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March 27, 2013

東松照明さんとEOS kiss

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a meeting for remembrance of Tomatsu Shomei

去年の年末に亡くなった写真家の東松照明さんを偲ぶ会が開かれ、たくさんの人が東松さんに献花し、思い出を語るために集まった(3月26日、六本木・国際文化会館)。会場の外は満開の桜。そういえば東松さんが撮った桜は、ただ美しい花と日本の風景でなく、農家の庭先で見事な桜の傍らに廃車のトラックがあったり、薬の看板がかかっていたりしたっけ。普通ならフレームから排除してしまうものを、東松さんはきちんと見詰めていた。

遺影の前で、東松さんたちが結成したVIVOの仲間と関係者が次々に思い出を語る。左から丹野章さん、奈良原一高さん夫人、川田喜久治さん、東松さん未亡人、細江英公さん、福島辰夫さん、森山大道さん、荒木経惟さん。

東松さんの思い出は1月8日のブログで書いたけど、印象深いことをもうひとつ。

1990年代の半ば、僕がカメラ雑誌の編集をしていたころ、東松さんが編集部にいらしたことがある。そのとき東松さんが肩から下げていたカメラはキヤノンEOS kissだった。当時はデジタル・カメラがようやく実用になりはじめた時期で、プロでも使う人はそんなに多くなかった。しかもEOS kiss といえば、小さな子供を持つ若いお母さんをターゲットにした、一眼レフのなかでもいちばん安い普及機。

「東松さん、EOS kissで撮るんですか」「そうだよ。これがよく写るんだよ」。東松さんはそう言って、いたずらっぽく笑った。大病の後で、重い一眼レフを持ち歩くのはつらいという事情もあったかもしれない。でも、EOS kissを持ってカメラ雑誌の編集部に現れた東松さんは素敵だった。

そのこともあって、実は僕も一眼レフはEOS kissを愛用している。もちろんそれで東松さんのような写真が撮れるわけじゃないけど。

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March 26, 2013

ウェイン・ショーターを聞く

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Wayne Shorter Quartet live

ウェイン・ショーターをちゃんと聞いたことがない。

いくらか耳になじんでいるのは昔のもの、1960年代のジャズ・メッセンジャーズとマイルス・クインテットのアルバムくらい。マイルス・クインテットはサックスがコルトレーンの時代とショーターの(アコースティック)時代がやはり素晴らしい。マイルス・グループから独立して後のウェザーリポートやVSOPは、ちらと聞いた程度。ダニーロ・ペレス(p)、ジョン・パティトゥッチ(b)と組んだ今のカルテットはまったく聞いたことがないので、どんな音楽なのか見当もつかない。

ハードバップの時代から活躍してる数少ないジャズ・ジャイアンツの一人だけど、御大も80歳。めったないライブなので出かけてみた(ジャズ・ウィークTOKYO2013、3月23日、渋谷・東急シアターオーブ)。

開演前のステージにはテナーとソプラノ、2本のサックスが準備されている。現れた御大は少々太めで、ときどきふらつく。用意された椅子に腰かけて吹くこともある。

多分自作の曲なんだろう、知らない曲が切れ目なしに次々に演奏される。テーマは割りとシンプルなメロディが多く、3つの音階を並べただけのもあった。ピアノのペレスが多分音楽監督やっていて、テーマを基に曲をつくりあげていく。

ショーターのテナーは、低音ややかすれ気味に吹く。途中、ソプラノに持ち替える。どの曲もリズムが独特。フォービートの曲はない。宗教的な、あるいは宇宙的な感覚が強くなったコルトレーン晩年の音を思い出す。パティトゥッチがいつもの歯切れよく派手な音で絡む。ドラムの若いジョナサン・ピンソンもいい。こういうジャズは聞いたことがない。これがショーターの世界なんだろうな。

最初の何曲かはすごいと思うものの、ステージの4人と客席とが透明のガラスで仕切られているようだった。でも途中から乗りのいいリズムの曲も出てきて、ショーターも吹きまくり、ようやくプレイヤーと観客の「気」が感応しあった。最後はスタンディング・オベーション。


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March 21, 2013

『ベルリン・アレクサンダー広場』を見に

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seeing Berlin Alexanderplats

