『楽園からの旅人』 吊り降ろされるキリスト
Il Villaggio di Cartone(film review)
『楽園からの旅人(原題:Il Villaggio di Cartone)』は、イタリアのある町の教会堂を舞台にしている。映画の冒頭から最後まで、カメラは教会の内にとどまり、その外に一歩も出ようとしない。教会堂の外の世界は、例えばパトカーのサイレン、車の騒音、ヘリコプターの羽音、窓を打つ雨滴といった音や映像で示されるのみ。それは実務的にいえばロケをすることなく、すべてセットで撮影されたということだろうけど、撮影費用を抑える(?)という制作事情によるだけでなく、内容的にそうする必然性があったのだと思う。
主人公は老司祭(マイケル・ロンズデール)で、彼が司祭を務める教会は今にも取り壊されようとしている。どんな事情があったのか説明されないが、司祭は納得していない。取り壊されようとしている聖堂の物理的空間が、カトリック教会への信頼を失いかけている司祭の精神のあり方(内的空間)と重なって見えてくる。そして映画は、聖堂という物理的空間(それは司祭の内的空間に重なる)に徹底的にこだわっている。
映画の冒頭で、聖堂という神聖な空間(=内的空間)に高所工事車両が侵入してくる。クレーンが伸び、聖堂の天井近くに据えられた磔刑のキリスト像に鈎がかけられ、ロープで吊るされる。荊の冠をかぶったキリストがくるくる回りながら地上に降りてくる。『フェリーニのローマ』の冒頭はヘリコプターから吊るされたキリスト像だったけれど、それに匹敵する印象的なショット。司祭は「神は黙したもうた」とつぶやく。「今は神さえ自分の義務を果たさない」とも。
壊されつつある聖堂に夜、警察に追われたアフリカ系の不法移民が逃げ込んでくる。イスラム教徒らしい。互いに顔を知らない、いくつかのグループ。怪我をした男がいる。出産間近の女がいる。子供もいる。身なりのきちんとした裕福そうな者もいれば、貧しい者もいる。爆弾を隠し持ったグループもいる。警察に内通する密告者もいる。
原題のIl Villaggio di Cartoneは「段ボールの村」ということらしい。不法移民たちが雨漏りする聖堂のなかで家族ごとに段ボールで仕切りをつくり、布を張って、何軒もの家のような空間をつくる。それがタイトルの「段ボールの村」に見える。キリスト教会のなかに非キリスト教徒がつくった異空間。
司祭は逃げ込んできたイスラム教徒を追い払うことをしない。ユダヤ人の医者を呼んで怪我人を診せる。密告者の導きで聖堂に入ってきた取締官を追い払う。法律やカトリック教会のルールに従うのでなく、それが誰であれ教会は迫害される者、傷ついた者、弱い者に開かれているという宗教家として原初の姿勢を取る。そんな司祭を、教会堂の管理人(ルトガー・ハウアー)が不安げに見つめる。
映画はそういったことをセリフで語らせるのでなく、吊り降ろされるキリスト像はじめ、ステンドグラスから漏れる雨、移民たちが洗礼盤を使ってその水漏れを受けるショット、聖堂内部の「段ボール村」のショット、音の出ないテレビに映っている海と難破船の残骸、といった映像で語ってみせる。その寡黙さに力がある。
82歳のエルマンノ・オルミ監督が、自ら最後の劇映画と言った『ポー川のひかり』の5年後につくった新作。なにがオルミ監督にこの映画をつくらせたのか、その答えは映画を見れば明らか。ヨーロッパ社会とキリスト教会への危機感と鋭い批判の背後に強烈な宗教的信念がある、と感じられた。
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