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August 31, 2014

浦和ご近所探索 台湾式茶芸

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chinese tea cafe

北浦和駅前の中国茶カフェ「翡翠館」で翠玉茶を楽しむ。

台湾の茶農園で修業したオーナーがお茶を入れながら説明してくれた。翠玉茶は1980年代に新しく生まれた烏龍茶。それ以前、台湾では少数の企業が生産者から茶葉を安く買いたたいて独占的に製造していた。でも李登輝時代に土地改革が行われ、茶葉の生産者が製品までつくれる体制ができた。品評会も盛んになって、いくつもの新しい品種のお茶が開発されることになった。翠玉茶もそのひとつだという。

映画で言えばホウ・シャオシェンやエドワード・ヤンの台湾ニューウェーブみたいな、新時代を象徴するお茶なんだ。そう思って飲むと、豊かな香りが快い。

 

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August 27, 2014

飛ばないセミ

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dying cicada

寒暖計が25度を切った朝、門を開けに出たら足元でアブラゼミがうずくまって動かない。指で背中をそっと触ると身をよじるように1、2センチ移動するが、もう飛ぶ力はないようだ。小雨。夏はこのまま終わってしまうのか。

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August 25, 2014

『ローマ環状線 めぐりゆく人生たち』 郊外の風景

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Sacro Gra(viewing film)

ローマ郊外をめぐる環状線GRAは東京で言えば環状8号線といったところだろうか。もっとも道路脇では羊が放牧されていたりするから、風景としては市街地を走る環8ではなく田園地帯も走る外環状線に近いかもしれない。『ローマ環状線 めぐりゆく人生たち(原題:Sacro GRA)』はGRA沿いに住む人々を追ったドキュメンタリー。ヴェネツィア映画祭でドキュメンタリーとして初めての金獅子賞を獲った。

ローマ環状線は、観光地としてのローマの外側をぐるっと巡っている。観光客からは見えない郊外で、ふつうの人々が暮らす。主な登場人物は6、7人。ジャンフランコ・ロージ監督は、彼らとそれぞれ数か月にわたって行動を共にした後でカメラを回したという。彼らの生活の断片が、ある者はワンショットで、ある者は長く、そして何度も、かわりばんこに映し出される。

いちばん印象的なのは、ヤシの害虫を調べて回る植物学者。学者といってもちゃんとした研究者というより、独学の偏屈者といった風情の老人だ。大きなヤシの枯れた葉の茎から内部へマイクを差し込んで害虫がヤシを食べる音を聞き、録音している。何も説明されないけど、害虫がローマ中のヤシを食い荒らし、老人はそれにひとり危機感をつのらせているのかもしれない。彼は、害虫ががりがりとヤシを食う音をカメラに向かって聞かせている。

広い館を貸スペースにしている没落貴族。優雅な部屋でバスにつかって葉巻をくゆらすけれど、生活は苦しそうで、パブリシティに余念がない。家を持たず、車上生活しているトランスジェンダーの男。早朝、環状線の路肩で大きく伸びをする姿が素敵だ。無機質な郊外アパートの一室で、四六時中おしゃべりしている老いた父と娘。環状線に出動して忙しい救急隊員は、老いた母の面倒を見ている……。

別に事件が起こるわけではない。なにかが完結するわけでもない。明日もまた今日のようにつづく日常。フランス語なら「セ・ラ・ヴィ」、それが人生さ、と言うけれど、イタリア語にもそんな言い回しがあるんだろうか。

洒落ていて、上品な味わいの映画。93分と短めの上映時間もいい。ただ、このところ『収容病棟』『アクト・オブ・キリング』とたてつづけに超重量級のドキュメンタリーを見てしまった。それらのずっしりと重い感触に比べると、良くも悪くもウェル・メイドだなと思えてしまうのは致し方ない。

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August 22, 2014

熟れたゴーヤ

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ripen bitter groud

ゴーヤはドウダンツツジの木に這わせているので、ときどき実がなっているのを見落としてしまう。気づいたときには、こんなふうに黄色くなっている。これは種を取って来年のために保存しておく。

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蝉しぐれと言うほどではないが、けっこう鳴いている。このあたり、小生がガキの頃はアブラゼミばかりで 、夏休みにミンミンゼミを一匹でも採集できれば喜んだものだった。でも最近はミンミンゼミもけっこう鳴いている。ミンミンゼミが増えたのか、それともアブラゼミが減ったので目立つのか。庭には、セミの抜け殻があちこちにある。

