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November 28, 2014

『0.5ミリ』 さすらいのヘルパー

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0.5mm(viewing film)

高齢化の進むこの国で介護が大問題であることは誰も異存がないだろう。でもそれをどんなふうに映画にしたらいいのか。テーマがテーマだけに、正面から取り組めばやけに真面目で深刻なものになってしまいそうだ。

『0.5ミリ』は、主人公のヘルパーを言ってみれば流れ者のガンマンに見立て、ヒーローがさすらうロードムービーにすることでめっぽう面白い映画になった。196分の長丁場に、まったく飽きず引き込まれる。安藤桃子監督と、妹で主演の安藤サクラが組んだ快作だ。全編高知でロケした地方都市の風景も重要な舞台装置になっている。

ヘルパーのサワ(安藤サクラ)は、派遣先で「おじいちゃんの冥途の土産に一緒に寝てあげてくれない?」と娘の雪子(木内みどり)に頼まれる。その夜、雪子は首を吊り、おまけに火事を出して、サワは職と住処を失って路頭に迷う。

サワは、スーパーの駐輪場で自転車のタイヤに穴をあけている元自動車整備工の茂(坂田利夫)や、本屋で万引きする元教師の義男(津川雅彦)の弱みにつけこんで自宅に入り込む。といって財産を狙うのでなく、住まわせてくれるかわりに押しかけヘルパーになって孤独な老人に寄り添うのだ。

サワは茂が金融詐欺で財産を取られそうになるのを助け、義男の妻(草笛光子)が寝たきりになっているのを介護し、茂も義男も徐々にサワに心を開いてゆく。彼らは、過去の人生をサワに語りはじめる。「0.5ミリ」というのは、人と人がほんのちょっとだけ距離を詰めれば世の中も変わってくるのに、という監督の思いを表しているだろう。でもそれが10センチや1メートルでなく距離を詰めすぎないところが、サワという主人公の身のこなしの軽やかさや笑いになっている。義男の姪(浅田美代子)に財産目当てと誤解されそうになると、サワはさっと身を引いて家を出る。

家を出たサワは雪子の息子、マコト(土屋希望)と出会い、マコトが同居している父(柄本明)の家にころがりこむ。マコトは性同一障害らしく、誰とも口をきかない。それを感じたサワは、マコトに死んだ母のワンピースを着せて一緒に家を出る。ロードムービーらしく、ラストは2人を乗せた車が海辺を走るロングショット。

海と山があり、市電も走る地方都市の風情がいいなあ。変哲もない裏通りや古い旧家のたたずまいが心にしみる(撮影は灰原隆裕)。

それ以上に素晴らしいのは安藤サクラ。『愛のむきだし』で変な女優が出てきたなと思い、『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』で個性がくっきりし、『かぞくのくに』が圧巻だった。

この映画でも時に少女のようで、時に女っぽく、時に優しく、時に強面に。軽々と七変化を見せる。一瞬、どきっとするほどの美しい表情。小さいころから一緒だった姉だからこそ、その魅力をよくわかっている。女優として、姉が「あの人は化け物ですよ」と評するのもうなずける。安藤桃子とサクラの姉妹、とんでもなく強力なチームになりそうだ。


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November 27, 2014

砂町銀座へ

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Sunamachi Ginza Street

江東区の砂町銀座商店街を通って、砂町文化センターの大西みつぐ写真展「まちの息づかい」へ。

昼前ということもあったけど、こんなに人の多い商店街は久しぶりだ。あさりご飯に、カズノコの特売に、人がずらっと並んでいる。道幅が狭いのも商店街の雰囲気をよくしてる(上の写真は商店街の脇道)。ガキのころ、まだスーパーがなかった時代の空気を思い出す。写真展は1970年代、80年代、そして最近の砂町。タイトルどおり「まちの息づかい」が聞こえてきた。

そこからバスで両国駅へ出て、有楽町へ。スバル座で3時間半の映画『0.5ミリ』を見る。安藤サクラが素晴らしい。さらに広尾へ回りギャラリー華で「東風の会」。友人の画家、吉武研司さんが出品している。疲れたけど充実の一日。


