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October 31, 2014

『悪童日記』 無垢であり邪悪である視線

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Le Grand Cahier(viewing film)

アゴタ・クリストフから映画化権を得たヤーノシュ・サーシュ監督が主役になる双子を探しあてたとき、映画の半分はできあがったと言えるんじゃないかな。双子がいなければこの映画は成り立たないし、サーシュ監督が見つけたアンドラーシュとラースローのジェーマント兄弟が素晴らしい。監督はハンガリー中を探し、半年かけて田舎の小さな町に住む少年たちに行きあたったという。

原作は20年前に読んだきりなので、ディテールは忘れてしまった。戦争のため祖母の元に預けられた双子の少年が、社会の決まり事や倫理が崩れた世界で痛めつけられ、逆に人を傷つけ、騙したり、人の死を踏み台にして生き延びてゆく。そのありさまが日記体の濃密な文章で描かれていた。固有名詞がいっさい出てこないから、どこか神話的な空気も漂っていた。

映画もその空気がとてもうまく再現されている。美しい田園風景のなかで、双子は過酷な生活を送る。祖母からは食事すら満足に与えられない。なにかというと殴られる。痛みに耐えられるようになろうと、2人は互いに鞭打ちあう。庭に忍び込んだ傷ついた将校が死ぬと、2人は手榴弾や銃を隠す。2人に好意をもってくれた靴屋がユダヤ人狩りのなかで殺されると、やはり2人に好意を示しながらユダヤ狩りに喝采を送った女のストーブに手榴弾を仕掛ける。

無垢な少年たちが、戦争を生きのびるため人を傷つけたり人の死に立ち会ってもなんの痛みも覚えないモンスターになっていく様が淡々と語られる。

もちろん、少年らしい日々もある。隣の小屋に住む兎口の少女と仲良くなって納屋でふざけあう(後に少女は、解放軍の兵士の車に乗るが、乱暴され死体で戻ってくる)。「魔女」と呼ばれる意地悪な祖母(ピロシュカ・モルナール。いい味出してる)とも、心が通う瞬間があったりする(倒れた祖母を2人は安楽死させる)。そんな死と隣り合わせの生活のなかで、2人の双子が無言で相手を見据える無垢でもあり邪悪でもある視線が、この映画のキモになっている。

小説には固有名詞がいっさいないから、どうやら第二次大戦中の東欧が舞台らしいという推測しかできないけれど、映画では原作者と監督の故郷であるハンガリーに戻したのも成功していると思う。原作者の体験が小説のベースになっているのは確かだから。

戦争中のハンガリー王国は枢軸国としてナチス・ドイツと協力していた。双子が暮らす村はハンガリー・オーストリア国境にあるらしい。ナチスの収容所があり、ホモセクシュアルらしいナチス将校が祖母の家の小屋を借りて住んでいる。ナチスの将校も少年たちに好意を示す。やがて解放軍としてやってくるのは赤旗を掲げたソ連軍だ。

かといってリアリズムではまったくない。ナチスの制服もソ連軍の赤旗も、クリスティアン・ベルガー(『白いリボン』)が撮影する国境の村の美しい風景のなかでどこかお伽噺めいている。そのために逆に戦争と戦争によってモンスターとなる少年たちの過酷な運命が浮かび上がることになる。


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October 29, 2014

常磐線(原ノ町~相馬)に乗る

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take the Joban line

南相馬の原ノ町駅構内には特急列車の車両が3年以上停まっている。2011年3月11日午後3時9分発、上野行きスーパーひたち。地震と原発事故で常磐線は北の宮城県境と南の原発周辺が不通になり、ここから動かすことができなくなった。特急の白い車体は薄汚れて黒ずんでいる。

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今は原ノ町駅から3つ先の相馬駅までの区間だけが運転されている。

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8時50分、原ノ町発相馬行きは2両編成。

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運転席の背後にはこんな表示が。

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通勤通学の時間が終わって、車内はすいている。

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原ノ町~鹿島間。動いている区間は海岸から離れていることもあり、津波の被害を受けなかった。

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原ノ町~鹿島間のトンネル。

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トンネルを抜けて鹿島駅。

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相馬駅前には亘理行きの連絡バスが待っている。

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不通になっている原ノ町~小高間の踏切。レールは錆びているが線路脇の草は刈られ、いつでも列車が通れるよう準備されている。

