『もらとりあむタマ子』 何も起こらない映画
これほど何も起こらない映画もめずらしいなあ。季節は秋から翌年の夏まで一年間のお話だけど、冒頭とラストで主人公の身の上には何の変化もない。タマ子(前田敦子)は大学を出たけれど就職に失敗したらしく、実家に戻ってぶらぶらしてる。ただそれだけ。もちろん日常の小さな出来事はそれなりにあるけど、起承転結のはっきりした物語になるわけでなく、すべてが断片。
逆に言えば、僕たちの日常とはそういうものであり、そのようなものとしての日常を淡々と描いたのがこの映画と言っていいんだろう。山下敦弘監督の初期作品は『どんてん生活』にせよ『バカのはこ船』にせよほとんど何も起こらない映画だったけど、『マイ・バックページ』や『苦役列車』といったメジャーな作品で苦闘した後で、もう一度、若い頃につくった映画のテイストを確認するみたいに、ゆる~く、じわっとおかしみの滲みでる映画をつくった。
甲府で父(康すおん)の営むスポーツ用品店での2人暮らし。炊事も掃除も洗濯も、みんな父がやる。父がタマ子の下着を干している。タマ子は店が開いてから起きだし、食卓で残りもののロールキャベツにかぶりつく。マンガ(山下が映画化した『天然コケッコー』)を読みながらプリンを食べ、またごろ寝。テレビをつけニュースを見ながら、「だめだな、日本は」。このあたりの導入部でもう山下節全開。父が「だめなのは日本じゃなくお前だ」とたしなめても、ぶすっと無言。父が「いつになったら就職、動き始めるんだ?」と聞いても、「少なくとも、今ではない」。
父と娘の、ぎくしゃくした会話。どの家でも多かれ少なかれ同じような光景があるだろう(僕にも経験がある)。無表情で、ときどき父に突っかかり、でも安心しきって実家にどっぷり居ついているタマ子を演ずる前田敦子は、どこにでもいそうな女の子。演技でもあり素でもありそうな。この映画の撮影がちょうどAKB48を抜けた時期に重なっていたことも、本人と役を重ねやすかったかもしれない。
秋・冬・春・夏と季節ごとにクレジットが入りながら、少しずつ出来事は起きる。タマ子は中学生の仁(伊東清矢)を手なずけ、姉貴分のようにふるまう(仁はガールフレンドに「あの人、友だちいないんだよ」)。父が独り身の曜子(富田靖子)を紹介されつきあっていると聞いて、彼女のアクセサリー教室をのぞきにいく(娘は父に、「あの人、いい人だね」)。このあたりは、娘が父の結婚を気遣うという小津安二郎映画の逆バージョン。父はタマ子の部屋を掃除していて、くしゃくしゃに丸められた履歴書と、オーディション雑誌を見つける。
すこしずつ、タマ子は動きはじめているらしい。でも父の結婚話も、タマ子の就職も、実際には何も起きないまま映画はすとんと終わる。なにもしない時間がどんなに贅沢で大切なものか。そんな時間の愛おしさ。社会から束の間はみだしていることから生まれる(観客の視点から言えば)おかしみ。この映画から受けとるのは、そういうことだ。それがわかってくると、ぶすっと無表情な前田敦子がかわいく見えてくる。この映画は何も起こらないというより、起こってはいけないんだと思えてくる。
実際にある店を使ってロケした街角の「甲府スポーツ」やご近所の、どこにでもありそうな風景が心に染みる。
山下敦弘監督、こんなマイナーな映画とメジャーな映画を行き来してどんどん作品をつくってほしい。


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