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December 31, 2013

映画 私的ベスト10・2013

The_counselor
My favorite films 2013

今年もベスト10を選ぶほどたくさんの映画を見てるわけじゃないけど備忘録として、そして楽しみとして、今年見た映画から私的ベスト10を選んでみました。洋画邦画ごちゃまぜです。

1 悪の法則
2 嘆きのピエタ
3 ペーパーボーイ 真夏の引力
4 愛・アムール
5 東ベルリンから来た女
6 そして父になる
7 セデック・バレ
8 恋の渦
9 もらとりあむタマ子
10 燃えよ! じじいドラゴン 龍虎激闘

1 ハリウッドの映画作法を無視した作家コーマック・マッカーシーの脚本は、まるでシェークスピア劇のよう。それをリドリー・スコットは砂漠の乾いた風景の中で金とセックスと暴力まみの生と死をめぐる問答に仕立てあげた。キャメロン・ディアスの「私、腹ペコ」という台詞ですとんと終わるまで、目を離せない。リドリー久々の快作。

2 キム・ギドクの映画はいつも身を刺す身体感覚と過剰すぎる思いとに支配されている。闇金融の男の前に母と名乗って現れた女は本当の母なのか。ソウルの取り残されたような路地で展開される愛と復讐の劇。いっとき映画を撮れなかったスランプを乗り越えてギドク節全開。

3 熱と湿気でむんむんするフロリダの田舎町と森を舞台にしたプアホワイトたちの犯罪。それに青春物語のほろ苦さが加わって、今年いちばんの驚きだった。アフリカ系のリー・ダニエルズ監督は南部の黒人差別にも目配りする。ニコール・キッドマンのビッチぶりが魅力的。

4 パリのアパルトマンで暮らす老夫婦の尊厳死をめぐるストーリー。不意打ちのように挟みこまれるミステリアスな映像が緊張感をいよいよ高める。ミヒャエル・ハネケ監督はヒューマニズムとは無縁の場所から老夫婦の行く末を見つめている。「アムール」という題は多義的だ。

5 主人公は社会主義国家時代に東ベルリンから海岸町に左遷され監視されている女性医師。病院での小さな出来事と日常生活から滲みでてくる不安と緊張が、細やかに丹念に描写される。風景の微妙な光の具合、かすかな音に対する感受性、抑制のきいた画面が素晴らしい。

6 是枝裕和監督らしいヒューマンな眼差しにみちた映画。鼻持ちならないエリート福山雅治が見せる変貌、社会の階層ピラミッドから降りたリリー・フランキー、心情が揺れに揺れる尾野真千子、肝っ玉かあさんの真木ようこ、そして2人の子供たち。役者がみんないい。正統派の映画づくりも素敵だ。

7 日本統治下の台湾で先住民セデック族が蜂起した「霧社事件」をテーマにした2部作。膝を屈して生きてきた彼らがなぜ立ち上がったかを、植民者を声高に非難するわけでなく説得的に描き出す。日本化した先住民や、彼らに心を寄せる日本人といった複眼的な視点、そして彼らの神話で一本筋を通し、台湾映画の成熟を感じさせる。

8 好きな映画じゃないんだけど、面白い。エグいコメディ。豹柄の服を着たフリーターや風俗嬢やアルバイト店員といった20代の男女9人が欲望まるだしにくっついたり離れたりの恋のバトル。これって自分のことだよなと共感させつつ辛らつでもある、そのバランスが絶妙。大根仁監督がわずか4日間で撮りあげた。

9 事件も出来事も起こらない映画。大学を出たけれど就職に失敗した前田敦子が父親のスポーツ用品店に戻って、朝寝して食って昼寝してマンガ読んでまた食ってでれでれ日を送る。最大の変化は、朝、父親が開けていた店を最後に前田敦子が開けるようになるくらいか。そんな時間からユーモアといとおしさが流れ出る。

10 足元もおぼつかない70年代クンフー映画の老スターが、戦いとなると一転鮮やかな突き蹴りにオオッとなる。かつてのクンフー映画へのオマージュであると同時に、それを現在へとつなげようとする姿勢。全盛期の香港映画を思い出させる臆面もないギャグとセンチメンタリズムとヒロイズムも楽しい。

