February 28, 2015
February 27, 2015
February 25, 2015
『味園ユニバース』 さりげない大阪
30年以上前、4年ほど大阪で暮らしたことがある。たまに仕事で行く以外ほとんど知らない土地だったので、ヒマをみつけては町を歩いた。ミナミや新世界といった有名な場所に通った後は、環状線に乗って降りたことのない駅で降りて歩くことにした。
大阪の環状線は高架になっている区間が多い。高所を走る電車の窓に映る環状線外側の景色は、ぽつんぽつんと4、5階建てのビルがあるだけで、あとは一面に黒ずんだ木造住宅が果てしなくつづいているように見えた。それは昭和30年代前半、東京近郊の工場地帯で育ったガキのころ見た「戦後」の風景に似ていた。
歩いて面白かったのは鶴橋、桃谷といった環状線東側の住宅密集地帯と、西側では大正、弁天町、西九条といった湾岸の工場地帯。湾岸には木津川、尻無川、安治川が流れていて、少し歩くと必ず川のある風景にぶつかる。それは、大阪がもともと淀川がつくった無数の砂州や島々のうえにできあがった都市であることを思い出させる。
『味園ユニバース』はそんな30年前に見た大阪の記憶、昭和の匂いと川のある風景を彷彿させてくれた。道頓堀や通天閣といった誰にでもわかるランドマークでなく、コンクリート堤の川と周辺の工場、倉庫街。鉄橋を渡る環状線の電車。そんなさりげない、それでいて、ああ大阪だなと感じさせる風景のなかに、一匹の野良犬がまぎれこんでくるところから映画が始まる。
恵美須町夏祭りのアトラクションでバンド「赤犬」が演奏しているところに、いきなりひとりの男(渋谷すばる)が入ってきて歌いだす。素晴らしく伸びのある声にメンバーも客も驚くが、男は直後に失神する。バンドのマネジャー格のカスミ(二階堂ふみ)が男を家に連れ帰る。男は記憶喪失していて、カスミは男を「ポチ男」と呼んで貸スタジオの自宅に住まわせる……。
ポチ男は自分が何者かわからない。でも歌は見事で、たちまちバンドのボーカルになる。和田アキ子の「古い日記」が繰り返し歌われる。〽あのころは ふたりして… 渋谷すばるの歌と存在は、まるで抜き身で放り出された刃物みたい。ギラリと光る鋭さがある。これは渋谷のための映画だ。
大阪を舞台にした音楽映画だから、関ジャニ∞の渋谷はじめバンドもすべて大阪。赤犬は山下敦弘監督の大阪芸術大学時代の先輩がつくった13人編成のバンドだ。メンバーが山下監督の『ばかのハコ船』や『どんてん生活』の映画音楽を担当している。僕はこの映画で初めて聞いたけど、コンサート会場に「全日本赤犬歌謡祭」なんて看板が掲げられていたから浪花のクレイジー・ケン・バンドみたいな感じなんだろうか。映画では、ご近所で寄り集まった中年バンドという設定になってる。
オシリペンペンズというユニークなロックバンドも出てくる。ボーカル石井モタコの亡くなった父親は、僕のかつての仕事仲間だった。「歌謡祭」の会場は千日前の味園ユニバース。元キャバレーで、今はライブ会場として使われているらしい。
カスミが、服のネームを手がかりにポチ男のことを調べはじめると、犯罪にからんで服役していたことがわかってくる。でもカスミには、ポチ男が誰なのかを知りたい気持ちの一方で、それを知りたくない、過去のないポチ男のままでいてほしいという願望もあるようだ。それは死んだ父親の貸スタジオを継いだカスミの、辛い過去をふり捨てたい願望とも重なっているらしい。そのあたりが映画の陰影になっている。
ポチ男の逃走、そして復帰と、音楽映画の常道を踏んで最後は味園ユニバースでのクライマックスになる。『リンダ リンダ リンダ』もそうだったけど、音楽映画をつくるときの山下敦弘のリズムは肩の力が抜けて心地よい。こてこてでなく、さりげない大阪への愛も。
February 22, 2015
『フォックスキャッチャー』 静謐の裏側
『フォックスキャッチャー(原題:Foxcatcher)』は静かな映画だ。
静かな、という言葉には二つの意味がある。ひとつは物理的に静かな映画だということ。音楽は最小限に抑えられ、人の少ない大邸宅や農場、トレーニングセンターが舞台だから無音であることが多い。台詞も少な目だ。
もうひとつは、ロングショットと長回しを多用する映像や、人を驚かすことをしない編集など、ドラマチックに流れることを意識的に避けた静謐な演出ということ。大方のハリウッド映画とは反対を向いた静けさが映画を支配している。それだけに、静けさのなかでひそかに蓄積され、いきなり露わになる主人公の暴発が際立つ。
