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February 28, 2013

『アウトロー』 21世紀の西部劇

Jack_reacher
Jack Reacher(film review)

『ミッション・インポッシブル』に続くトム・クルーズの新シリーズ『アウトロー(原題:Jack Reacher)』を見てきた。原作はイギリスのミステリー作家リー・チャイルドの「ジャック・リーチャー」ものの第9作『ワン・ショット』。このシリーズは17冊出ていて、そのうち何冊かが講談社文庫で翻訳されている。話によるとスーパーヒーローの主人公が活躍する活劇風ミステリーらしく、僕の好み(ローレンス・ブロック、マイクル・コナリー、デニス・ルヘインといったハードボイルド系)とは違うようで、読んだことはない。

主人公のジャック・リーチャー(トム・クルーズ)は「流れ者」として設定されている。作者のリー・チャイルドは映画の公式HPのなかで、ジャックについてイギリス中世のロビン・フッド伝説の流れを汲む「流れ者の騎士」と言っている。森に暮らし法の外(アウトロー)にいる正体不明の、謎めいた一匹狼。盗賊として金持ちから富を盗み、民衆に分け与える。悪を罰し、「正義」を実現する義賊。

共同体の外からやってきて、共同体の問題を解決し、またふらりと去ってゆく。「流れ者」の物語はどこの社会にもある。アメリカなら西部劇の『シェーン』が典型だ。『シェーン』が、牛を運ぶため土地を自由に使いたい牧畜業者と土地を開拓し囲い込む農民が対立し、殺しあった西部開拓の歴史を背景にしていることは、『ブロークバック・マウンテン』の感想を書いたときに触れたことがある。映画で「流れ者」のシェーンは力の弱い開拓民の味方をしていた。

そんな「流れ者」が、今の時代を生きるとしたらどんな男になるのか。そのあたりが面白かった。

ジャック・リーチャーは元陸軍の軍警察捜査官。2年前に除隊して、ぷっつり姿を消した。以来、ジャックは車を持たない。銀行口座を持たない。カードを持たず、すべて現金払い。パソコンや携帯も持たない。その理由をジャックは「自由のため」と言う。逆に言うと、車や銀行口座やカードやパソコンを持つことは「自由を失う」ことにつながる。それらを持つことは身柄を特定されることにつながり、さらに行動を追跡されることにもなる。

シェーンは馬に乗って開拓村に現れたけど、ジャックはバスに乗って移動する。アメリカでバスを利用するのは車を持てない庶民や移民と決まっているから、民衆の間に隠れ住むという点ではロビン・フッドの後裔にふさわしい。もっとも映画のなかで、ジャックは他人の車を次々に(時に無断で)借りてカーチェイスして車をぶっ壊すから、そのあたりはちょっと苦しいか。

ジャックが助けるのは元イラク駐留兵士。スナイパーとして訓練を受けた彼は、ライフルによる無差別殺人の犯人に仕立て上げられる。兵士を有罪にしようとする検事(リチャード・ジェンキンス)と、その娘で兵士を弁護する弁護士ヘレン(ロザムンド・パイク)が絡む。ヘレンと彼女の依頼で事件を調べるジャックが男と女としていい感じになりかかるけど、「騎士」としてはそれ以上前に進めない。そのあたりのキャラクターがもっと掘り下げられるといいんだけどな。黒幕になる悪役でドイツの映画監督、ヴェルナー・ヘルツォークが出てきたのには驚いた。出番は少ないけど、なかなかの雰囲気。

最後は夜の砕石場で西部劇の決闘みたいになる。ワイアット・アープを助けるドク・ホリデイみたいに(あるいは高倉健を助ける池部良みたいに。古いなあ)助っ人(ロバート・デュバル)が登場するのも西部劇のパターン。ライフル対ライフルの対決が、最後は互いに銃を捨てて素手の格闘になる。原作のジャック・リーチャーは無敵の大男という設定らしいけど、身体的に恵まれないトム・クルーズをマッチョに見せ、またVFXを駆使した『ミッション・インポッシブル』と差別化するための仕掛けなのかな。

この映画のもうひとつの主役は、ライフルという武器。ライフルの持つ力に対する信仰が映画の背後に流れている。その意味では、全米ライフル協会もご推奨の映画かもしれない。法に頼らず、銃の力で「正義」を執行するという思想も含めて、いかにもアメリカ映画だなあというのが見終わっての感想でした。