ほかにリストアップしたのは『ゼロ・グラビティ』『イノセント・ガーデン』『ビル・カニンガム&ニューヨーク』『ホーリー・モーターズ』『ジャンゴ 繫がれざる者』『サイド・エフェクト』『奪命金』『楽園からの旅人』といったところ。

皆さん、よいお年を。

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December 30, 2013

今年見た映画から

Stoker
about some films this year

今年、それなりに面白く見たのにいろんな事情でブログに書けなかった映画がある。それらの映画について短くメモしておこう。

『イノセント・ガーデン』

韓国のパク・チャヌク監督が故リドリー&トニー・スコット兄弟のプロダクションに招かれハリウッドで撮ったサスペンス。最初脅えていた少女が自らの殺人者としての本能に目覚める変貌を、いかにもパク・チャヌクらしく見せる。冒頭で少女が足裏のマメをつぶすショットから、パク監督らしい肉体への痛覚が全開。もっとも韓国で撮った作品のような過剰さを抑えたせいか、ハリウッドらしいウェルメイドな映画になった。コンビを組む撮影監督チョン・ジョンフンがナッシュビルで撮影した南部の邸宅や風景が美しい。

42

『42 世界を変えた男』

初の黒人大リーガー、ジャッキー・ロビンソンの伝記映画。ハリウッド屈指の脚本家、ブライアン・ヘルゲランドの監督作品。ノワールやホラーが得意な脚本家にして意外(?)な、ど真ん中のストレート。黒人蔑視のなかで目には目、歯には歯でなく黙ってプレーすることで周囲に認めさせた男の誇りをテーマにした。もっともヘルゲランドの仕事からはいつも鋭い社会批判の目を感ずるから、当然といえば当然か。半世紀以上前のブルックリンの野球場エベッツ・フィールドが見事に再現されている。

Trance

『トランス』

強奪した絵画の隠し場所の記憶を失った男が、記憶を取り戻すために仕掛けられる罠。その罠を仕掛けたのは誰なのか。本当の記憶とつくられた記憶、現実と幻想が入り乱れて二転三転。ダニー・ボイル監督らしいスピード感。ノワールなロンドンの街が素敵だった。

Spring_breakers

『スプリング・ブレイカーズ』

女子大生4人が春休み(スプリング・ブレイク)にフロリダに遊びにいくお話。資金稼ぎにダイナーで覆面強盗し、パーティーでは男とドラッグにまみれ、ギャングの仲間になって遊びまくる。「春休みの現実逃避」から1人脱落し2人脱落し、最後は金髪2人組が覆面でマシンガンを手に殺しまでやる。むろんリアリズムじゃなく映像もグラインドハウスふうお遊びなんだけど、それをわかった上でなお後味がよくない。監督の視線そのものに覚めた目ではなく陶酔が感じられる。映画を倫理的に云々する趣味はないけど、この映画に感情移入し共感する観客がたくさんいるんだろうか。

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『許されざる者』

クリント・イーストウッド監督の西部劇の名品を、維新後の北海道に置きかえてリメーク。イーストウッド版は老ガンマン個人の話だったけど、李相日版は渡辺謙の殺しの背後に旧幕軍の新政府への恨み、アイヌの和人への恨みを背負わせた。そのことで物語に奥行きは出たけれど、旧幕軍の武士同士が殺しあったり設定に無理が出る。面白いエンタテインメントだけど納得しがたい部分も残った。

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『さよなら渓谷』

吉田修一の原作は読んでいるから、主人公たちの過去、ストーリーのキモになる部分はわかっている。その上で、なお楽しめるかどうか。不幸にならなければ結びつけない男と女の道行きが、奥多摩の夏の風景のなかで物語られる。映画は原作に忠実。真木よう子と大西信満もよかった。ただ見終わって、原作を読んだ後の深淵をのぞいたような感情は訪れなかった。

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『藁の盾』

「10億円でこの男を殺してください」という導入部から高速道路、新幹線あたりまでは興奮させるけど、その後、急速に話のスケールが小さくなり、失速してしまう。カンヌのコンペティションに選ばれたので期待したんだけど、ここしばらく、日本の刑事物で面白い映画に当たったためしがない。


