『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』 街の空気
Inside Llewyn Davis(film review)
『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』の主人公、ルーウィン・デイヴィスはコーエン兄弟がつくりあげた架空のミュージシャンだ。でもルーウィンにはモデルがいる。1960年代にグリニッジ・ヴィレッジでブルース、フォークの歌い手として名を馳せたデイヴ・ヴァン・ロンク。彼の回想録「The Mayor of MacDougal Street(邦訳:グルニッチ・ヴィレッジにフォークが響いていた頃)」をもとに、ルーウィン・デイヴィスのキャラクターがつくりあげられた。ルーウィン(オスカー・アイザック)の風貌も歌もギターも、YouTubeで見るデイヴ・ヴァン・ロンクのそれとよく似てる。
映画のなかでルーウィンが「放浪者になりたかった」とつぶやくシーンがある。そのひとことで、ルーウィンの背後にあるものがすっと見えてきたような気がした。ホーボーと呼ばれる放浪者は大恐慌時代に鉄道に無賃乗車しながらアメリカ全土を渡り歩いた労働者のこと。アメリカの自由人を象徴する存在として文学や音楽に大きな影響を与えてきた。文学ではジャック・ケルアックの『オン・ザ・ロード』がそうだし、フォーク歌手のウディ・ガスリーは自身が放浪者だった。
映画の舞台は1961年のグリニッジ・ヴィレッジ。いわゆるフォーク・リバイバルの前夜だ。ルーウィンは、ヴィレッジのカフェ、ガスライトでギターを手に古いフォークや自作の曲を歌っている。そのスタイルは独特で、時にブルースのようにしゃがれたり、シャウトしたりする。ガスライトは実際にヴィレッジにあったライブとポエトリー・リーディングのカフェで、デイブ・ヴァン・ロンクやボブ・ディランも出演していた。映画でもガスライトのステージにボブ・ディランらしい歌い手やピーター・ポール&マリーみたいなトリオが出てくる。
PPMといえば、デイブはPPM結成のときオーディションを受けたが、個性的すぎるという理由で採用されなかったというエピソードがある(wikipedia)。PPM(高校時代、ファンでした)はマリー・トラヴァースのしゃがれ声がポイントだから、男の歌い手に求められたのは彼女に合わせる美しいハーモニーだったろう。映画でルーウィン(デイブ)の歌を聞いたプロデューサーが「金の匂いがしないな」という台詞を吐くシーンがあるのも、彼のスタイルと関係しているにちがいない。
当時、アフリカ系市民の人権を求めた公民権運動が盛り上がり、メッセージ性の強いをフォーク・ソングがそれに同伴していた。その後のベトナム反戦運動にもつながりながら、ピート・シーガーの「花はどこへいった」やスピリチュアル「ウィー・シャル・オーバーカム」が運動の象徴になった。デイブ自身も運動に関わり、政治的にはけっこう過激なアナキストだったらしい。もっとも映画では政治的なことにはまったく触れられてない。要するにこの時代のヴィレッジはビートニク、ジャズやブルースやフォーク、アナキズムやコミュニズム、公民権運動なんかが入れ子のように混在して、文学と音楽、文化と政治がぐつぐつ煮えたぎる若者の街だった。
50年代からヴィレッジで歌っていたルーウィンは、フォークの世界的な流行という現象から見れば、いささか早すぎた存在だったらしい。歌手では食っていけず船員になろうとした(でもそれにも失敗した)ルーウィンがカフェ・ガスライトに行くと、ステージにはギターとハーモニカを持ったボブ・ディランらしき男がいる。新旧交代を予感させるラスト・ショットが象徴的だ。
ボブ・ディランがスターになる一方、ルーウィン(デイブ)が「名もなき男」で終わったのは才能というよりは、時代の空気が大きく影響しているだろう。ディランが登場したのは、まさに「Times are changin'」のそのときだった。ベトナム反戦運動とヒッピー・ムーブメントが世界中に広がった。
ルーウィンが歌いはじめたのは、その一時代前のことになる。デイブはブルックリン生まれ。ギターやバンジョーで古いジャズやブルースを演奏していた。ミュージシャンになりたくて家を飛び出し、ヴィレッジで知り合いの家を泊まり歩くようになる。このあたりは映画そのまま。仲間の女性シンガー、キャリー(ジーン・バーキー)に手を出して妊娠させてしまったなんてエピソードはデイブの実際の体験かどうか分からないけど、いかにもありそうではある。
猫を抱きながら(この猫がすごい役者だ)家から家を泊まり歩くルーウィンからは、悲しみの匂いは漂ってこない。売れる、売れないに価値をおいてないからだろう。コーエン兄弟の淡々と、でも温かくルーウィンを見る視線から、グリニッジ・ヴィレッジという町の混沌とした空気と、そこで今日も明日も歌いつづけるルーウィンの呼吸が伝わってくる。
僕が最初にヴィレッジに行ったのは1980年代で、西14丁目の知り合いのアパートに一週間ころがりこんだ。このときはスイート・ベイジルにヴィレッジ・ヴァンガードと、ジャズ・クラブに入り浸った。次に行ったのは2007年で、このときは1年間ブルックリンに住んで、週に1、2度はヴィレッジに行き、カフェで何もせず時間を過ごしたり、映画を見たり、もちろんジャズ・クラブに行ったりもした。
ヴィレッジの街は、マンハッタンのジェントリフィケーション(高級化)の波に襲われているとはいえ、少なくとも街の外観は他に比べればそんなに変化していない。だから1960年代を再現するロケ場所はいくらもあったろう。その変わらぬ風景に出会えたのが嬉しかった。
Comments
ボブ・ディランがスターになる一方、ルーウィン(デイブ)が「名もなき男」で終わったのは・・・
やっぱり才能の差だと思います。(笑)
No Direction Home観て、ボブ・ディランはすごいと思いました。ミネアポリスに行く前と後でパフォーマンスが全然違うのにびっくりしました。
Posted by: まっつぁんこ | June 09, 2014 09:25 PM
そうですね。「才能というより」と書きましたが、正確には「才能の差もあるけれど」ですね。才能の差は歴然としてます(笑)。僕はディランがエレキに持ち替えた後の1978年の武道館ライブに行きましたが、そのオーラにぶちのめされました。
Posted by: 雄 | June 09, 2014 11:09 PM