『フォックスキャッチャー』 静謐の裏側
『フォックスキャッチャー(原題:Foxcatcher)』は静かな映画だ。
静かな、という言葉には二つの意味がある。ひとつは物理的に静かな映画だということ。音楽は最小限に抑えられ、人の少ない大邸宅や農場、トレーニングセンターが舞台だから無音であることが多い。台詞も少な目だ。
もうひとつは、ロングショットと長回しを多用する映像や、人を驚かすことをしない編集など、ドラマチックに流れることを意識的に避けた静謐な演出ということ。大方のハリウッド映画とは反対を向いた静けさが映画を支配している。それだけに、静けさのなかでひそかに蓄積され、いきなり露わになる主人公の暴発が際立つ。
親子と兄弟、2組の肉親の愛情と葛藤が映画の軸となる。主人公はいずれも実在の人物。
一組は世界的な化学会社、デュポン社の御曹司である富豪のジョン・デュポン(スティーヴ・カレル)と母親のジャン(ヴァネッサ・レッドグレーヴ)。学生時代にレスリングをやったジョンは、マイナースポーツであるレスリングのスポンサーになり、広大な邸宅と農場の一角に「フォックスキャッチャー」というクラブをつくってオリンピックの金メダルを目指している。優雅なサラブレッド飼育に夢中の母親のジャンは、レスリングなど野蛮なスポーツだと軽蔑しきっている。息子のジョンは、支配的な母親に立ち向かえないまま鬱屈と反抗を心にためこんでいる。
もう一組はロス五輪で揃って金メダルを獲得したデイヴ(マーク・ラファロ)とマーク(チャニング・テイタム)のシュルツ兄弟。弟のマークは親代わりの兄のデイヴに育てられ、レスリングでも兄に指導されている。金メダルは兄のおかげと言われ、講演も兄の代理として行き、兄の陰に隠れた存在になっている。金メダリストにもかかわらず質素な生活を送っているマークに、ジョンからフォックスキャッチャーに加わらないかと誘いがくる……。
母親に支配される息子と、兄に頼り切った弟。チームを組んだ2人には、ともに「自立」し、母と兄に自分を認めさせたいという心の欲望がひそんでいる。ジョンはレスリング協会の支援者として、マークを愛玩動物のようにパーティに連れ歩き、マークも言われるままに動く。やがてジョンはもう一人の金メダリスト、兄のデイヴもコーチとして金の力でフォックスキャッチャーに呼び寄せる。
ジョンを演ずるスティーブ・カレルの能面のような表情がすごい。実在のジョンは強迫神経症を病んでいたらしいが、映画では目に見えるような奇矯な行動や言葉を描かない。母親の前では自分がチームの指導者であるふりをし、金にまかせてシニア大会で勝つ(本人は気づかないが執事が相手を買収している)けれど、あくまで金持ちの見栄やわがままといったレベル。でも能面のようなこわばった表情が、その下でなにか異常なものが進行していることをうかがわせる。
一方のマークも、見事な肉体と精悍なマスクの下で、ジョンの支配下にあることの苦痛を蓄積させている。マークを演ずるチャニング・テイタムもまた喜怒哀楽を露わにしない無表情で、やはりその裏でなにごとかが進行しているのを感じさせる。やがて堪えがたくなったマークは試合に敗れてチームを離れ、悲劇が訪れる。
その直前、拳銃を持ったジョンが車を運転して雪の農場を走る無音のロングショットがある。静謐の底に狂気を感じさせて素晴らしい。
大富豪の殺人というテーマは『ユー・ウィル・ビー・ブラッド』を思い出させる。あれは石油王の話だったが、19世紀に設立されたデュポン社は黒色火薬を製造し、南北戦争で巨利を得た「死の商人」だった。20世紀になって化学分野に進出し、原水爆の開発にも関与している。映画はそんなことを一切語らず貴族の館のような大邸宅と広大な農園しか写しださないけれど、デュポン一族のジョンが放った銃弾の背後に、そんな血なまぐさいアメリカ史を置いてみたくなる。
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