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December 28, 2013

『名探偵ゴッド・アイ』 ノワールなラブコメ

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Blind Detective(film review)

『ゴッド・アイ(原題:盲探)』がコメディだとは思わなかった。しかもラブコメとは。ジョニー・トーの新作という以外の情報がないまま映画館に行ったんだけど、「盲探」という原題からして『マッド・ディテクティブ(原題:神探)』系列のシュールなハードボイルドかと思っていた。ところが映画は始まると、なんかおかしい。

アンディ・ラウが白杖を突いて香港の雑踏を歩いてくる。鼻をくんくんさせながら男を追う。2枚目らしくない仕草。元警官で失明して退職し、盲目の探偵として金を稼いでいるらしい。女性警官のサミー・チェンがそのアンディを追う。ビルの屋上から劇薬を撒こうとした男ともみあいになり薬剤をふりかけられたアンディは、「イケメンが台無しになる」(だったか)。

サミーから個人的に人探しを引きうけ、彼女の自宅に泊まったアンディが朝、尿意を催して起きる。トイレを探して手探りでうろうろしバスルームにたどりつくと、サミーがバスに入っている。アンディはトイレどこ? と身をよじり、裸のサミーもアンディが本当の盲目かどうか疑って身をよじる。ラブコメの定番みたいなシーン。ともかくアンディはよく食べる。伊勢海老のソテーからモツ煮込みまで、やたら食べる場面が出てくる。それが実に旨そうで、しかも食べる音が強調されてる。食べるシーンが深刻になるはずはない。

失明前にダンススタジオで見た女性に一目惚れのアンディはサミーをブスだと思い込んでいて、「ブスと付きあうと笑われるからいやだ」と取り合わない(元相棒の警官は「どうせお前は見えないじゃないか」)。サミーはどんどんアンディに惹かれていく。サミーは澄ましていると楚々とした美女だけど、ずっこけたり、見事なドロップキックを披露したりと体も張る。なかなかのコメディエンヌぶり。

ラブコメだから、最後にめでたしめでたしとなるのは型どおり。だからこれはジョニー・トーらしいディテールの笑いと遊びを楽しむ映画なんでしょうね。トー映画常連のラム・シューも顔を出してどたばたを披露。金槌をふりまわす血染めの殺人シーンや、路上のショット、犯人を捜して行く本土の人里離れた一軒家の風景なんか、トーらしいノワールな雰囲気がいい。

調べてみると、僕がまだジョニー・トーを知らなかった1990年代にアンディとサミー主演で2本ほどラブコメをつくってるんですね。トーの監督ではないけど『インファナル・アフェア』でも夫婦役で出ていた。だから2人は香港映画全盛時代の名コンビなんだ。香港の人気歌手でもあるサミーは一時体調を崩して休養していたらしいから、これは久しぶりに復活した3人の映画(ポスターに10年ぶりとある)。香港の映画ファンは懐かしさに涙したかも。

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December 23, 2013

ティル・ブレナーを聞く

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Till Bronner live

今年のジャズの聞きおさめはティル・ブレナーのライブ(~12月24日、表参道・ブルーノート東京)。

ティル・ブレナーといえば、10年ほど前に出たアルバム『ブルー・アイド・ソウル』をいっときよく聞いた。サンプリングやターンテーブルを駆使した現代的ジャズ。マイルスみたいなミュート・トランペットもフリューゲルホーンも実に澄んだ音がして、それが今ふうなバックにはまってストリート感覚がとてもよかった。

今日はティルのトランペットとテナーサックスの2管にピアノ・トリオのクインテット。ピアノとベースは曲によってアコースティックとエレクトリックを弾きわける。

フリューゲルホーンを手に登場したティルはまず「ウィル・オブ・ネイチャー」、次にステージに置いたあったミュート・トランペットに持ちかえて『ブルー・アイド・ソウル』から「42nd & 6th」。口ずさみたくなるようなメロディのヒット曲だから、満員の客はもういい気分になってる。「クリスマス・ソング」をはさんで『ブルー・アイド・ソウル』からメドレー。やはりこのアルバムの曲はいま聞いても新鮮だ。ティルとサックスが吹きまくるけれど、エネルギッシュというよりクール。粋な感じがするのはやはりヨーロッパ・ジャズ。