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November 25, 2014

わが家の紅葉

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falling colors in my garden

庭の楓が急に色づいた。夕闇が近づき冷たい雨に濡れている。後ろのドウダンツツジもだいぶ赤くなってきたけど、まだこれから。50年前に祖父母がつくった庭だが、池の水を抜いただけでそのままにしている。

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November 22, 2014

『シャトーブリアンからの手紙』 神話化を超えて

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La Mer à l'aube(viewing film)

フォルカー・シューレンドルフ監督の映画を見るのは『ブリキの太鼓』以来だから33年ぶりのことになる。

監督は70代半ばになるけれど、『シャトーブリアンからの手紙(原題:La Mer à l'aube)』を見るかぎり、その力はまったく衰えていない。『ブリキの太鼓』はふたつの世界大戦間のドイツを少年の目を通して描いたドラマチックな映画だった。この新作 もまた第二次大戦中のある出来事がテーマになっている。描き方によっていくらでもドラマチックになりうる素材だけれど、そうした要素をぎりぎりまで削ぎおとしたクールなタッチで、シューレンドルフ監督の映画に対する姿勢がいよいよ研ぎ澄まされていると感じた。

内容も見事だけど、この映画はつくられたことに、またどのようにつくられたかに大きな意味がある。

1941年、ドイツ占領下のフランスでナチス将校が共産党員によって暗殺された。これに怒ったヒトラーは、フランス人150人の銃殺を命ずる。シャトーブリアンの収容所に捕えられた政治犯から処刑される者が選ばれたが、なかには17歳のギィ・モケ(レオ=ポール・サルマン)もいた。彼らに許されたのは最後に家族や愛する者に宛て手紙を書くことだけだった。

戦後、ギィ・モケはナチスに対する抵抗運動の象徴となり、パリで通りの名前につけられ、地下鉄駅の名称にもなっている。フランスでは誰でも知っている有名な歴史的事件であり、少年なのだ。

『シャトーブリアンからの手紙』は独仏合作、つまり事件の加害者と被害者が共同で製作に当たっている。脚本と演出は加害者側であるドイツのシューレンドルフ。彼は、事件当時パリのドイツ司令部付の大尉でヒトラーに批判的だった作家エルンスト・ユンガーの記録や、この事件を取り上げたハインリヒ・ベルの小説、銃殺されたフランス人政治犯の手紙などに基づいて脚本を書いた。ヒトラーの命を受けたドイツ人将校たちのとまどいにも、占領に協力するフランス人行政官たちの苦悩にも目配りがきいている。

ところでこの事件は、何年か前にもフランスで政治問題になったことがある。サルコジ前大統領が、全国の高校でギィ・モケの家族に宛てた手紙(映画のなかでも読まれるが、感動的なものだ)を朗読するよう指示を出したからだ。サルコジはギィが共産党系の政治犯だったという背景を無視して、ギィを「愛国者」としてのみ持ちあげようとした。フランス国営テレビ局も、その線にそったプロモーション・ビデオをつくって放映したという。

これに対して教師や歴史学者、当の高校生からも「歴史的背景を無視し手紙だけを朗読するのは、感情によってナショナリズムを喚起しようとする歴史の政治利用だ」という反対運動やデモが起こった。結果、指示通り朗読した高校、背景を説明するプリントを付して朗読した高校、まったく朗読しなかった高校と、さまざまな対応があったという(「保坂展人のどこどこ日記」)。

ギィ・モケは戦後、共産党によって「殉教者」として祀りあげられ、その後サルコジによって「愛国者」として祀りあげられるという二重の神話化をほどこされた存在としてある。シューレンドルフのドキュメンタリーのような淡々とした描写は、いわばその二重の神話化からギィ・モケの実像をすくいあげようとする姿勢からきているのだろう。彼が担ったのは加害者側の視点だけでなく、神話から自由な第3の眼でもあったわけだ。そこに独仏合作の意味があるような気がする。