渋谷・ユーロスペースでニュー・ジャーマン・シネマの旗手だった故R.W.ファスビンダー監督の『ベルリン・アレクサンダー広場』を上映している。ファスビンダー監督が1979~80年につくったテレビ映画で、全14話15時間。

3週間の上映だけど、今日21日と明日は7話ずつまとめて上映する最後の機会。思い切って出かけた。上映開始が昼の12時で、終わるのが午後8時半。学生時代はオールナイトの映画によく行ったけど、この歳になると長時間は辛い。目が疲れるし、腰が痛くなる。休憩時間には館内を歩き、腰を回して腰痛予防。場内は混んでいる。

テレビ用といっても、ファスビンダー監督のことだから映画そのもの。1920年代後半、ナチスが台頭しつつあるベルリンで、刑務所から出所したひとりの男が出会ういろんな出来事と女性遍歴。失業者の群れのなかで生き残るためナチスの新聞を売ったり、犯罪にまきこまれたり。古びた酒場や怪しげなキャバレー。耽美的な映像がすごい。ハンナ・シグラを見るのも久しぶりだ。

明日も行きます。


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March 20, 2013

『愛、アムール』 愛、あるいは

Amour
Amour(film review)

『愛、アムール(原題:Amour)』は、全編が屋内シーンで構成されてる。主人公夫婦が住むアパルトマンの窓からパリの街並みが見えるけれど、それはレースのカーテン越しのおぼろげな風景にすぎない。中庭の窓を開けても、向かいの暗い壁があるだけで、空は見えない。画面に空や雲や野原が映るけれど、それはアパルトマンに飾ってある絵画を接写したもので、映画の密室的な空気をいよいよ高めるだけ。

その屋内シーンも、冒頭のコンサート会場のシーンを除けばアパルトマン内部に限定されている。カメラは意識して老夫婦のアパルトマンから外に出ようとしないみたいだ。この映画は徹底して老夫婦2人だけの物語で、母親を心配して訪れる娘夫婦も、もちろん管理人夫婦も他人にすぎない。カメラがそこから出ようとしないアパルトマンの密室空間は、自ら孤立を選ぶ老夫婦の閉じられた心理空間にそのまま重なっている。

ジョルジュ(ジャン=ルイ・トランティニャン)とアンヌ(エマニュエル・エヴァ)はリタイアした裕福な音楽家夫婦。教え子のコンサートに出かけたり、穏やかな生活を送っているが、ある朝、食事をしているアンヌの意識が飛ぶ。入院、手術。右半身不随になったアンヌは車椅子で自宅に戻ってきて、「もう病院には行きたくない」とジョルジュに告げる。

自らも足を引きずるジョルジュが、アンヌをかいがいしく介護するエピソードが積み重ねられる。といっても、日常的なリアリズムでなく、不意打ちの映像を多用するミヒャエル・ハネケ監督らしい描写がつづく。

誰かがドアを叩く。ジョルジュがドアを開けると、誰もいない。誰かいるのかと暗い廊下を進むと、いきなり足下に水がたまっていて、なにもない空間からいきなり人の手がでてきてジョルジュの口をふさぐ。次のカットでジョルジュがベッドから飛び起き、それが彼が見ていた夢であることが分かる。献身的な介護で管理人から「あなたを尊敬してます」と言われるジョルジュが、内面でひそかに抱えている不安。

また別のシーンで、元気なアンヌがピアノを弾いている。ジョルジュがそれを聞いている。彼の背後にはCDプレイヤーがあって、ブルーの数字が動いている。そのカットで、ジョルジュが聞いているのはCDで、アンヌがピアノを弾いている姿はジョルジュの幻視であることが分かる。

中庭の窓から鳩が室内に迷い込んでくる。2人きりの空間に迷い込んだ別の命を、ジョルジュは邪険に追い払う。でも次に迷い込んできたときには、いとおしむように毛布の上から鳩をなでている。

アンヌの症状は悪化する。オムツを当てなければならなくなる。言うことを聞かず、食事や水を取ろうとしないアンヌの頬を、ジョルジュは思わず叩いてしまう。「もう終わりにしたい」とアンヌは彼に告げる。ジョルジュが外出から帰ってくると、アンヌが中庭に面した窓のそばで車椅子から落ちている。彼女は窓から身を投げようと試みたのか。介護士を雇うのだが、ジョルジュは看護師の義務的な仕事ぶりに激怒して解雇する。アンヌは寝たきりになり、意識が混濁して、言葉も出なくなる。