そうそう。デジタル撮影なんだろうけど、夜のシーンが美しい。同じトム・クルーズ主演の『コラテラル』を思い出した。

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February 22, 2013

『奪命金』 金は命を奪う

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Life without Principle(film review)

上空のヘリから香港の町並みが俯瞰される。建物に近づく。無線の交信音や街の雑音が画面の背後から聞こえてくる。カメラが切り替わると建物のなか。あたりに血が飛び散っている。これ、ハードボイルドやノワール映画の定型ともいえる導入部。

『奪命金(英題:Life without Princeple<H.D.ソローに同名の本がある>)』はこんなふうに始まる。「金融サスペンス」とキャッチがつけられてるけど、いつものジョニー・トーと変わらない。3人の主人公たちの物語が交わることなく進行する。

チョン警部補(リッチー・レン)はファーストシーンの傷害事件を捜査しつつ、私生活では妻(ミョーリー・ウー)と新しいマンションを買う相談をしている。銀行で金融商品の営業をしているテレサ(デニス・ホー)は、無知なおばさんに高リスク商品を売りつけたり、融資の相談に訪れたチョン警部補の妻や高利貸しチャンの相手をしているが、成績は上がらず上司からプレッシャーをかけられている。お人好しのヤクザ、パンサー(ラウ・チンワン)は逮捕された仲間の保釈金をつくるため、知り合いから恐喝まがいで金を集めている。

3人の男と女がどう絡んでくるのか、しばらくは見ている者にまったく分からない。それだけでなく、物語が時間を追って進行しているのでなく、冒頭のシーンから逆に過去に遡っていることが、しばらくして分かってくる。映画の中盤あたりで冒頭のシーンが繰り返され、観客はそこでようやく物語が円環していることを理解する。そんなたくらみが、いかにもジョニー・トーらしい。

そんなとき、ギリシャ債務危機から株価が暴落する。テレサは損をした客から責められる。チョン警部補に内緒でマンションを仮契約していた妻は、返済について不安に襲われる。パンサーは、大陸マフィアの金を投資して大損をした兄貴分を手伝って、高利貸しチャンを襲って金を強奪する破目に陥る。チャンが現金化した500万香港ドル(5500万円)をひょんなことから預かったテレサは、チャンが殺されたことを目撃し、その金を横領する誘惑に駆られる。

銀行で金融商品を売るテレサの仕事ぶりが詳しく描写されたりはするけれど、それ以外はいつものジョニー・トーのノワールと変わらない。考えてみれば犯罪の原因の多くは金(と異性)だから、株価暴落がノワールに取り込まれても不思議はないわけだ。さらに血が流れ、死体がころがり、いくつかの偶然が積み重なってテレサとチャンの手元に金が残る。

主役の3人、チョン警部補とテレサとチャンは最後まで顔を合わせ、言葉を交わすことはない。香港の街角で至近距離ですれちがうだけ。いかにもジョニー・トーらしいエンディングだね。


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February 21, 2013

箱根の雪

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snow in Hakone

新宿から小田急で箱根に向かうと、町田あたりから雪が降ってきた。箱根湯元からバスで山を登ってゆくと、雪はいよいよ激しい。仙石原あたりは、もう5センチ近く積もっている。早川にかかる橋から川面を見る。

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斜面の木々も真っ白。

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宮の下方面を見ると遠くは霞んでいる。

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大きな杉の雪。

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箱根でいつも泊まる、さる健保組合の寮も雪に埋もれている。

家族の湯治につきあってというより、今回は小生も湯治。数ヶ月前に痛めた右膝だけでなく、今年は冬の寒さが厳しいせいか古傷が痛みはじめた。

築85年の木造家屋に住んでいると、季節の変化に敏感になる。一種の高床式である日本家屋は暑さをしのぐことを一番の目的にしているから、真夏の暑さはエアコンなしでやり過ごすことができる。逆に真冬は、暖房している居間とキッチン以外の部屋や廊下では外の寒さとたいして変わらない。風の強い夜など、廊下の隙間から寒風が吹き上げてきて震える。そのせいか痛みの出たところ、5年前にピアノで腱鞘炎になった右ひじや、若いころ草ラグビーで何度も打撲した左肩を長時間湯につける。

