『フランシス・ハ』 モノクロームのNY
モダン・ダンサー目指して修業中のフランシス(グレタ・ガーウィグ)がルームメイトのソフィー(ミッキー・サムナー)とニューヨークの地下鉄でおしゃべりしてる。フランシスが「これ、デカルブに停まる?」と聞く。あれ、と思ってしまった。ブルックリンのデカルブ・アヴェニュー駅は僕がニューヨークにいたとき、1年間毎日のように乗り降りした駅だったから。マンハッタンとブルックリンを結ぶマンハッタン橋から歩いて10分ほどのところにある。取りたてて特徴のある駅ではまったくないけど。
フランシスとソフィーはFラインに乗ってるらしいが、実はFトレインはデカルブに停まらない。マンハッタンからイーストリバーを越えブルックリンのダウンタウンに入ったこのあたり、10ライン以上の地下鉄が錯綜しているのだ。デカルブが最寄り駅の2人は、ふだん使ってないFラインでマンハッタンから帰ってきたんだろう。
彼女たちは、ヴァンダーヴィルト・アヴェニューに部屋を借りている。デカルブ駅からフォート・グリーン公園の脇を歩いて10分くらい。100年以上前につくられた褐色砂岩のタウンハウスが立ち並ぶ閑静な住宅街だ。窓の外には街路樹の緑。フランシスは「シェアする家賃は950ドル」とか言ってたから、2人で1フロア借りてるんだろう。マンハッタンの家賃は高いので、彼女たちみたいにブルックリンのタウンハウスをシェアしている若者が実際にたくさんいる。
『フランシス・ハ(原題:Frances Ha)』はモノクロームの映像で、そんなふうにニューヨークのディテールが生き生きと映し出されるのが素敵だ。
フランシスはモダンダンス・スタジオの研修生なのだが芽が出ず、正式の団員になれそうにない。恋人とは別れたばかり。一方、「私たち、セックスのないレズビアンみたい」と言い合う親友のソフィーは、出版界での成功を目指している。そのソフィーがルームシェアを止めると言い出す。親友同士に溝ができる。ソフィーは恋人の仕事に従って東京へ行ってしまう。ソフィーから電話があると、つい見栄を張って団員になったと小さな嘘をつく。
フランシスはイケメンの男の子2人とルームシェアするが、色気なし。男の子が彼女のベッドに寝転んでいてもお構いなしだし、「洋服が散らかってる」なんて言われてしまう。週末にパリへ旅行すれば友達は不在で連絡つかず。母校のカレッジで学生がするようなバイトで金をかせぐ。なにをしてもうまくいかず、中途半端。
よくある青春映画といえばそれまでだけど、いつの時代にも青春映画はつくられる。この映画を見て「フランシスは私」と感ずる女の子がたくさんいるだろう。いちばん印象的なのは、フランシスがニューヨークの街角を走る姿。歩き方を「のしのし歩き」とからかわれるように、走るフランシスも手が長すぎてまったく恰好よくない。でもデビッド・ボウイの音楽にあわせ、デートの途中にATMを探して走りまわるフランシスから、「生きてる!」という躍動が伝わってくる。
モノクロームのニューヨークといえば思い出すのはウッディ・アレンの『マンハッタン』かジム・ジャームッシュの『ストレンジャー・ザン・パラダイス』だ。モノクロームのニューヨークは、色がないというだけで時代感覚が消える。しかも『フランシス・ハ』は新しいニューヨークをまったく映さないから、今の映画でありながらウッディやジムと同じ70年代80年代映画のような懐かしさもある。
ノア・バームバック監督は『イカとクジラ』がビターな家族映画でとてもよかった。あの映画もブルックリンが舞台。調べたら監督はやっぱりブルックリン育ちだった。ブルックリン育ちには、マンハッタンのニューヨーカーとは一味ちがうブルックリン愛がある。
不思議なタイトル『フランシス・ハ』が何かは最後に明らかになる。それは見てのお楽しみ。そんな「途中の感覚」が映画全体にみなぎっていた。主演のグレタ・ガーウィグが監督と一緒に脚本にも参加している。
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