『ローマでアモーレ』 ウッディの欧州都市巡り
To Rome with Love(film review)
『ローマでアモーレ』って邦題は駄洒落にもなってないけど、原題も『To Rome with Love』。『ロシアより愛をこめて(From Russia with Love)』の二番煎じみたいで、ウッディ・アレンらしくない。と思っていたら、ウッディ自身が、「このタイトルは嫌いだ」と語っているという(wikipedia)。
ウッディは最初、この映画に『バップ・デカメロン(Bop Decameron)』というタイトルをつけた。bopはジャズでいうbebop(1940年代のチャーリ・パーカーらの革新的ジャズ)のbopで、もともと「踊る」といった意味だから、さしずめ「踊るデカメロン」。「デカメロン」も、この映画が14世紀の艶笑喜劇から発想されたことを明らかにして、とてもいいタイトルだと思う。
ところがこれにクレームがつき、それならとウッディが次につけたタイトルが「Nero Fiddles」。暴君ネロがローマに火をつけ、街が燃え上がるのを見ながらバイオリンに興じた(fiddle)という伝説から取ったタイトルらしい。でもそれが映画とどう関係しているのか、よく分からない。当然のことながらこれにもクレームがつき、結局、「To Rome with Love」という平凡なタイトルに落ち着いたそうだ。
そんな経緯があったせいか、『ローマでアモーレ』は傑作だった前作『ミッドナイト・イン・パリ』から一転、ゆるい(あまり良い意味じゃなく、文字通りゆるい)コメディになってしまった。
もっとも、部分的にウッディらしい面白さはある。映画は4つの物語が同時進行するんだけど、なかでもウッディ自身が役者として登場するパートは笑える。
ローマに観光に来たアメリカ娘がイタリア男と恋に落ち、速攻婚約して、両親を呼び寄せる。父ジェリー(ウッディ・アレン)は引退したオペラ演出家。母フィリスは精神分析家。ウッディは、男の父で葬儀屋を営むジャンカルロ(ファビオ・アルミリアート。オペラ歌手)がシャワーを浴びながら歌うアリアの美声に惚れ込む。リタイアし「僕はオジマンディアス鬱」とか称しているジェリーはジャンカルロをデビューさせようと画策するが、ジャンカルロはシャワーを浴びながらでないとうまく歌えない。で、舞台上にシャワー台を設けるという新奇な演出でオペラ「道化師」が演じられる。
ジェリーは「時代を先取りした(逆に言えばひとりよがりな)演出家」という設定で、妻のフィリスが、ジャンカルロのデビューにこだわる夫の深層心理を辛らつに分析するあたりは、いつものウッディ映画らしさ。「風呂で歌う歌はうまく聞こえる」という世界共通(?)の現象をうまく使っているのが面白い。
建築家ジョン(アレック・ボールドウィン)が、ローマで知り合ったジャック(ジェシー・アイゼンバーグ)と恋人、その女友達(エレン・ペイジ)の三角関係に発展しそうな恋をあれこれ指南するのは、昔の『ボギー、俺も男だ』の再現。ジョンが現実の男ではなく、いつの間にかジャックにしか見えない幻想の人間になってしまうのも『ボギー』と同じだけど、アレックにボギーのような格好よさとノスタルジーはない。
もうひとつのパートでは、無名のローマの事務員レオポルド(ロベルト・ベニーニ)が、なぜか分からないが突然有名人になってしまい、朝なにを食べたか、どう髪を切ったかまでレポーターに追跡される。とまどい逃げ惑う平凡な男をロベルトが演ずるおかしみはあるけど、マスコミを皮肉った話にしてもどうってことない。
4つ目のパートのは、田舎からローマに出てきた新婚夫婦。妻が外出してる間に、ホテルの部屋になぜか高級娼婦アンナ(ペネロペ・クルス)が出現したことからてんやわんやの騒動。一方、妻は妻で、道に迷ったあげく憧れのスターに出会い、ホテルへ連れ込まれる。露出度高く身体の線もあらわなペネロペが、堅物の夫とその親族を挑発するあたりが、定石どおりだけど見どころ。
とにかく役者が豪華で、ローマの名所(『ローマの休日』『甘い生活』『終着駅』などの舞台)が次々に出てくる観光映画でありイタリア映画賛歌だから見ている分には飽きないし、それなりに楽しめる。もっとも、事務員レオポルドがなぜ有名になったのか、高級娼婦アンナがなぜ出現したのか、理由は説明されないのがシュールな面白さになっているわけでもない。ウッディ流のアクが乏しく、薄味のローマ万歳、ローマっ子万歳みたいな映画になったのは肩透かしを食った感じ。
ロンドン、マドリッド、パリとつづいてきたウッディのヨーロッパ都市巡りも、今回ははずれかな。
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