親子と兄弟、2組の肉親の愛情と葛藤が映画の軸となる。主人公はいずれも実在の人物。
一組は世界的な化学会社、デュポン社の御曹司である富豪のジョン・デュポン(スティーヴ・カレル)と母親のジャン(ヴァネッサ・レッドグレーヴ)。学生時代にレスリングをやったジョンは、マイナースポーツであるレスリングのスポンサーになり、広大な邸宅と農場の一角に「フォックスキャッチャー」というクラブをつくってオリンピックの金メダルを目指している。優雅なサラブレッド飼育に夢中の母親のジャンは、レスリングなど野蛮なスポーツだと軽蔑しきっている。息子のジョンは、支配的な母親に立ち向かえないまま鬱屈と反抗を心にためこんでいる。
もう一組はロス五輪で揃って金メダルを獲得したデイヴ(マーク・ラファロ)とマーク(チャニング・テイタム)のシュルツ兄弟。弟のマークは親代わりの兄のデイヴに育てられ、レスリングでも兄に指導されている。金メダルは兄のおかげと言われ、講演も兄の代理として行き、兄の陰に隠れた存在になっている。金メダリストにもかかわらず質素な生活を送っているマークに、ジョンからフォックスキャッチャーに加わらないかと誘いがくる……。
母親に支配される息子と、兄に頼り切った弟。チームを組んだ2人には、ともに「自立」し、母と兄に自分を認めさせたいという心の欲望がひそんでいる。ジョンはレスリング協会の支援者として、マークを愛玩動物のようにパーティに連れ歩き、マークも言われるままに動く。やがてジョンはもう一人の金メダリスト、兄のデイヴもコーチとして金の力でフォックスキャッチャーに呼び寄せる。
ジョンを演ずるスティーブ・カレルの能面のような表情がすごい。実在のジョンは強迫神経症を病んでいたらしいが、映画では目に見えるような奇矯な行動や言葉を描かない。母親の前では自分がチームの指導者であるふりをし、金にまかせてシニア大会で勝つ(本人は気づかないが執事が相手を買収している)けれど、あくまで金持ちの見栄やわがままといったレベル。でも能面のようなこわばった表情が、その下でなにか異常なものが進行していることをうかがわせる。
一方のマークも、見事な肉体と精悍なマスクの下で、ジョンの支配下にあることの苦痛を蓄積させている。マークを演ずるチャニング・テイタムもまた喜怒哀楽を露わにしない無表情で、やはりその裏でなにごとかが進行しているのを感じさせる。やがて堪えがたくなったマークは試合に敗れてチームを離れ、悲劇が訪れる。
その直前、拳銃を持ったジョンが車を運転して雪の農場を走る無音のロングショットがある。静謐の底に狂気を感じさせて素晴らしい。
大富豪の殺人というテーマは『ユー・ウィル・ビー・ブラッド』を思い出させる。あれは石油王の話だったが、19世紀に設立されたデュポン社は黒色火薬を製造し、南北戦争で巨利を得た「死の商人」だった。20世紀になって化学分野に進出し、原水爆の開発にも関与している。映画はそんなことを一切語らず貴族の館のような大邸宅と広大な農園しか写しださないけれど、デュポン一族のジョンが放った銃弾の背後に、そんな血なまぐさいアメリカ史を置いてみたくなる。
February 19, 2015
『はじまりのうた』 ロウワー・イースト・サイドの街角
ニューヨークを舞台にした音楽映画というと、たいていグリニッジ・ヴィレッジが中心になる。1950~70年代にかけて、ジャズにしろフォークにしろライブハウスはヴィレッジに集中していたから。ジャズならヴィレッジ・ヴァンガードはじめいくつものライブハウスがあるし、『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』が描いたようにフォーク・リバイバルはヴィレッジを中心に盛り上がった。ビートニクもここで生まれたし、ヴィレッジは「特別な場所」(作家のローレンス・ブロック)だった。
でも『はじまりのうた(原題:Begin Again)』ではヴィレッジではなく、その東南でチャイナタウンに隣接したロウワー・イースト・サイドが主な舞台になっている。それが印象的だった。金のない若者やアーティストの生活圏がこちらに流れてきているからだろう。