ティルはエレピを弾きながら歌も披露した。ブラジルの曲ではテナーがフルートに持ちかえていい感じ。アンコールを含めクリスマス曲を2曲やったせいもあって、興奮するというより心地よく酔った夜でした。

バックはマグナス・リンドグレン(ts、fl)、ヤスパー・ソファーズ(p)、クリスチャン・フォン・カプヘンクスト(b)、デヴィッド・ヘインズ(ds)。


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December 21, 2013

三つの写真展

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3 photo exhibitions

今日は写真展を三つ巡る。

まず「名取洋之助展」(~12月29日、日本橋高島屋)。写真家としての名取とプロデューサー・編集者としての名取、両方の仕事を展示する。彼の作品でいちばん好きなのは「アメリカ」。それがたっぷり展示されている。名取がつくった日本工房の仕事、折本写真帳「日本」の実物を初めて見たのが収穫。戦後の『週刊サン・ニュース』もほぼ全冊、展示されている。

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その日本工房が発行した対外宣伝グラフ誌『NIPPON』の写真からセレクトした「『日本工房』が見た日本 1930年代」展(~12月25日、半蔵門・JCIIフォトサロン)へ回る。土門拳らの作品。『NIPPON』は数年前に復刻され、ようやく全貌を見られるようになった。

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昭和の写真から、一転して若い写真家の作品に。「日本の新進作家vol.12 路上から世界を変えていく」展(~14年1月26日、恵比寿・東京都写真美術館)。大森克己、糸崎公朗、鍛冶谷直樹、林ナツミ、津田隆志。「路上」といえばかつてはスナップショットだったけど、いろんな手法で「路上」で作りこんだ写真。林ナツミの浮遊写真はウェブで評判になったことから個展、写真集に結びついた。それぞれに面白いとは思うんだけど、それ以上のものは受け取れなかった。好みが古風なんだろう。


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December 19, 2013

『ゼロ・グラビティ』 新しい体験

Gravity
Gravity(film review)

『ゼロ・グラビティ(原題:Gravity)』の新しさ、面白さは、それまで味わえなかった感覚を実感できるところにある。

宇宙空間に身を置くとは、どんな身体感覚なのか。無重力。無音。青い地球と漆黒の闇。そういうことは知識として知ってはいても、実際にそこに身を置くとどんな体感が得られるのか。過去に見たどんな映画よりも、この映画の疑似体験はリアルだった。サンドラ・ブロックと一体になって宇宙を彷徨う感覚を味わった。

アルフォンソ・キュアロン監督はNASAや現役の宇宙飛行士に話を聞いて、無重力空間での物体や体の動き、人の体勢などを研究したという。また宇宙船から見た地球の映像をつくるため、地上30キロの成層圏まで気球を上げて地球を撮影したという。そうした材料を基にVFXを駆使してつくりあげた無重力空間での人間の五感。それをつくりあげたのは監督の創造力であり、それに比べると3Dなどチャチな仕掛けに見えてしまう(IMAXでない3Dで観賞)。これ見よがしのVFXや3Dには惹かれないけど、こういう新しい体験をさせてくれるのが新しい技術の本来の使い方だろう。

宇宙ステーション「エクスプローラー」でキャプテンのマット(ジョージ・クルーニー)や宇宙初体験の医師ライアン(サンドラ・ブロック)が船外活動している。ロシアが自国の衛星を破壊し、軌道が交錯するエクスプローラーはその残骸に襲われる。ステーションは破壊され、死者も出る。マットとライアンは船内に戻り、帰還用宇宙船で地球へ戻ろうと試みる……。

話は単純。それがいい。ドンパチはないから、ライアンやマットが水中を泳ぐように動いたり、乗員とステーションを結ぶロープがヘビのようにくねくねと波打ったり、開いたパラシュートのロープに絡まった身体がヨーヨーみたいに振られたり、そんな無重力空間での出来事がたっぷりと描かれる。ヒューストンとの交信にカントリー・ミュージックがまじり、それが途絶えると無音の静寂。これがまたいい。地上と交信しようとすると、どう混線したのかエスキモー語(?)の男の声と犬の鳴き声が小さく聞こえてくる。その音が逆に地球から遠く離れた宇宙の孤独を際立たせる。そこにひとり取り残されたライアンの絶望。