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October 28, 2014

南相馬の旅

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a trip to Minami-soma

用事があって南相馬市へ行ってきた。上野からの常磐線が東日本大震災で寸断されたままなので、南相馬へは福島駅からバスで川俣町、飯館村を通ってゆく。

南相馬市は一部が福島第一原発20キロ圏にかかり、また浪江町に接した山間部は放射線量が高いので、市南部と西部に居住制限区域と避難指示解除準備区域がある。もともと南相馬は旧原町市と鹿島町、小高(おだか)町が合併してできた市で、「解除準備区域」になっているのはいちばん南の小高区。ここは昼間は町へ入れるが、夜、自宅に泊まることはできない。

ほんの短い時間、小高区を歩いてみた。小高駅前から延びるメーンストリートの商店街。昼間の出入り自由といっても時折車が通るほか、歩く人の姿は見当たらない。

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駅の脇にある広場。駅は震災以来、まったく使われていない。現在このあたりの放射線量は、近くの小高区役所で0.097マイクロシーベルト/時(9月29日)。原町区や鹿島区で住民がふつうに暮らしている市街地とほとんど変わらない。

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駅そばのケーキ屋さんに「必ず復活!!」と垂れ幕。

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震災で傷んだままの店も多い。郵便局と信用金庫、それに金物店が一軒営業しているらしいが(建物の修理に必要だからだろう)、今日は日曜だからかどこも閉じている。

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南相馬では今も1万3000人近くが避難生活を強いられている。「準備区域」の避難指示が解除されるのは2016年4月の予定。でも除染作業の進展によっては、さらに遅れるかもしれない。

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医院の入口にセイタカアワダチソウ。このあたり、首都圏近郊ではあまり見かけなくなったこの草が、かつての勢いはないにせよススキと覇を競っている。

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物音ひとつしない商店街を歩いていると、大音量のサザンが聞こえてきた。見ると魚屋の店舗を塗装しているお兄さんがいる。「あんまり静かだから大きな音を出さないと寂しくって」とスイッチを切った。ここの魚屋の一家は避難して、市内の鹿島区に仮店を出しているそうだ。再来年の避難指示解除に備えて店を修理している。塗装していたお兄さんも小高の人で、仮設住宅に住みながら仕事している。

「みんな揃って戻ればいいけど、そうでないと町としてやってけるか心配だなあ。3年たって、いろんな人がいるからね。いずれ隣の浪江町で戻れる見通しが立って、小高が復興の前線基地になるといいんだけどね。そう考えて、駅前の旅館や店で修復工事にかかってるところもあるね」

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結局、町で出会ったのは塗装のお兄さんひとりだけだった。

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広場に置かれたベンチには小高の子供たちの手形。NGOを立ち上げてコミュニティの再生をはかり、かつて盛んだった養蚕、織物を復活させようといった試みも住民の手で行われている。

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メーンストリートを離れて海に向かった。駅前周辺は避難指示解除に向けて少しずつ動きが出てきている。でも津波に襲われた海岸沿いは長いこと立ち入ることもできなかったから、時間が止まったような風景が残されている。

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南相馬市は地震と津波で死者977人、行方不明111人(2014年3年現在)の大きな被害を出した。同じような被害が出た岩手や宮城のように大きく伝えられなかったのは、原発事故のため直後から誰も被害区域に入れなかったせいもあるだろう。

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一面の水田だったに違いないが、水がたまり、雑草が生えたまま。

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防波堤のすぐ近くで土台だけ残った家に合掌。


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October 23, 2014

『ジャージー・ボーイズ』 職人技に酔う

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Jersey Boys(viewing film)

ブロードウェー・ミュージカルを映画化した『ジャージー・ボーイズ(原題:Jersey Boys)』を見て、これはミュージカル映画じゃないな、と思った。しいて言うなら音楽映画。比べるなら『マンマ・ミーア!』や『シカゴ』やじゃなくクリント・イーストウッドがチャーリー・パーカーを描いた『バード』だろう。

ミュージカルは歌とダンスとドラマがひとつの舞台に統合されたもの。だからドラマの台詞と歌が同居していて、台詞をしゃべっていた役者が歌へ移り、歌が終わればまた台詞に戻る。古い映画だけど『ウエストサイド物語』ならリチャード・ベイマーとナタリー・ウッドの恋人同士が愛を語りあい、そこから「トゥナイト」が始まる。その移行がどんなに自然にあろうと、現実にはそういうことはありえないわけで、見る者はこれがミュージカルの約束事だとわかっているから違和感を持たない。

