『誘拐の掟』 くすんだブルックリンの街
A Walk among The Tombstones(viewing film)
私立探偵を主人公とするハードボイルドは僕がいちばん好きなジャンルのエンタテインメントだけど、最近はとんとつくられなくなった。その久しぶりの1本。しかも、かつて熱中して読んだローレンス・ブロックのマット・スカダーものだから期待が高まる。
マット・スカダーものは1980年代に『800万の死にざま』がハル・アシュビー監督で映画化されたことがある。マット・スカダー役はジェフ・ブリッジス。正統ハードボイルドというよりオフ・ビートなニュー・シネマっぽい映画で、これはこれで好きな映画だったけど、舞台がニューヨークからロサンゼルスに移されていたので、ニューヨークの街がもうひとつの主人公である原作の味わいは乏しかった。
『誘拐の掟(原題:A Walk among The Tombstones)』は原作通りにニューヨークの、冬で色彩感の乏しい街の風景がふんだんに出てきて、それだけでも原作の味を堪能できる。しかもこのシリーズ、たいていはマンハッタンが舞台になっているのだが、この作品は(原作も)ブルックリンが舞台になっている。マンハッタンの洒落た都市風景とは別のくすんだ街並みや墓地の広大な緑地が、ブルックリンに住んだことのある僕には懐かしい。
元アル中の警官で無免許私立探偵のマット(リーアム・ニーソン)のもとに、禁酒集会で顔を合わせるケニーから依頼があった。兄・ピーターの妻が誘拐され40万ドルの身代金を要求された、警察に届けずに探し出したいという。さらに、ピーターの知り合いの男の娘も誘拐される。実はピーターもその知り合いの男も、麻薬のディーラーだった。やがてピーターの妻は猟奇殺人の犠牲となって発見される。マットは誘拐犯と交渉しながら彼らを追い詰めてゆく。
ピーターの家はクリントン・ヒルにある。築100年以上の褐色砂岩のタウンハウスが並ぶ落ち着いた住宅街。僕が住んでいたアパートから歩いて10分ほどのところにある。妻が誘拐されたのは、その近くのアトランティック・アベニューとの交差点近い商店街。妻の遺体が発見されるのは、港近くの廃工場地帯であるレッド・フック。昼でも人けの少ない寂しい地域だ。
もう一人の麻薬ディーラーの邸宅は、ヴェラザノ・ナロウズ橋が見えるからベイ・リッジだろう。身代金の受け渡しと銃撃戦が展開されるのはプロスペクト・パークのそばにある広大なグリーンウッド墓地。犯人たちの家もこの近くにある。ほかに高級住宅街のブルックリン・ハイツや、ポール・オースターが脚本を書いた『スモーク』の舞台、パーク・スロープらしき場所も映る。映画の設定は1999年。ジュリアーニが市長になって治安が回復しつつあった時代のブルックリンが舞台になっているとはいえ、荒廃したビルも出てくる。
原作(邦題:「獣たちの墓」)は十数巻のシリーズのうち「倒錯3部作」と呼ばれるものの一つで、90年代に『羊たちの沈黙』でブームになった猟奇犯罪を素材にしている。でも映画では、あからさまにそれを描写することはない。ローレンス・ブロックの小説も過激な描写は少なく品のよさが身上だから、原作の味を損なってはいない。その代わり警官時代に誤って少女を撃ち、アル中になったというマットの過去と、今もその傷が疼くといういかにも70~80年代のネオ・ハードボイルドらしい設定は映画でも生かされている。翳りを秘めた私立探偵を演ずるリーアム・ニーソンがいい。
それ以上に見事なのは色彩の設計。マットが着ているのはいつも黒か濃茶。季節は色彩の乏しい冬。しかもマンハッタンのように派手な色彩のないブルックリン。映画全体が暗く、重くくすんでいる。
原作ではマットに元高級娼婦の恋人がいて、彼女と古い映画やジャズについて交わす会話やジョークがもうひとつの読みどころになっている。それがあるせいでスカダー・シリーズに都会小説っぽい味が出てくるのだけど、映画ではマットの恋人の存在はカットされている。だから原作の暗い側面ばかりが強調されている。スコット・フランク監督は、脚本に着手する前に原作者のブロックと何年も話し合いを重ねたらしいから、それはそれで熟慮の末の選択だったろう。
最後、マットのアパートの窓からカメラが上空へ引いていくと、ブルックリン風景の代名詞とも言うべき水道タンクが見え、その彼方にマンハッタンのワールド・トレードセンターのツインタワーがそびえている。ニューヨーカーだったら泣けるだろう、憎いショット。
堪能しました。もしかしてシリーズ化されると嬉しいなあ。
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