娘のエヴァ(イザペル・ユペール)はそんな母の姿におろおろし、なんとかしなければと父に迫るが、ジョルジュは口出しするなと娘を追い払う。あくまで夫婦2人で終わりの日々を過ごそうとする。このあたり、老年になってからの親子関係は、子供に頼ろうとすることが多い日本人の感覚からは想像しにくい。

そしてある日……。

ジョルジュがアンヌにした行為が、「終わりにしたい」というアンヌの願いを受け止めた愛によるものなのか、仮にそうだとしても、「終わりにしたい」との彼女の願いを「終わりにする」と変換したジョルジュにかすかな殺意が混じっていないのか、考えたぬいた末の行動なのか、それとも不意の衝動だったのか、映画は何も語らない。

そんなふうに感ずるのも、ハネケ監督がこれまでつくってきた映画が人間存在の悪魔的要素に目をすえた作品が多かったからであり、この映画もいろんな解釈が可能なよう放りだされ、タイトル通りのストレートな「愛」の映画としてつくられてはいないように見えるからだ。

映画の冒頭、アパルトマンのベッドで花に囲まれたアンヌの死体のショットが映る。映画はそこから過去に遡るのだけれど、ありきたりのセリフや音楽で観客を納得させず、ただ老夫婦の行動を2人に寄り添うように追ったハネケのスタイルが、2人の愛の孤独と過酷をあぶりだした。

何本もの政治映画やフィルム・ノワールが記憶に残るジャン=ルイ・トランティニャンと、学生時代に見た『二十四時間の情事』のエマニュエル・エヴァが共に80代になっていて、感慨深い。


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March 19, 2013

いっせいに開花

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spring flowers in my garden

東京は桜の開花宣言が出た。ご近所より花の遅いわが家の庭も、梅が散って、春の花が満開になった。いつもはまず沈丁花が咲き、ヒマラヤ雪ノ下がつづくといったふうに時間差があるのだが、今年は一気に暖かくなったせいか、ほぼ一斉に開花。

花ニラ

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連翹

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クロッカス

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木瓜

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沈丁花

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ヒマラヤ雪ノ下

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雪柳

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March 15, 2013

『ジャンゴ 繋がれざる者』 アメリカ製マカロニ・ウェスタン

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Django Unchained(film review)

モノクロ写真をコピー機でコピーしてみる。白と黒のコントラストが強くなり、顔の表情とか風景の細部といった中間部は見えにくくなる。そのコピーを、もう一度コピーしてみる。ディテールがさらに見えにくくなり、コントラストはいよいよ強くなる。コピーを重ねるほどに写真のリアリティは薄くなり、そのかわり白黒2色で描いたイラストレーションのような面白さが出てくる。

タランティーノの『ジャンゴ 繋がれざる者(原題:Django Unchained)』は、そんなコピーのコピーみたいな映画だった。この映画が、主人公の造形やセリフ、カメラワーク、音楽などなどイタリア製のマカロニ・ウェスタンを下敷きにしていることは、マカロニ・ウェスタンを見たことがある人ならすぐ分かる。

1960年代につくられた『続・荒野の用心棒(原題:Django)』の主人公はジャンゴという名のガンマンだし、ほかにもジャンゴが活躍するマカロニ・ウェスタンが何本もつくられている。ジャンゴはマカロニ・ウェスタンのヒーローなのだ。そしてマカロニ・ウェスタンが本家アメリカの西部劇のコピーであることは言うまでもない。

マカロニ・ウェスタンがコピーしたのは『荒野の決闘』や『シェーン』といった名作ではなく、ランドルフ・スコットとかオーディ・マーフィが主演して山のようにつくられたB級西部劇のテイスト。僕がガキのころ浅草六区へ行くと、そんなB級西部劇の2本立てが必ずかかっていた。B級西部劇はヒーローのガンマンが悪役のガンマンをやっつける勧善懲悪のお話だけど、アメリカ映画だから自国の西部開拓という歴史をそれなりに踏まえたリアリティをもっていた。