『ジャージー・ボーイズ』は、僕の記憶では(一度見ただけなので確信はないんだけど)、そういう約束事としての台詞から歌への移行がほとんどなかった。フォー・シーズンズの音楽が流れるのは、彼らがクラブやスタジオで演奏するシーンか、バックグラウンド・ミュージック(映画音楽)として。初めから終わりまでフォー・シーズンズの音楽が流れていながら、ミュージカルを見ているという感触がない。

だからこれは、イーストウッドがミュージカルを映画化したというより、ミュージカルを素材にイーストウッドがいつものイーストウッド流映画をつくったというほうが正確だと思う。

僕は舞台を見ていないので、舞台と映画がどう違うのかよくわからない。wikipediaによると、舞台はフォー・シーズンズという名前に引っかけて、春夏秋冬の4パートがメンバー4人それぞれの視点で語られるらしい。その4人それぞれの視点が、形を変えて映画でも取り込まれている(映画の脚本は舞台の脚本家2人に、イーストウッド映画の常連、ティム・ムーアらが加わっている)。

冒頭、グループ結成のリーダーだったトミー(ヴィンセント・ピアッツァ)が路上を歩きながらいきなりカメラを見て、リード・ボーカルのフランキー(ジョン・ロイド・ヤング。舞台と同じ)を見出したのは俺だ、みたいなことをしゃべりだす。映画の最初の台詞がカメラを見ながらなんて驚きだ。その後も、フランキーやボブ(エリック・バーゲン)、ニック(マイケル・ロメンダ)のメンバー4人が時折カメラを見てしゃべり、このとき俺はこう思ってたみたいなことを語る。ふつうならナレーションで処理するところを、舞台の構成を引き継いでいるわけだ。

映画のなかで役者がカメラを見るという手法は、ときどき使われる。僕がこの手を最初に見たのは黒沢明の『素晴らしき日曜日』だった。女優がカメラ(観客)に向かって、「皆さん、拍手してください」と呼びかける。僕が1960年代に見たときは拍手は起こらず、なんだか身のおきどころに困るような空気が漂った。もっとも公開時(1947年)は戦争直後の熱気のなかにあったから、映画館は拍手に包まれたのだろうか。

そんなふうに役者がカメラを見ることは、映画にのめりこみ登場人物と一体化している観客に、カメラとスクリーンを意識させ、いま自分は映画を見ているんだと感じさせる異化効果をもっている。でも『ジャージー・ボーイズ』のカメラ目線はそんな不自然さを少しも感じさせない。

それ以上に映画が映画である強みを発揮しているのは1960年代のニュージャージーを再現していることだろう。ニュージャージーはハドソン川をはさんでニューヨークの向かいにありながら、どこか垢抜けないところもある地域といったイメージがある。フランキーの実家である床屋、地元のクラブ、劇場、ダイナー、アパート、公園、車、ファッションまで。ちなみに彼らは国際空港のあるニューアークの北にある町、ヴェルヴィルの出身。映画にも写真や名前が出てくるフランク・シナトラはすぐ近くのホーボーケン、ブルース・スプリングスティーンはロングブランチの出身。ブルースの曲と歌詞はフォー・シーズンズ以上に生粋の「ジャージー・ボーイ」だね。

映画に常に流れているフォーシーズンズの数々のヒット曲が懐かしい。僕は特に彼らのファンではなかったけど、「シェリー」やフランキーがソロで歌った「君の瞳に恋してる」はテレビやラジオ、町にあふれていていやでも耳に入った。ベトナム戦争以前の60年代風景とファッションと音楽。アメリカ人にとっても、海の彼方でテレビや映画や雑誌を通してそれを受け入れていた僕らにも心地よい。

もっとも、4人はスターになったグループにつきものの金をめぐる内輪もめで解散してしまう。グループが稼いだ大金を使い込んだリーダーのトミーが追放され、リード・ボーカルのフランキーと作詞・作曲担当のボブが残る。音楽映画であるとともに、4人の若者たちの友情と裏切りのどっしりした物語になっているところが、これがミュージカルでなく音楽映画だと感ずるもうひとつの理由だ。

フランキーは追放したトミーの莫大な借金を自分が働いて返すと言う。そのときフランキーが言う、それが契約書でなく握手で物事を決める「ジャージー流契約(Jersey contract)だ」という台詞に、このドラマのエッセンスが凝縮されていると感じた。

