『ザ・マスター』 映像の快楽
『ザ・マスター(原題:The Master)』は、新宗教「コーズ(Cause)」を創設したランカスター・ドッド(フィリップ・シーモア・ホフマン)と、彼に気に入られ教団に入り込む若いフレディ・クエル(ホアキン・フェニックス)の2人のドラマ。
「コーズ」のモデルは1950年代にロン・ハバードが起こした「サイエントロジー」。新宗教といっても、1960年代に極少数のカルト集団が砂漠に立て籠もったようなものでなく、アメリカやヨーロッパの上流階級に食い込み、大きな資金を集めた。本部は今もカリフォルニアにあり、トム・クルーズがサイエントロジーの信者であることは有名だ。キリスト教思想と精神分析の手法・療法を独特に組み合わせたものらしく、過激な「自己啓発セミナー」みたいなものだろうか。
一方、フレディは第二次大戦を太平洋戦線で戦ったアプレ・ゲール。戦争中から自家製のカクテルでアルコール依存になり、性的妄想に取りつかれている。戦後はスタジオ・カメラマンなどをやっても客とケンカし、うまく社会復帰できないでいる。
ランカスターの娘夫婦の結婚を祝うクルーズに密航したことから、フレディはランカスターと知り合う。フレディのつくる自家製カクテルの強烈な刺激に、ランカスターは嵌まる。カクテルだけでなく、精神的に不安定なフレディは危険な匂いを発し、ランカスターは単に療法の対象とする以上にフレディに惹かれてゆく。
ランカスターはフレディを自分の身近に置き、教団の中心部に「飼う」。フレディは教団の暴力装置になる一方で、教団に軋みをもたらす。フレディはランカスターの妻・ペギー(エイミー・アダムス)に気があるように見えるし、ランカスターの娘はフレディに色目を使う。
ランカスターとフレディの関係には、主人(マスター)と下僕、支配者(マスター)と被支配者、導師(マスター)と弟子、そのどれでもありながら、そのどれに収まりきらないなにかがあるように感じられる。ランカスターはフレディから刺激的なカクテル以上のなにかを受け取っているのだ。といっても、それが性的なものとは画面からは感じられない。そんな複雑な2人の感情を、狂気を孕んだフレディをホアキン・フェニックスが、自信に満ち悠揚迫らぬランカスターをフィリップ・シーモア・ホフマンが迫真の演技。この映画は、それを楽しむものかもしれない。
もうひとつ楽しめるのは画面。wikipediaによると、『ザ・マスター』は大部分が70ミリ(65ミリ)のフィルムで撮影されている。ごく一部、画面を意識的に汚くしたいところは35ミリで撮影され、両者の縦横比が調整されたという。そこから考えると、1996年以来という70ミリで映画を撮ることの狙いは、やはり映像そのものの力と凄さを引き出すことだったんだろうか。70ミリの大画面で見たわけじゃないけど、映像の濃密さ、鮮やかさはすごい。
ランカスターとフレディがそれぞれ砂漠でバイクを飛ばす。ランカスターは戻ってくるが、フレディは戻ってこない。バイクで荒野を飛ばす2人をアップで捉える動感が素晴らしい。
航海する船の船尾から白波が立つのを俯瞰するショットも冒頭から3度出てくる。青い海と泡立つ白波、航跡が跡を引く。純粋な映像の快楽とでも言ったらいいのか。
個人的に00年代ベストを選べば10本のうちに入ってくる『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』に比べると小品に見えてしまうけど、ポール・トマス・アンダーソン監督にしか撮れない映画。「中国行きのスロウボート」はじめ数々の名曲が流れるのも嬉しい。
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