『鑑定士と顔のない依頼人』 老人の恋の行方
いやあ、見事に騙されました。しかもその騙され方が意外なかたちなのに驚いた。もちろんどんでん返しのあるミステリーと知っていたから何があるのかと構えてはいたけど、こう来たか。もっとも、その意外さが映画として良かったかどうかは別問題。
僕が騙された理由のひとつは、ジュゼッペ・トルナトーレ監督の過去の作品にある。見ているのは、名作の誉れ高い『ニュー・シネマ・パラダイス』と『マレーナ』『シチリア!シチリア!』くらい。どれも子供の目を通したヒューマンな人間ドラマだった。だから『鑑定士と顔のない依頼人(原題:La Migliore Offerta)』も、ミステリーとはいえ同じテイストだろうと思っていた。
高名な鑑定士ヴァージル(ジェフリー・ラッシュ)が、クレア(シルヴィア・ホークス)と名乗る女から両親が遺した美術品・家具の鑑定を依頼される。ヴァージルは無人の舘で鑑定を始めるが、依頼人のクレアは姿を現わさない。広場恐怖症で人前に出られないクレアをヴァージルは盗み見し、やがて彼を信頼して姿を現わしたクレアはヴァージルと心を通わせるようになる。
人間嫌いで潔癖症の老鑑定士は女性肖像画のコレクターで自宅の隠し部屋に名画(ルノワールの「ジャンヌ・サマリーの肖像」もある)を飾り、描かれた女性にひとり囲まれるのが愉悦。金も名声もある孤独な老人が、精神を病んだ若い女に心を寄せる。二人の愛の行方はどうなるのか。これまでの監督の作品から、どんでん返しは二人の愛をめぐってだろうと予想した。ところが違ったんですね。(このブログはネタバレありです。ネタバレしないと先を語れないので、映画を見る予定の方は読まないほうがよろしいかと)
この映画、愛をめぐるサスペンスでなく、実は泥棒映画だった。泥棒ものはジャンルとして確立していて、古くは『トプカピ』『ピンクパンサー』から最近の『オーシャンズ』シリーズまで、たくさんの映画がある。ほとんどの映画に共通するのは盗む側が主役で、盗むことの痛快さが映画の核になっていること。
ところがこの映画は、最後まで盗まれる鑑定士の側から描かれる。だから盗まれたという結果が提示されるだけで、盗むことの痛快さはまったく描かれない。その代わり見る者に迫ってくるのは、女に騙されたうえコレクションを盗まれた無残な老人の姿。かといってヴァージルとクレアの愛の行方がていねいに描かれているわけではないから(もともとクレアは騙していたわけだし)、すべてを失った鑑定士の心情が見る者に迫ってくることもない。どんでん返しは見事だったけど、やられた! という爽快感は薄いし、一方、人間ドラマとしても深みに欠けたような気がする。
それらしい仕掛けはいろいろある。北イタリアのトリエステでロケされたらしい古びた舘。見たものすべてを記憶する小人の女。舘から発見される機械仕掛け人形の部品と、それを組み立てようとする修理屋。最初はなぜこの役にドナルド・サザーランドなのかと疑うヴァージルの怪しげな相棒。別のものを期待したこちらが悪いんで、そんなミステリアスな雰囲気を楽しめばいい映画なんでしょうね。アメリカ資本が入り、英語圏の役者をそろえたせいか、登場人物が英語を話すのが気になった。
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