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湯は白濁した大涌谷温泉。この湯は蒸気造成混合温泉と言われ、大涌谷の自然温泉と、温泉成分を含んだ蒸気にくぐらせた地下水を混合したもの。人の手が加わっているが、加水・加温していないので「温泉」と認められているらしい。

かつては「箱根七湯」だったが、今では「箱根二十湯」と言われる。明治以降、箱根の各所が観光地・別荘地として開発されるとともに、温泉も次々に開発された。

ほかの季節に来ると熱くて水をうめないと入れないけれど、雪が降った今日は珍しくぬるく感ずる。

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翌朝、外輪山の火打石岳に陽が射してくる。気温がぐんぐん上がり、夕方にはかなり溶けた。

どの写真もモノクロームに見えるなあ。

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February 19, 2013

ようやく梅一輪

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blooming of a Japanese apricot

庭の白梅がようやく一輪花をつけた。いつもは2月上旬に咲くけれど、こんなに遅いのは寒かったからだろうか。

去年11月に痛めた膝も、寒い日はてきめんに調子が悪い。春になれば直ると期待しているんだけど……。


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February 13, 2013

四度目の雪

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snowing for the fourth time this winter

今冬、四度目の雪。このあたりでひと冬にこんなに何度も降ったのは記憶にない。

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蕾がふくらんできた梅にもうっすら。でも太陽が出て、2時間後には消えてしまった。

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February 11, 2013

夕陽ケ丘からの眺め

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a walk to Yuhigaoka, Osaka(大江神社から新世界方面を見る)

ボランティアの用事で大阪へ行ったので、夕陽ケ丘を歩いてきた。ここへ行ってみようと思ったのには理由がある。

ひとつは、去年、能についての単行本を編集していたとき、能「弱法師(よろぼし)」を見たこと。「弱法師」は夕陽ケ丘のそばに建つ四天王寺が舞台になっている。聖徳太子が創建した四天王寺は上町台地にあり、その西門からは大阪湾に沈む夕陽がよく見えたという。浄土教が広まった中世、夕陽が沈む彼方には西方浄土があると信じられていた。そのような信仰から、四天王寺にはこの世で生きる術を失った乞食(こつじき)や病者が集まり、住みついて浄土への往生を願った。

「弱法師」のシテ(主役)はそんな乞食の一人で、盲目の法師。彼は、盲目になる前に見た大阪湾に夕陽が沈む光景を「今は入日ぞ落ちかかるらん……難波の浦の到景の数々」と嘆き詠う。説経節や河内音頭の「俊徳丸」とも重なる人物である弱法師が夕陽を見た場所は、どんなところだったんだろう。

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地下鉄・四天王寺前夕陽ケ丘駅を降りて台地を崖のほうへ歩くと藤原家隆のものと伝えられる塚がある。『新古今和歌集』の撰者である家隆はここに庵をむすんで「夕陽庵」と名づけ、「契りあればなにわの里にやどりきて 波の入り日を拝みつるかな」と詠んだという。夕陽ケ丘の地名はここから来ている。

写真は崖の縁から振り返って塚を見ている。右手へしばらく行くと四天王寺がある。

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夕陽ケ丘が気になったもうひとつの理由は、中沢新一『大阪アースダイバー』を読んだこと。この本についてはブック・ナビ(LINKS参照)で感想を書いたけど、上町台地の四天王寺とその崖下に広がる新世界、釜ケ崎、飛田、またミナミと呼ばれる歓楽街との生と死、聖と賤の関係について刺激的な考察がなされていた。

「古代から今日にいたるまで荒陵(あらはか。上町台地の崖下を指す古代の地名)と呼ばれたあたりから、釜ケ崎を含むかつての今宮村まで広がる広大な地域が、時代ごとのプロレタリア(無産者)に向かって、やさしく胸襟を開いていた。……大阪にこのような愛隣的現象が起きたのは、崖の上に四天王寺が建っていたためである」

家隆塚の南にある大江神社の境内から崖下を眺める。夕陽でなく午前中だし、もちろん大阪湾は見えない。そのかわり、崖下には新世界の通天閣がそそり立つ。

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大江神社の脇で崖を下る愛染坂。

かつて大阪湾は崖下のすぐ近くまで入り込んでいた。そこへ淀川や大和川から土砂が運ばれて陸になり、その上に現在の大阪の繁華街ができあがった。

中沢新一によると、かつて千日前界隈は広大な墓地だったという。そこを整地して見世物小屋や芝居小屋、寄席が出現した。現在のなんばグランド花月もその上にあり、だから「ミナミの笑いは、このようなネクロポリス(死者の国)の上に、比類ない成長をとげてきたのである」。