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August 21, 2014

『友よ、さらばと言おう』 ノワール的アクション

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Mea Culpa(viewing film)

元刑事のシモン(ヴァンサン・ランドン)がマフィアに息子の命を狙われ、復讐を決意する。勝手知ったるトゥーロン警察の武器庫から拳銃を盗み出し、外へ出ると車が1台、闇のなかに停まっている。運転席にいるのは元相棒の刑事フランク(ジル・ルルーシュ)。彼は言葉少なにシモンに言う。「お前ひとりでは無理だ」。まるで、耐えに耐えた末に殴り込みに出かける高倉健に、ドスを持った池辺良が無言ですっと寄り添う東映任侠映画のようなシーン。二人の横顔を陰影深くアップで捉えた映像に、かつての東映ファンはぞくぞくしてしまう。

東映任侠映画は様式美の世界だったけど、そこにアクションとスピードを持ち込んだのは『仁義なき戦い』の深作欣二だった。ジョゼ・ジョバンニに代表されるかつてのフレンチ・ノワールも派手なアクションは少なく、主人公の熱い情動をじっくり追うタイプの映画が多かった(もう一方にメルヴィルのクールで寡黙なノワールもあったけど)。

最近のオリヴィエ・マルシャル監督の『友よ、静かに死ね』など一連の映画はそんなフレンチ・ノワール正統派、心情の映画の伝統を継いでいる。似たようなタイトルだけど、『友よ、さらばと言おう(原題:Mea Culpa)』は深作欣二がやったようにフレンチ・ノワールにアクションとスピードを持ち込んだ。

シモンと、現役刑事でありながらシモンとともに行動するフランクの友情、そして二人に秘められた過去は、短いけれど陰影に富んだショットで描かれる。必要以上に長い心情描写をせず、すばやい場面転換とアクションに乗せられて、最後まで見てしまう。『CSI』などアメリカの警察ものテレビ映画の感触に近い。

この映画の原題「Mea Culpa」はラテン語で「わが罪」という意味だそうだ。エディット・ピアフが同名の曲を歌っているからフランス人にはなじみがあり、ある種の宗教的な感情を引き起こす言葉なんだろう。ここでもフランクのシモンに対する倫理的な罪が、ふたりの現在に影を投げかけている。だからこそ、フランクは現役の刑事でありながらシモンの個人的復讐に加担する。

もっとも、「わが罪」にしても「えーっ」と思うような設定だし、オートバイと子供の追いかけっこや、TGVの線路上での殴り合いとか、後で考えると無理筋が目につく。でも見ている間はそれを意識させないだけのスピード感が、フレッド・カヴェイエ監督の持ち味なんだろう。新作ではハリウッドへ進出するらしい。デビュー作『すべて彼女のために』はハリウッドでポール・ハギス監督が『スリーデイズ』にリメイクしたけれど、ポール・ハギスのような優れた脚本家に巡り合えば面白い映画をつくるんじゃないかな。楽しみだ


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浦和ご近所探索 鰻

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restaurant of eel

カミさんの誕生日に鰻を食べに出かけた。

浦和には鰻の店がたくさんある。江戸時代から続く山崎屋、天然鰻の満寿屋、若いころは特大の鰻が嬉しかった小島屋、激戦区に新しく参入した浜名など旧浦和市内に20軒ほどの店がある。中仙道の街道筋だったこと、沼地が多かったこと、明治以後は県庁が置かれたり、旧制浦和高校の卒業生が贔屓にしたことなどが理由らしい。僕は浦和と、すぐ近くの川口で育ったので、ガキのころから浦和の鰻は年に一度のご馳走だった。大学を出て都内で働くようになり、あっさりした東京の鰻の味に慣れたけれど、ときどき浦和の濃いたれの鰻が無性に食べたくなる。

今日は一度も行ったことがない店にしようと、県庁近くの中村屋へ。昭和12年創業、昔ながらの和風建築。のれんをくぐり、扉をからからと開けて入る。ここは注文を受けてから裂いて炭火で焼く。出てくるまで40分かかるので、うざくを肴に待つ。

出てきたうな重は、炭火でしっかり焼いてあるので香ばしい。たれは辛くて濃い目。このたれ、焼き具合は浦和でも独特かな。おいしくいただきました。やはり鰻にはうるさい町、静岡県三島育ちのカミさんも「また来たい」と言っておりました。

