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March 31, 2014

別所沼の「かいぼり」

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dredge of Besshonuma Pond

暖かくなって数カ月ぶりに別所沼へ行ったら、「かいぼり」で水が抜かれていた。

「かいぼり」は沼の水を抜き、底にたまったヘドロを取ったり、外来魚を除いたりする作業。ここでもずいぶん前からブラックバスやブルーギルがいる。

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70センチはありそうな鯉が何匹も網ですくわれ、公園に設置された鉄製水槽に移される。

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水槽。ここで「かいぼり」が終わるまで飼われるのは鯉、うなぎ、へら鮒、ぎん鮒、くちぼそ、なまず、テナガエビ、ヌマチチブ。ヌマチチブというのは見たことないが。

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別所沼の染井吉野の古木。桜の季節になると、毎年この木を見にくる。

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先日の大雪のためか、枝が折れていた。

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March 30, 2014

庭の春

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flowers in my garden

春の遅いわが家の庭もようやく花が咲きそろい、春の雨に濡れている。木瓜。

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沈丁花。

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ヒマラヤ雪の下。

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雪柳。

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海棠。

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花韮。

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連翹。

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March 27, 2014

『コーヒーをめぐる冒険』 水晶の夜の記憶

Ohboy
Oh Boy(film review)

もちろんドイツ映画にもコメディやハートウォーミングな作品はあるんだろうけど、日本で公開されるのはファスビンダーやヘルツォークのニュー・ジャーマン・シネマ以来、なぜか重くシリアスな映画が多い。若い世代でハリウッドへ行ったトム・ティクヴァなんかも、笑いの要素はあまりない。だからドイツ映画というと、つい身構えてしまう。でも『コーヒーをめぐる冒険(原題:Oh Boy)』は軽い気分で心地よく見られる映画だった。

35歳になるヤン・オーレ・ゲルスター監督のドイツ映画テレビ・アカデミー卒業作品。処女作でドイツ内外の賞をずいぶん獲っている。同じ卒業制作の『パーマネント・バケーション』で注目され、2作目の『ストレンジャー・ザン・パラダイス』でカンヌの賞を獲ったジム・ジャームッシュのデビュー時と比較する声が多いみたいだ。確かにモノクロームの映像といい、奇妙な味のユーモアといい、共通するところは多い。でもこの映画にはジャームッシュのひりひりと乾いた感じはなく、そのかわりクールではあるが穏やかに世の中を見つめる眼差しを感ずる。

たとえば画面に流れる音楽。『パーマネント・バケーション』は鋭いサックスに合わせて主人公が踊るし、『ストレンジャー・ザン・パラダイス』はジョン・ルーリーの音楽だった。それに対して『コーヒーをめぐる冒険』はオーソドックスなフォービートのジャズ。それがベルリンの街角にかぶさると空気が温かくなる。

モノクロの画面も、『ストレンジャー・ザン・パラダイス』はコントラストの強い、粗い画面だった記憶があるけれど、こちらはコントラストの高くない中間調。レンズもジャームッシュが広角系を多用しているのに対し、ゲルスターは標準や望遠系も使っている。だからジャームッシュが出てきたときみたいな新しさは感じないけど、その穏やかさこそ今のこの世代の空気なのかもしれない。

教科書どおりという感じもある。例えば2人の会話。切り返しで2人の上半身が映されるけれど、必ず手前に相手や小道具をぼかして入れる。よくある撮り方。例えば小津は2人の会話で切り返すとき手前になにも映さないし、視線が噛み合わない。それが小津独特のリズムを醸しだす。ゲルスターは当然ながらまだそういう個性を出すところまでいっていない。

朝、ガールフレンドと気まずい別れでコーヒーを飲みそこねたニコ(トム・シリング)が、次々にいろんな人間と出会う。翌朝、やっとコーヒーにありつくまでの24時間。自分のアパートへ戻ると階上の男から愚痴を聞かされる。友人のマッシュ(マルク・ホーゼマン)とカフェにいると、小学校の同級生で太目だったユリカ(フリデリーケ・ケンプター)と出会い、ダンスのパフォーマンスに誘われる。不良グループに因縁をつけられる。ユリカといい具合になりそうなところで、ユリカがエキセントリックに昔自分をからかったことを責めはじめる。深夜のバーで老人から戦時中の話を聞かされる。