ギィ・モケをはじめとする政治犯たちは、収容所から連れ出され銃殺される。その死について、監督はこんなふうに言っている。「死は行政の行為として訪れるにすぎなかった。この処刑にかかわるすべての人間は、誰一人最終的な責任を負うことのない、純粋な行政行為とすることに成功したのだ」(映画のHPより)。

占領軍のドイツ人将校たちは、1人殺された報復に150人ものフランス人を殺すのはひどすぎると感じながらもヒトラーの命令に逆らわなかった。フランス人行政官たちは、「危険分子ではなく善良な市民を殺したいのか」と脅されて、収容所の政治犯から殺される者のリストを作成することでナチスに協力した。「誰一人責任を負わない」「純粋な行政行為」とはそういうことだ。

こうした描き方は、ナチスの命令と法に従ってユダヤ人を大量虐殺したアイヒマンを「凡庸な悪」と論じたハンナ・アレントの視点に重なっているだろう。そしてそうした視点を持つことが、「凡庸な悪」がいよいよはびこる世界に向けてこの映画をつくることの今日的意味でもあるだろう。

映画のなかで、大西洋の凪いだ海の映像が何度か挿入される(原題は「夜明けの海」)。その静けさが印象的だった。

この映画がフランスとドイツの合作映画としてつくられたことは、両国の戦争にまつわる歴史が今も一皮むけば血の出る生々しい問題であることの裏返しだろう。だからこそ、双方が和解に向けて事実を見つめ、そこから共有できるものを探す姿勢がこの映画には貫かれている。日本と中国、あるいは日本と韓国の間では、いまだに戦争の記憶をめぐって互いに事実をねじまげナショナリズムに利用する争いが繰り返されている。こんな映画がつくられるのはいつのことだろう。

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November 17, 2014

最後の収穫

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last harvest of this year

今年最後になりそうな収穫。日差しは日に日に弱くなり、ゴーヤやナスは大きくならず、ミニトマトは真っ赤にならない。

今年はゴーヤもナスもミニトマトもよく獲れた。特にミニトマトは自給できた。冬は土を休めて、また来春に種をまく。


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November 11, 2014

恭仁宮跡から海住山寺へ

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a trip to Kaijusenji Temple, Kyoto

ボランティアの用事で大阪へ行った翌日、体があいた。朝から冷たい雨だったけど、木津川の海住山寺(かいじゅうせんじ)へ行くことにした。京都の非公開文化財特別公開の最終日。五重塔内陣と二体の十一面観音を拝観することができる。

天王寺から大和路快速で加茂駅へ。駅から木津川を渡りしばらく行った田園のなかに恭仁(くに)宮跡がある。

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天平13年、聖武天皇は平城京からこの恭仁宮に都を移した。その前年、九州で藤原広嗣の乱が起こっていて、遷都はそのことと関係しているらしい。恭仁宮のある山城国相良郡は藤原氏と対立した実力者・橘諸兄の根拠地だった。でも翌年、都が完成しないうちに聖武天皇はまたしても近江紫香楽宮に遷都してしまう。天皇はさらに遷都を繰り返し、難波宮をへて天平17年、また平城京へ戻る。このあたふたぶりは、仏教に深く帰依したこの天皇が心理的に恐慌を来していたような印象を受ける。

放棄された宮跡には山城国分寺が建てられた。この礎石は国分寺七重塔のもの。

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すぐ近くの恭仁宮大極殿跡。

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恭仁宮跡から海住山寺へ。田園風景のなかを2キロほど歩く。若いころ大和路を歩いたときのような、のどかな風景。

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寺は海住山の中腹にあり、低い雲に霞んでいる。

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途中から山道になり、急なつづら折りの登り坂がつづく。イノシシが出るのだろうか。こんな看板が。

息が上がる。雨に濡れ、古傷の膝も心配になってきた。寺へ行った帰りのタクシーが降りてきたので、へたれて手を挙げると、「もうすぐだから」と乗車拒否されてしまった。でもタクシーの運転手氏と地元の人の「もうすぐ」は信用できないんだなあ。