ニホンウナギは絶滅危惧種に指定されている。乱獲を止めてきちんと管理し、多少値が張っても特別な日に食べるご馳走として残してほしい。


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August 19, 2014

『灼熱の魂』と『三姉妹 雲南の子』

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2 films

熱帯夜に、重たい映画のDVDを2夜続けて見てしまった。

1本は『灼熱の魂』。今年、『複製された男』『プリズナーズ』とドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の秀作2本を見て、過去の作品を見たくなったから。ブロガー仲間のroseさんも絶賛されていたし……。

双子の兄妹の母が亡くなり、存在しないと聞かされた父と兄に向けた手紙を遺言として受け取って、母の故郷であるレバノンへ彼女の足跡をたどる旅に出る。今も癒えないレバノン内戦の傷にギリシャ悲劇のオイディプスを重ねた、現代史の旅。憎しみの連鎖をどのように愛へと昇華できるのか。すごい映画でした。

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もう1本は『三姉妹 雲南の子』。こちらもワン・ビン監督の新作『収容病棟』を見て、見逃していたこの映画も見たくなった。

中国・雲南省、高度3000メートルの寒村に住む三姉妹を追ったドキュメンタリー。母は家を出、父は出稼ぎで不在、10歳の長女が妹2人と暮らしている。伯母の家で家事を手伝い、食事をわけてもらう。食事はじゃがいもと麺類。3歳の妹はまだ子供らしい感情を見せて泣き、笑うけれど、10歳の長女は一度も笑顔を見せず、上映時間150分の間、氷のような表情を崩さない。

子供が、どのような環境におかれることで仮面のような顔で日常を送るのか。胸を衝かれる。子供たちは牛や羊の糞を広い、それを肥料にじゃがいもを植える。樹木も生えない高地を吹き抜ける風のびゅうびゅう鳴る音が耳に残る。

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August 13, 2014

『この写真がすごい 2』を読む

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「ブック・ナビ」に大竹昭子編著『この写真がすごい 2』(朝日出版社)の感想をアップしました。

http://www.book-navi.com/


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August 10, 2014

『イーダ』 ポーランド映画讃

Ida
Ida(viewing film)

ポーランド映画は1950~60年代に黄金期があった。僕は高校時代にアートシアター会員になって、初期アートシアターがえこひいきするようにたくさん上映したポーランド映画、アンジェイ・ワイダ『夜の終わりに』、イェジー・カワレロウィッチ『尼僧ヨアンナ』『夜行列車』、アンジェイ・ムンク『パサジェルカ』なんかを見てポーランド映画にいかれた。

それらの映画の共通点を引き出してみると──戦争と戦後社会主義体制の歴史への深い懐疑、にもかかわらずそれをナマに表明しない(社会派の映画にしない)懐の深さ、見事なモノクローム映像、ジャズに象徴される西側文化への関心、といったところだろうか。一言で言えば、成熟した大人の映画だった。社会主義体制下でこういう映画がつくられていることが驚きだった。

予備知識なしに『イーダ(原題:Ida)』を見て、予告編が終わるとスクリーンがスタンダード・サイズに変わり、モノクロームの映像が映し出された。そのとき、これは昔見たポーランド映画じゃないかと思った。

人間の視覚はスタンダード・サイズより現在たいていの映画で採用されているヴィスタ・サイズに近いから、正方形に近い縦横比(1:1.33)のスタンダード・サイズは空間処理の仕方がむずかしい。だからこそ、かつてのポーランド映画もそうだったように監督とカメラマンはスタンダード・サイズをどう使うかの芸術的表現に力を傾けた。『イーダ』でも、空っぽの空間をうまく生かしながら映像を処理している。ここもかつてのポーランド映画と同じじゃないか。と思ったらジャズまで登場し、なるほどかつてのポーランド映画を意識的に引用しているんだなと分かった。

1962年、修道院で育ったアンナ(Agata Trzebuchowska)が、修道女としての誓いを立てる前に一人残された親戚の伯母ヴァンダ(Agata Kulesza)に会いにいく。社会主義下で判事として体制のために働いているヴァンダは、アンナの本当の名前はイーダ・レベンシュタインというユダヤ人で、両親は戦争中に殺されたと告げる。イーダ(アンナ)は、酒浸りで自堕落な生活を送るヴァンダの車に乗って両親が殺された場所を訪ねる旅に出る。途中、2人はヒッチハイクするサックス・プレイヤーのリス(Dawid Ogrodnik)を同乗させる……。

