『味園ユニバース』 さりげない大阪
30年以上前、4年ほど大阪で暮らしたことがある。たまに仕事で行く以外ほとんど知らない土地だったので、ヒマをみつけては町を歩いた。ミナミや新世界といった有名な場所に通った後は、環状線に乗って降りたことのない駅で降りて歩くことにした。
大阪の環状線は高架になっている区間が多い。高所を走る電車の窓に映る環状線外側の景色は、ぽつんぽつんと4、5階建てのビルがあるだけで、あとは一面に黒ずんだ木造住宅が果てしなくつづいているように見えた。それは昭和30年代前半、東京近郊の工場地帯で育ったガキのころ見た「戦後」の風景に似ていた。
歩いて面白かったのは鶴橋、桃谷といった環状線東側の住宅密集地帯と、西側では大正、弁天町、西九条といった湾岸の工場地帯。湾岸には木津川、尻無川、安治川が流れていて、少し歩くと必ず川のある風景にぶつかる。それは、大阪がもともと淀川がつくった無数の砂州や島々のうえにできあがった都市であることを思い出させる。
『味園ユニバース』はそんな30年前に見た大阪の記憶、昭和の匂いと川のある風景を彷彿させてくれた。道頓堀や通天閣といった誰にでもわかるランドマークでなく、コンクリート堤の川と周辺の工場、倉庫街。鉄橋を渡る環状線の電車。そんなさりげない、それでいて、ああ大阪だなと感じさせる風景のなかに、一匹の野良犬がまぎれこんでくるところから映画が始まる。
恵美須町夏祭りのアトラクションでバンド「赤犬」が演奏しているところに、いきなりひとりの男(渋谷すばる)が入ってきて歌いだす。素晴らしく伸びのある声にメンバーも客も驚くが、男は直後に失神する。バンドのマネジャー格のカスミ(二階堂ふみ)が男を家に連れ帰る。男は記憶喪失していて、カスミは男を「ポチ男」と呼んで貸スタジオの自宅に住まわせる……。
ポチ男は自分が何者かわからない。でも歌は見事で、たちまちバンドのボーカルになる。和田アキ子の「古い日記」が繰り返し歌われる。〽あのころは ふたりして… 渋谷すばるの歌と存在は、まるで抜き身で放り出された刃物みたい。ギラリと光る鋭さがある。これは渋谷のための映画だ。
大阪を舞台にした音楽映画だから、関ジャニ∞の渋谷はじめバンドもすべて大阪。赤犬は山下敦弘監督の大阪芸術大学時代の先輩がつくった13人編成のバンドだ。メンバーが山下監督の『ばかのハコ船』や『どんてん生活』の映画音楽を担当している。僕はこの映画で初めて聞いたけど、コンサート会場に「全日本赤犬歌謡祭」なんて看板が掲げられていたから浪花のクレイジー・ケン・バンドみたいな感じなんだろうか。映画では、ご近所で寄り集まった中年バンドという設定になってる。
オシリペンペンズというユニークなロックバンドも出てくる。ボーカル石井モタコの亡くなった父親は、僕のかつての仕事仲間だった。「歌謡祭」の会場は千日前の味園ユニバース。元キャバレーで、今はライブ会場として使われているらしい。
カスミが、服のネームを手がかりにポチ男のことを調べはじめると、犯罪にからんで服役していたことがわかってくる。でもカスミには、ポチ男が誰なのかを知りたい気持ちの一方で、それを知りたくない、過去のないポチ男のままでいてほしいという願望もあるようだ。それは死んだ父親の貸スタジオを継いだカスミの、辛い過去をふり捨てたい願望とも重なっているらしい。そのあたりが映画の陰影になっている。
ポチ男の逃走、そして復帰と、音楽映画の常道を踏んで最後は味園ユニバースでのクライマックスになる。『リンダ リンダ リンダ』もそうだったけど、音楽映画をつくるときの山下敦弘のリズムは肩の力が抜けて心地よい。こてこてでなく、さりげない大阪への愛も。
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