『ダラス・バイヤーズ・クラブ』 頑迷で進歩的で
Dallas Buyers Club(film review)
『ダラス・バイヤーズ・クラブ(原題:Dallas Buyers Club)』の舞台が1985年のテキサスだということを知っておかないと、主人公ロン(マシュー・マコノヒー)の行動がどんなに困難なものだったかが想像しにくい。
1985年というと、アメリカで最初にエイズ患者が報告された4年後。当時、エイズはゲイやドラッグ中毒者といったアンダーグラウンドな世界でのみ発生するもので、感染すれば100パーセント死に至る病として恐れられていた。ゲイではないロンが、自分がかかるはずはないと思い込んでいるのは当然のこと。
80年代半ば、日本でも輸血によって血友病患者に数は少ないがエイズ感染者が出た。当時、週刊誌の編集部にいた僕はエイズ特集を担当することになり、患者に話を聞いたり、自分でエイズ検査を受けてみたりした。でも何をするにもおっかなびっくりで、我ながら腰が引けた誌面になったのは否めない。
一部の世界の特殊な病気という認識が変わるきっかけになったのは、映画にも出てくるロック・ハドソンがエイズにかかったこと。これがきっかけでアメリカのエイズ政策は大きく変わり、治療薬の開発に大きな予算がかけられるようになった。映画でAZT(アジチミジン)という薬が出てくるけれど、これがアメリカで最初に認可された治療薬(映画では当局と製薬会社の癒着が描かれる。どの国でも同じなのか)。でもこの薬が激しい副作用を伴い、患者が苦しみながら死んでいくことがロンの行動を生み出すことになる。
テキサスはアメリカでいちばん保守的な地域だと言われる。テキサス男と言えばマッチョで頑迷固陋、自分たちの価値観に合わないものに強烈に反発する。テキサス州法は自宅や職場への侵入者に銃で発砲するのを「正当防衛」と認めているし、先住民の子供が公立学校に入学するときは強制的に髪を短くされる。妊娠中絶も同性婚ももちろん認められていない。
カウボーイ・ハットにブーツのロンは絵に描いたようなテキサス男。ロンが病院で女装したトランスジェンダーのレイヨン(ジャレッド・レト)にはじめて会ったとき示す嫌悪は、テキサス男あるいは保守的な白人の典型的な反応だろう。トランスジェンダーは今は日本でも市民権を得たけれど、80年代にはテキサス男だけでなく、日本でも似たようなものだった。
ロンはロデオと酒と女とドラッグと博打に生きている。エイズに感染したロンは、はじめそれを認めようとしないけれど、いったん受け入れると図書館で猛烈に勉強しはじめる。AZT以外の薬を認めない当局に抗議し、自らメキシコへ行ってライセンスを取り上げられた医者のもとで、未認可の薬をもらって治療する。元気になったロンはレイヨンを相棒に、エイズ患者を会員にした「バイヤーズ・クラブ」を立ち上げる。未認可の薬を輸入して会員に無料で配布するという形で、法をくぐり抜ける。
ロイは自分で言うように、善意や正義のためでなく商売としてやっている。それは他人のためでなく、金をかせいで病気になる前と同じ楽しい人生を送るため。だから酒も女もドラッグもやめない。欲望に忠実に生きることが、結果として国家と製薬会社の癒着をあぶりだし、ゲイの人々と共に生き、国家の横腹に穴をあけることになる。その欲望全開の生を、マシュー・マコノヒーが体を張って演じている。
アメリカには頑固に保守的でありながら、同時にあっけらかんと進歩的(合理的)であることがときどきあるけれど、ロンはそれを一身に体現している人物。なるほどこういうことなのかと納得した。
マシューはこの映画のために半年間テキサスのマンションに籠もり、83キロから62キロへ21キロ減量したという。最後には視力が落ち、腕立て伏せは5回しかできず、10メートルしか走れなくなった(wikipedia)。映画の最後にロンは自らロデオに挑んで牡牛の背に乗るけれど、ロンにとってだけでなく、減量してロンを演ずるマシューにとっても大変な挑戦だったろう。やはり14キロ減量したジャレッド・レトとともに、この2人なくして成り立たない映画だった。
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