男と女のシーンもちゃんと用意されている。ステーションとロープ一本でつながったライアンの先にまたロープ一本でつながったマットが、これでは2人とも死んでしまうと接続のフックをはずすシーンなんかは、宇宙のラヴシーンといったところ(2人は恋人同士ではないが、マットはライアンに「君は僕に惚れてただろ」)。宇宙服を脱ぐとタンクトップに短パンのサンドラ・ブロックは、この映画のために身体を鍛えたらしいけど、魅力的。

ところで原題は「ゼロ・グラビティ(無重力)」ではなく「グラビティ(重力)」である。この映画で重力のあるシーンはラスト数分のみ。帰還したライアンが海中から浮かび上がり、岸に泳ぎつく。浜にうつぶせたライアンは、手で砂をいとおしむようにゆっくりと掬ってみせる。かつて娘を失い、宇宙でマットを失ったライアンだが、やがて地球の重力に抗してすっくと立ち上がる。カメラはそんなライアンのたくましい脚を低いアングルから映す。

万有引力とは
ひき合う孤独の力である(谷川俊太郎「二十億光年の孤独」)

このシーンはいわばキュアロン監督の人間賛歌。だからこそ監督は「重力」というタイトルを選んだのだろう。でも僕にはヒューマンで重々しい「重力」のテーマより、新しい体験を味わえた「無重力」のほうが新鮮だった。この「無重力」感覚は十数年前にキュアロン監督が撮った佳作『天国の口、終わりの楽園。』のあてどない青春の空無感にも一脈通ずるものがあったと感じる。

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December 16, 2013

『マラヴィータ』 グッドフェローズ番外コメディ編

Malavitac
Malavita(film review)

『マラヴィータ(原題:Malavita)』はマーティン・スコセッシ(製作)、リュック・ベッソン(脚本・監督)、ロバート・デ・ニーロ(主演)3人のお遊び映画。スコセッシの『グッドフェローズ』がネタになったり、デ・ニーロの役に彼が過去に演じたマフィアやギャングのキャラクターが重なったり、彼らの映画に親しんだ人なら文句なく楽しい。

フレッド(ロバート・デ・ニーロ)は元マフィアのボス。ファミリーの犯罪を法廷で証言し、FBIの証人保護プログラムを受けて名前を変えフランスで家族と暮らしている。裏切られた大ボスはフレッド一家を探し出し殺害することを獄中から命じ、殺し屋を差し向ける。南仏の隠れ家をつきとめられたフレッド一家は、FBI捜査官スタンスフィールド(トミー・リー・ジョーンズ)の指示で名前を変えノルマンディーの田舎町へ移る。

と書けばサスペンスフルな犯罪映画みたいだけど、それにコミカルなタッチが加わる。フレッドはすぐ切れる暴力男で、肉屋がまずい肉を売ったというだけで殺してしまう。妻のマギー(ミシェル・ファイファー)もスーパーで陰口を叩かれると、商品のガスボンベを盗んで点火し、店を爆破する(フレッド曰く「君が移る先々でスーパーが爆発するのはどうしたわけだ」)。娘のベル(ディアナ・アグロン)は、転校した高校でちょっかいを出した男子生徒をたたきのめし股間に蹴りを入れる。息子のウォレン(ジョン・デォレオ)は頭脳派で、生徒の勢力関係をすばやく掴んで巧みに立ち回る。

作家を装う善良そうなフレッドがいきなり暴力的になったり(現役マフィアの回想シーンでは昔のような凄みを見せる)、美女のマギーが何食わぬ顔で爆発をしかけたり、デ・ニーロやファイファーが過去の映画で演じた役柄を踏襲したり逆手に取ったりして笑わせる。

