浦和ご近所探索 交差点の井戸
わが家から南、浦和駅方向に数百メートル歩いたところに奇妙な空間がある。交差点の角が小さな広場になっていて、その中心に井戸がある。
ときどき、子供が水を汲んで遊んでいる。井戸には「このみずをのんではいけません」と書いてある。でも、なぜここに井戸があるんだろう。
その疑問が、先日、さいたま市立美術館で明治時代の浦和の地図を見ていて解けた。と同時に、長いこと答えが見つからなかったもうひとつの疑問も解けた。
わが家の50メートルほど南から常盤緑道という遊歩道が始まっている。遊歩道はここを基点に、西南に1.5キロほど行った別所沼まで続いている。小生がガキのころ、この遊歩道はドブ川で水がちょろちょろ流れ、国道17号線を越えて別所沼に流れ込んでいた。その流れが地下に埋設されて今は遊歩道になっている。
ガキのころ、このドブ川はわが家のそばで地下からいきなり現れた。この川はどこから来るんだろう。それが小さいころからずっと分からないままだった。このあたり、ほかに川は流れていない。200メートルほど東には中仙道の旧道が通っていて、この道は大宮台地の尾根を南北に走っているから、流れが尾根の向こうから来ることはない。
その明治時代の地図には、ガキの頃(昭和20年代)には地下に埋もれていた流れが水色の線で書き込まれていた。それをたどっていくと、この井戸があるあたりまで続き、そこでぷつんと途切れているではないか。
そうか。いま井戸があるこの地下から水が湧いているんだ。その湧き水が大宮台地のわずかな高低差を縫ってわが家の近くを流れ、別所沼に流れ込んでいた。それが明治以後の開発でどんどん地下に埋設された。小生がガキのころ見ていたのは、水源から数百メートルが地下に埋められ、そこから外に出てきた流れだった。
ちなみに今、この地下河川は行政上「下水道」になっている。数年前、この地下の流れをもう一度外に出し、土の堤をつくって小川として再生させてはどうかと市役所に言いにいったことがある。でも、地下の流れには近隣の下水が流れ込み、市内の下水網の一部として組み込まれてしまっているので難しい、というのが市の答えだった。
ともあれ、これでご近所の井戸と常盤緑道が結びついた。すっかり開発され自然の見えなくなった町の下に潜む地理が浮かび上がってきた。
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