でもマカロニ・ウェスタンは、B級西部劇からそれらしいヒーロー像とそれらしい設定を借りて、リアリティの希薄な、ドラマチックだけれど荒唐無稽なお話が多かった。その単純明快な面白さ、格好良さこそがマカロニ・ウェスタンの人気だった。

『ジャンゴ 繋がれざる者』は巻頭のタイトル・バックの雰囲気からマカロニ・ウェスタンを下敷きにし、中身も単純明快なエンタテインメント性をそっくり受け継いでいる。十何人もの敵を次々倒す無敵のガンマン。「決めゼリフ」や馬に乗ったジャンゴが砂漠をゆく「定番」のシーンでは画面がぐぐっとズームアップされ、音楽がかぶさる。マカロニ・ウェスタンといえばこの人、エンニオ・モリコーネの曲もちゃんとかかる。アメリカ製西部劇でありながら、マカロニの匂いが充満してる。

でもそれだけじゃありません、ということか、タランティーノは二つの味をつけくわえた。一つは、ジャンゴ(ジェイミー・フォックス)を解放奴隷というアフリカ系に設定したこと。ヒーローのガンマンがアフリカ系というのは、先住民との混血が主人公になる西部劇はいくつもあったけど、たぶん初めてかもしれない。

南北戦争以前のアメリカで、実際に解放奴隷が西部でガンマンとして名をなした史実があるかどうかは知らない。たぶんタランティーノにとっても、どうでもよかったんじゃないかな。これは、なんでもありのマカロニ・ウェスタンなんだから。でも、マカロニ・ウェスタンのテイストにアフリカ系ガンマンというアイディアを挿入したことで、いかにも異形な西部劇になったし、アフリカ系ガンマンが白人の悪玉を殺しまくるのは、ウェスタンこそ我が心の故郷と思っている白人の観客の心をざわざわ騒がせるだろう。

もうひとつは、西部劇に南部ものの要素をつけくわえたこと。ジャンゴに早撃ちを教えた賞金稼ぎの元医者・キング(クリストフ・ヴァルツ)と相棒になったジャンゴが、ジャンゴの妻(ケリー・ワシントン)が奴隷として働いている南部の大農園に妻を取り返しにいく。南部の奴隷制をテーマにした映画は過去にも『マンディンゴ』などがあったけど、テキサスからミシシッピへ、西部劇と南部劇を合体させたのが、この映画のもうひとつの面白さだ。

大農園の主人・キャンディ(レオナルド・ディカプリオ)は、奴隷同士を戦わせて楽しむ闘犬ならぬ闘奴隷のために屈強な奴隷を買い、大邸宅でフランス趣味の生活を営んでいる。農園主対ジャンゴ、農園主に仕える奴隷上がりの執事(サミュエル・L・ジャクソン)対ジャンゴのアフリカ系対決が見せ場。白人の農園主に黒人のガンマンが復讐する単純な図式にしなかったところが、「ポリティカル・コレクトネス」をもうひとひねりして憎い。

ディカプリオが優雅で残酷な大農園主を楽しそうに演じている。60年代のマカロニ・ウェスタンでジャンゴを演じたフランコ・ネロやドン・ジョンソンがカメオ出演し、太目のタランティーノ自身も出てくる。遊び心と同時にトゲも持つ、面白いアメリカ製マカロニ・ウェスタンでした。


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March 13, 2013

『世界でひとつのプレイブック』 捨てられたダークサイド

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Silver Linings Playbook(film review)

この映画を見ようという気になったのは、『あの日、欲望の大地で』や『ウィンターズ・ボーン』に出ていたジェニファー・ローレンスが印象に残っていたから。

『世界でひとつのプレイブック(原題:Silver Linings Playbook)』は、ジャンル分けすればロマンティック・コメディということになるんだろうか。僕は原作(集英社文庫)を読んでないけれど、小説と映画でいちばん違うのは主人公・パット(ブラッドリー・クーパー)と父親(ロバート・デ・ニーロ)の関係らしい。映画で父親は躁鬱病であるパットの奇行を温かく見守っているけれど、小説では父親がパットに対してもっと冷たい態度を取っているようだ。