もうひとつのコミカルな要素はアメリカ人とフランス人の互いの偏見とカルチャー・ギャップ。田舎のフランス人はアメリカから来たよそ者一家に「アメリカ人は教養ないし味覚音痴」と聞こえよがしの陰口をきく。一方、フレッド一家は住民を招待するパーティーを準備しながら「ほんとはみんなハンバーガーやバーベキュー食ってコーラ飲みたいんだよ」なんて言ってる。フランスvsアメリカの定番のジョークだけど。そういえば昔、『フレンチ・コネクション』でジーン・ハックマンのポパイ刑事が「ハンバーガー食いたい」って叫びながらパリの町を走ってたっけ。

フレッドが住民からアメリカ映画についての講演を頼まれると、手違いで上映されるのがスコセッシ監督、デ・ニーロ主演の『グッドフェローズ』。ブルックリンのイタリア系少年3人がマフィアにあこがれ、その一員になっていくお話だった。『マラヴィータ』のフレッドもブルックリンのイタリア系マフィアという設定。フレッドのデ・ニーロが『グッドフェローズ』に出てくる少年について語り始めるのだが、それはつまり自分たちを語っていることになる。

確か『グッドフェローズ』では3人が仲間割れし、家庭を持った1人が相棒(デ・ニーロ)を売って証人保護プログラムを受けるという結末だったはず。だから『マラヴィータ』でデ・ニーロの命を狙う獄中の大ボスは『グッドフェローズ』ならデ・ニーロの役どころ。この映画、『グッドフェローズ番外コメディー編』みたいなお話なのだ。

『グッドフェローズ』は実際にブルックリンのダンボ地区でロケされた。ブルックリン橋とマンハッタン橋の間に広がる元工場・倉庫地帯。『グッドフェローズ』の時代には寂れていたが、その後、工場や倉庫の建物が高級コンドミニアムとして再開発され、今ではおしゃれな場所になっている。『マラヴィータ』もブルックリンの特徴的な高架下風景が登場するし、ダンボでも撮影されたらしくマンハッタン橋がちらと見えるショットがある。スコセッシ、デ・ニーロ、ベッソンが楽しみながら映画をつくっている様が目に浮かぶ。そのお遊びを楽しむ映画でした。

ごひいきミシェル・ファイファーが相変わらずきれいなのも嬉しい。


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December 15, 2013

チョコベリー・ジャム失敗の巻

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failing to make red chocobelly jam

アロニア・アルブティフォリアの実が1キロ収穫できた。別名レッド・チョコベリー。ウェブで調べるとジャムになるという。でも作り方がわからない。

仕方ないので半分だけ、春につくった青梅ジャムのやり方でやってみることにした。まず水にさらして渋を抜く。1日ではだめ。もう1日水につけておいたけれど抜けない。

ある人が砂糖をまぶして漬けておくといいというので、そうしてみたけどやはり渋みが残る。

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ダメモトで中火で煮込んでみたけれど、やはり渋みがあって食べられたものではない。失敗。

さて、どうしたら渋が抜けるのか。渋のある実をどう食べられるようにするかは、人間が長い年月をかけて試行錯誤してきたこと。残った半分は渋柿を干柿にするように、天日干ししてみることにした。さて、結果はどうなるだろう?


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December 07, 2013

嶋津健一Wベース・トリオ

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Shimazu Ken'ichi Double Double Bass Session

国会前で秘密保護法採決に反対する集会に参加した後、地下鉄にひと駅乗って、赤坂で嶋津健一のダブル・ベース・トリオを聞く(12月6日、赤坂・リラクシン)。ベースは正式にはダブル・ベースと言うから、きちんと書くと「ダブル・ダブル・ベース・セッション」。

嶋津のピアノに、加藤真一(右端)、鈴木ひろゆきの2台のベース。ふつうのピアノ・トリオだとピアノが主役になってテーマを演奏し、アドリブに入っていくことが多い。このWベース・トリオはそれだけでなく、ひんぱんにベースがテーマを弾き、ピアノがバックに回る。2台のベース同士の役割は、一方がテーマを弾いて一方がリズムを刻んだり、一方が弓弾きすると一方が指で弾いたり。鈴木は弓弾きが得意みたいで、いい音が出る。嶋津と長年組んでいる加藤のリズミックな音はいつもながら素晴らしい。

