『複製された男』 グレーの快感
『複製された男(原題:Enemy)』の冒頭、“Chaos is order yet undeciphered.(カオスとは未解読の秩序である)”という言葉が映し出される。見終わってみると、確かにその通りだと思う。カオスそのもののような映画。見る者はカオスを解読することを強いられるけれど、一本道の明快な解読ができるわけではない。解読しようとした末に、再びカオスのなかに放り出される。それが映画的快感になる。
大学の歴史教師アダム(ジェイク・ギレンホール)が映画のなかで自分そっくりな役者を発見し、その男が何者なのかに執着して、彼を探し始める。その男がアンソニー(ジェイクの二役)という役者であることをつきとめ、ホテルの一室で会うことになる。二人は声や顔がまったく同じであるばかりでなく、成人後にできた体の傷まで一緒であることに衝撃を受ける。アンソニーは、アダムと入れ替わってアダムの恋人メアリー(メラニー・ロラン)と一夜を共にすることをアダムに強要する。アンソニーの求めに屈したアダムは、アンソニーの妊娠中の妻ヘレン(サラ・ガドン)がいる彼のマンションを訪れる……(映画の最後になってほのめかされるが、実はこの二人が実在する本来のカップルかもしれない)。
映画の原題はEnemyだが、アダムにとってもアンソニーにとっても、敵とは自分とまったく同じ「もうひとりの自分」だ。自分と自分が敵対する物語。だからこれは全体がアダム(あるいはアンソニー)の脳内で語られた物語であるかもしれない。英語版のポスターはそれをビジュアル化しているとも取れる。ドッペルゲンガーものは小説でも映画でも数多いけど、これは古典的な謎解きや解釈を求めていないようなつくりに感じられる。とはいいつつ……。
心理的に自分が自分に敵対するのは、存在がなんらかの不安に苛まれている場合だろう。現実の自分を、心のなかの自分が受け入れがたい状況。それを暗示する、いくつかの鍵が散りばめられている。アダムは大学で教えているけれど、日本でいえば非常勤講師のように見え、そのことに満足しているようには見えない。アンソニーもまた妻が妊娠したこと、子供(ここにも、もうひとりの自分)ができることを喜んでいるようには見えない。またそのことで性的不満があるのか、怪しげな秘密クラブに出入りしている。
そうした不安を強調するように、映画のなかで何度か蜘蛛が出てくる。一度目は秘密クラブで、セクシーな女が運んできた皿の蓋をあけると、そこに蜘蛛がいる。女の赤いハイヒールが、それを踏みつぶそうとする。二度目は唐突に、ゴジラかモスラのように巨大な蜘蛛が都会の高層ビル群を踏みしだくショットが挿入される。さらに……。
もっとも、蜘蛛をアダムあるいはアンソニーが抱える不安の象徴などと解釈するのは野暮というもの。蜘蛛は蜘蛛である。そのいきなりの出現にぎょっとさせられ、揺さぶられればそれでいい。
蜘蛛以上に魅力的なのは、映画の舞台である都市そのものの風景だ。カナダのトロントで撮影されているらしいけど、オンタリオ湖を望む高層ビルの遠景や直線的なデザインの高層アパート群、NYや東京に比べれば人けの少ない街路の風景、脳内の神経のようにも見える市電の電線などが、グレーを基調とした単色の映像で捉えられている。どうやら撮影後にデジタルで色彩調整されているようだ。上のポスターにも再現されている、蜘蛛が高層ビルの間にいるショットなどを見ると、映画の主役は都市そのものかもしれないとも思う。
グレー基調の画面にふさわしく、タッチはクールそのもの。弦楽による音楽が導入部でサスペンスを盛り上げるが、後半になるとむしろ無音か、都市のかすかな騒音のみになってくる。それがまた快感だ。
クールなサスペンス、性的なものへのこだわり、不条理好み。ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督は同じカナダ出身のデヴィッド・クローネンバーグに通ずる資質をもっているみたい。この映画の後、ハリウッドに呼ばれて『プリズナーズ』をつくった(日本では公開が逆になったが)。これからも目が離せない。楽しみがまた増えた。
Comments
実は『プリズナーズ』ってそんなにハマれなかったんですよね。こちらの方が断然好みです。
『しゃくたま』に似てるからなんだろうとは思うけど。
蜘蛛がわかんない、っていう方が多いようですけど、私はそんなに気にはならなかったです。
あれはあれとして、象徴なんですよね。自分の心の。びっくりはしましたけど(笑)ああいうどす黒さが人にはあるっていう象徴ですよね。
Posted by: rose_chocolat | July 30, 2014 07:38 AM
僕はハリウッドのミステリーやフィルム・ノワール大好きなので、『プリズナーズ』はそういうものとして、とても良くできてると思いました。ハリウッド映画ですから因果関係や謎解きはきっちりしてますが、説明しすぎないタッチの繊細さはヴィルヌーヴならでは。もちろんroseさんのおっしゃることは、よく分かります。
Posted by: 雄 | July 30, 2014 03:03 PM