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June 27, 2014

解釈改憲にNO!

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安倍首相が、国のかたちを根元から変える集団的自衛権の行使容認を閣議決定というなんとも姑息なやり方で決めようとしている。とりあえず自分にできる意思表示をと、首相官邸前の集会に出かけた。

午前中から600人ほどが集まっている。集まっている人に反原発集会のような若い人は少なく、シュプレヒコールもリズムが悪い(「しゅうだんてき・じえいけん・はんたい」)。容認を決める閣議が予定されている1日には、もっとたくさんの人々が官邸前に詰めかけるだろう。

集団的自衛権(right of collective self-defense)は戦後、国連憲章で定められた権利。石川健治によれば、アメリカが敵を排除する同盟を正当化するためにねじこんだものだという。ふーん、そうなんだ。だからということか、集団的自衛権がどんなふうに発動されたか。

1956年 ソ連、ハンガリーに介入
1958年 米英、レバノン・ヨルダンに介入
1964年 英、イエメンに介入
1966年 米、ベトナムに介入(ベトナム戦争)
1968年 ソ連、チェコスロバキアに介入
1980年 ソ連、アフガニスタンに介入
1983年 米、グレナダに介入
1984年 米、ニカラグアに介入
1986年 仏、チャドに介入
2001年 米が個別的自衛権、英などが集団的自衛権でアフガニスタンに介入
(1991年の湾岸戦争は国連安保理決議によって多国籍軍がイラクに介入したが、個別的・集団的自衛権発動を明記していない。2003年のイラク戦争は安保理決議なしの有志連合による介入で、国際法上の根拠を持たない戦争だった)

「自衛権(self-defence)」という言葉がよくないですね。これらの戦争のうちひとつでも、自国が侵略されたから反撃するという、本来の意味の「自衛権」の発動があったろうか。世界中が言葉の嘘の上に、「自衛権」の名のもと武力を行使してる。きちんとした意味での「専守防衛」が日本国憲法の定めるところでしょう。

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June 26, 2014

『闇のあとの光』 不意打ちの映像

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Post Tenebras Lux(viewing film)

若いころゴダールやアレン・レネを見たから、物語性の薄い映画(わからない、と言われる映画)に対して抵抗感はまったくない。でも年齢とともに心身が衰えてくると、物理的にこらえ性がなくなってきた。ちょいと寝不足のとき、物語やアクションが停滞すると眠くなってくる。ゴダールを見ながら、初めて寝てしまったときはショックだった。といって、その映画が退屈なわけでもない。1、2度、カクンとした後はしゃきっとする。だから最近は寝ても気にしないことにしている。『闇のあとの光(原題:Post Tenebras Lux)』もそうだった。見終わった後の印象は、むしろ深い。

いくつものシークエンスが説明抜きにつながっている。やがて分かってくるのは、裕福な白人の農場主一家をめぐる生と性、二つの死の物語。

メキシコの山村。黄昏の光。水溜りの野原を馬や牛、犬が走りまわる。小さな女の子、ルートゥがそれを追う。カメラ位置は低く、彼女の目線。スタンダード・サイズの画面の周囲がにじんで、像が二重に歪む。やがて闇が訪れ、雷鳴が轟く。

ルートゥが目覚める。兄のエレアサルと両親のベッドへ行く。ベッドから起きた父親のフアン(アドルフォ・ヒメネス)が、いきなり飼い犬を殴打しはじめる。虐待をやめられないんだ、とフアンは妻のナタリア(ナタリア・アセベド)に告げる。豊かで幸せそうな家族に、早くも亀裂が入りはじめる。

フアンの家に、赤く発光する精霊のようなものがやってくる。動物の頭に角と尻尾と男根を持った、動物と人間が合成されたような姿(これはCG)。精霊は廊下を歩いて扉の向こうに姿を消す。

アルコール依存症の男たちが禁酒会の集まりで話をしている。粗末な小屋。男たちはインディオ系で、どうやら農場で働く男たちらしい。

白人の少年たちがラグビーをやっている。上流階級が行く寄宿学校の授業らしい。

フアンとナタリア夫妻がサウナ風呂に出かける。「ヘーゲルの間」とか「デュシャンの間」と呼ばれる部屋があり、性交の場になっている。フアンはナタリアのバスタオルをはずして客たちに妻を見せ、彼女は男と交わる。何人もの男と女がそれを見ている。