曲はビル・エバンスやベニー・ゴルソンの名曲、嶋津と加藤のオリジナル、アントニオ・カルロス・ジョビン、映画音楽「ニュー・シネマ・パラダイス」などなど。3拍子のワルツはジャズ・ワルツでなく、クラシックのワルツに近くなったり、いわゆるジャズにこだわらない。すべての曲に共通するのは嶋津の美意識。


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12月6日夜、国会前

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a meeting against specified secrets protection bill

特定秘密保護法が成立した夜、国会前にいた。たくさんの人々が「強行採決するな」「廃案にしろ」と声を上げていた。

法案は成立してしまったけれど、国会をこれだけの人が取りまいて声を上げていたことは記憶しておこう。今の国会議員を選んだのは私たち自身だけど、私たちは別に国会や政府に全権を委任したわけではない。おかしなことがあれば異議を申し立てる、そのルートが国会だけでなくたくさんあることが民主主義の基本だろう。福島原発の事故以来、普通の市民が街頭に出て声を上げることが定着した。私も学生時代以来、数十年ぶりに街頭に出るようになった。

誰だったかが戦後日本のいいところを二つ上げていて、うん、そうだなと思った。
「戦争をせず、一人の自国民も他国民も殺していないこと」
「自由にものが言える社会であること」
もうひとつつけ加えるなら、
「貧富の差が少ない社会をつくったこと」

いろんな欠陥はあるにしても、この三つは誇っていいし守る価値のあることだと思う。でも三つとも、それを享受している間はそのことの価値に気づかない。失いかけて、初めてそのありがたさに気づく。格差が広がり、秘密保護法が成立し、集団的自衛権の解釈改憲が日程に上る。今はそのありがたさを失いかけている時代だ。

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December 06, 2013

『もらとりあむタマ子』 何も起こらない映画

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Moratrium Tamako(film review)

これほど何も起こらない映画もめずらしいなあ。季節は秋から翌年の夏まで一年間のお話だけど、冒頭とラストで主人公の身の上には何の変化もない。タマ子(前田敦子)は大学を出たけれど就職に失敗したらしく、実家に戻ってぶらぶらしてる。ただそれだけ。もちろん日常の小さな出来事はそれなりにあるけど、起承転結のはっきりした物語になるわけでなく、すべてが断片。

逆に言えば、僕たちの日常とはそういうものであり、そのようなものとしての日常を淡々と描いたのがこの映画と言っていいんだろう。山下敦弘監督の初期作品は『どんてん生活』にせよ『バカのはこ船』にせよほとんど何も起こらない映画だったけど、『マイ・バックページ』や『苦役列車』といったメジャーな作品で苦闘した後で、もう一度、若い頃につくった映画のテイストを確認するみたいに、ゆる~く、じわっとおかしみの滲みでる映画をつくった。

甲府で父(康すおん)の営むスポーツ用品店での2人暮らし。炊事も掃除も洗濯も、みんな父がやる。父がタマ子の下着を干している。タマ子は店が開いてから起きだし、食卓で残りもののロールキャベツにかぶりつく。マンガ(山下が映画化した『天然コケッコー』)を読みながらプリンを食べ、またごろ寝。テレビをつけニュースを見ながら、「だめだな、日本は」。このあたりの導入部でもう山下節全開。父が「だめなのは日本じゃなくお前だ」とたしなめても、ぶすっと無言。父が「いつになったら就職、動き始めるんだ?」と聞いても、「少なくとも、今ではない」。

父と娘の、ぎくしゃくした会話。どの家でも多かれ少なかれ同じような光景があるだろう(僕にも経験がある)。無表情で、ときどき父に突っかかり、でも安心しきって実家にどっぷり居ついているタマ子を演ずる前田敦子は、どこにでもいそうな女の子。演技でもあり素でもありそうな。この映画の撮影がちょうどAKB48を抜けた時期に重なっていたことも、本人と役を重ねやすかったかもしれない。

