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June 19, 2015

『新宿スワン』  愛か友情か

200
Shinjuku Swan(viewing film)

邦画を見ていて、時々思うことがある。日本の映画界にいちばん欠けているのは脚本家じゃないかなあ。もちろん優れた脚本家はいる。監督が自ら脚本を手掛け、見事な脚本を書く人もいる。でも、この10年で制作本数が倍増し、年間600本以上公開される日本映画を支えるスタッフのなかで、層としていちばん薄いのは脚本家じゃないか。見終わってそんな感想を持つ映画が多い。

脚本家の層が薄いいちばんの原因は、端的に言って脚本家に入るお金が少ないことだろう。平均的な映画脚本の相場は1分1万円だそうだ(wikipedia)。仮に2時間の映画の脚本を書いて入ってくるお金は120万円。人並みの生活をしようと思ったら年に4、5本は書かないと食っていけない。となれば、1本にかけられる時間は限られる。以前、アメリカの脚本家は1時間のテレビ・ドラマなら年に2本書けば食っていけると聞いたことがある。

日本映画のスタッフが低賃金長時間労働しているのは昔からだけど(僕も昔、東映大泉撮影所で大道具のバイトやってました)、脚本は映画づくりの核心にある。いい脚本からつまらない映画ができることはあっても、つまらない脚本からいい映画ができることはない。それなのに脚本家に入るお金があまりに少ない。今の時代、お金の匂いのしないところに才能は集まってこない。

『新宿スワン』を見てそんなことを考えたのも、園子温監督の演出は見せ場があるにもかかわらず、脚本の構造的な弱点はどうしようもなく、それを演出で救おうと思っても限界があると感じたからだ。

歌舞伎町の裏町でスカウトの龍彦(綾野剛)は店とトラブっているホステスのアゲハ(沢尻エリカ)を助けて恋人同士になる。でもアゲハは覚せい剤中毒で、同じく覚せい剤中毒の風俗店の店長をナイフで刺してしまう。歌舞伎町でその覚せい剤を仕切っているのは、龍彦と同じ会社のスカウトである秀吉(山田高之)。秀吉は龍彦の中学の同級生だが、龍彦はそのことに気づいていない。会社幹部である秀吉と、龍彦の兄貴分・真虎(伊勢谷友介)は事あるごとに張り合っている。

アゲハは覚せい剤で身を滅ぼした。恋人の龍彦は、歌舞伎町で覚せい剤を売っている秀吉が許せない。秀吉が元同級生であることを知り、ラスト近く、歌舞伎町を見下ろすビルの屋上で殴り合いの喧嘩をする。でも殴り合いをしたあげく、拳と拳を交わした友情とでもいうのか、龍彦は秀吉に「お前は俺のダチだ」と言ってしまう。見ている者は、龍彦の感情をどう受け止めていいのかわからない。じゃあ、秀吉の覚せい剤で人生を棒に振ったアゲハに対する愛はどうなるの? 龍彦は誰を愛し、誰と対立するのか。その基本的な軸がぶれているから、見る者はとまどってしまう。

物語は歌舞伎町の風俗で働く女性をスカウトする会社と会社の縄張り争い。会社内部の派閥抗争。『仁義なき戦い』以来、最近では北野武の『アウトレージ』でもおなじみの構図だ。原作はコミック。全38巻の長編だから、そこから映画のために何を掬い、人物をどう配してどんな物語をつくるか。脚本家の腕のみせどころだろう。主人公の龍彦が誰を愛し、誰と友になり、誰と対立するのか。そこがきっちりしていないと、観客は誰にどう感情移入していいのか、とまどってしまう。

園子温監督自身は脚本に加わっていない。演出力を買われてメジャー作品に起用されたんだろう。だからいつもの過剰さは感じられず、でもテンポよく熱のこもったアクションシーンと、夜の歌舞伎町をビルの屋上から見下ろすショットは園子温のものだった。

 


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