もともとロウワー・イースト・サイドは貧しい移民が住んだ場所で、照明も暖房もない劣悪なかつてのアパートがテネメント博物館として保存されている。でも1990年代以降、ジェントリフィケーションと呼ばれる「高級化現象」で中流階級や若者が住むようになった。今では若者の街として、おしゃれなレストランやショップ、ライブハウスも多い。
コンドミニアムを飛び出したグレタ(キーラ・ナイトレイ)が転がりこむ売れないミュージシャンのアパートは、地下鉄エセックスSt.駅で乗り降りしているところを見るとロウワー・イーストサイドにある。グレタと音楽プロデューサーのダン(マーク・ラファロ)が初めて出会うライブハウスも、現実にこの地域にあるアーレンズ・グローサリーだ。
このライブハウスでグレタとダンが初めて会うシーンが三度繰り返される。見る者は、一度目は主人公の出会いだとしか分からないけど、二度目までにグレタのその瞬間までのいきさつが描かれ、三度目までにダンのいきさつが描かれる。
グレタの恋人であるミュージシャンのデイヴ(アダム・レヴィーン)がメジャー・デビューして売れっ子になり、他の女性のために歌をつくった彼と喧嘩して、グレタはコンドミニアムを飛び出し、ロウワー・イースト・サイドのミュージシャン仲間のアパートに転がりこむ。ダンは、自分がつくったレコード会社の共同経営者が売れ筋優先の方針を取るのと衝突して会社をクビになり、妻や娘のバイオレット(ヘイリー・スタインフェルド)ともうまくいっていない。三度目の出会いで、そういう二人であることがわかる。
ステージのグレタがギター一本で歌う場面も繰り返し出てくる。三度目のシーンでは、それを聞くダンが、グレタの歌にどんなアレンジでどんなバックをつけるか想像する音がかぶさってくる。いいシーンだ。グレタの歌にほれ込んだダンはデモをつくろうとするが、スタジオを借りる金もなく、ニューヨークの街なかで録音することを考える。
ニューヨークのランドマークであるいろんな場所でのライブ録音のシーンが、音楽をたっぷり聞かせて、なんとも気持ちいい。
エンパイア・ステート・ビルが背後にそびえるビルの屋上(ビートルズのドキュメンタリー『レット・イット・ビー』の屋上での演奏を思い出す)。ワシントン・スクエア・パーク、ロウワー・イースト・サイドの路地、ユニオン・スクエアの交差点、チャイナタウン、セントラル・パーク。パトカーのサイレンや子供たちの声やいろんな町の音も録音される。有名な場所も、名も知れぬ街角も、ダンが言うように、音楽によって「陳腐でつまらない景色が美しく輝く真珠になる」。
曲はグレッグ・アレキサンダー(ニュー・ラディカルズ)と脚本・監督のジョン・カーニーの手になる。カーニー監督はアイルランドでロック・バンドのベーシストだったそうだ。道理で音楽のツボを心得てる。キーラ・ナイトレイの歌も、いかにもフォークの感じが出てる。楽しい映画でした。
February 18, 2015
February 15, 2015
『二重生活』 霞んだ街
ロウ・イエ監督が2006年につくった『天安門、恋人たち』は中国国内での上映禁止と、5年間映画製作停止の処分を受けた。北京の大学に入学した女子学生が激しい恋をし、天安門事件に遭遇する。天安門事件を描いたことも、中国映画ではたぶん初めての激しいセックス・シーンも、ともに検閲に引っかかったのは間違いない。もっとも映画を見たかぎり、政治映画ではなく恋愛映画の印象が強かった。
5年間の製作停止処分が解けてロウ監督が中国でつくった『二重生活(原題:浮城謎事)』は、監督の関心が政治ではなく男と女にあることをくっきりさせる。『天安門…』もそうだったように、激変する中国の現実のなかでもみくちゃにされる男たち女たち。
ヨンチャオ(チン・ハオ)と妻のルー・ジエ(ハオ・レイ)は会社を経営する裕福な夫婦。一人娘と幸せな家庭を営んでいる。でもヨンチャオには秘密の愛人サン・チー(チー・シー)がいて、2人の間には男の子までいる。ある日ルー・ジエは、娘の幼稚園のママ友であるサン・チーが夫の愛人であることを知る。ヨンチャオはほかにも若い女子学生シャオミンと遊んでいるが、シャオミンは事故死。その死に疑いをもったトン刑事は周辺を調べはじめる……。