秋・冬・春・夏と季節ごとにクレジットが入りながら、少しずつ出来事は起きる。タマ子は中学生の仁(伊東清矢)を手なずけ、姉貴分のようにふるまう(仁はガールフレンドに「あの人、友だちいないんだよ」)。父が独り身の曜子(富田靖子)を紹介されつきあっていると聞いて、彼女のアクセサリー教室をのぞきにいく(娘は父に、「あの人、いい人だね」)。このあたりは、娘が父の結婚を気遣うという小津安二郎映画の逆バージョン。父はタマ子の部屋を掃除していて、くしゃくしゃに丸められた履歴書と、オーディション雑誌を見つける。

すこしずつ、タマ子は動きはじめているらしい。でも父の結婚話も、タマ子の就職も、実際には何も起きないまま映画はすとんと終わる。なにもしない時間がどんなに贅沢で大切なものか。そんな時間の愛おしさ。社会から束の間はみだしていることから生まれる(観客の視点から言えば)おかしみ。この映画から受けとるのは、そういうことだ。それがわかってくると、ぶすっと無表情な前田敦子がかわいく見えてくる。この映画は何も起こらないというより、起こってはいけないんだと思えてくる。

実際にある店を使ってロケした街角の「甲府スポーツ」やご近所の、どこにでもありそうな風景が心に染みる。

山下敦弘監督、こんなマイナーな映画とメジャーな映画を行き来してどんどん作品をつくってほしい。

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December 04, 2013

国会裏で「テロ行為」!

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a meeting against specified secrets protection bill

今日は国会裏の参議院議員会館前で、特定秘密保護法に反対するテロ行為に参加してきました。ここでは12月2日から毎日、朝昼晩と座り込み、抗議アピール、集会などのテロ行為が絶えずつづけられています。参議院での強行採決が囁かれ、それを心配する市民が集まっては散っていきます。

マイクをにぎってテロ行為を扇動するのは、モヒカンのお兄さん。どうやらラッパーらしく、実にリズミカルにテロを連発するのに感心しましたよ。私も精一杯大声をあげてテロを実行してきました。

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December 01, 2013

山下洋輔NYトリオ結成25年コンサート

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Yamashita Yosuke NY trio concert

山下洋輔がセシル・マクビー(b)、フェローン・アクラフ(ds)と組んだニューヨーク・トリオは今年で結成25年になる。その記念コンサートに行ってきた(11月30日、渋谷区文化総合センター)。

ニューヨーク・トリオの最初のアルバム「クレッシェンド」を聞いたときは、それまでフリージャズ一辺倒だった山下洋輔が古典的なピアノ・トリオで「A列車で行こう」なんかのスタンダードを演奏しているのが新鮮だった。ガーシュインの曲をやった次のアルバム「プレイズ・ガーシュイン」は今も愛聴盤のひとつ。

3人が舞台に登場する。78歳になるセシル・マクビーは3年前より足腰が弱ったかな。でも音は変わらない。今回は新しいアルバム「グランディオーソ」から。中村誠一や坂田明がいた頃の山下トリオはどんな曲をやっても最後には同じようなハチャメチャになる印象があったけど(それがよかった)、今はテーマやリズムの曲想をきちんと保持して、3人がたっぷりアドリブを聞かせ、バラエティーに富む。

「セブン・デイズ・キャッツ」はリズミカル。「ジェントル・カンヴァセーション」は美しいバラード。「ビハインド・レッド」は日本人好みのマイナーな曲(こんな山下は初めて聞いた気がする)。「フリー25」はかつての山下トリオを思い出させるフリー。「ダンシング・クラブ」はファンキーっぽい。「メヌエット13」は一転してバロックふうだし、「コンチェルト・イン・F」はガーシュインのピアノ協奏曲をトリオで演奏したもの。どんな曲でも山下洋輔の音楽になるのは一貫してる。アンコールの「マイ・フェイバリット・シングス」まで、たっぷり楽しませてもらった。

山下がMCで「25年、なんでもありの精神でやってきました」と言っていた。かつての山下トリオが聞く者の感情をぐりぐりと高揚させていく求心的なものだとしたら、今のニューヨーク・トリオは名人3人が新しいことをやりつつ聞き手を楽しませる術も知っている。それが25年の年月を刻ませたんだろう。セシル・マクビーはホワイト・ハウスでオバマの前で演奏する機会がありながらそれを断って来日したという。演奏する側にもそれだけの魅力があるトリオなんだ。

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