『悪童日記』 無垢であり邪悪である視線
アゴタ・クリストフから映画化権を得たヤーノシュ・サーシュ監督が主役になる双子を探しあてたとき、映画の半分はできあがったと言えるんじゃないかな。双子がいなければこの映画は成り立たないし、サーシュ監督が見つけたアンドラーシュとラースローのジェーマント兄弟が素晴らしい。監督はハンガリー中を探し、半年かけて田舎の小さな町に住む少年たちに行きあたったという。
原作は20年前に読んだきりなので、ディテールは忘れてしまった。戦争のため祖母の元に預けられた双子の少年が、社会の決まり事や倫理が崩れた世界で痛めつけられ、逆に人を傷つけ、騙したり、人の死を踏み台にして生き延びてゆく。そのありさまが日記体の濃密な文章で描かれていた。固有名詞がいっさい出てこないから、どこか神話的な空気も漂っていた。
映画もその空気がとてもうまく再現されている。美しい田園風景のなかで、双子は過酷な生活を送る。祖母からは食事すら満足に与えられない。なにかというと殴られる。痛みに耐えられるようになろうと、2人は互いに鞭打ちあう。庭に忍び込んだ傷ついた将校が死ぬと、2人は手榴弾や銃を隠す。2人に好意をもってくれた靴屋がユダヤ人狩りのなかで殺されると、やはり2人に好意を示しながらユダヤ狩りに喝采を送った女のストーブに手榴弾を仕掛ける。
無垢な少年たちが、戦争を生きのびるため人を傷つけたり人の死に立ち会ってもなんの痛みも覚えないモンスターになっていく様が淡々と語られる。
もちろん、少年らしい日々もある。隣の小屋に住む兎口の少女と仲良くなって納屋でふざけあう(後に少女は、解放軍の兵士の車に乗るが、乱暴され死体で戻ってくる)。「魔女」と呼ばれる意地悪な祖母(ピロシュカ・モルナール。いい味出してる)とも、心が通う瞬間があったりする(倒れた祖母を2人は安楽死させる)。そんな死と隣り合わせの生活のなかで、2人の双子が無言で相手を見据える無垢でもあり邪悪でもある視線が、この映画のキモになっている。
小説には固有名詞がいっさいないから、どうやら第二次大戦中の東欧が舞台らしいという推測しかできないけれど、映画では原作者と監督の故郷であるハンガリーに戻したのも成功していると思う。原作者の体験が小説のベースになっているのは確かだから。
戦争中のハンガリー王国は枢軸国としてナチス・ドイツと協力していた。双子が暮らす村はハンガリー・オーストリア国境にあるらしい。ナチスの収容所があり、ホモセクシュアルらしいナチス将校が祖母の家の小屋を借りて住んでいる。ナチスの将校も少年たちに好意を示す。やがて解放軍としてやってくるのは赤旗を掲げたソ連軍だ。
かといってリアリズムではまったくない。ナチスの制服もソ連軍の赤旗も、クリスティアン・ベルガー(『白いリボン』)が撮影する国境の村の美しい風景のなかでどこかお伽噺めいている。そのために逆に戦争と戦争によってモンスターとなる少年たちの過酷な運命が浮かび上がることになる。
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