『神々のたそがれ』のどろどろねちょねちょ
Hard to Be A God(viewing film)
『神々のたそがれ(英題:Hard to Be A God)』の3時間近い上映時間の間ずっと、ブリューゲルかボッシュの怪奇な細密画に拡大鏡を当てて少しずつ移動させながら見ている感じがしてた。
ヨーロッパ中世ふうの粗末な衣をまとった人間たち。縄を打たれ、枷や革の仮面をかぶせられ、吊るされ、虐殺される。切り裂かれた死体から内臓がどろりと落ちる。フリークスと卑猥な動作を繰り返す子供。裸の大女。火と剣。犬、ニワトリ、馬、フクロウが画面を横切り、棒にくくられた魚がウロコを光らせる。人間も動物や魚の同類にすぎない。彼らはどろどろねちょねちょした液体にまみれている。雨やぬかるんだ泥や汗や唾や嘔吐物や糞尿や体液やコールタールのようなもの。匂いまで漂ってきそうだ。
画面はそんな粘液まみれの細部を延々と映し出す。ロングショットがほとんどなく、長回しで人体や動物や魚に密着して離れない。いやでもディテールに目がいき、全体像がつかめない。それがアレクセイ・ゲルマン監督がこの映画で採ったスタイル。ここまで徹底すると、映画の極北を見たという感じになる。
物語らしきものはある。僕は原作がストロガツキー兄弟のSFという以外なんの情報もなく見たから、人物にしても主人公以外よく分からなかった(これを書いている今も分からない)。
どうやら地球とは別の惑星らしい。そこに地球からドン・ルマータ(レオニード・ヤルモルニク)らが送りこまれる。惑星の文明は地球から800年遅れている。地球の中世に当たる。都市では虐殺が進行している。異星人(といっても人間も動物も地球と同じ姿)たちは互いに果てしない殺戮と愚行と痴態を繰り返している。ドンは神として彼らに崇められているらしい(かと思うと子供がドンの頭をこずいたりする)。最後に異星人に絶望したドンは彼らを虐殺し、「神でいることはつらい」とつぶやく。
これをスターリン時代の虐殺や数千万の死者を生んだ毛沢東の大躍進政策といった政治への暗喩と見ることはもちろん可能だろう。実際、そうなのかもしれない。でもこの映画の面白さ(というなら)は、そこにはないと思う。
それはグロテスクにのたうち回る人間たちのどろどろぐちゃぐちゃねばねばべちょべちょを楽しめるか否かにかかっている。それが生理的に嫌なら、ストーリーがよく見えないこの映画を3時間見るのは苦痛でしかないだろう。映画を見ながら、僕はそれが嫌いじゃない自分を発見した。ストーリーがあるようでないから途中2度ほど落ちたけど、それでも最後まで面白かった。とにかく今まで一度も見たことがないような映画を見た。
アレクセイ・ゲルマン監督はこの映画に2000年に取り組み始め、2013年、完成を目前に心不全で亡くなった。74歳。
« 4月の雪 | Main | 『皇后考』を読む »
Comments