3つの写真展巡り
このところ仕事とプライベートの用事が重なって落ち着かない日々がつづき、映画も見られず、本も読めず、ブログの更新もとどこりがちだったけど、1週間前、ようやく一段落ついた。今日は久しぶりに写真展めぐり。
まずは東中野のCafeポレポレ坐で本橋成一×萩原義弘「炭鉱から」展(~8月10日)。本橋のは太陽賞を受けたデビュー作品「炭鉱<ヤマ>」(1968)から。1960年代の九州の炭鉱。写真集では繰り返し見ていて、これはいかにも60年代の空気を感じさせる造本だった。現物を見るのは初めて。いかにも本橋らしい、体温の感じられるプリント。1点、炭鉱町の商店街を撮った写真が大きく伸ばされている(上の左の写真)。こういう商店街は炭鉱町だけのものではないから、写真のなかに入り込んで、この時代に戻ったような気分を味わった。
二世代若い萩原のは、1980年代の北海道夕張炭鉱。大学の卒業制作で、これまでほとんど展示したことはないそうだ。本橋のと20年の差があるけれど、炭鉱の労働と町の風景はほとんど変わらない。いちばんの差は、こちらの風景には雪があること(上の右の写真)。萩原はその後、雪と建物を非ドキュメンタリー的手法で撮った写真集『SNOWY』を出しているけど、このドキュメントにその萌芽が見えるのが面白い。なるほど、こういうところから次のテーマが出てくるのか。
東中野へ行くとたいてい寄る「十番」で昼食を取り(この店のことは前にも書いたけど、正しい町の中華屋)、新宿御苑前のPlace Mで大塚勉「タイベックスーツ」展(~8月11日)。
原発事故以来、TVなどでよく見かける白い防護服(タイベックスーツ)その他の福島の写真や、津波によって流された写真の複写なんかを素材にしている。印画紙を福島の沼に10日間沈めて変質させたり、銀を浮かして映画の「銀流し」のような効果を出したり、放射線を防ぐ鉛の薄板を印画紙にかぶせたり、目に見えない放射線被害を目に見えるものにする工夫がある。
今日はもうひとつ、恵比寿・東京都写真美術館の米田知子「暗なきところで遭えれば」展(~9月23日)。
こちらも、土地が秘めている記憶や歴史といった目に見えないものをどう目に見えるものにするかとの問題意識に貫かれている。きれいな景色や何の変哲もない町の風景が美しい大画面にプリントされている。作品リストと照合すると、それらの風景が、知覧の特攻隊の出撃基地跡だったり、伊藤博文暗殺現場のハルビン駅だったり、台湾のかつての日本人高官の家族の家だったり、サハリンの日本企業の工場跡だったりする。米田の視線は、戦争と植民地、それらをめぐる現在の日本に焦点が当てられている。
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