脚本・監督のデヴィッド・O・ラッセルも、当初は原作どおりに撮影を始めたらしい。wikipediaによると、父親がパットに対し厳格で、もっと暗いヴァージョンが撮影されたという。ということは、両方の家族から冷たい目で見られながら、パットとティファニー(ジェニファー・ローレンス)は孤立して愛を育てていくといった感じなのか。でも父親を演じたロバート・デ・ニーロの意見もあって、原作の暗い面は削られることになった。いかにもデ・ニーロらしいけど、そのことでハリウッドらしい、ほのぼのした後味のいい映画にもなった。

パットとティファニーはともに躁うつ病を病んでいる。原因は2人とも夫婦関係。高校教師だったパットは、同じ学校に勤める妻が同僚と不倫している現場に出くわし、暴力を振るって病院に収容された。妻と離婚し、仕事も家も失って、両親の家に同居している。ティファニーは夫が亡くなり、寂しさから会社の同僚全員とセックスして解雇された。近所に住むそんな2人が、ジョギングする路上で出会って物語が始まる。

最初のうち2人は、自分のことで精一杯で他人を思う余裕もなく、会うごとに口論になる。共通の話題はといえば、躁うつ病の治療薬のあれこれが効く効かないとか、意識がぼんやりしていやだ、といった話題。ある日、ティファニーはダンス・コンテストに出るのでパートナーになってほしいとパットに提案する……。

ロマッティック・コメディは古典的なところでは『ローマの休日』とか、1980~90年代のメグ・ライアンの映画とか、アメリカの映画と演劇で古い伝統をもっている。ということは、しっかりした定型があるということで、ともすれば、それらしいセリフやシーンに頼りがちになる。観客もそういうものを期待する。

でもこの映画は、撮影途中や編集段階で映画のテイストを変えるような柔軟な映画づくりをしているせいか、前半はパットとジェニファーの感情の微妙な変化がとてもよく捉えられていると思った。ラッセル監督がもともとインディペンデント系から出てきた監督で、ハリウッドの定型に染まっていないこともあるかもしれない。

でも、後半のダンス大会はそれこそ定型で、ちょっと無理づくり。ロバート・デ・ニーロもエキセントリックな面をちらと見せるけど、最後は息子をサポートする良き父親になって、めでたしめでたし。これはこれで楽しめるけど、ダークなヴァージョンも見てみたかったなあ。

ジェニファー・ローレンスは『あの日、欲望の大地で』や『ウィンターズ・ボーン』で芯のある少女のイメージが強かったけど、すっかり魅力的な女優になってた。アカデミー賞も取って、これからが楽しみ。


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March 12, 2013

浦和ご近所探索 高層マンション

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a movement against a high-rise apartment building

久しぶりに県庁近くを散歩していたら、こんな垂れ幕が目についた。周辺にも、同じような幟が何本も立っている。近くに高層マンションが建設されるらしい。

ちなみに写真のお宅は医院で、戦前に建てられたらしい瀟洒な建物。医院の部分は洋風、奥の住まいが和風建築になっている。

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角を曲がると、このあたりでいちばん敷地の広い家があり、その塀に「事業計画のお知らせ」が取り付けられていた。敷地約900坪。そこに地上50メートル、14階建て、119戸の高層マンションが建設されるらしい。ここは県庁の裏手に当たり、繁華街も近いから、都市計画法の商業地域に指定されている。商業地域には高層建築物を建てることができる。

塀の一部は壊されて工事用の出入り口が付けられ、敷地内にもう建物はない。庭の大きな樹木が何本も残っている。これらは全部切り倒されるか、せいぜい1、2本が残されるだけだろう。

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塀の向こうに立派な石灯籠が見える。

ここから5分ほど歩いたところに岸町がある。旧中仙道沿いにあり、浦和駅からも繁華街からも近い一等地の住宅街だ。そのせいもあって、町のかなりの部分が商業地域に指定されている。岸町は戦前からの住宅地で、かつては敷地が100坪以上ある木造家屋の立ち並ぶ一帯だったけれど、この10年で、高層マンション街に生まれ変わってしまった。

僕が住んでいるのは北浦和駅に近い場所で、ここは住宅地域に指定されている。住宅地域には高層建築物は建てられない。とはいえ30年前に近所で4階建てワンルーム・マンション計画がもちあがり、ご近所が一緒になって反対し、裁判をやったことがある。ワンルームや高層マンション反対運動が勝つのはなかなかむずかしく、結局は条件闘争で和解した。

