『大統領の執事の涙』 悲しみの目

Lee Daniels' The Butler(film review)
『大統領の執事の涙(原題:Lee Daniels' The Butler)』の監督、アフリカ系のリー・ダニエルズはなかなか面白い経歴の持ち主らしい。フィラデルフィア生まれのリーはミズーリのカレッジを卒業し、20代前半で看護師派遣会社を成功させた。でも映画界に魅力を感じていたらしく、会社を売り払ってキャスティング・ディレクターとして仕事を始めた。やがてハリウッドのプロデューサーと組んで働くようになり、役者として映画に出た後、2001年に初めてのプロデュース作品『チョコレート』(主演のハル・ベリーが素敵だったなあ)を発表した。
監督デビューは2005年の『シャドーボクサー』、2作目がアフリカ系の太目の少女を主役にした『プレシャス』で、僕が監督としてのリーの映画を見始めたのはここから。3作目の『ペーパーボーイ』は、フロリダの熱い空気がむんむんする映画だった。
主役はアフリカ系でなくホワイト・トラッシュと呼ばれる貧しい白人たち。湿地帯の小屋に住みワニ殺しで生計を立てるジョン・キューザックとビッチなニコール・キッドマンが欲望むきだしの人間を演じて素晴らしかった。アフリカ系の監督らしいのは、主人公一家にメイドとして仕える黒人召使が出てくることと、脇役のアフリカ系ジャーナリストが地元出身なのにロンドンから来たと嘘をついて生きていること。南部に属するフロリダに今も残る差別的な構造や、アフリカ系青年の欺瞞的な生き方をさらりと描いて、公式的な黒人像とは違うのがこの監督らしい。
『大統領の執事の涙』も、良くも悪くもハリウッドの内側で映画をつくるダニエルズ監督らしいなあという印象を持った。この映画のキモは、ホワイトハウスのプライベート空間が、実は黒人差別的な南部のプランテーションと同じ構造を現在まで持っている、ということにあると思う。「ハウス・ニガー」が両者に共通するキーワード。そこで働くアフリカ系の男の悲しみこそこの映画の主題だろう。
セシル・ゲインズ(フォレスト・ウィテカー)は南部の綿花プランテーションで奴隷として働く両親の間に生まれ、主人の家のハウス・ニガー(家働きの下男)として少年期を過ごす。やがてセシルはプランテーションを飛び出し、ワシントンD.C.でホテルのボーイとして働くことになる。その働きぶりを目にとめたホワイトハウスの執事長(白人)がセシルを執事として雇う。それを決めたとき執事長は、「あいつはいいハウス・ニガーだ」という意味のことをつぶやく。
セシルは誇りをもってアイゼンハワー(ロビン・ウィリアムス)からケネディ、ニクソン(ジョン・キューザック)、レーガンまで7代の大統領に仕え、「ハウス・ニガー」として執事の仕事をまっとうする。でも息子は白人大統領に仕えるセシルに反抗し、公民権運動から過激なブラックパンサーに身を投じる。もうひとりの息子はベトナムで戦死する。
奴隷の子として、母親が農場の息子に犯されても黙っているしかない父親を見て育ったセシルは、従順に白人に仕える奴隷の心性を内面化している。だからこそ、ホワイトハウスで代々の大統領に愛される最高の執事になることができた。ホレスト・ウィテカーはアフリカ系には珍しく攻撃的なところのない優しい空気を漂わせる役者だけど、その悲しみに満ちた目がこの映画のすべてと言ってもいいくらいだ。こんなふうに黒人の弱さを描けるのは、ダニエルズがアフリカ系の監督だからだろう。
もっとも彼はハリウッドの枠内で映画をつくっている監督だから、ハリウッド的な予定調和がちゃんと用意されている。事実に基づいた映画とタイトルロールに出るけれど、wikipediaを見ると息子のことや大統領の態度などかなりドラマチックに脚色されているらしい。映画では、過激派からアフリカ系市民のリーダーになった息子と和解するし、最後はアフリカ系のオバマ大統領に招かれて祝福される。映画全体が、セシルの感動的な成功物語になっている。
それにハリウッド映画らしく、大統領役の大物以外にもジェーン・フォンダ、バネッサ・レッドグレーブ、レニー・クラヴィッツ、マライア・キャリーと役者を揃えて見せ場をつくってる。同じアフリカ系でも、資金も内容もインディペンデントな映画づくりを貫くスパイク・リーとそこが違うところだ。
映画としてはそのあたり不満が残るけれど、ホワイトハウスの差別構造をさらりと描き、「ハウス・ニガー」の悲しみや弱さを取り出してみせたダニエルズも悪くない。

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