『ペーパーボーイ 真夏の引力』 過剰な風土
マイアミの市街地から西へ車で30分も走ると、エバーグレーズという湿地帯が始まる。僕はキーウェストへ行くためにその端をかすめた程度の経験しかないけれど、地図を見ると東西60キロ、南北100キロ近い広大な湿地帯で、ガラガラヘビやワニも生息している。
『ペーパーボーイ 真夏の引力(原題:The Paperboy)』の舞台はフロリダで、モート郡の田舎町と都市のマイアミと、この大湿地帯で物語が展開する。熱帯の沼と森の色と匂いと熱気が映画の背景になっているだけでなく核にまで食い込んでいて、この風土が犯罪を生んだのだと感じさせるところが青春映画であり犯罪映画でもあるこの作品の魅力だろう。
1969年、そこでうごめいているのはホワイト・トラッシュと呼ばれる貧しい白人たち。保安官を殺した死刑囚ヒラリー(ジョン・キューザック)は湿地帯の小屋に住み、ワニの皮をはいで暮らしていた男。一方、いかにも安手の制服を着たウェイトレスで、貧しいのでアフリカ系女性とアパートをシェアしているシャーロット(ニコール・キッドマン)は、獄中の囚人と文通するのが趣味。会ったこともないヒラリーを誘惑する手紙を書き、彼と婚約してしまう。
いつものオタクっぽい役柄でなく、知性のかけらもない暴力的な中年男を演ずるジョン・キューザックと、都会的洗練からほど遠い60年代ふう濃厚メークにミニスカートでビッチを演ずるニコール・キッドマンが、イメージを逆手に欲望むき出しの男と女になるのが面白いし、魅力的。
物語の主役は、田舎町で小さな新聞社を営む家の兄弟だ。大学を中退して新聞配達(ペーパーボーイ)をしている弟のジャック(ザック・エフロン)と、ヒラリーの冤罪の疑いを調べに町に帰ってくるマイアミ・タイムスの記者で兄のウォード(マシュー・マコノヒー)。ジャックは兄の調査の運転手を務めることでシャーロットに出会い、彼女に恋してしまう……。夏の雨に打たれてジャックとシャーロットがダンスするショットが印象的な。
映画にはいろんな要素が絡む。例えば人種。1969年のフロリダでは、南部に属する州としてアフリカ系への偏見は強かったはず。ジャックの家にはアフリカ系の家政婦で子持ちのアニタ(メイシー・グレイ)がいる。母に捨てられたジャックは女性恐怖症気味で、アニタに母親のような愛情を感じるようになる(ジャックが惚れるシャーロットも年上の女だ)。このアニタが映画の語り手になり、ひと夏の事件を回想する構造になっている。
マイアミからウォードと一緒に事件を調べにくる記者もアフリカ系のヤードリー(デヴィッド・オイエロウォ)。彼はロンドンから来たと自称しているが、後半、「そうとでも名乗らないと相手にしてくれない」と告白して、ジャーナリストとして出世する野心に燃えた地元の青年であることを明かす。
セックスもここではむき出しだ。シャーロットはヒラリーとの接見で、ジャックやウォードの目の前で股を広げてあえいでみせる(セックスとは違うが、ジャックが海でクラゲに全身を刺されてのたうちまわっているとき、シャーロットが浜辺でビキニの水着を下げてジャックにおしっこをかけるシーンもある)。ジャックの兄ウォードも弟が思っているような正義漢という顔の裏側にホモセクシュアルでSM嗜好を持っていて、そのため手ひどい怪我をすることになる。
ヒラリーが暮らす湿地帯の風景が圧巻。ゆっくり流れる川と、水中から立ち上がる樹林。闇に目を光らせて泳ぐワニ。車の入れないジャングルを行くと、ヒラリーと叔父と女たちが孤立して暮らす粗末な小屋がある。小屋を支配しているのは叔父で、男はワニの腹を割いて内臓を取り出す。女はバケツのアイスクリームが回ってくるのを待って動物のようにくらいつく。シャーロットは半ば強制的にヒラリーに小屋に連れてこられ、やがて事件が……。
真夏の強烈な光と影のコントラスト、熱帯の濃厚な色彩のなかで、すべてが妖しく、いががわしい。リゾートとは別の顔をもつ南部フロリダの強烈な風土がこの映画の主役なのだ。
監督はアフリカ系のリー・ダニエルズ。60年代ソウルやポップスがふんだんに聞けるのも楽しい。この映画、好きだな。
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