岸町でも反対運動があったようだけど、成果があったとは聞かない。浦和は大きな産業も大規模商業施設もなく、静かな住宅地であることが取柄の町。同じ住宅地でも、緑の多い一戸建ての街から、高層マンション街へと変わろうとしている。都市計画法では地域指定は地方自治体が決めることになっているけれど、自分たちの住む町をどうしたいか、住民の意思を反映させる仕組みがあっていいと思う。


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March 08, 2013

中仙道旧道を歩く

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walking Nakasendo

友人のUが中仙道旧道を歩きはじめた。

Uは、さる企業の社長をしていた数年前、休日を利用して東海道を東京から京都まで歩いたことがある。リタイアした今年、今度は中仙道を歩くという。初日は日本橋から板橋宿まで、2日目は板橋から浦和宿、3日目の今日は浦和からスタートするので、途中までつきあう。

浦和駅で待ち合わせ、中仙道旧道へ。浦和駅周辺は繁華街だけど、本陣跡、二八市場跡があり、明治・大正の商店建築が何軒か残っている。わが家の近くを通り、高崎線・東北線の線路をまたいで一本杉仇討ち碑、庚申塚を見てさいたま新都心へ。道路が拡張された新都心近く、歩道にはお女郎地蔵・火の玉不動が残っている(写真)。


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March 07, 2013

種を蒔く

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sowing a field with seed

昨日から一気に暖かくなったので、種を蒔く。

今年もまたゴーヤ、ミニトマト、きゅうり。新しくナスに挑戦。あとはバジルとシソ。畑に直蒔きしたのは葉ネギと京菜。多年草のミントとレモンバームはもう芽が出ている。隣に家が建ち、午前中は日当たりが悪くなったので、上へ伸びるゴーヤやミニトマト以外、実のものはなかなかうまくいかない。奥のほう(といっても畳2畳ほどだけど)はハーブ畑になりつつある。


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March 05, 2013

浦和ご近所探索 交差点の井戸

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a well on the street

わが家から南、浦和駅方向に数百メートル歩いたところに奇妙な空間がある。交差点の角が小さな広場になっていて、その中心に井戸がある。

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ときどき、子供が水を汲んで遊んでいる。井戸には「このみずをのんではいけません」と書いてある。でも、なぜここに井戸があるんだろう。

その疑問が、先日、さいたま市立美術館で明治時代の浦和の地図を見ていて解けた。と同時に、長いこと答えが見つからなかったもうひとつの疑問も解けた。

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わが家の50メートルほど南から常盤緑道という遊歩道が始まっている。遊歩道はここを基点に、西南に1.5キロほど行った別所沼まで続いている。小生がガキのころ、この遊歩道はドブ川で水がちょろちょろ流れ、国道17号線を越えて別所沼に流れ込んでいた。その流れが地下に埋設されて今は遊歩道になっている。

ガキのころ、このドブ川はわが家のそばで地下からいきなり現れた。この川はどこから来るんだろう。それが小さいころからずっと分からないままだった。このあたり、ほかに川は流れていない。200メートルほど東には中仙道の旧道が通っていて、この道は大宮台地の尾根を南北に走っているから、流れが尾根の向こうから来ることはない。

その明治時代の地図には、ガキの頃(昭和20年代)には地下に埋もれていた流れが水色の線で書き込まれていた。それをたどっていくと、この井戸があるあたりまで続き、そこでぷつんと途切れているではないか。

そうか。いま井戸があるこの地下から水が湧いているんだ。その湧き水が大宮台地のわずかな高低差を縫ってわが家の近くを流れ、別所沼に流れ込んでいた。それが明治以後の開発でどんどん地下に埋設された。小生がガキのころ見ていたのは、水源から数百メートルが地下に埋められ、そこから外に出てきた流れだった。

ちなみに今、この地下河川は行政上「下水道」になっている。数年前、この地下の流れをもう一度外に出し、土の堤をつくって小川として再生させてはどうかと市役所に言いにいったことがある。でも、地下の流れには近隣の下水が流れ込み、市内の下水網の一部として組み込まれてしまっているので難しい、というのが市の答えだった。

ともあれ、これでご近所の井戸と常盤緑道が結びついた。すっかり開発され自然の見えなくなった町の下に潜む地理が浮かび上がってきた。


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