『鉄くず拾いの物語』 暖かな夜
An Episode in the Life of an Iron Picker(film review)
映画はいろんな見方、楽しみ方ができるけど、そのひとつに生涯訪れることのないような地域に生きる人たちの生に触れられることがある。『鉄くず拾いの物語(英題:An Episode in the Life of an Iron Picker)』はボスニア・ヘルツェゴビナのロマの山村が舞台になっている。この映画は実際にあった出来事を映画化したもので、そのうえ演じているのが体験した本人たちときている。ドキュ・ドラマという言い方があるけれど、それに近い作品だ。
ボスニア・ヘルツェゴビナ中央部、山間にあるロマの村。ナジフとセナダの夫婦には2人の子供がいて、ナジフは鉄くず拾いでその日その日の生計を立てている。冬のロマの村は雪が積もり、車の窓が凍りつく寒さ。ナジフは近くの森へ行って木を切り、暖房のための薪を割る。セナダは小麦粉を練り、チーズをまぜてパイを焼く。貧しいけれど穏やかな一家の生活を手持ちカメラが追いかける。
ある日、身ごもっていたセナダが死産し、すぐに手術しないと母親の生命も危ないと告げられる。が、保険に入っていない一家には6万円の手術代が払えない。追い打ちをかけるように車が壊れ、電気代が払えず電気を切られてしまう。ナジフは壊れた車をスクラップにして売り、くず鉄を拾って手術代をかせごうとする。
映画ではボスニア語とロマ語が話されていることから、ボスニア語を話すボシュニャク(ムスリム)人地域の物語であることがわかる。ロマはボシュニャク人地域の少数民族としてこの国で暮らしている。人口は他の少数民族と合わせて国の全人口の2%ほど(wikipedia)。
ナジフは「戦争に行ったけど、何の恩給ももらえなかった」と言う。ナジフの言う戦争とはボスニア・ヘルツェゴビナ紛争のことだろう。ボスニア・ヘルツェゴビナには主にボシュニャク人、クロアチア人、セルビア人が混住していた。ユーゴスラビア崩壊後、各民族が独立を求めて武装し、ボスニア・ヘルツェゴビナは1990年代に長期の内戦に突入した。少数民族であるロマのナジフはおそらくボシュニャク人の軍隊に駆りだされ、兵士として戦ったあげくなんの報酬もなく放り出されたのだろう。
そういえば先日、大島渚の『忘れられた皇軍』がテレビ放映された。大日本帝国の兵士として徴集され負傷した在日韓国人(当時は「日本人」)が戦後、補償を求めたが日本政府も韓国政府も応じようとしなかった。国家が異分子と考える者に対する無慈悲なふるまいはどこも変わらない。
『鉄くず拾いの物語』はドキュメンタリーでなくフィクションとしてつくられている。純然たるフィクションなら次から次へ悲劇が一家を襲うんだろうけど、あくまで実際の出来事を当事者が演じているわけだから「映画みたいに」展開するわけではない。ロマ差別や貧困について社会派的な視点から批判するわけでもない。
セナダは妹の保険を借り、妹の名を名乗ってなんとか手術を受けることができた。切られてしまった電気も元に戻って、子供たちはテレビを楽しめるようになった。セナダは痛みもなく、容態は落ち着いている。ナジフは森に薪を切りにいく。少なくとも今夜ひと晩、一家は暖かく、幸せな夜を過ごせるだろう。
映画を見終わって、社会主義政権下のソ連で収容所(ラーゲリ)の実態をはじめて小説にしたソルジェニツィン『イワン・デニソヴィッチの一日』の最後の一文を思い出した。極寒の収容所で厳しい労働の一日を過ごした主人公は、寝る前にこう思う。「今日は、いろんなことがうまくいった。営倉には入れられなかったし、…昼めしの雑炊を一杯チョロまかしたし、班長は有利なノルマ査定を決めてきたし、…晩方シーザーのおこぼれにあずかったし…。一日が過ぎ去った。どこといって陰気なところのない、ほとんど幸せな一日が」。
想像を絶する厳しい収容所の一日を「ほとんど幸せな」という文章で締めくくるソルジェニツィンの思いは深い。同様に、今夜は暖かく幸せな夜を過ごせるだろうと観客に感じさせて終わるこの映画の余韻も深い。今夜は暖かくても、明日は、明後日はどうなるのか。見る者にそのことを想像させる。セナダを救うためナジフが村とサラエボを車で往復する道路脇には、2人を脅かすものを象徴するように、白い煙を上げる巨大な原子力発電所がそびえている。
監督はボスニア・ヘルツェゴビナ生まれのダニス・タノヴィッチ。新聞でこの夫婦のことを読み、200万円ほどの予算、10日間の撮影で完成させた。主演のナジフはベルリン映画祭で主演男優賞を受賞。定職と保険証も手に入れたそうだ。
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Comments
心があったかくなるような話でしたね。
何よりもこのご家族の人柄が産んだ物語だったと思いました。
Posted by: rose_chocolat | February 15, 2014 10:21 PM
この一家が実に自然に(しかもドキュメンタリーでなく劇映画として)存在しているのにびっくりでした。ご亭主も奥さんも、どんな逆境にあっても穏やかな目をしているのが印象的でした。
Posted by: 雄 | February 16, 2014 07:15 PM