『マップ・トゥ・ザ・スターズ』 バビロンの炎
Maps to The Stars(viewing film)
この映画のキー・パーソンは脚本を書いたブルース・ワグナーだろう。脚本家志望のブルースがハリウッドでセレブの運転手をやっていた時代に体験したことが、この映画の素になっている。鉢合わせした女優同士の鞘当てとかカーセックスを誘われるあたりもそうだろうか。彼はこの脚本をもとに小説を書いている。タイトルは『Dead Stars』。こっちのほうは直截な表現だけど、映画タイトルのほうが陰翳がある。
『マップ・トゥ・ザ・スターズ(原題:Maps to The Stars)』は、まるでシェークスピア劇でも見ているように宿命的な破滅へ突き進んでいく2人のスターと、それを取り巻く映画業界の男と女の物語だ。
冒頭、顔と手に火傷の痕をもつ少女アガサ(ミア・ワシコウスカ)が映画の都ロサンゼルスにやってくる。雇われたリムジン運転手のジェローム(ロバート・パティンソン)が「どこから?」と聞くと、アガサは「木星(ジュピター)から」と答える。ジュピター(ローマ神話のユピテル、ギリシャ神話のゼウス)は天を支配する神々の王で、武器とする雷は全宇宙を焼き尽くす。黒手袋で隠す火傷の跡も「木星から来た」という台詞も、炎によって死者が生まれるこの映画でのアガサの行動を暗示するようなシーンだ(アメリカ版ポスターは「ハリウッド・バビロン」炎上のイメージ)。
アガサは両親によってLAから追放されたのだが、彼女の帰還によって2人の映画スターの運命の歯車が狂いはじめる。2人のスターはそれを予感するように、父の亡霊に出会ったハムレットみたいに亡霊に出会い、憑りつかれる。
かつてスターだった落ち目の中年女優ハバナ(ジュリアン・ムーア)は、70年代のスターで焼死した母の映画をリメイクする企画で、母の役を得ようとあせっている。ハリウッドの邸宅に住むハバナは、バスルームで若く美しい母の亡霊を見る。
子役で大ヒットを飛ばしたベンジー(エヴァン・バード)は薬物依存症を治療して次回作を準備中だが、話題づくりで訪問した病気の少女の亡霊を見るようになる。ハバナの場合もベンジーの場合も、亡霊とは言うまでもなく彼らの鬱屈した心が見る幻視のことだ。ベンジーの父スタッフォード(ジョン・キューザック)はハリウッドのスターを顧客にもつTVセラピストで、ハバナも彼の怪しげな治療を受けて自分を虐待した(と信じる)母のトラウマから逃れようとしている。アガサは実はベンジーの姉で、かつて2人は心中未遂のような事件を起こしていた。アガサはハバナの秘書として彼女の邸宅に住み込むことになる……。
ハバナのジュリアン・ムーアがすさまじい。美しい母の記憶に呪縛された中年女優の役を、ぶよぶよの肉体を晒し、バスルームでは屁をひりながら演じてる。54歳という年齢や過去の華々しい受賞歴からしてジュリアン自身を彷彿させなくもない役どころ。ジュリアンは『ブギーナイツ』のポルノ女優役もあれば『エデンより彼方に』『めぐりあう時間たち』みたいなメロドラマもあり、インディペンデントからメジャー作品まで幅広い役者だけど、この映画でもなりふり構わぬ熱演。『サンセット大通り』のグロリア・スワンソンを思い起こさせる。その甲斐あって去年のカンヌ映画祭で最優秀女優賞を得た。
野心と虚栄と嫉妬がうずまく「ハリウッド・バビロン」がアガサの帰還によって狂いはじめるのを、デヴィッド・クローネンバーグ監督は化学反応を観察するような冷たい眼差しで見ている。そのクールさは、いかにもクローネンバーグ。
スタッフォードは帰ってきたアガサを妻や息子のベンジーに会わせまいと必死になる。スタッフォードの妻は実は彼の妹で、兄妹の結婚から生まれたアガサとベンジー姉弟はその秘密を知って嫌悪しつつ互いに惹き寄せられる。幻視に悩むベンジーは誤って共演する子役の首を絞めてしまう。運転手のジェロームはバビロンの観察者役なのだが、アガサと恋仲になり、ハバナがジェロームを誘ってカーセックスをしているのを見たアガサは彼女が仕えるハバナへの嫉妬に燃える。アガサがジュピターとしての本性をあらわにしていく。
神話的なスターだった母親に呪縛されるハバナ。近親結婚した親の呪縛から逃れようとして逃れられないアガサとベンジー姉弟。親子の記憶が彼らを狂わせる。それを増幅させるバビロンの狂騒。残酷で冷たい喜劇とでもいおうか。
クローネンバーグはずいぶん前からこの企画を温めていたらしい。でも映画業界を辛辣に描く内容で資金が集まらないことやヒットが見込めないことで長いこと実現しなかった。ようやく実現したが、映画は予想通り当たらず、今のところ1300万ドルの予算の3分の1も回収できていない(wikipedia)。それがわかっていながらこの映画をつくったことに、クローネンバーグの作家魂を見た。
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