藤田嗣治の戦争画2点
battle-pieces of Fujita Tsuguji
藤田嗣治の戦争画が見たくて「戦争/美術 1940-1950」展に行ってきた(~10月14日、神奈川県立近代美術館葉山)。展示されているのは2点で、「ブキテマの夜戦」と「ソロモン海域に於ける米兵の末路」。第二次大戦中、藤田は画壇の戦争協力に積極的にかかわり、陸海軍に委嘱された「作戦記録画」を14点描いている。そのうちの2点。
7年前、国立近代美術館の「藤田嗣治展」で藤田の戦争画5点を見て、その異様な迫力にうたれた。ヨーロッパの歴史画や殉教者を鎮魂する宗教画を下敷きにそれを日本絵画として実現しようとする、パリから帰国した藤田の野心満々の試み。描かれた素材のイデオロギーを脇におけば、完成度は素晴らしく高いと思う。
洲之内徹はこれらの絵について「フジタ自身としても最高のもの」と言っている。特に、暗い画面のなかで敵も味方も分からない兵士たちが殺しあう「アッツ島玉砕」は、絵画を見て心をこんなに揺さぶられたのははじめての体験だった。それ以来、藤田の戦争画が気になっている。
「ブキテマの夜戦」はなぜか額がはずされ(戦争画は戦後、GHQが集めて米国へ運び、後に国立近代美術館に「無期限貸与」された)、傷ついたような姿で展示されている。ブキテマはシンガポールを目指す日本軍と抵抗する連合軍が激戦をくりひろげた高地。夜戦の後の戦場、林のなかに打ち捨てられた銃や弾薬箱や飯ごうや水筒が散乱している。兵士の死体はひとつも描かれない。画面を支配しているのは静寂。
高地の彼方には、朝の光が一条、リアリズムでいえば不自然に(こんな光があれば、あたりは明るくなっている)暗い空を切り裂くように赤く染まっている。シンガポール陥落は山下・パーシバル会見が有名な緒戦の勝ち戦だけど、藤田の絵のどこにも勝利の高揚はない。もし、この絵のどこに勝利の喜びがあるのかと問われたら、藤田は「この赤光こそそれだ」とやや強引に答えたかもしれない。
「ソロモン海域に於ける米兵の末路」は2×2.6メートルの大作。ソロモン海戦で沈没した米国艦船からボートに乗り移って漂流する瀕死の兵士たち。僕は絵画に詳しくないけど、むかし教科書で見たジェリコー「メデューズ号の筏」を彷彿させる絵だ。でもこの作品、見ていて微妙な違和感に襲われる。ボートに横たわる死にかけた兵士たちのなかで、ひとりの米兵がすっくと立っている。その姿や表情はきりりとして、うちひしがれた様子はない。負けたにもかかわらず、米国兵士としての誇りを失っていないように感じられる。
この作品、仮にアメリカ側で描かれた戦争画のなかに置かれても、負け戦のなかの「敗れざる者」としてすんなり収まってしまいそうだ。そんな画面を辛うじて「聖戦の大義」という文脈に押し込めているのが「末路」という絵の題名。この言葉によって、藤田は当時の日本人(と軍部)にこの絵は「米兵の末路」として見るんだと解釈を誘導している。軍もこの絵を受け入れたわけだから、パリ帰りの大家としての名声も有利に作用したかもしれない。
「ブキテマの夜戦」と「ソロモン海域に於ける米兵の末路」は、以前に見た5点の戦争画もそうだったけど戦意高揚を狙って企画した陸海軍の意図とはずれている。事実、当時も藤田の絵は戦意高揚に役立たないのではという意見もあった。今回この2点を見て感じたことをさらに飛躍させると、こんな想像もできるかもしれない。藤田は「聖戦の大義」など、これっぽっちも信じてはいなかった。ただ軍の後ろ盾と金(当時は画材の入手も困難だった)を利用して、後世に残る戦争画を描ければそれでよかった。
100年、200年たてば、ある限られた時代を支配する「大義」やイデオロギーはどうでもよくなって、ただ命をかけて戦う人間の生と死を描いた絵画だけが残る。藤田自身、「いい戦争画を後世に残してみたまへ。何億、何十億といふ人がこれを観るんだ。それだからこそ、我々としては尚更一所懸命に、真面目に仕事をしなけりやならないんだ」と言っている(新潮とんぼの本『画家たちの「戦争」』)。
ところで、「戦争/美術」展に藤田の戦争画が出品されていることを僕は朝日新聞の記事で知った。藤田の2点の戦争画は間違いなくこの展覧会の柱のひとつだけど、神奈川県近美がつくったチラシにもHPにもそのことは告知されてない。貸し出した国立近代美術館のHPにもなんの告知もない。こそっと貸し出している。
国立近美にはアメリカから無期限貸与された約150点の「作戦記録画」が収蔵されているけれど、全体が公開されたことはない。数点ずつ、「戦争」という言葉を使わず、目立たないよう小出しに公開している。どんな事情があるにせよ(昨今の中国・韓国との関係悪化のなかでその種の「配慮」はいよいよ強化されそうだが)、やはりきちんとした形で公開し、きちんと議論すべきだと思う。
藤田以外にも、松本俊介、山口蓬春、丸木位里・俊が心に残った展覧会だった。
会場は葉山の海を望む丘の上に建つ。展覧会を見た後、海をながめながらゆっくりお茶を飲めるのが快い。
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