『ある過去の行方』 心が揺らぐ
アスガー・ファルハディ監督の映画はいつも家族をめぐる物語だ。『彼女が消えた浜辺』はイランの避暑地で行方不明になった女性と親しい数組のカップルの話だったし、『別離』は二組の家族がトラブルに巻き込まれる話だった。どちらも観客にとって謎があり、その謎が解けることで登場人物の別の顔が浮かび上がってくるミステリーの手法が取られている。といって謎解きのミステリーではなく、謎をめぐる人間関係と心理にこそ光が当てられている。その背景にはイスラム教国であるイランの、慣習も法も僕たちのとは少し違った社会がある。
新作『ある過去の行方(原題:Le Passe)』も家族をめぐるミステリアスな話であることは共通している。違うのは、フランス・イタリア資本でつくられているからだろう、映画の舞台がフランスであること。パリ郊外らしい町で、フランス人、イラン人、アラブ系といった多国籍の男と女が織りなす糸のもつれが描かれる。
空港でフランス人のマリー=アンヌ(ベレニス・ベジョ)が夫のアーマド(アリ・モッサファ)を迎える。イラン人のアーマドはマリー=アンヌと別居し、何年もイランで仕事をしているらしい。2人は離婚に同意し、アーマドはそのために戻ってきた。アーマドがかつて暮らした家に戻ると、マリー=アンヌはアラブ系の若いサミール(タハール・ラヒム)と結婚しようとしている。マリー=アンヌの家にはブリュッセルに住む最初の夫との間にできた娘が2人いて、結婚しようとしているサミールの連れ子も同居している。マリー=アンヌはサミールの子を身籠っている。
マリー=アンヌの娘で高校生のリュシー(ポリーヌ・ビュルレ)はサミールを嫌って、家に寄りつかない。マリー=アンヌに頼まれたアーマドが娘の話を聞くと、サミールには自殺未遂して植物状態になった妻がいる、ママはそんな男と結婚しようとしている、とリュシーは訴える。アーマドは妻と娘の間をとりもつ役割を負わされるが、一方、アーマドが現れたことによって妻とサミールの間にも距離が生まれたようだ。マリー=アンヌを間に挟んで、元夫のアーマドと夫になろうとしているサミールの関係にも微妙なものがある。
そんなふうに男と女、親と娘の心の揺れがていねいに掬いとられる。やがて、サミールの妻が自殺未遂した原因が明らかになって……。
アラブ系のサミールはクリーニング店を経営している。店に雇われている女性は不法就労の移民で、彼女の訛りのあるフランス語もまた大きな鍵をにぎる。フランスは戦後、多くの移民労働者を受け入れてきた。ポルトガル人、かつての植民地アルジェリアやモロッコなど北アフリカのイスラム教徒、アーマドのように中東からの移民もいる。その多くは独身男性で、だからこの映画のような移民の男とフランス人女性のカップルも生まれるのだろう。そんはフランス社会のありようも映画の背景になっている。
サミールのフランス人の妻がなぜ自殺しようとしたかが映画の核になっているけれど、色んな事実が明かされ謎が解けたからといって、物語が大きく動くわけではない。むしろ物語は動かないし、なんらかの結末を迎えない。その代わり、明らかになったある事実に直面したことで、リュシーもマリー=アンヌもサミールも心が揺れる。その揺れが、やがてどういう結末を迎えるのかを描く前で映画は終わる。起承転結でいえば、「結」のない映画。物語の結末ではなく、登場人物の心が揺らぐ過程そのものが主題になっている。
僕たちの現実が、映画のようなくっきりした結末を迎えることはまずない。いろいろな出来事が重なり合い、もつれ合いながら今日も明日もつながってゆく。この映画は、そうした時間の流れのある部分を切り取ってみた、そんな印象をもつ。だからこそ、この映画がリアルなものとして迫ってくるのだと思う。
映画のなかに笑顔や笑い声がほとんどない。音楽もまったく入らず、その代わり雨の音、窓外の町の音、ガラスとガラスが触れ合うかすかな音が効果的。相手を問い詰め、あくまで自分を主張する重苦しい画面がつづくけれど、それだけに最後、娘のリュシーがかすかに微笑むのに救われる。
Comments
雄さんは割とお気に入りのようですね。
私は前作の方がはるかによかったかなあ。
これはいろいろ作りこみ過ぎです。
Posted by: rose_chocolat | May 06, 2014 01:35 AM
確かに家族関係は複雑だし、ミステリー的な伏線があったりしながら、そのくせ映画としてひとつところに収斂していきませんね。僕はその混沌が割と好きでした。
僕は男ですからアーマド目線で、大変だなあという感じで見てましたが、マリー=アンヌは身勝手な女性だから女性だからといって彼女の目線に立てませんしね。
Posted by: 雄 | May 06, 2014 11:02 AM