老人が話すのが、子供時代の水晶の夜の記憶であることに、おっ、と思った。水晶の夜は1938年、ベルリンでナチスを支持する市民がユダヤ人街を襲った暴動。多数の死傷者が出て、砕けたガラスの破片が月光できらきら輝いていたことからこう呼ばれる。子供だった老人は父とともにユダヤ人に石を投げた記憶を語って、倒れる。老人が最後に語るのが加害の記憶であることに、戦後ドイツの精神風景が垣間見えると思ったのは大げさだろうか。

でも先週、ドイツ当局が元ナチでユダヤ人収容所の看守だった94歳のドイツ人を追跡し逮捕したというニュースを読んだりすると、敗戦から70年近く、あの戦争への対処の仕方がわれわれとあまりにかけ離れているのに改めて驚く。今も戦犯の追及がつづくドイツで、老人が倒れる前に語る水晶の夜の記憶は苦い悔恨をともなうものだったろう。一方、日本でこの映画をつくるなら、老人は例えば東京大空襲で逃げまどった記憶、どんなひどい目に会ったかという被害の記憶をセンチメンタルに語るような気がする。

もっとも、そういうことが突き詰められてる映画じゃない。老人を病院に運び、朝、街に出たニコがやっとありついたコーヒーにほっと一息つき、心地よいジャズが流れて映画は終わる。あてどない、宙吊りになったニコの日常も父親から仕送りを断たれ、この日から自立の日々が始まる。いかにも卒業制作らしい、勉強しましたというところの見える映画だけど、楽しめる作品にはなっていた。


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March 22, 2014

『ダラス・バイヤーズ・クラブ』 頑迷で進歩的で

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Dallas Buyers Club(film review)

『ダラス・バイヤーズ・クラブ(原題:Dallas Buyers Club)』の舞台が1985年のテキサスだということを知っておかないと、主人公ロン(マシュー・マコノヒー)の行動がどんなに困難なものだったかが想像しにくい。

1985年というと、アメリカで最初にエイズ患者が報告された4年後。当時、エイズはゲイやドラッグ中毒者といったアンダーグラウンドな世界でのみ発生するもので、感染すれば100パーセント死に至る病として恐れられていた。ゲイではないロンが、自分がかかるはずはないと思い込んでいるのは当然のこと。

80年代半ば、日本でも輸血によって血友病患者に数は少ないがエイズ感染者が出た。当時、週刊誌の編集部にいた僕はエイズ特集を担当することになり、患者に話を聞いたり、自分でエイズ検査を受けてみたりした。でも何をするにもおっかなびっくりで、我ながら腰が引けた誌面になったのは否めない。

一部の世界の特殊な病気という認識が変わるきっかけになったのは、映画にも出てくるロック・ハドソンがエイズにかかったこと。これがきっかけでアメリカのエイズ政策は大きく変わり、治療薬の開発に大きな予算がかけられるようになった。映画でAZT(アジチミジン)という薬が出てくるけれど、これがアメリカで最初に認可された治療薬(映画では当局と製薬会社の癒着が描かれる。どの国でも同じなのか)。でもこの薬が激しい副作用を伴い、患者が苦しみながら死んでいくことがロンの行動を生み出すことになる。

テキサスはアメリカでいちばん保守的な地域だと言われる。テキサス男と言えばマッチョで頑迷固陋、自分たちの価値観に合わないものに強烈に反発する。テキサス州法は自宅や職場への侵入者に銃で発砲するのを「正当防衛」と認めているし、先住民の子供が公立学校に入学するときは強制的に髪を短くされる。妊娠中絶も同性婚ももちろん認められていない。

カウボーイ・ハットにブーツのロンは絵に描いたようなテキサス男。ロンが病院で女装したトランスジェンダーのレイヨン(ジャレッド・レト)にはじめて会ったとき示す嫌悪は、テキサス男あるいは保守的な白人の典型的な反応だろう。トランスジェンダーは今は日本でも市民権を得たけれど、80年代にはテキサス男だけでなく、日本でも似たようなものだった。

