『海にかかる霧』 古風だけど重厚
映画も大詰め近くなり死体累々の漁船チョンジン号のなかで、密航者でただ一人生き残った女性ホンメ(ハン・イェリ)に向かって、カン船長(キム・ユンソク)が「お前は魔女か」と叫ぶシーンがある。
悲劇というのは植物の成長に似てる。シェークスピアもそうだけど、劇の冒頭で一粒の不安の種が播かれる。その種が芽を出し、枝葉をしげらせ、成長して登場人物に絡みつき、もがけばもがくほど枝葉に絡めとられてゆく。身動きできなくなった彼らは、運命のように破滅に向かって加速してゆく。
老朽船のチョンジン号を廃船にすると通告されたカン船長は、中国からの密航者を運ぶ闇の仕事を引き受ける。深夜、荒天の東シナ海で朝鮮族密航者を乗せた船と落ち合うが、乗り移る際にホンメが海に落ち、新人乗組員のドンシク(パク・ユチュン)が飛び込んで彼女を助ける。そこからすべてが狂い始める。
ホンメに好意を持ったドンシクは、彼女を暖かい機関室に入れて食べ物を与える。密漁取締船がやってきて、船長は数十人の密航者を魚を貯蔵する船倉に隠すが、冷凍装置が故障して全員フロン中毒で死んでしまう。船長は、死体を傷つけ血を出して海に捨て魚に食わせろと5人の乗組員に命ずる。このあたりの描写はパク・チャヌクかキム・ギドクのテイスト。
甲板長のホヨンは船長の命令に忠実に従う。心優しい機関長は死体を処理しながら精神を狂わせてゆく。ドンシクは生き残ったホンメを隠し、2人で生き延びようと約束する。船員のチャンウクとギョングは若いホンメに欲望を抱き彼女を探し回る。カン船長が船を守るために取った行動が次々に破綻をきたし、視界ゼロの海霧のなかで、チョンジン号は傾き浸水してゆく……。
海水が流れこみ傾いた甲板で、カン船長は波にさらわれ碇のロープに絡みつかれる。甲板で身動きできず海に引きずり込まれてゆくカン船長の斜面のショットは、映画が結末に向かって傾斜を転げ落ちてゆくさまを象徴しているようだ。古風なドラマではあるけれど、息つく暇もない。お見事。
『海にかかる霧(原題:해무海霧)』は、『殺人の追憶』の監督ポン・ジュノが製作し、脚本を書いている。その『殺人の追憶』の脚本家シム・ソンボがポンと共同で脚本を書き、監督をしている。とても処女作とは思えない重厚で正統派の映画になっていた。2001年に、朝鮮族を含む中国人密航者数十人が船倉で窒息死した第7テチャン号事件が素材になっている。
キム・ユンソクは『チェイサー』の元刑事もよかったけど、ここでも誠実なあまりに狂ってゆく船長を演じて素晴らしい。パク・ユチュンは、知らなかったけど東方神起やJYJのメンバーなんですね。道理で映画館に韓流ファンの若い女性が多かった。もうひとつ、物語のほとんどがそこで展開される漁船チョンジン号の油や魚の匂いさえ漂ってきそうな古ぼけた船体。まぎれもなく本当の主役だった。
この数年、『新しき世界』とか『悲しき獣』とか中国朝鮮族が登場する韓国のアクション映画が増えた。映画でも文学でも、異文化との遭遇は新しいものを生み出す。この映画でも密航者は朝鮮族。それがドラマの核になっている。
いま韓国では中国からの朝鮮族の出稼ぎ者が増え、朝鮮族が集まって住み漢字の看板が立ち並ぶ街もある。映画の最後、事件から6年後に建設労働者になったドンシクが「延吉飯店」という店に食事に入るのも、そんな店のひとつだろう。そこでドンシクは、子連れで幸せそうな女性の声と後ろ姿にホンメの面影を見る。余韻のある終わり方がまたよかった。
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