『エレナの惑い』 母の肖像
黒沢明『天国と地獄』の崖上の邸宅と崖下の安アパートを引き合いに出すまでもなく、富める者と貧しい者の対立を場所をめぐる物語として語った映画は多い。ロシア映画『エレナ(原題:Елена)』もまた、際立った対照を示すふたつの場所をめぐる映画だった。
ひとつはモスクワと思しき都市。閑静な住宅地に高級コンドミニアムが建つ。広い部屋に洒落た調度。全面ガラス張りの窓からは、冬枯れの木立が並ぶ広い庭が見える。映画の最初と最後のショットは、かすかに外の音がきこえる静寂の庭から主人公の部屋を眺めたものだ。
もうひとつは、モスクワから電車で行く郊外の町。町のかたわらには原子力発電所らしい建物が水蒸気を吐いている(現実にはモスクワ郊外に原発はないが)。町には4、5階建ての古びた鉄筋コンクリートのアパートが並ぶ。この無個性なアパートはフルシチョフカと呼ばれ、1950年代のフルシチョフ時代に全国で建てられた低コストの建物だ。現在では老朽化して低所得者層が住み、出入口に不良グループがたむろしている。
この二つの場所をつなぐのが主人公のエレナ(ナジェジダ・マルキナ)。エレナはソ連崩壊後に成り上がったらしいウラジミル(アンドレイ・スミルノナ)と結婚して、モスクワの高級コンドミニアムに住んでいる。エレナは元看護士で、ウラジミルが入院したときに献身的に看護したことから愛が生まれた。エレナもウラジミルも共にバツイチで、エレナには息子が、ウラジミルには娘がいる。
朝、エレナとウラジミルは会話のない食事をする。2人の間にかつての愛は消えている。エレナはウラジミルに孫が大学へ行くため資金援助を頼むのだが、エレナの無職の息子が金をせびってばかりいるので、いい顔をしない。一方、ウラジミルの娘も父親の金で暮らしているが一向に父のところに顔を出さない。エレナは折あるごとに郊外電車に乗って息子のアパートを訪れては金を渡している。
ある日、ウラジミルが心臓発作で入院する。退院したウラジミルがエレナに、遺産は娘に渡す、明日は遺言書を書くと言った翌日、エレナは処方されたのと別の薬をウラジミルに飲ませる……。
社会派の犯罪ドラマになりそうな内容だけど、『父、帰る』のアンドレイ・ズビャギンツェフ監督は全く別のテイストの映画に仕立てている。静けさが支配する画面。隅々まで計算された端正な映像と、サスペンスを排除するようなカットのつなぎ。ところどころで入るフィリップ・グラスの音楽がわずかに感情をかきみだす。
『父、帰る』では繰り返される水の描写にタルコフスキーのDNAを感じたけど、ここではふっと挿入される円筒形の原発の建物や、すさんだコンクリートのアパート、コンドミニアムの空虚な部屋、妻でなく家政婦のように見えるエレナの鏡に映った肖像といったショットに凄みを感じた。罪を犯したエレナの心は電車の窓から眺める馬の死体や、停電で闇になり思わず息子の手を握るショットで暗示される。エレナは息子に孫の入学資金を渡すが、そのとき孫は原発が見える林の中で不良仲間とホームレス狩りをやっている。
モスクワの高級住宅地と郊外の朽ちたアパートの町を行き来する母の、盲目的な子供への愛と愚かさをナジェジダ・マルキナが好演。急激な資本主義化で極端な貧富の差がある今のロシアの断面を、何も言わずぞろりと切り取って見せてくれた映画だった。
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