ロード・ムーヴィーふうな展開の後、リスはたどり着いた町のホテルで歌手の伴奏をする。深夜、イーダが酔ったヴァンダを部屋に残してライブの終わったホールへ降りていくと、リスが仲間とジャズを演奏している。流れてくるのはジョン・コルトレーンの「ネイマ」。コルトレーンが妻に捧げた美しいバラードだ。イーダは柱の影でリスの演奏に耳を傾けている。厳格な修道院で暮らすリスが初めて耳にしただろう音楽。それがイーダの心を溶かしてゆく。

この後、予想通りイーダとリスは惹かれあってゆくのだが、その表現がいかにも慎ましい。ちょうど『夜の終わりに』のカップルが夜のジャズ・クラブで一夜を明かした後の慎ましさと見合っているみたいに。ラブ・ストーリーの部分だけ取れば『夜の終わりに』と似た抑制と、厳しさを底にもちながらも温かなテイスト。2本の映画にジャズを演奏する場面が出てくることも共通している。ジャズが流れるのは『夜行列車』も同じだった。

また修道院が舞台になっていることでは『尼僧ヨアンナ』と同じ。第二次大戦中のユダヤ人殺害が素材になっているのは『パサジェルカ』と同じ(『イーダ』はナチスでなくポーランド農民による殺害だが)。『パサジェルカ』はナチスの収容所が舞台で、このテーマに正面から取り組んだ未完の傑作だったが、『イーダ』はそれを背景としながらも主題はあくまで少女の成長物語になっている。修道院へ戻ったイーダは修道女になる決心がつかず、もう一度、リスに会いにいく。

『夜の終わりに』のクリスティナ・スティプウコフスカ(高校時代に1本だけ見た女優の名前が50年後にすらすら出てくるのは、こっちも若かったからだな)も魅力的だったけど、『イーダ』のAgata Trzebuchowska(どう日本語表記するのか。公式HPにキャスト紹介がない)も意思的な眼差しがチャーミング。修道女の頭巾を脱ぎ、髪を見せ、修道服を脱ぐあたりの描写も抑えがきいて好ましい。酒飲みで男好きだった伯母の服を身につけ、不本意な生を生きた伯母の自堕落の訳も理解しようとする。

ラストシーン、イーダが修道院に向かって歩いてゆくのをここだけ手持ちカメラで長く捉える。そういえば、固定ショットばかりだった『灰とダイヤモンド』も最後だけいきなり手持ちカメラになったなあ(このショットがゴダールに影響を与えたのは有名な話)と、最後まで黄金期のポーランド映画を思い出した。

ポーランド出身でイギリスで映画をつくっているパヴェウ・パウリコフスキ監督の、先輩たちへの尊敬と愛がひしひしと感じられる作品だった。

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August 09, 2014

『ジゴロ・イン・ニューヨーク』 NYでなくブルックリン

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Fading Gigolo(viewing film)

『ジゴロ・イン・ニューヨーク(原題:Fading Gigolo)』の核になるキーワードがふたつあって、それは「ブルックリン」と「ユダヤ教」だと思う。

ブルックリンに住むユダヤ教ラビの未亡人・アヴィガル(ヴァネッサ・パラディ)がマンハッタンへ出るためイースト・リヴァーにかかるウィリアムズバーグ橋を車で渡っているとき、「町の外へ出たことがある?」と聞かれて、「クイーンズに行ったことがある」と答える。彼女にとって、同じニューヨークでもクイーンズ(そしてマンハッタン)は「町の外」なのだ。「町のなか」は彼女にとってニューヨーク市全体でなくブルックリンであり、ひょっとしたらブルックリンですらなく、ブルックリンの西北にある一角、正統派ユダヤ教徒が住むウィリアムズバーグなのかもしれない。

ウィリアムズバーグは僕が住んでいたブルックリンのアパートからバスで10分くらいのところで、何度か行ったことがある。元工場地帯にアーティストが移り住み、おしゃれなショップやレストランも増えて若者の町になっているけれど、そこから少し歩いたところに正統派ユダヤ教徒が住む地域がある。ここを歩いているのは黒い帽子、黒いコートに顎鬚ともみあげを伸ばした正統派ユダヤ教徒ばかりで、ここへ来ると別の世界に足を踏みいれてしまったような気がする。

アヴィガルが属する正統派(ハシディック派)は旧約聖書モーセ5書に書かれた613の掟を守って厳格な生活を送っている。ジゴロのフィオラヴァンテ(ジョン・タトゥーロ)がアヴィガルのためにユダヤ教徒用の食材を買ってきて料理するのは、食べてはいけないものが細かく定められているからだし、最後のほうで、(ジゴロの職業倫理?に反して)アヴィガルに惹かれてしっまったフィオラヴァンテが彼女のカツラを取って彼女自身の髪に触れるのは、結婚した女性は自分の髪を他人に見せてはいけないという掟を破ったことになる。

