大島渚監督を悼む
大島渚監督は、僕が10代の映画少年時代から遺作『御法度』を見た50代に至るまで、日本映画の最前線はここにあるぞと、いつも同時代の風を感じさせてくれる監督だった。
最初に見た作品はなんだったろう。『悦楽』(1965)だったか、『白昼の通り魔』(1966)だったか。公開時でなく後で見た映画もあるのではっきりしない。いずれにしても犯罪とセックスの話で、高校から大学に入ったばかりの10代には刺激の強い映画だった。川口小枝が佐藤慶に犯されるシーンなんか記憶に焼きついている。
大学に入った年には『青春残酷物語』『太陽の墓場』『日本の夜と霧』といった松竹ヌーヴェル・ヴァーグ時代の旧作を池袋・人生座で見て、その過激さに圧倒された。特に上映中止になった『日本の夜と霧』は60年安保の日共系と反日共系学生の対立を描いて、5社の商業映画体制のなかでよくこんな映画がつくれたとびっくりするような議論映画だった。
でも大島監督をいちばん身近に感じたのは『日本春歌考』(1967)だったろう。荒木一郎扮する高校生が東京へ大学受験に来て、ふらふらしながら何人もの女性とセックスするお話。荒木が吉田日出子扮する在日朝鮮人(と明示されていたかはっきりしないが)女性に出会い、彼女が訛りのある日本語で「あめのしょぽしょぽふる晩に…」と春歌を歌うシーンが素晴らしかった。
ちょうどこの年は建国記念日(紀元節)が国民の祝日として制定された年で、反対デモも画面に取り入れられている。でも荒木一郎たちは反紀元節の政治に興味を示さず、春歌とセックスに入れ込んでゆく。政治より性で権力に対抗しようとするアナーキーな大島渚のメッセージが強烈だった(この姿勢は『愛のコリーダ』でも明らか)。
受験シーンは即興だったらしく、荒木一郎が本物の受験生に混じって歩く場面は確か学習院大学で撮影されていた。この年は2月に大雪が降り、画面にも雪が映っていたので、ああ、あの日に撮ったんだなと分かった。荒木一郎は『893愚連隊』(中島貞夫監督)もそうだったけど、青春の空虚な気分をなんともリアルに感じさせて、同世代として共感を覚えたものだった。いい役者だったなあ。ともあれセリフも筋も即興的な姿勢は映画全体に貫かれていて、松竹時代の過激ではあるけれど正統派のドラマよりこっちのほうがよっぽどヌーヴェル・ヴァーグだと思った。
ジャーナリスティックな素材に、スキャンダラスな犯罪や性を絡め、それを実験的な手法で映画にするのが大島渚のスタイル。その後の『絞死刑』『新宿泥棒日記』『少年』『儀式』といった1970年前後の映画が、そうしたスタイルのいちばん充実した作品群として記憶に残っている。もちろん70年代後半からの『愛のコリーダ』『愛の亡霊』『戦場のメリークリスマス』といったあたりの成熟した完成度もすごい。でも1本を選べと言われれば、僕は19歳のとき見た『日本春歌考』を挙げたい。
何十年ぶりかで見てみたくなった。合掌。
Comments
初めまして。私は『日本春歌考』公開時はまだ生まれておりませんでしたが、この映画が大好きで、この度、この映画について色々調べたことをまとめたサイトを作りましたので、よろしければどうぞ。
Posted by: ランドルト環 | March 19, 2013 11:07 PM
1本の映画でこれだけのサイトをつくるとはすごいですね。特に「歌」についての欄は面白く拝見しました。小生の若い時代は、この映画のように春歌を歌う雰囲気が残っていましたし、「国際学連の歌」もよく歌いましたから。大島渚の映画は「引用」が多いですから、ほかの作品についても期待しています。
Posted by: 雄 | March 20, 2013 12:15 PM