こんなふうに無関係なシークエンスがつづいていく。物語が動きだすのは映画の後半、一家の留守の間に使用人が家具を盗もうとし、戻ってきたフアンと鉢合わせ、使用人がフアンを銃で撃ってしまうところから。といって、このあとも物語が直線的に進むわけではない。

成長した兄妹が海辺でたわむれている。白い波が浜に寄せる。これは未来の光景なのか。

時間と場所、現実と夢を行き来しながら、主人公と周辺の人間たちの行動の断片が価値判断なしに投げ出される。少年少女の無垢と、男たち女たちがむき出す欲望。持てる者(白人)の退廃と持たざる者(インディオ)の暴力。そんな人間たちを包みこむ、深い森と逆光に輝く海辺、闇に轟く雷鳴や黄昏の光。

数年前に見た『悲しみのミルク』はラテン・アメリカの神秘と社会的視点を併せ持った映画だったけど、カルロス・レイガダス監督の『闇のあとの光』にも似たようなところがある。もっとも、『悲しみのミルク』は少女の恐れの感情にフォーカスを合わせ物語としての完成度が高かったけれど、この映画では断片が断片のまま放り出されている。それだけに不意打ちの映像に打たれる。ラストショット、二つ目の死に愕然とした。

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June 20, 2014

『罪の手ざわり』 上映禁止の理由

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A Touch of Sin(viewing film)

カンヌ映画祭で脚本賞を取ったジャ・ジャンクー監督『罪の手ざわり(原題:天注定)』は、中国国内では去年11月に公開されるはずだった。ところが国家広播電影電視総局の審査(つまり検閲)に引っかかり、上映禁止になったというニュースが中国のネットに流れた。さらに今年の3月、ジャ監督自身が、中国国内未公開のこの映画がネットに流出しダウンロードできる状態になっていたと中国版ツイッターで発言した

流出の経緯は分かっていない。『罪の手ざわり』は今に至るまで中国では公開されていないが、一時はネットで見ようと思えば見られる状態になっていたということだ。出資した上海電影集団や山西影視集団(オフィス北野も)にとってみれば中国国内での資金回収の機会が失われたことになるが、一方、上映禁止という当局の決定を実質的に崩すことにもなっている。ジャ監督は流出したことを出資者に謝っているけれど、真相がどうなのかは分からない。

ジャ監督は当局の検閲について、ニューヨーク・タイムズのインタビューでこう語っている(「ツカウエイゴ」に部分訳がある)。かつて当局は映画をプロパガンダの道具としか考えていなかったので、検閲は「イエス」か「ノー」の有無を言わさぬものだった。でも2004年以降、映画を産業としてとらえる視点が入ってきたために、扱えるテーマの幅も広がり、当局と議論もできるようになった。検閲は少しずつ緩くなり、前向きに変化している。

ジャ監督は中国国内にとどまって映画製作をしてきたし、これからもそれに変わりはないだろうから、そのことを前提にした発言であることは言うまでもない。ちなみに『プラットホーム』など初期の3作は国内公開されず、公開されたのは『世界』以降の3作品だ(配給会社Bitters EndのHPによる)。最新作『罪の手ざわり』が公開禁止になったということは、一方で習近平体制の最近の検閲強化によるものかもしれないし、他方でこの映画がこれまでのジャ監督の映画に比べて社会的メッセージが明確であることによるかもしれない。

『罪の手ざわり』は、実際に中国で起き、ネットやツイッターで話題になった事件をもとに4つの犯罪と暴力を描いている。そのメッセージは明快で、この犯罪と暴力にはそれぞれ理由がある、というものだ。

村所有だった炭鉱の利益を独り占めした実業家と村長に怒り、彼らを猟銃で撃ち殺した同級生のダーハイ(チァン・ウー)。家族には出稼ぎと偽って旅に出、拳銃強盗を繰り返すチョウ(ワン・バオチャン)。風俗サウナの受付嬢シャオユー(チャオ・タオ)は、広東省の工場長ヨウリャン(チャン・ジャイー)と遠距離不倫の関係にある。シャオユーはサウナの客に札束で頭を張られて売春を強要され、思わずナイフで客を刺し殺してしまう。ヨウリャンの工場を辞めた若者シャオホイ(ルオ・ランシャン)は東莞の風俗店に雇われ、風俗嬢のリェンロン(リー・モン)に恋するが、リェンロンからある事情を聞かされ屋上から身を投げる。

僕は中国映画をそんなにたくさん見てるわけじゃないけど、犯罪と暴力を正面から取り上げた作品は少ないという印象がある(香港映画は犯罪と暴力大好きなのに)。たぶん当局がテーマを規制しているからだろうけれど、『罪の手ざわり』はそこに切り込んだ。

