『グランド・ブタペスト・ホテル』 ミニチュアのホテル
The Grand Budapest Hotel(viewing film)
エンディング・クレジットで「ミニチュア製作」の文字を見つけたとき、ああ、やっぱりそうなんだ、と『グランド・ブタペスト・ホテル(原題:The Grand Budapest Hotel)』のへそを掴んだような気がした。この映画の真の主人公であるグランド・ブタペスト・ホテルの外観は、CGでなくミニチュアでつくられている。
1930年代、架空のズブロッカ共和国にある、生クリームで飾られたケーキみたいなピンクのホテルが発する甘く夢のような気配が映画を包みこんでいる。見ていてミニチュアみたいだなと感ずる、まがいもの感。それは、もともとがつくりものである映画の嘘っぽい面白さとよく似合ってる。昔の映画によくあったこの感覚は、リアルなCGからは絶対に出てこない。
wikipediaによると、このミニチュアは高さ3メートルの大きなもの。同じように、ホテルが建つ丘やホテルに通ずるケーブル・カーもミニチュアでつくられた。ホテルのモデルになったのは、ボヘミアの温泉町カールスバートにあるパステル・ピンクの外観を持つパレス・ブリストル・ホテル。そういえばウェス・アンダーソン監督の『ライフ・アクアティック』にも、すぐにそれと分かるミニチュアの潜水艦が登場してたっけ。もちろんCGも使われてるんだけど、映画の鍵となるイメージに手製のミニチュアを使うところにアンダーソン監督の映画に対する考えがうかがえる。
エンディング・クレジットにはもうひとつ、「シュテファン・ツヴァイクの作品にインスパイアされた」との文字が出る。ツヴァイクは今は読む人も少なくなったけど(僕も読んだことがない)、オーストリア=ハンガリー帝国時代のウィーンに生まれたユダヤ系の作家。歴史小説だけでなく古き良きヨーロッパを懐かしんだエッセイ『昨日の世界』がある。ツヴァイクはナチス迫害を恐れて亡命、やがて自殺した。この映画とツヴァイクの関係については町田智弘の解説が詳しい。
物語は、ツヴァイクを思わせる作家(現在=トム・ウィルキンソン、過去=ジュード・ロウ)が若き日にグランド・ブダペスト・ホテルを訪れ、オーナーのゼロから昔話を聞くという二重の回想形式になっている。少年のゼロ(トニー・レヴォロリ)がホテルでベルボーイとして働きはじめたころ、フロントには名コンシェルジェのグスタヴ(レイフ・ファインズ)がいた。グスタヴが親身に世話をした伯爵夫人(ティルダ・スウィントン)から遺産として名画を譲られたところから、グスタヴとゼロは殺人事件に巻き込まれてゆく……。
昔の映画によくあったコメディ・タッチの逃亡劇、脱獄劇、宝さがしにして恋物語。主人公にからんでマチュー・アマルリック、エイドリアン・ブロディ、ウィレム・デフォー、ハーヴィエイ・カイテル、ビル・マーレイ、レア・セドゥとスターが次々に登場して、あっ、これマチューだよね、あれっ、レアはどこに出ていたっけ? と見ているだけで楽しい。
舞台になる1932年はナチスが権力を握った年。ツヴァイクの故国オーストリア=ハンガリー帝国が第一次世界大戦の戦火のなかで崩壊したように、架空のズブロッカ共和国はナチスを思わせるファシスト国家に併合されてしまう。ズブロッカ(ZUBROWKA)という名前はポーランド産の名高いウォッカと同じだから、ネーミングは監督の遊びだろう。
そんなふうに現実の歴史と遊び感覚のフィクションをないまぜにしつつ、グスタブと周囲の人間たちを通してこの時代の精神を浮かび上がらせる。ヨーロッパも30年代も知らない40代のアメリカ人監督がそれをやっているところが面白い。だからこそお菓子みたいなホテルができあがったりするのだろう。
ホテルのオーナーとなった富豪のゼロが語る回想は、ヨーロッパの優雅と奉仕精神を体現したコンシェルジェ、グスタブの記憶であると同時に失われたズブロッカ共和国の良き時代の記憶でもある。それはピンクのグランド・ブダペスト・ホテルのなかで語られなければならない。
物語の時代によって現在がビスタ・サイズ、1960年代がシネスコ、30年代がスタンダードと、それぞれの時代の標準に合わせてスクリーン比率が変わる凝った仕掛けもある(当然、それぞれのカメラで撮影したんだろう)。ホテルの内装から小道具に至るまでの凝りようも半端じゃない。作家の著作『グランド・ブダペスト・ホテル』のブック・デザインはホテル同様ピンク系。ズブロッカ共和国のパスポート。スイーツの小箱やリボン。もちろん衣装も囚人服まで含めてリアルを感じさせない。
ファシズムとツヴァイクの死という隠し味をもった、ビタースイートなお楽しみ映画でした。
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