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愛染坂のひとつ南の清水坂。

大阪はアップダウンのない平らな町という思い込みがあった。上町台地といっても、本町通りを台地上のNHKや大阪城方向に向かって走ってもたいした坂はない。でもここへ来ると、坂らしい坂があり崖がある。坂や崖といった地形の変化は、人の住まい方とも関係する。このあたり神社と寺の多い町で、だから他の地域より緑が多いのもその結果だろう。

都市の景観という意味でも、崖と坂の緑を挟んで上に四天王寺の五重塔、下に通天閣というのは悪くない。ビルが立て込んで、それを一望できないのが残念だけど。次に大阪へ来たら数十年ぶりに通天閣に登って、この景色を眺めてみよう。

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午後は30年前に一緒に仕事した知人と久しぶりに会って旧交を温め、その後、鶴橋へ。中沢新一が古代、近代、戦後と3層に積みあがった「在日コリア世界」と呼ぶ場所。大阪へ来ると必ず寄る鶴橋市場のなじみの韓国漬物店で岩海苔を買う。

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韓国茶のチャングム舎廊房でザクロ茶を飲んでひと休み。店内には韓流ポップスのDVDが流れ、韓流スターのポスターや写真がいっぱい。

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February 08, 2013

『東ベルリンから来た女』 バルバラの息の音

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Barbara(film review)

舞台は旧東ドイツ北部の小さな町。曇天の空が広がり、鈍色の光に覆われている。風が強い地方らしく、背の低い緑の木々が激しく揺れる。主人公のバルバラ(ニーナ・ホス)が風に騒ぐ林の脇を自転車に乗って通るとき、海鳥の声が低く聞こえるから、林の向こうは海らしい。でも、映画のなかで重要な意味を持つことになる海は最後の最後まで姿を見せない。

ラストシーン、物語が終わり画面が暗転すると、真っ暗ななかにバルバラが呼吸する音だけがかすかに聞こえている。

『東ベルリンから来た女(原題:Barbara)』は、風景の微妙な光や風や音の美しさや、音楽を使わず抑制のきいた画面が素晴らしい映画だった。

東ベルリンの病院に勤務していた医師のバルバラは、西側への移住申請を出したために左遷され、この町の病院にやってきた。映画の最初、病院の前でバスから降りたバルバラは定刻までのわずかな間、外のベンチに座って脚を組み、煙草を吸っている。その何かを拒絶する意思的な姿から、見る者はファースト・シーンで彼女が醸しだす秘密と不安の気配を感じ取る。

病院でバルバラの同僚となる医師のアンドレ(ロナルト・ツェアフェルト)は、秘密警察に彼女の動静を報告することを命じられているらしい。バルバラが借りた新しい部屋にはさっそく秘密警察がやってきて、彼女が病院帰りに数時間姿をくらましたことを警告する。バルバラには西ドイツに恋人のヨルク(マルク・ヴァシュケ)がいて、彼はバルバラと密会しながら亡命計画を準備している。

クリスティン・ペッツォルト監督は、バルバラの病院での仕事ぶり、自転車での往き帰り、アパートでの生活といった日常を丹念に追ってゆく。日常の繰り返しのなかで、少しずつドラマが動いてゆく。

病院のスタッフと溶け合わないバルバラだが医師としての良心を持ち、腕は確かで、労働矯正所から送られてきた少女は彼女にしか心を開かない。自転車での帰り道、風が騒ぐ林のそば、大きな十字架の立つあたりでバルバラは恋人が隠した現金を取り出し、アパートの煙突のなかに吊るして隠す。最初、同僚のアンドレの一言一言に疑いの目を向けた彼女だが、やがて彼の挫折と苦悩、誠実さを知ってゆく。

亡命計画、患者の手術、少女の矯正所からの逃亡、秘密警察の監視などが絡み合って、静かにサスペンスが高まる。信頼しあうようになったバルバラとアンドレの間では、愛が育ってゆく気配がある。亡命を決行する日、暗いバルト海の海辺で、バルバラは重大な決断を迫られる……。