映画を撮るにあたって、むろん検閲のことも頭にあってだろう、ジャ監督はひとつの工夫をしている。中国の伝統的なエンタテインメントである武侠小説・映画の枠を借りたことだ。「暴力を、どうやって撮ろうかと考えているうちに、昔から僕らの国にある『武侠小説』を使って、中国の現代を表現してみようと思いました」と監督は語っている(「ハフィントン・ポスト」)。想像するに、事前検閲の段階で監督は、「これはほら、現代の武侠映画、娯楽作品なんですよ」と当局者と議論していたかもしれない。

ダーハイが村を歩くとき、広場で京劇の「水滸伝」が演じられていて、「梁山泊へ集う」というセリフがダーハイの歩く姿にかぶさる。彼の部屋には、吼える虎を刺繍した織物がかかっている。ダーハイが猟銃を手にするとき、その虎の織物を銃に巻いて村長たちを殺しに出かける。日本のやくざ映画の殴りこみシーンのようなタッチ。実業家を殺した後、工場を遠景に殺伐とした広場と血に染まった外車のショットは、埋立地のコンビナートで着流しの鶴田浩二がドスをかざす深作欣二の『解散式』を思い起こさせる。

サウナの客に、お前がサービスしろと札束で執拗に頭を張られて我慢できなくなったシャオユーは、不倫相手から預かった果物ナイフを取り出して一閃する。その動きはカンフー映画そのもので、このシーンだけシャオユーは女侠客に見えてくる。客を殺したシャオユーが外へ出てさまよい歩くとき、蛇が現れてくねくねと道を横切る。

虎や蛇だけではなく、馬や牛も印象的だ。重い荷車を引かされ坂道で立ち往生している馬を、男が容赦なく鞭打っている。ダーハイはその男をも撃ち殺す。強盗であるチョウがバイクで道を走るとき、前を走るトラックの荷台には賭場に連れていかれる牛が何頭もつながれている。鎖に繋がれ鞭打たれる馬や牛と、ダーハイの銃に巻かれた虎、不倫に悩みナイフで客を殺したシャオユーの心そのものであるような蛇。それを沈黙する民や罪を犯したダーハイやシャオユーの化身と言ってしまっては図式的すぎるけれど、伝統芸能や動物の変身譚を取り入れたノーベル賞作家・莫言の小説みたいな味もある。

映画の最後で、出所したらしいシャオユーが街をさまよい歩くとき、街頭ではまた京劇が演じられていて、「お前は罪を認めるか」という台詞とジャジャジャーンと鳴り物の音楽が彼女にかぶさる(音楽は台湾のリン・チャン。ホウ・シャオシェンの『戯夢人生』でも同じような音楽の使い方をしていた)。

そんなふうに武侠小説・映画の枠を取り入れたことで、特に暴力の場面はリアリズムでなく、動きがどこか様式化されている。その分、エンタテインメント映画ふうな味もある。それはジャ監督の検閲に対する戦略だったかもしれないが、そのことによる効果は他にもある。これまでのジャ監督の映画は、一言で言えば改革開放後の中国で変化のすさまじさにとまどい、さまよっている人々の、徹底して今日にこだわった記録だったと言えるだろう。でも、京劇や動物が取り込まれることによって、変わりゆく今日もまた歴史とつながっているという感覚が画面から滲みでてくる。

もうひとつ、今までのジャ監督の映画と違うのは、この映画が4つの物語を持つオムニバス形式になっていること。そのため、くっきりした起承転結というより男と女のあてどない会話や行動をゆったり、じっくり見つめたこれまでの作風と違って、明確な因果関係とストーリーが表に出ている。その分、ジャ監督らしい個性は薄れたけれど、それに代わるエンタテインメントふうな面白さも加わった。犯罪を犯した者に寄せる共感の眼差しと矛盾に対するメッセージはストレートだ。

雪の山西から、重慶、湖北、熱帯樹の茂る広東へと、舞台は北から南へ移動する。主人公たちもまた、北から南へ流れてゆく。高層マンション脇の農地とか、インターチェンジのコーヒーショップ、駅前の雑踏、観光客相手の風俗店、工事現場といった今の中国の風景が素晴らしい(撮影はユー・リクウァイ)。