ロンはロデオと酒と女とドラッグと博打に生きている。エイズに感染したロンは、はじめそれを認めようとしないけれど、いったん受け入れると図書館で猛烈に勉強しはじめる。AZT以外の薬を認めない当局に抗議し、自らメキシコへ行ってライセンスを取り上げられた医者のもとで、未認可の薬をもらって治療する。元気になったロンはレイヨンを相棒に、エイズ患者を会員にした「バイヤーズ・クラブ」を立ち上げる。未認可の薬を輸入して会員に無料で配布するという形で、法をくぐり抜ける。

ロイは自分で言うように、善意や正義のためでなく商売としてやっている。それは他人のためでなく、金をかせいで病気になる前と同じ楽しい人生を送るため。だから酒も女もドラッグもやめない。欲望に忠実に生きることが、結果として国家と製薬会社の癒着をあぶりだし、ゲイの人々と共に生き、国家の横腹に穴をあけることになる。その欲望全開の生を、マシュー・マコノヒーが体を張って演じている。

アメリカには頑固に保守的でありながら、同時にあっけらかんと進歩的(合理的)であることがときどきあるけれど、ロンはそれを一身に体現している人物。なるほどこういうことなのかと納得した。

マシューはこの映画のために半年間テキサスのマンションに籠もり、83キロから62キロへ21キロ減量したという。最後には視力が落ち、腕立て伏せは5回しかできず、10メートルしか走れなくなった(wikipedia)。映画の最後にロンは自らロデオに挑んで牡牛の背に乗るけれど、ロンにとってだけでなく、減量してロンを演ずるマシューにとっても大変な挑戦だったろう。やはり14キロ減量したジャレッド・レトとともに、この2人なくして成り立たない映画だった。

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March 21, 2014

友人の舞台デビュー

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a debut as an actor of my friend

中学高校以来の友人・宇田川三九六君が役者として初舞台を踏んだ。

そのことを宇田川君が僕たちに告白(?)したのは、ほんの一月前。同級生が集まった飲み会でのことだった。長いこと民間や公立のホール・劇場で音楽関係の仕事をしてきた宇田川君が定年退職したのは一昨年のこと。仕事やめて何やってるの? と聞いても、ふ、ふ、ふ、と笑うばかりでなにも教えてくれなかったが、実は明治座アカデミーに入所して役者修行をしていたというのだ。

今日はその卒業公演「龍馬への伝言」(3月21日、日本橋劇場)。暗殺された坂本龍馬の故郷、土佐の坂本家を舞台にした芝居で、宇田川君は龍馬の姉・乙女の元夫で藩のご典医という役どころ。髷に羽織袴も堂に入っている。いろんな人生経験が反映していい味出してると思うのは仲間うちだからか。

舞台の裏方から表へ。宇田川君はどうやら本気でプロの役者を目指すらしい。次は明治座の舞台で会おう、と言って記念撮影。


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March 17, 2014

「文化住宅」を発見

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Japanese Bunka Jutaku house

散歩していて、調神社の近くで「文化住宅」をひとつ見つけた。

「文化住宅」は大正から昭和初期にかけて流行った和洋折衷の住宅。玄関脇に洋間が一間だけついている。宮崎駿のアニメにも登場するから、ああ、あれか、と思い当たる方も多いだろう。

旧浦和市中心部は戦前からの住宅地なので、まだ辛うじて「文化住宅」が残っている。僕がこのあたりで知っているのは2軒。ガキのころはそこここにあったけれど、戦後、高度成長の時代にほとんど取りこわされてしまった。わが家は築85年になるが純和風建築なので、小さい頃、洋間のある友達の家に遊びにいくとモダンな感じで羨ましかった。

今日みつけたこの家は、人の気配がしない。洋間の窓が割れ、テレビアンテナが傾いている。留守なのか、無人なのか。ここも間もなく取りこわされてしまうのか。

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「文化住宅」のそばにあった寅薬師堂。薬師は目の病を治す仏とされ、「め」の絵馬が奉納されている。

