『最初の人間』 引き裂かれた現在
『最初の人間(原題:Il Primo Uomo)』はアルベール・カミュの遺作となった未完の自伝をイタリアのジャンニ・アメリオ監督が映画化したものだ。
カミュの分身である作家、ジャック・コルムリ(ジャック・ガンブラン)が生まれ育った故郷アルジェリアを訪れ、大学で討論会に出席する。当時、フランスの植民地だったアルジェリアでは独立運動が激化していた。ジャックはフランス人とアルジェリア人の共存を訴えるのだが、あくまで植民地を維持しようとするフランス人強硬派からも、暴力を辞さないアルジェリア人の独立派からも野次と怒号で迎えられ、討論会は混乱のうちに終わる。
大学を離れたジャックは、アルジェの貧民街にあった生家を訪れる。不在の母・カトリーヌ(カトリーヌ・ソラ=現在、マヤ・サンサ=過去)を捜しに市場へ出かけたジャックは、買い物をしている彼女を見つけ、無言で年老いた母を抱擁する。
政治と家族。二つの異なる次元に属する冒頭のシーンは、映画の最後まで遂に交わることがない。アメリオ監督は、この地で育ったジャックの子供時代と現在を行き来させながら、引き裂かれた現在を黙って見詰めている。
冒頭の大学の討論会は、1957年に実際に行われたものだ。この場でカミュは「私は正義を信ずる。しかし正義より前に私の母を守るであろう」と発言したという(海老坂武)。「正義」とは、アルジェリアのフランスからの独立を指しているだろう。植民地からの独立が「正義」だったのは、この時代にアフリカの多くの植民地が独立したように、誰にも押しとどめられない世界史の流れだったことから明らかだ。
フランスの多くの知識人、例えばJ=P.サルトルは独立運動を進めたアルジェリア民族解放戦線を支持した。でも、いわば身軽なフランス本国の知識人と違って、カミュにはアルジェリアに母とその一族がいた。貧しい植民者の子として育った彼自身も、アルジェリアの「海」と「太陽」に啓示を受けて文学者になった。独立運動が「正義」であることは十分に分かっていても、でもテロに巻き込まれて母が傷つく可能性がある以上、その場合には母を守るというカミュの言葉、その引き裂かれた態度を誰が断罪できるだろう。
当時の政治状況のなかで、カミュはフランス人強硬派からもアルジェリア民族解放戦線からも非難された。でも、それから半世紀以上たった今、ジャンニ・アメリオ監督がそうしているように、何も言わず、悲しみをもって、僕たちはジャックの態度と行動を見詰めるしかない。
過去と現在(1957年)を行き来する映画だけれど、トリッキーな仕掛けはなにもない。現在のジャックが生家のベッドで横になると、次のカットでまったく同じ姿勢で横になっている子供のジャックになる。音もなく、すっと、現在から過去への旅が始まる。父なし子として祖母に邪険にされたり、学校でアルジェリア人の子供から白眼視されたり、恩師によって文学への目を開かれたりといったエピソードによって、過去が引き裂かれた現在にそっと重なってくる。
『異邦人』で強烈な印象を与える「海」も「太陽」も、この映画では描写が抑制されている。そのかわりに、幼いジャックと現在のジャックが歩き回るアルジェの町並みが深く記憶に残った。
『週刊新潮』(2012年12月18日号)によると、この映画はフランスでもアルジェリアでも公開されていないという。道理でグーグルでフランス語のポスターを探しても出てこなかったはず(上の写真はイタリア語版)。アルジェリア戦争は当事者にとって、今も触れれば傷が口を開け、血が流れる問題なんだろう。
Comments
トラックバックいただき、ブログを拝見しました。
時々こちらを訪ねて、いろいろ参考にしたいと思います。
有難うございました。
Posted by: よしひこ | January 08, 2013 09:50 PM
私もよしひこさんのブログに色々教えていただきました。これからもよろしくお願いします。
Posted by: 雄 | January 09, 2013 10:55 AM