ところで、天安門事件を描いた『天安門、恋人たち』が上映禁止となったロウ・イエ監督は、罰として5年間の映画製作禁止を言い渡された。それが現在の検閲制度の決まりだとしたら、ジャ・ジャンクーもまた今後5年間、映画をつくれなくなるのだろうか。監督はカンヌ映画祭で、次は香港のジョニー・トー監督のアクション映画を製作すると語っているが、この魅力的な組み合わせがどうなるのか。目が離せない。

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梅ジャムをつくる

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making Japanese apricot jam

今年は梅の実の出来がよくなかった。そこで青梅を買ってきて足し、梅ジャムをつくる。

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煮て柔らかくし、種を取り包丁で叩いてペースト状にする。

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砂糖をくわえてぐつぐつと煮る。器をガスの真上に置かなかったせいで火の通りが偏り、左側がこげかかってるなあ。

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それでもなんとか仕上がった。砂糖をレシピの半分強しか入れてないので、かなり酸っぱいジャム。これがまたうまい。夏いっぱい楽しめそうだ。

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June 18, 2014

塩田明彦『映画術』を読む

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サイト「ブック・ナビ」に塩田明彦『映画術』(イースト・プレス)の感想をアップしました。

http://www.book-navi.com/

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『グランド・ブタペスト・ホテル』 ミニチュアのホテル

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The Grand Budapest Hotel(viewing film)

エンディング・クレジットで「ミニチュア製作」の文字を見つけたとき、ああ、やっぱりそうなんだ、と『グランド・ブタペスト・ホテル(原題:The Grand Budapest Hotel)』のへそを掴んだような気がした。この映画の真の主人公であるグランド・ブタペスト・ホテルの外観は、CGでなくミニチュアでつくられている。

1930年代、架空のズブロッカ共和国にある、生クリームで飾られたケーキみたいなピンクのホテルが発する甘く夢のような気配が映画を包みこんでいる。見ていてミニチュアみたいだなと感ずる、まがいもの感。それは、もともとがつくりものである映画の嘘っぽい面白さとよく似合ってる。昔の映画によくあったこの感覚は、リアルなCGからは絶対に出てこない。

wikipediaによると、このミニチュアは高さ3メートルの大きなもの。同じように、ホテルが建つ丘やホテルに通ずるケーブル・カーもミニチュアでつくられた。ホテルのモデルになったのは、ボヘミアの温泉町カールスバートにあるパステル・ピンクの外観を持つパレス・ブリストル・ホテル。そういえばウェス・アンダーソン監督の『ライフ・アクアティック』にも、すぐにそれと分かるミニチュアの潜水艦が登場してたっけ。もちろんCGも使われてるんだけど、映画の鍵となるイメージに手製のミニチュアを使うところにアンダーソン監督の映画に対する考えがうかがえる。

エンディング・クレジットにはもうひとつ、「シュテファン・ツヴァイクの作品にインスパイアされた」との文字が出る。ツヴァイクは今は読む人も少なくなったけど(僕も読んだことがない)、オーストリア=ハンガリー帝国時代のウィーンに生まれたユダヤ系の作家。歴史小説だけでなく古き良きヨーロッパを懐かしんだエッセイ『昨日の世界』がある。ツヴァイクはナチス迫害を恐れて亡命、やがて自殺した。この映画とツヴァイクの関係については町田智弘の解説が詳しい。

物語は、ツヴァイクを思わせる作家(現在=トム・ウィルキンソン、過去=ジュード・ロウ)が若き日にグランド・ブダペスト・ホテルを訪れ、オーナーのゼロから昔話を聞くという二重の回想形式になっている。少年のゼロ(トニー・レヴォロリ)がホテルでベルボーイとして働きはじめたころ、フロントには名コンシェルジェのグスタヴ(レイフ・ファインズ)がいた。グスタヴが親身に世話をした伯爵夫人(ティルダ・スウィントン)から遺産として名画を譲られたところから、グスタヴとゼロは殺人事件に巻き込まれてゆく……。

昔の映画によくあったコメディ・タッチの逃亡劇、脱獄劇、宝さがしにして恋物語。主人公にからんでマチュー・アマルリック、エイドリアン・ブロディ、ウィレム・デフォー、ハーヴィエイ・カイテル、ビル・マーレイ、レア・セドゥとスターが次々に登場して、あっ、これマチューだよね、あれっ、レアはどこに出ていたっけ? と見ているだけで楽しい。