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March 14, 2014

『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』 強くない男

Nebraska
Nebraska(film review)

アレクサンダー・ペイン監督の映画にはいつも共通項がある。ひとつは、たいていの映画がロード・ムーヴィーになっていること。『アバウト・シュミット』でジャック・ニコルソンはキャンピング・カーでデンバーに旅するし、『サイドウェイ』でポール・ジアマッティたちはカリフォルニアのワイナリーを次々に訪れる。『ファミリー・ツリー』でハワイのオアフ島に住むジョージ・クルーニーはカウアイ島へ行く。そうした旅の途中で、あるいは旅先で起きる出来事が物語の中心になっている。同時に旅する主人公たちを取り囲む風景が彼らの心象に重なってくる。

もうひとつの共通項は、ペイン監督が描くのがアメリカ人好みの「強い男」とは正反対の男たちであること。ジョン・ウェインに象徴されるように、アメリカ映画は「強い男」を繰り返し描いてきた。「強い男」が成功して勝者になればアメリカン・ドリームの物語になるし、一匹狼を貫いて組織や国家に対抗すれば、たとえ敗者となっても「敗れざる者(undefeated)」として尊敬される。勝っても負けてもアメリカ映画は「強い男」が大好きなのだ。

でもペイン監督は、いつもそんな典型的アメリカ人像からはみだした男たちを主人公に据えてきた。挫折した作家志望の高校教師と、元テレビ映画のスターで過去の栄光にしがみつく役者2人組の切ない旅を描いた『サイドウェイ』なんか、その典型だろう。

『ネブラスカ(原題:Nebraska)』も同じ共通項をもっている。冒頭、老人のウディ(ブルース・ダーン)がモンタナから1200キロ離れたネブラスカへ行こうとフリーウェイをとぼとぼ歩いているショットで、いきなりロード・ムーヴィーが始まる。若い頃から他人をたやすく信じ、ボケも始まっているらしいウディは、「100万ドル差し上げます(もし当選すれば)」という詐欺的な勧誘広告を信じて、ネブラスカまで歩いていこうとしている。

息子のデイビッド(ウィル・フォーテ)は父を家に連れ戻すが、父はまた家を出て彼の故郷であるネブラスカを目指し歩きはじめる。結局デイビッドは父を車に乗せ、父の故郷まで旅することを決める。ウディの妻で口うるさいケイト(ジューン・スキッブ)は、あんたまでそんなたわごとを信じるのかと息子をなじる。

旅のルート、モンタナから中西部のサウスダコタ、ネブラスカ一帯はグレートプレーンズと呼ばれ、一大穀倉地帯になっている。映画は、小麦畑だろうか低い台地がうねるようにどこまでも続く大平原の風景をモノクロームで映し出す。モンタナの町には雪があり、小麦畑は収穫後の風景。親子は冬用のジャケットを着ているから、季節は晩秋だろう。

グレートプレーンズの見事なモノクロームの映像が、過去でもあり現在でもあるような不思議な感触を見る者に伝えてくる。アメリカの原風景。旅の途中で立ち寄るダイナーやバー、またネブラスカの故郷の町ホーソーン(架空の町)も時間が止まったようなたたずまい。ウディとデイビッドが目にする懐かしくも寂しい白黒の映像が、この映画の大きな魅力だ。

ウディとデイビッドはホーソーンに着き、ウディの兄弟の家に滞在することになる。この家の2人の息子は太目で田舎男まるだし。デイビッドとは話が合わない。両方の家族が憮然として居間に座り無言でテレビをながめている(カメラを見詰める)ショットがおかしい。

妻のケイトも2人を追っかけてやってくる。ウディとケイトはこの町の出身で、ここで恋人同士になり、結婚し、工場を経営していた。でも何らかの事情で工場を手放したらしい。ウディに100万ドルが当たったと聞いて、親類縁者は昔の貸しを言い立て分け前をよこせとウディに迫る。そこにケイトが現れて、四文字言葉を使って人でなしと彼らに啖呵をきるのが、なんとも格好いい。

