『ジゴロ・イン・ニューヨーク』 NYでなくブルックリン
『ジゴロ・イン・ニューヨーク(原題:Fading Gigolo)』の核になるキーワードがふたつあって、それは「ブルックリン」と「ユダヤ教」だと思う。
ブルックリンに住むユダヤ教ラビの未亡人・アヴィガル(ヴァネッサ・パラディ)がマンハッタンへ出るためイースト・リヴァーにかかるウィリアムズバーグ橋を車で渡っているとき、「町の外へ出たことがある?」と聞かれて、「クイーンズに行ったことがある」と答える。彼女にとって、同じニューヨークでもクイーンズ(そしてマンハッタン)は「町の外」なのだ。「町のなか」は彼女にとってニューヨーク市全体でなくブルックリンであり、ひょっとしたらブルックリンですらなく、ブルックリンの西北にある一角、正統派ユダヤ教徒が住むウィリアムズバーグなのかもしれない。
ウィリアムズバーグは僕が住んでいたブルックリンのアパートからバスで10分くらいのところで、何度か行ったことがある。元工場地帯にアーティストが移り住み、おしゃれなショップやレストランも増えて若者の町になっているけれど、そこから少し歩いたところに正統派ユダヤ教徒が住む地域がある。ここを歩いているのは黒い帽子、黒いコートに顎鬚ともみあげを伸ばした正統派ユダヤ教徒ばかりで、ここへ来ると別の世界に足を踏みいれてしまったような気がする。
アヴィガルが属する正統派(ハシディック派)は旧約聖書モーセ5書に書かれた613の掟を守って厳格な生活を送っている。ジゴロのフィオラヴァンテ(ジョン・タトゥーロ)がアヴィガルのためにユダヤ教徒用の食材を買ってきて料理するのは、食べてはいけないものが細かく定められているからだし、最後のほうで、(ジゴロの職業倫理?に反して)アヴィガルに惹かれてしっまったフィオラヴァンテが彼女のカツラを取って彼女自身の髪に触れるのは、結婚した女性は自分の髪を他人に見せてはいけないという掟を破ったことになる。
ハシディック派の審問会にかけられたポン引きのマレー(ウッディ・アレン)の前で、アヴィガルはそのことを自ら告白するが、男女関係に厳しいハシディック派信者にとってそれは勇気のいる行為だったろう。
古書店を畳んだマレーが、かかりつけの女医パーカー(シャロン・ストーン)に友人のフィオラヴァンテをセックス相手として紹介したところから、マレーはフィオラヴァンテをジゴロにポン引き業を始めることになる。長身で無表情無口のフィオラヴァンテと、小男でしゃべりまくるマレーの凸凹コンビ。これがうまくいって、フィオラヴァンテは女性に優しく、商売は繁盛。マレーはハシディック・コミュニティに住むアヴィガルが夫の死後、掟にしばられ他人と肌を触れ合わない(握手もだめ)不自由な生き方をしているのを見て、セラピーと称してフィオラヴァンテのところに連れて行く……。
ウッディ・アレンが正統派ユダヤ教徒の家庭に育ったことは有名だ。ハシディック派かどうか知らないけれど、ヘブライ語学校に8年間通ったという(wikipedia)。厳格な家庭や宗教に反発して映画やジャズやコミックにのめり込んだのは、これもよく知られた話。この映画はジョン・タトゥーロが脚本を書き演出しているが、アイディア段階から友人のウッディに相談していたという。だから『ニューヨーク・イン・ジゴロ』は誰が見てもウッディ・アレンの色に染まっている。
マレーの役どころも、(審問会にかけられるところを見ると)正統派ユダヤ教の信徒でありながら掟に反発して自由な生き方をしているという設定になっている。マレーはウッディの自画像と考えてもいいだろう。ただウッディが自分で脚本を書き演出していたら、いつもの彼の映画のようにハシディック・コミュニティに対してもっと斜に構えた辛らつなセリフが出てきたんじゃないだろうか。この映画でユダヤ教徒に向けられる視線は、掟を守った身なりが奇妙に映るとはいえ、決して冷たくもシニックでもない。アヴィガルも最後には宗派の自警団をやっている幼馴染と結ばれる。それがウッディではなくジョン・タトゥーロの眼差しの優しさなんだろう。
ブルックリンにはウィリアムズバーグだけでなくキングストン・アベニューにもハシディック・コミュニティがある。ニューヨークでいちばん大きなユダヤ人コミュニティだ。ユダヤ人だけでなく、ブルックリンにはアフリカ系はもちろん、ヒスパニック、アジア人、東欧人とあらゆる人種のコミュニティがある。またブルックリンはもともとニューヨークに合併されるまで別の都市で労働者の町だったから、白人にも労働者階級出身が多かった。マンハッタンのように洗練された町ではない。その伝統を引いているからか、ブルックリン気質は人は良いが喧嘩っ早く、人なつこくて良くも悪くもおせっかい(それは僕も実感した)。それが映画冒頭の路上での喧嘩シーンになっている。
ジョン・タトゥーロはブルックリン生まれだし、ウッディ・アレンも小さいときブルックリンに住んだことがある。だからこの映画はブルックリンへのオマージュでもある。ブルックリンには100年前のブラウンストーン造りの家がたくさん残っている。玄関前に数段の石段があるそんな家が映画にはふんだんに出てきて懐かしかった。映画全体が、ちょっとくすんだブルックリンの色でできている。
タトゥーロの選曲らしいが、ジーン・アモンズの4ビートのジャズが泣ける。
Comments
こんにちは!
なるほど、ユダヤコミュニティの最たるブルックリン、「ニューヨーク」とタイトルにつけてあるけれども「ブルックリン」のタイトルこそが相応しいのかもしれませんね。
勉強になりました。
Posted by: ここなつ | August 15, 2014 12:40 PM
コメントありがとうございます。
僕はブルックリンに1年間住んでいましたが、マンハッタンに比べるとまだまだ知られていません。いまだに危険じゃないの? と言われることもあります(時間と状況によって足を踏み入れないほうがいい場所があるのは、世界のたいていの都市に共通でしょう)。そんなこともあって、多少えこひいきの気味はありますが。
Posted by: 雄 | August 15, 2014 02:52 PM