舞台になる1932年はナチスが権力を握った年。ツヴァイクの故国オーストリア=ハンガリー帝国が第一次世界大戦の戦火のなかで崩壊したように、架空のズブロッカ共和国はナチスを思わせるファシスト国家に併合されてしまう。ズブロッカ(ZUBROWKA)という名前はポーランド産の名高いウォッカと同じだから、ネーミングは監督の遊びだろう。

そんなふうに現実の歴史と遊び感覚のフィクションをないまぜにしつつ、グスタブと周囲の人間たちを通してこの時代の精神を浮かび上がらせる。ヨーロッパも30年代も知らない40代のアメリカ人監督がそれをやっているところが面白い。だからこそお菓子みたいなホテルができあがったりするのだろう。

ホテルのオーナーとなった富豪のゼロが語る回想は、ヨーロッパの優雅と奉仕精神を体現したコンシェルジェ、グスタブの記憶であると同時に失われたズブロッカ共和国の良き時代の記憶でもある。それはピンクのグランド・ブダペスト・ホテルのなかで語られなければならない。

物語の時代によって現在がビスタ・サイズ、1960年代がシネスコ、30年代がスタンダードと、それぞれの時代の標準に合わせてスクリーン比率が変わる凝った仕掛けもある(当然、それぞれのカメラで撮影したんだろう)。ホテルの内装から小道具に至るまでの凝りようも半端じゃない。作家の著作『グランド・ブダペスト・ホテル』のブック・デザインはホテル同様ピンク系。ズブロッカ共和国のパスポート。スイーツの小箱やリボン。もちろん衣装も囚人服まで含めてリアルを感じさせない。

ファシズムとツヴァイクの死という隠し味をもった、ビタースイートなお楽しみ映画でした。


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June 17, 2014

アントワーヌ・ダガタ展

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Antoine d'Agata photo ewhibition

4月に出たアントワーヌ・ダガタ『抗体』(赤々社)は中身も重量もずっしり重い写真集だった。その刊行に合わせて写真展が開かれている(渋谷・アツコバルー、~6月30日)。

スラム、ドラッグ漬けの娼婦、リストカットされた手、独房、死体、リビア内戦、破壊された街、性交、兵士……。ダカタが、自分もその一部としてある暴力と闇の現場。ダガタはマグナムに属する写真家だけど、写真から受け取るのは社会的関心というより、ナン・ゴールディンやボリス・ミハイロフみたいな私的な視線だ。

人間がもつ危うい暴力と官能の衝動を手渡されたような気がした。

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June 09, 2014

『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』 街の空気

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Inside Llewyn Davis(film review)

『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』の主人公、ルーウィン・デイヴィスはコーエン兄弟がつくりあげた架空のミュージシャンだ。でもルーウィンにはモデルがいる。1960年代にグリニッジ・ヴィレッジでブルース、フォークの歌い手として名を馳せたデイヴ・ヴァン・ロンク。彼の回想録「The Mayor of MacDougal Street(邦訳:グルニッチ・ヴィレッジにフォークが響いていた頃)」をもとに、ルーウィン・デイヴィスのキャラクターがつくりあげられた。ルーウィン(オスカー・アイザック)の風貌も歌もギターも、YouTubeで見るデイヴ・ヴァン・ロンクのそれとよく似てる。

映画のなかでルーウィンが「放浪者になりたかった」とつぶやくシーンがある。そのひとことで、ルーウィンの背後にあるものがすっと見えてきたような気がした。ホーボーと呼ばれる放浪者は大恐慌時代に鉄道に無賃乗車しながらアメリカ全土を渡り歩いた労働者のこと。アメリカの自由人を象徴する存在として文学や音楽に大きな影響を与えてきた。文学ではジャック・ケルアックの『オン・ザ・ロード』がそうだし、フォーク歌手のウディ・ガスリーは自身が放浪者だった。

映画の舞台は1961年のグリニッジ・ヴィレッジ。いわゆるフォーク・リバイバルの前夜だ。ルーウィンは、ヴィレッジのカフェ、ガスライトでギターを手に古いフォークや自作の曲を歌っている。そのスタイルは独特で、時にブルースのようにしゃがれたり、シャウトしたりする。ガスライトは実際にヴィレッジにあったライブとポエトリー・リーディングのカフェで、デイブ・ヴァン・ロンクやボブ・ディランも出演していた。映画でもガスライトのステージにボブ・ディランらしい歌い手やピーター・ポール&マリーみたいなトリオが出てくる。