それまでなにかとウディに小言ばかり言っていたケイトが、かつて故郷で人のいいウディをそんなふうにして庇っていたんだと、見る者にわかってくる。おまけに墓地へ行ったケイトは、昔彼女の「パンツに手を突っ込もうとした男」の墓石に向かってスカートをたくしあげて見せるお茶目ぶり。そのあたりから、老夫婦の関係に息子にもうかがい知れない親密さが流れているのが見えてくる。そんなふたりにとって、故郷は懐かしいというより苦い。

ところで父親思いのデイビッドも風采の上がらない中年男だ。オーディオ店をやっているらしいが、繁盛しているようには見えない。独り者で、ガールフレンドと別れたばかり。そんなデイビッドも最後に格好いいところを見せる。父親を侮辱したかつての共同経営者にパンチをくらわせる。ウディの夢だったピックアップ・トラックを買ってやり、故郷の町を父親に運転させる。かつてウディに思いを寄せていた老婦人が、トラックを運転するウディを感慨深くながめるのを尻目に、ウディは気持ちよく車を運転する。

そんなどこにでもいる普通の男たちの心の揺れと思いやりを、アレクサンダー・ペイン監督はていねいに描いている。彼の一貫した姿勢は、アメリカ映画を支配する「強い男」への穏やかな異議申し立てとも見える。

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March 12, 2014

箱根の残雪

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remaining snow in Hakone

箱根には2度の大雪の残雪があった。寒い。

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小塚山の林と鳥の巣。

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長年お世話になった健保組合の寮が3月20日で閉鎖される。で、最後に温泉に浸かろうとやってきた。浴室の窓を開けると大きなケヤキが見える。湯につかり、季節それぞれの姿で朝陽に照らされ、闇にまぎれるケヤキを見るのが楽しみだった。


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黒川創『国境 完全版』を読む

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10年以上前から友人たちと「ブック・ナビ」というタイトルで本についてのサイトをつくっている。そこで、<雄>というハンドル・ネームで毎月1冊ずつ新刊書について感想めいたものを書いてきた。毎月、新刊について何か書くのにはそれなりの時間が必要になる。当ブログのタイトルに「Books」とありながら本についての話題が少ないのはそのせいもある、とこれは自己弁護。

そんなわけで、今月から「ブック・ナビ」に感想をアップしたことをお知らせすることにしました。今月は黒川創『国境 完全版』です。

http://www.book-navi.com/


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March 09, 2014

春はまだ

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わが家の庭は、50年前に祖父母がつくったものをほぼそのまま使っている。このところ老齢化した木が暑さにやられて枯れているけれど、全体としては植生が密で、日照が悪く花の咲く時期が遅れる。今年の春も、この庭ではまだ遠い。海棠の芽。

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沈丁花もまだ蕾。

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ホトケノザ。


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March 08, 2014

『大統領の執事の涙』 悲しみの目

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Lee Daniels' The Butler(film review)

『大統領の執事の涙(原題:Lee Daniels' The Butler)』の監督、アフリカ系のリー・ダニエルズはなかなか面白い経歴の持ち主らしい。フィラデルフィア生まれのリーはミズーリのカレッジを卒業し、20代前半で看護師派遣会社を成功させた。でも映画界に魅力を感じていたらしく、会社を売り払ってキャスティング・ディレクターとして仕事を始めた。やがてハリウッドのプロデューサーと組んで働くようになり、役者として映画に出た後、2001年に初めてのプロデュース作品『チョコレート』(主演のハル・ベリーが素敵だったなあ)を発表した。

監督デビューは2005年の『シャドーボクサー』、2作目がアフリカ系の太目の少女を主役にした『プレシャス』で、僕が監督としてのリーの映画を見始めたのはここから。3作目の『ペーパーボーイ』は、フロリダの熱い空気がむんむんする映画だった。

