「戦後日本住宅伝説」展
Legendary Houses in Postwar Japan exhibition
わが家から歩いて5分の埼玉県立近代美術館で「戦後日本住宅伝説」展を見た(~8月31日)。観客は建築を学んでいるらしい学生が多く、メモを取りながら。
戦後を代表する建築家16人が設計した16の個人住宅が写真、動画、設計図、模型などで展示されている。丹下健三、清家清、東孝光、白井晟一、原広司、石山修武らのは自宅。建築家がキャリアの初期に自宅を設計することが多いのは、顧客への実物見本ということか、それとも日本では個人住宅を設計依頼されることがまだ少ないということか。代々木体育館や東京都庁など国家的建造物を手がけた戦後の代表的な建築家、丹下健三の自邸が木造なのは意外だった。1970年代までの設計で構成された今回の展示では、コンクリートや鉄を使った家が多い。
都会の個人住宅となると、狭いスペースをどう使い、自然(光や樹木)をどう取り入れ、また個人空間をどう確保して共用空間とバランスさせるかに誰もが苦心しているのが分かる。そこをどう処理するかが「戦後・住宅」のキモなんだろう。
ところで僕は築86年の和風住宅に住んでいる。畳と襖(障子)の、ぶちぬけば一つの空間になってしまう典型的な和風の間取りに、子供用の個室を2部屋増築してある。そこに不自由なく暮らしている身として、ここに展示されている家にお前は住みたいかと問われたら、住みたくないと答えるだろう。短期間ならともかく、10年、20年を生活する空間はなじみと安心がいちばんだと思うから。
展覧会のサブタイトルのように「挑発する家・内省する家」には住みたくない。トイレや風呂に入るのに外へ出なくてはならない安藤忠雄の「住吉の長屋」や、どこへいくにも階段を上下しなければならない東孝光「塔の家」に住めと言われたら、1週間で逃げ出してしまいそうだ。白井晟一の「虚白庵」は見事な空間だけど、ネーミングからして日常生活を前提としたものなのかどうか。
依頼主の「食べること・寝ること・排泄することが滑らかに行えること」を唯一の条件に設計された増沢洵「コアのあるH氏の住まい」が、外光がたっぷりはいる木造平屋住宅にさりげなく個性が主張されていて、この家なら住んでもいいと思った。
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