PPMといえば、デイブはPPM結成のときオーディションを受けたが、個性的すぎるという理由で採用されなかったというエピソードがある(wikipedia)。PPM(高校時代、ファンでした)はマリー・トラヴァースのしゃがれ声がポイントだから、男の歌い手に求められたのは彼女に合わせる美しいハーモニーだったろう。映画でルーウィン(デイブ)の歌を聞いたプロデューサーが「金の匂いがしないな」という台詞を吐くシーンがあるのも、彼のスタイルと関係しているにちがいない。

当時、アフリカ系市民の人権を求めた公民権運動が盛り上がり、メッセージ性の強いをフォーク・ソングがそれに同伴していた。その後のベトナム反戦運動にもつながりながら、ピート・シーガーの「花はどこへいった」やスピリチュアル「ウィー・シャル・オーバーカム」が運動の象徴になった。デイブ自身も運動に関わり、政治的にはけっこう過激なアナキストだったらしい。もっとも映画では政治的なことにはまったく触れられてない。要するにこの時代のヴィレッジはビートニク、ジャズやブルースやフォーク、アナキズムやコミュニズム、公民権運動なんかが入れ子のように混在して、文学と音楽、文化と政治がぐつぐつ煮えたぎる若者の街だった。

50年代からヴィレッジで歌っていたルーウィンは、フォークの世界的な流行という現象から見れば、いささか早すぎた存在だったらしい。歌手では食っていけず船員になろうとした(でもそれにも失敗した)ルーウィンがカフェ・ガスライトに行くと、ステージにはギターとハーモニカを持ったボブ・ディランらしき男がいる。新旧交代を予感させるラスト・ショットが象徴的だ。

ボブ・ディランがスターになる一方、ルーウィン(デイブ)が「名もなき男」で終わったのは才能というよりは、時代の空気が大きく影響しているだろう。ディランが登場したのは、まさに「Times are changin'」のそのときだった。ベトナム反戦運動とヒッピー・ムーブメントが世界中に広がった。

ルーウィンが歌いはじめたのは、その一時代前のことになる。デイブはブルックリン生まれ。ギターやバンジョーで古いジャズやブルースを演奏していた。ミュージシャンになりたくて家を飛び出し、ヴィレッジで知り合いの家を泊まり歩くようになる。このあたりは映画そのまま。仲間の女性シンガー、キャリー(ジーン・バーキー)に手を出して妊娠させてしまったなんてエピソードはデイブの実際の体験かどうか分からないけど、いかにもありそうではある。

猫を抱きながら(この猫がすごい役者だ)家から家を泊まり歩くルーウィンからは、悲しみの匂いは漂ってこない。売れる、売れないに価値をおいてないからだろう。コーエン兄弟の淡々と、でも温かくルーウィンを見る視線から、グリニッジ・ヴィレッジという町の混沌とした空気と、そこで今日も明日も歌いつづけるルーウィンの呼吸が伝わってくる。

僕が最初にヴィレッジに行ったのは1980年代で、西14丁目の知り合いのアパートに一週間ころがりこんだ。このときはスイート・ベイジルにヴィレッジ・ヴァンガードと、ジャズ・クラブに入り浸った。次に行ったのは2007年で、このときは1年間ブルックリンに住んで、週に1、2度はヴィレッジに行き、カフェで何もせず時間を過ごしたり、映画を見たり、もちろんジャズ・クラブに行ったりもした。

ヴィレッジの街は、マンハッタンのジェントリフィケーション(高級化)の波に襲われているとはいえ、少なくとも街の外観は他に比べればそんなに変化していない。だから1960年代を再現するロケ場所はいくらもあったろう。その変わらぬ風景に出会えたのが嬉しかった。


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June 03, 2014

嶋津健一トリオを聞く

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Shimazu Kenichi Trio live

久しぶりに嶋津健一トリオを聞く(5月31日、赤坂・Relaxin')。

林正男(b)、今村健太郎(ds)とのトリオが結成されて2年くらいになるのだろうか。演奏が変幻自在になってきたし、曲も少しずつ変わってきた。特に嶋津のピアノと若い今村のドラムスのインタープレイが素晴らしい。演奏する曲も初期は50年代ハードバップが多かったけど(今もそれはあるけれど)、今日は半分くらいが嶋津の曲、後の半分はジョニー・マンデル、アントニオ・カルロス・ジョビン、ピアソラなんかの曲をやる。

このところ嶋津自身の曲が増えている。バップみたいな曲もあれば、美しいバラードもある。以前のトリオ(オリジナリティーがあり完成度も高かった)では4枚のアルバムを出しているが、そろそろこのトリオでもアルバムをつくるらしい。楽しみだな。


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