主役はアフリカ系でなくホワイト・トラッシュと呼ばれる貧しい白人たち。湿地帯の小屋に住みワニ殺しで生計を立てるジョン・キューザックとビッチなニコール・キッドマンが欲望むきだしの人間を演じて素晴らしかった。アフリカ系の監督らしいのは、主人公一家にメイドとして仕える黒人召使が出てくることと、脇役のアフリカ系ジャーナリストが地元出身なのにロンドンから来たと嘘をついて生きていること。南部に属するフロリダに今も残る差別的な構造や、アフリカ系青年の欺瞞的な生き方をさらりと描いて、公式的な黒人像とは違うのがこの監督らしい。

『大統領の執事の涙』も、良くも悪くもハリウッドの内側で映画をつくるダニエルズ監督らしいなあという印象を持った。この映画のキモは、ホワイトハウスのプライベート空間が、実は黒人差別的な南部のプランテーションと同じ構造を現在まで持っている、ということにあると思う。「ハウス・ニガー」が両者に共通するキーワード。そこで働くアフリカ系の男の悲しみこそこの映画の主題だろう。

セシル・ゲインズ(フォレスト・ウィテカー)は南部の綿花プランテーションで奴隷として働く両親の間に生まれ、主人の家のハウス・ニガー(家働きの下男)として少年期を過ごす。やがてセシルはプランテーションを飛び出し、ワシントンD.C.でホテルのボーイとして働くことになる。その働きぶりを目にとめたホワイトハウスの執事長(白人)がセシルを執事として雇う。それを決めたとき執事長は、「あいつはいいハウス・ニガーだ」という意味のことをつぶやく。

セシルは誇りをもってアイゼンハワー(ロビン・ウィリアムス)からケネディ、ニクソン(ジョン・キューザック)、レーガンまで7代の大統領に仕え、「ハウス・ニガー」として執事の仕事をまっとうする。でも息子は白人大統領に仕えるセシルに反抗し、公民権運動から過激なブラックパンサーに身を投じる。もうひとりの息子はベトナムで戦死する。

奴隷の子として、母親が農場の息子に犯されても黙っているしかない父親を見て育ったセシルは、従順に白人に仕える奴隷の心性を内面化している。だからこそ、ホワイトハウスで代々の大統領に愛される最高の執事になることができた。ホレスト・ウィテカーはアフリカ系には珍しく攻撃的なところのない優しい空気を漂わせる役者だけど、その悲しみに満ちた目がこの映画のすべてと言ってもいいくらいだ。こんなふうに黒人の弱さを描けるのは、ダニエルズがアフリカ系の監督だからだろう。

もっとも彼はハリウッドの枠内で映画をつくっている監督だから、ハリウッド的な予定調和がちゃんと用意されている。事実に基づいた映画とタイトルロールに出るけれど、wikipediaを見ると息子のことや大統領の態度などかなりドラマチックに脚色されているらしい。映画では、過激派からアフリカ系市民のリーダーになった息子と和解するし、最後はアフリカ系のオバマ大統領に招かれて祝福される。映画全体が、セシルの感動的な成功物語になっている。

それにハリウッド映画らしく、大統領役の大物以外にもジェーン・フォンダ、バネッサ・レッドグレーブ、レニー・クラヴィッツ、マライア・キャリーと役者を揃えて見せ場をつくってる。同じアフリカ系でも、資金も内容もインディペンデントな映画づくりを貫くスパイク・リーとそこが違うところだ。

映画としてはそのあたり不満が残るけれど、ホワイトハウスの差別構造をさらりと描き、「ハウス・ニガー」の悲しみや弱さを取り出してみせたダニエルズも悪くない。


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March 07, 2014

チャイを淹れる

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making chai

シナモン、クローブ、カルダモンにすりおろしショウガでチャイを淹れる。ゴア在住の女性がHPに載せていたレシピに従って。

インド料理店で飲むチャイより薄甘にしたけど、それでも普通のミルクティーより砂糖を多く使う。それに、ある程度甘くないとチャイはうまくないことも分かった。最初にしては上出来。くせになりそう。


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March 03, 2014

冬を越したミント

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putting forth leaves of mint

晩秋に枯れたミントの根から出てきた新芽が冬を越し、2度の雪でどうなったか心配したが元気なようだ。隣りのバジルはまだ芽が出ない。

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ヒヤシンスの芽。


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