ハシディック派の審問会にかけられたポン引きのマレー(ウッディ・アレン)の前で、アヴィガルはそのことを自ら告白するが、男女関係に厳しいハシディック派信者にとってそれは勇気のいる行為だったろう。

古書店を畳んだマレーが、かかりつけの女医パーカー(シャロン・ストーン)に友人のフィオラヴァンテをセックス相手として紹介したところから、マレーはフィオラヴァンテをジゴロにポン引き業を始めることになる。長身で無表情無口のフィオラヴァンテと、小男でしゃべりまくるマレーの凸凹コンビ。これがうまくいって、フィオラヴァンテは女性に優しく、商売は繁盛。マレーはハシディック・コミュニティに住むアヴィガルが夫の死後、掟にしばられ他人と肌を触れ合わない(握手もだめ)不自由な生き方をしているのを見て、セラピーと称してフィオラヴァンテのところに連れて行く……。

ウッディ・アレンが正統派ユダヤ教徒の家庭に育ったことは有名だ。ハシディック派かどうか知らないけれど、ヘブライ語学校に8年間通ったという(wikipedia)。厳格な家庭や宗教に反発して映画やジャズやコミックにのめり込んだのは、これもよく知られた話。この映画はジョン・タトゥーロが脚本を書き演出しているが、アイディア段階から友人のウッディに相談していたという。だから『ニューヨーク・イン・ジゴロ』は誰が見てもウッディ・アレンの色に染まっている。

マレーの役どころも、(審問会にかけられるところを見ると)正統派ユダヤ教の信徒でありながら掟に反発して自由な生き方をしているという設定になっている。マレーはウッディの自画像と考えてもいいだろう。ただウッディが自分で脚本を書き演出していたら、いつもの彼の映画のようにハシディック・コミュニティに対してもっと斜に構えた辛らつなセリフが出てきたんじゃないだろうか。この映画でユダヤ教徒に向けられる視線は、掟を守った身なりが奇妙に映るとはいえ、決して冷たくもシニックでもない。アヴィガルも最後には宗派の自警団をやっている幼馴染と結ばれる。それがウッディではなくジョン・タトゥーロの眼差しの優しさなんだろう。

ブルックリンにはウィリアムズバーグだけでなくキングストン・アベニューにもハシディック・コミュニティがある。ニューヨークでいちばん大きなユダヤ人コミュニティだ。ユダヤ人だけでなく、ブルックリンにはアフリカ系はもちろん、ヒスパニック、アジア人、東欧人とあらゆる人種のコミュニティがある。またブルックリンはもともとニューヨークに合併されるまで別の都市で労働者の町だったから、白人にも労働者階級出身が多かった。マンハッタンのように洗練された町ではない。その伝統を引いているからか、ブルックリン気質は人は良いが喧嘩っ早く、人なつこくて良くも悪くもおせっかい(それは僕も実感した)。それが映画冒頭の路上での喧嘩シーンになっている。

ジョン・タトゥーロはブルックリン生まれだし、ウッディ・アレンも小さいときブルックリンに住んだことがある。だからこの映画はブルックリンへのオマージュでもある。ブルックリンには100年前のブラウンストーン造りの家がたくさん残っている。玄関前に数段の石段があるそんな家が映画にはふんだんに出てきて懐かしかった。映画全体が、ちょっとくすんだブルックリンの色でできている。

タトゥーロの選曲らしいが、ジーン・アモンズの4ビートのジャズが泣ける。


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August 07, 2014

庭の野菜

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vegetables in my garden

今年、庭でつくっている野菜は4種。どれも、今年の出来はいいみたい。ゴーヤ。

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きゅうり。

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なす。

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ミニトマト。今年は夏の間、ミニトマトの自給を目指している。今のところうまくいってる。

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August 06, 2014

イシモチの唐揚げ

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fried white croaker with sticky sauce

高校の悪友たちとの会食に出てきた巨大なイシモチ。唐揚げにして甘酢あんかけで。

上海出身のおばちゃんがやっている新橋の中華料理店、構えはB級だけど味は本格派だ。こんなイシモチを含め腹いっぱい食べて飲んで、いつも驚くほど安い。しかも午後ずっとやっているので、ジジイどもが明るいうちから集まるには絶好。

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