ドラマチックな描写は一切ない。カメラは端正な構図で、こうした出来事を静かに見詰めるだけ。北ドイツの冷たい風景のなかで、バルバラのニーナ・ホスが知的で意思的な女を演じて美しい。頭の上で無造作にまとめた金髪の後れ毛や、白衣からのぞくふくらはぎの白さがエロティックだ。

クリスティン・ペッツォルト監督は両親に連れられて、ベルリンの壁崩壊以前に東ドイツから西ドイツへ移住してきたという。だからなんだろう。監視下に生きる暮らしの冷え冷えした日常がひしひしと実感され、それだけに、最後に暗闇のなかで聞こえるバルバラのかすかな息の音が暖かい。

彼の映画が日本で一般公開されるのは初めてだけど、過去の作品は映画祭でいろんな賞を獲得している(この映画もベルリン映画祭銀熊賞)。ニーナ・ホスはそのうち5本に主演しているというから、彼女はペッツォルト監督のミューズなんだろう。この2人の作品、もっと見てみたい。

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February 01, 2013

『フリーランサー NY捜査線』 悪党2人

Freelancers
Freelancers(film review)

ロバート・デ・ニーロとフォレスト・ウィテカーが悪党をやる。そう聞いただけで、この映画を見るのが楽しみだった。ニューヨーク市警の裏組織を牛耳る悪徳警官役。悪徳警官といえば1950年代のマッギヴァーンのミステリー小説やフィルム・ノワール以来おなじみの設定だけど、この2人がどんな悪徳警官になるのか。

デ・ニーロ演ずるサルコーネ警部はニューヨーク市警路上犯罪班長で裏組織のボス。フォレスト・ウィテカー演ずるラルー刑事はサルコーネの右腕で、組織のNO.2。裏組織は市警が押収するドラッグを掠めとり、ドラッグ密売人からは上納金を徴収している。仲間になった警官には稼いだ金をわけ、秘密クラブで酒と女を提供している。

サルコーネは、新入りのアフリカ系警官・ジョナス(カーティス”50セント”ジャクソン)の教育係にラルーを指名し、ジョナスを仲間に引き入れる。彼は、かつて裏組織に属し、何者かに殺された警官の息子だった。ジョナスはサルコーネの手下として働くうち、立派な警官だと信じていた父の死の真相を知る……。

ロバート・デ・ニーロは最近では特別出演ふうにちょっとだけ顔を出す作品も多いけど、『フリーランサー NY捜査線(原題:Freelancers)』では主演クラスの役。裏組織のボスとして、ジョナスを仲間に引き込むときの甘い言葉と笑顔や、裏切りをなじるときの悪党面の表裏二面を見事に見せてくれる。「俺たちに必要なのはマネーとフィアー(恐怖)とリスペクトだ」というセリフに凄みがある。デ・ニーロはこれまで善人役も多く、見る者にはそのイメージが蓄積されているから、悪党役はそれだけに迫力あるなあ。

フォレスト・ウィテカーのラルー刑事は、ジョナスの相棒として覆面パトカーに乗って町を流している。ジョナスはクイーンズ生まれという設定で、ロケもクイーンズのようだ。クイーンズはマンハッタンと違って高層ビルが少なく、住宅や商店街や工場がだだっ広い地域にのっぺり広がっている。住民はアングロ・サクソンは少なく、いろんな国から来た移民が多い。無機質な茶色の建物が立ち並ぶ、プロジェクトと呼ばれる低所得者用公共アパートが何度も画面に登場する。

ラルーは、パトカーでドラッグをやるほどのヤク中。犯罪現場に駆けつけても、倦怠感と、いつ切れるかわからない不穏な気配を全身から発している。フォレスト・ウィテカーを最初に見たのはクリント・イーストウッド監督『バード』のチャーリー・パーカー役だったけど、その後、いろんな映画の脇役として印象に残っていた。アフリカ系にしては肉の締まってない、茫洋とした雰囲気が持ち味。そんなウィテカーが凶暴な気配を湛えたこの映画の悪党はすごくいい。

新米警官ジョナスになるカーティス”50セント”ジャクソンは俳優でなく、ヒップホップ・ミュージックのラッパー。そのせいか、これが長編3作目の監督ジェシー・テレロがMCクリップ出身のせいか、映画は全編にラップはじめブラック・ミュージックが散りばめられている。作品自体に新味はないけど、B級プログラム・ピクチャーの味があるのが嬉しかった。

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