シャオミンはなぜ死んだのか。誰が殺したのか。そこから生まれる次の犯罪。全体がミステリー仕立てになっているけれど、監督が描きたいのはそこではないみたいだ。ヨンチャオが営む二つの家庭。マンションに暮らす富かなルー・ジエと、古びた町に暮らす貧しいサン・チー。彼は両方の家を行き来して二重生活を送っている。もっとも、監督はその三角関係にも深入りしない。じっくり描けば、犯罪などなくてもそれだけで1本の映画になる。3人の心理描写をこってり描くことをしないから、死んだシャオミンを含めて男たち女たちが都会をあてどなく彷徨っている感じが滲んでくる。それが監督のスタイルなんだろう。
どうやら資産家なのは妻ルー・ジエの実家らしい。ルー・ジエの自信はそこから来ているんだろう。ヨンチャオは選択を迫られている。今は変わったとはいえ、一人っ子政策がこの映画の背後にあるのだろうか。ヨンチャオの母親は、女の子を産んだ嫁のルー・ジエではなく、男の子を産んだ愛人のサン・チーのほうに好意を持っている。ヨン・チャオの選択に母の態度が影響を与えたようにも見える。
舞台は北京よりひどくPM2.5に汚染された大都会の武漢。ヘリの空中撮影が映し出す街はいつも霞みがかかっている。澱んだ空気と、そこに降る激しい酸性雨が印象的だ。そのどんよりした空気はヨンチャオやルー・ジエやサン・チーのものでもあるように感じられた。
February 14, 2015
February 11, 2015
新京極の地蔵尊
a Buddist saint behind busy shopping street in Kyoto
京都、四条通が寺町通と1本東の新京極と交差する間、甘栗で有名な林万昌堂の店先に「染殿地蔵尊」「左 京極近道」の石柱がある。店内を見ると、店の奥にガラスのドアがあり、その奥に提灯の灯りが見える。
店に入り、自動ドアを通り抜けると染殿地蔵尊がある。安産祈願に訪れる女性が多い。
東に曲がり新京極に出たところ。ここは一遍上人が念仏踊りを広めた場所でもあった。繁華街の商店の裏側にこういう場所が隠れているのが京都の奥深いところだ。
新京極と河原町通に挟まれた小路を南北に歩くと、たくさんの寺があるのに驚く。もともと寺町通の東に寺が集められたのが(だから寺町通)、境内に屋台が立ち並ぶようになり、それが発展して新京極になったらしい。知らなかったなあ。
February 10, 2015
重森三玲の庭
Japanese Karesansui garden by Shigemori Mirei
ボランティアの用事で大阪へ行った翌日、京都へ回って昭和の庭園家、重森三玲(みれい)の庭を見てまわった。まずは東福寺へ。この寺の方丈庭園は重森三玲の代表作といわれる。
南庭は210坪の枯山水庭園。白砂の海原に浮かぶ、仙人が住む蓬莱島を表しているという。
同じ南庭の反対側。五つの築山があり、白砂と苔は直線で区切られている。
重森三玲(1896~1975)は日本画を学び、勅使河原蒼風らと新興いけばな創作研究にかかわった後、独学で作庭家になった。
西庭。三玲が東福寺の庭をつくることになったとき、ただひとつ「旧本坊内にあった材料をひとつも廃棄せず再利用すること」という条件をつけられた。その制約が、三玲にさまざまな工夫をうながした。
旧本坊にあった敷石の縁石を利用してつくられた市松模様。四角い縁石のなかにサツキが植えられている。庭ができた当時はサツキの高さは3センチほどだったというから、今よりずっとすっきりした市松模様に見えたろう。
北庭。旧本坊に敷かれていた切石を使った、やはり市松模様の「小市松の庭園」。
東福寺にはもうひとつ、三玲がつくった庭がある。いつもは非公開の龍吟庵の庭だけど、この日は特別公開で見ることができた。
龍吟庵の名にちなんで、龍が海中から昇天する姿をかたちどった石組みの庭。白砂は海を、黒砂は黒雲を表しているそうだ。
龍吟庵は室町時代初期に建てられた、現存する最古の方丈建築(国宝)。三玲の庭は1964年に作られた。
京阪電車で東福寺から出町柳へ。京大正門前から吉田神社近くの重森三玲庭園美術館まで歩く。雨が落ちてきそうな空模様だったけど、そんなに寒くない。
ここはもともと吉田神社の社家だったものを、戦争中に三玲が譲り受け、庭をつくった。建物は江戸期のもの。書院から庭を見る。
元の庭の植木を生かした枯山水。三玲の庭は、モダン・デザインのセンスを生かした枯山水とでも言ったらいいのかな。
三玲が設計した茶室。ここにも市松模様が。
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