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室町時代の道しるべ、町石(ちょういし)。

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やっと山門が見えてきた。

海住山寺は恭仁宮がつくられる以前の天平7年、聖武天皇による毘盧遮那仏(東大寺)造営の無事を祈って創建されたと伝えられる。十一面観音を本尊とし、当時は藤尾山観音寺と呼ばれていた。観音寺は12世紀に焼失し、その後、興福寺の僧・貞慶によって再興され海住山寺と名づけられた。

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国宝の五重塔。今日は初重(1階)の内部を見ることができる。初重の四方に扉があり、内陣に小さな仏舎利塔と四天王像が配置されている。四天王像は彩色がよく残っている。

どの五重塔も中心には心柱と呼ばれる柱があり、ふつう土台からてっぺんの装飾、水煙までを貫いている。ところが海住山寺の五重塔の心柱は初重の天井の上に置かれている。柱が土台に置かれていないわけだ。そのため初重に広い空間を取ることができ、仏舎利塔と四天王像が配置されている。こういうスタイルは海住山寺が初めてだという。

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本堂。特別拝観で本尊の十一面観音と、奥の院の本尊である十一面観音(ふだんは奈良国立博物館で展示)、天平時代の二体の十一面観音を見ることができる。

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奥の院の十一面観音をあしらった木津川市のパンフレット。

本尊の十一面観音は大きい。木造で彩色が落ち、木の肌目が見える。どちらかといえば素朴で平面的。仏というより、リアルに彫られた人の顔といった感じ。一方、奥の院本尊の十一面観音は像高46センチと小さい。小さいけれど、なんとも精巧。いかにも観音といった豊満な顔と肉感的な身体。裳裾の流れも優美で、見惚れてしまう。二体とも同じ天平仏ながら、ずいぶん印象が違う。

この10年ほど、機会があれば湖北、山城、大和の十一面観音を訪れるようにしている。ところで僕たちが十一面観音に惹かれるのはなぜなんだろう。

観音は仏教の仏たちのなかでもいちばんの信仰の対象とされ、中国より東の地域では観音像は女性として表象されることが多い。その理由ははっきりしないが、カトリック世界のマリア信仰みたいなものだろうか。マリア信仰はキリスト教以前の大地母神信仰がキリスト教に入ったものとされるけど、観音信仰も似たようなものなのか。観音のなかでも十一面観音は左手に蓮の水瓶を持つ立像が多いから、立ち姿や衣装で女性性がいよいよ強調される。

奥の院の十一面観音もそうで、同じ山城にある観音寺の十一面観音と並んで、今まで見たなかでいちばん強く女性性を感じた。しかも50センチ足らずとミニチュアみたいなサイズなので、等身大やもっと大きな仏像を見るのとはまた違う親密な空気が漂っている。

外へ出たら体がすっかり冷えている。休憩室にあった自動販売機の缶コーヒーで温まる。特別拝観最終日なので、雨傘をさした人たちがぽつぽつと訪れる。下りは歩く気力なく、「もうすぐだから」と言った運転手氏がくれたカードを見て車を呼ぶことにした。

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November 06, 2014

函館湯の川温泉へ

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a trip to Yunokawa Spa

函館の湯の川温泉に行くのは初めて。町なかの、こんなに大きな温泉だとは知らなかった。お湯はナトリウム塩化物泉。無臭透明で塩辛い。さらさらとして気持ちのいいお湯。

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市内の移動は市電で。主な観光スポットにはこれでほとんど行ける。

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乗ってるだけで懐かしくなる。

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函館に来るのは三十数年ぶり。すっかり観光都市になっているのに驚いた。朝市で定番の海鮮丼。

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活スルメイカの刺身。この後、ゲソや目玉まで切ってもらって食す。

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明治43年建築の旧函館区公会堂では、中国から来た観光客が明治の貴婦人に扮して記念写真。中国の天津からチャーター便が来ていて、中国の観光客が多い。

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港を見下ろすカフェでお茶を飲んでいたら、一瞬、港に陽が射した。

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定番中の定番、函館の夜景。満月に近い月が海面を照らす。

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