アマチュア時代から解散まで彼らに目をかける町のギャング、ジップ(クリストファー・ウォーケン)が4人を優しく見つめ、それが第5の視点として映画の重しになっている。あれやこれや、カーテンコールで全員登場のエンドロールを含めて、クリント・イーストウッドの職人技の冴えを堪能した。老いてなおこんな映画をつくれるイーストウッドには次を次をと期待してしまう。

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October 18, 2014

「種村季弘の眼」展へ

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Eyes of Tanemura Suehiro exhibition

一カ月ほど忙しい日々がつづいて家と近所を歩くだけの生活だった。当然、映画も見られず、展覧会にも行けない。さすがに煮詰まってきて、今日は一日、出歩くことにした。

まずは昼前にさいたま新都心のシネコンへ。『ジャージー・ボーイズ』を見てクリント・イーストウッドの映画職人ぶりと60年代アメリカン・ポップスに酔いしれる。

午後は板橋区立美術館の「種村季弘の眼 迷宮の美術家たち」展へ。明日が最終日だけど、どうしても見ておきたかった。西高島平駅を降りると、今道子撮影になる種村のポートレートをあしらったポスターが貼ってある。開発から半世紀近くたって、新開地のまま古びてきた街並みを眺めながら首都高速の下を10分ほど歩くと美術館がある。最終日前日とあってか、けっこう混んでいた。

種村季弘が愛し、書きつづった奇想・異端の美術家たちの作品、絵画、彫刻、立体、写真、ポスター、書籍など百数十点が「迷宮」「夢の覗き箱」「エロス」「魔術的身体」「転倒」「奇想」といった種村ワールドのキーワードに沿って集められている。

種村季弘の文章を初めて読んだのは高校時代、雑誌『映画芸術』でだった。小川徹編集長のこの雑誌には斎藤龍鳳、虫明亜呂無はじめユニークな面々が寄稿していて、どちらかというと社会派映画好みだった高校生には目からウロコの世界が繰り広げられていた。種村季弘の文章は欧米のエンタテインメント映画を取り上げながら、いつの間にかギリシャ神話やら怪奇文学やら錬金術なんかの世界に入り込んでゆく。こういう世界があることを初めて知った。そのころのエッセイを集めた『怪物のユートピア』は今でもときどき拾い読みすることがある。

会場に入ったら奥の正面に中村宏の絵がかかっている。セーラー服の女学生をモチーフにしたシュールでエロチックな絵も種村季弘の文章で知った。印刷ではずいぶん見たけど、実物を見るのは初めて。赤瀬川原平の贋千円札も現物をはじめて見た。この展覧会でやはり初めて知ったのは、昭和にワープしたヒエロニムス・ボッシュみたいなトーナス・カボチャラダムス。「にこにこ元気町」「バオバブが生えたかぼちゃの箱舟」は奇怪でノスタルジックで批評的な細密画で、細部まで見入ってしまう。お、懐かしの上々颱風まで描きこまれてるぞ。

種村さんには一度だけお目にかかったことがある。週刊誌の書評欄を担当していたころ、『山師カリオストロの大冒険』が新刊で出て著者インタビューをお願いした。書くものに似合わず、穏やかで粋な雰囲気が印象的な方だった。

日常からかけ離れた世界に遊んで、久しぶりに心が浮き浮きした1日。


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October 15, 2014

『帝国の構造』を読む

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Karatani Kojin"Structure of The Empire"(reading)

柄谷行人『帝国の構造』(青土社)を読んだ感想をbook-naviにアップしました。

http://www.book-navi.com/

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October 11, 2014

ご近所の風景

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landscape in my neighborhood

埼玉大学付属小学校近くを歩いていたら、以前、塀をめぐらした大きなお宅があったところが宅地になっていた。7区画に分かれている。このあたり戦前からの住宅地なので、1軒の敷地が広い。木造の立派な家は老人の一人暮らしにも若夫婦にも向かない。なんらかの事情で手放され、こんなふうに複数の1戸建てが建つか、高層マンションが建つ。

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すぐ近くのこの家も、最近、人が出入りした形跡がない。


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October 05, 2014

シソの実の収穫

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gathering seed of beefsteak plant

今年はゴーヤ、ナス、ミニトマトとよく採れた。シソの実が成りはじめたので最初の収穫。サラダと糠漬けにまぶして食する。いずれ大量に採れそうなので塩漬けにするつもり。

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