『地獄でなぜ悪い』 アクション×コメディ=?
Why Don't You Play in Hell?(film review)
園子温監督がどんな映画をつくりたかったかは、とてもよく分かる。思いきり笑えて、アクションが堪能でき、その果てに映画への愛に涙する。僕も頭のなかで、その映画を思い浮かべることができる。でも実際に出来上がった映画は、このところの園監督の作品がどれもそうであるように、面白いんだけどどこか出来損ない感がつきまとう。正直、途中でちょっと眠くなった。傑作『冷たい熱帯魚』と比べてしまうのがいけないのか。
『地獄でなぜ悪い』は二つの集団が映画をつくろうとするお話。ひとつ目の集団は、アクション映画大好きの映画少年たち。監督になりたい平田(長谷川博己)を中心に、カメラ志望の男の子と女の子、ブルース・リーみたいなアクション・スターを夢見る男の子の4人が自主映画製作集団「ファック・ボンバーズ」をつくっている。平田は「いつか永遠に残る1本の映画をつくる」と言いつづけているが、みなそろそろ30代になろうとしている。この設定、園監督の青春の記憶でもあるんだろうな。
もうひとつの映画をつくろうとしているのは、やくざ。やくざの組長・武藤(國村隼)が獄中の妻・しずえ(友近)の出所祝いに娘のミツコ(二階堂ふみ)を主演に映画をつくっている。しずえの夢は娘をスターにすることだが、対立する組の池上(堤真一)たちが殴りこみをかけてきたとき、池上の子分を殺してしまった罪で獄中にいるのだ。ところが、撮影現場から主演のミツコが逃げ出してしまう。
いろんなどたばたの末に二つの集団が出会い、「ファック・ボンバーズ」が、武藤の組が池上の組に殴りこむ現場をそのまま実録で映画に撮ることになる。
ラストの殴りこみは深作欣二の映画さながら迫力満点(冒頭、『仁義なき戦い』のテーマが流れたり、警察署が「深作警察」だったり)。國村隼は(おかしさも含めて)はまり役だし、堤真一も着流しの殺陣が決まってる。二階堂ふみはタランティーノ『キル・ビル』ふうに頑張る。國村隼の首も宙を飛ぶ。園映画らしく、血の海のなかで「ファック・ボンバーズ」の面々もカメラを回しながら死んでゆく。
ただ、そこに行くまでがしんどい。二階堂ふみの臨時の恋人として星野源が登場し、彼が二つの集団をつなぐんだけど、この準主役級の人物の役割がはっきりしないため物語が停滞し、まだるっこしい。あるいは星野源ありきで役をつくったのか。どうせリアリズムじゃないんだから二階堂と長谷川を恋人同士にするとか、テンポよく処理してほしかった。
それだけじゃなく、笑いがいまひとつ決まらない。堤真一は、床の間の絵の後ろに惚れた二階堂ふみの大きな写真を密かに貼っている。それがばれて、やくざの親分らしい表情が一転、でれでれになる。そんな笑いが、びしっと決まらない。ここで笑わせたいんだろうなと思うけど、気持ちよく笑えない。長谷川博己の熱狂的な映画青年も空回りした感じ。どうも園監督はコメディが得手じゃないみたいだな。
園子温監督の映画はよくも悪くも過剰さが命。それはこの映画でも変わらない。また次に期待しよう。
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