれない。そんなことまで感じさせる不気味な映画だった。

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September 05, 2015

温泉写真からSEALDs集会へ

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村上仁一「雲隠れ温泉行」展(~9月18日、銀座・Guardian Garden)に行く。

「雲隠れ」とタイトルにあるように、この世から身を隠したい願望が鄙びた温泉の湯けむりに写しこまれている。若い写真家だけど、こういう心情的なモノクロ写真は、われわれ世代になじみ深い。かつて『アサヒグラフ』に掲載されたつげ義春の温泉紀行を思い出した。

会場を出ると激しい驟雨。

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渋谷へ回り、映画『ナイトクローラー』を見て夜は国会前のSEALDs集会へ。30日の国会前大集会を経て、さらに参加者が増えたような気がする。

国会とめるソーリはいらない
アベシンゾーから日本を守れ
アベシンゾーから憲法守れ
違憲のホーアンとっととハイアン
おれたちなめんな
じいちゃんなめんな
ばあちゃんなめんな
奴らを通すな
ノー・パサラン(No Pasarán!)
Tell me what democracy looks like.
This is what democracy looks like.
♪あ♪べ♪は♪や♪め♪ろ

今夜は茂木健一郎による清志郎の替え歌のおまけつき。

No Pasarán!(奴らを通すな)はスペイン内戦での人民戦線派のスローガン。
This is what democracy looks like.はウォール街占拠運動のスローガン。


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September 04, 2015

『夏をゆく人々』 遠い夢のような

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The Wonders(viewing film)

イタリア映画『夏をゆく人々』の原題は「Le Meraviglie」。英題が「The Wonders」となっているように、日本語なら奇蹟とか不思議と訳される言葉らしい。「不思議の国のアリス」のイタリア語書名にこの言葉が使われていることから、なんとなく語感がわかるような気もする。

ローマ帝国以前に栄えたエトルリアがあったトスカーナ地方。人里離れた一軒家で暮らす養蜂家一家のひと夏の物語だけれど、家族の日常を穏やかな視線で見つめた温かな映画というだけでなく、そこに古代エトルリアの歴史や幻想を重ねて、どこか遠い夢のような雰囲気をたたえているのが素敵だ。32歳の女性、アリーチェ・ロルヴァル監督の長編2作目。

10代の少女ジェルソミーナ(マリア・アレクサンドラ・ルング)は養蜂家の父ヴォルフガング(サム・ルーウィック)の仕事を手伝って、父以上に仕事ができるようになっている。家には母と3人の妹、同居人の女性ココがいる。 父は頑固一徹だが、彼なりに娘たちを愛している。

ある日、湖水浴に出かけた一家は、エトルリアをテーマにした「不思議の国」というテレビ番組の収録に出会う。古代王国の女王に扮した司会者ミリー(モニカ・ベルッチ)に魅入られたジェルソミーナは番組に出たいと訴えるが、父はにべもない。同じ頃、悪さをした更生のためマルティンという少年が一家に預けられる。父はマルティンに仕事を手伝わせ、ジェルソミーナは父にもマルティンにも複雑な感情を抱く……。

家族の小さな出来事を淡々と重ねてゆくリアリズムのタッチに、少しずつ幻想的な味も加わってくる。

父は有り金をはたいて、かつてジェルソミーナからねだられた生きたラクダをお土産に買ってきてしまう。母がもう離婚すると騒ぐなか、がらんとした庭につながれたラクダの周りをジェルソミーナや妹たちが無言で走り回るロングショットが素晴らしい。マルティンは口笛の名手で、テレビ番組の収録でジェルソミーナは彼の口笛にあわせ蜜蜂を魔法使いのように操って見せる(上のポスターはその場面)。エトルリアの墓地が残る島に残されたマルティンとジェルソミーナが夜を過ごす洞窟の壁に2人や生きものの影が揺れる。

言葉少ない少女の心の揺れを映し出すように、夏の光を受けて波立つ湖面や、蜜蜂の群れる木立、地味が豊かではなさそうな畑、古びた家の染みだらけの石壁といった風景が素晴らしい。

ラストシーン。マルティンと洞窟で夜を過ごしたジェルソミーナが朝、屋外のベッドで雑魚寝している家族の元へ帰ってくる。父は「場所はある」と声をかけ、ココが「家には秘密があってもいいわ」とつぶやく。取り壊されることになった(らしい)家のショット。家族と家と風景が一体になって、映画は終わる。

ご贔屓モニカ・ベルッチは特別出演ふうながら魅力的。金髪のウィッグを脱いで地の黒髪を見せ、素顔になってジェルソミーナと話すショットがいい。この夏は、この作品とトルコ映画『サイの季節』と、彼女の映画を2本も見てしまった。

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