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December 31, 2012

おせちを手伝う

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cooking food for the New Year's Holidays

わが家の大晦日はおせちをつくるのが習慣。毎年、娘か息子の嫁さんが手伝いに来る(もらいに来る)のだが、今年は誰も来ないので僕が手伝うことに。といっても、もっぱら下ごしらえで味つけには手を出させてもらえない。

シャーデーの「ソルジャー・オブ・ラブ」をBGMに人参を梅の花形に型抜き。

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ナマス。正月も3日くらいになると、ナマスが一番人気になる。器は益子の壷で、気に入っている。

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コンニャクに切れ目を入れ、ひっくり返す。

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花豆。すりつぶして、きんとんに。

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ヤツガシラ(八頭)。「八」が縁起がいいので、おせちに使われる。

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ごぼう。中華風に甘辛く煮る。

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冬茹(どんこ)。こいつがうまい。

毎年、紅白歌合戦の後半戦が始まるまでに終わることはなく、遅いときは「ゆく年くる年」になってから終わる。さて今年はどうなるか。

皆さん、よいお年を。


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December 29, 2012

コシヒカリで輪飾りをつくる

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making a decoration of a New Year

わが家で一株だけ育てたコシヒカリのごくささやかな収穫は、ご飯にしたら一口にもならなかった。稲穂が数本だけ残っていたので正月の輪飾りを手づくりすることにした。

稲藁を取っておけばそれを使えたんだけど、処分してしまったのが残念。紅白の糸紐を買ってきて輪にし、稲穂と、南天の実は落ちてしまったので西洋もののアロニア・アルブティフォリアの実で代用し、半紙でつくった紙垂(しで)をつける。正月飾りは、正月に迎える年神の依り代と言われる。昔は、みんなこうした身近なもので手づくりしたんだろう。

今日は神棚の掃除もしたけれど、神棚にあるのは注連縄(稲)と紙垂(紙。紙が一般化してからの風習だろう)と榊(植物)と酒(稲)。神棚本体は木と紙だし、榊を入れる器は粗末な陶器で、金属は蝋燭立てだけ。毎年掃除するたびに、この国の神(わが家は浦和の地主神である調神社)はもともと稲作社会の質素な宗教なんだなあと思う。

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December 24, 2012

『007 スカイフォール』 息子たちの復讐と忠誠

Skyfall
Skyfall(film review)

007シリーズを欠かさず追いかけてたのはロジャー・ムーア時代までで、その後はぽちぽちとしか見てないけど、ダニエル・クレイグが6代目ボンドになって俄然おもしろくなった。理由は二つあると思う。ひとつは、かつての荒唐無稽なスパイ・アクションでなく、ドラマ部分がしっかりしていること。もうひとつは、VFX全盛の時代にリアルなアクションにこだわっていること。

ドラマがしっかりしたのは、スタッフに優秀な、しかもエンタテインメント畑でない人材を起用しているからではないか。脚本のニール・パーヴィスとロバート・ウェイドは『ワールド・イズ・ノット・イナフ』(1999)以来つづくコンビだけど、ダニエルがボンドになった『カジノ・ロワイヤル』と『慰めの報酬』では、『クラッシュ』や『父親たちの星条旗』のポール・ハギスが共同脚本に参加している。今回の『スカイフォール(原題:Skyfall)』では、マーチン・スコセッシと組むジョン・ローガンが共同脚本に加わった。

監督も『慰めの報酬』は『チョコレート』のマーク・フォースターだし、『スカイフォール』は『アメリカン・ビューティ』のサム・メンデスだ。『スカイフォール』の撮影はコーエン兄弟と組むロジャー・ディーキンス。映画の冒頭から最後まで一貫するノワールな映像感覚と不穏な気配は、こうしたスタッフによるところが大きいと思う。悪役に『カジノ・ロワイヤル』のマッツ・ミクルセン、『慰めの報酬』ではマチュー・アマルリック、『スカイフォール』はハビエル・バルデムと、クセのある役者を配したのも効いている。

アクションについても、走る列車の屋根での格闘があり、ごったがえす雑踏でのカーチェイスがあり、イスタンブールのグランバザールの屋根でバイクの追跡劇があって、ダニエル・クレイグが体を張っている。格闘はシリーズ最高傑作『ロシアより愛をこめて』を思い出させるし、当時度肝を抜かれたヘリを爆発させるシーンも再現されている。むろんスタントがいてVFXも使ってるだろうけど、これ見よがしでなく、あくまでリアルなアクションを志向しているのがいい。

『スカイフォール』のドラマは、ボンドが「マム」と呼びかける母(M)に裏切られた2人の息子(シルヴァとボンド)の復讐と忠誠をめぐって展開する。走る列車の屋根でボンドと組み合う敵を狙撃しようとする相棒のイヴ(ナオミ・ハリス)が、ボンドを撃つのを恐れためらっていると、MI6を率いるM(ジュディ・デンチ)はイヴに「撃て」と命ずる。弾はボンドに当たり、ボンドは高架の鉄橋から遥か下の川に転落して「死亡」する。

またかつてMは、エージェントのシルヴァ(ハビエル・バルデム)が窮地に陥ったとき、シルヴァを中国当局に売り渡したことがある。消息を絶ったシルヴァがサイバーテロリストとして蘇り、テロリスト集団に潜入しているNATOのエージェントの名前を記したハードディスクを奪ってMに復讐しようとする。裏切った母に復讐しようとする息子(シルヴァ)を、死の淵から復活してもなお裏切った母に忠誠を誓う息子(ボンド)が追う。シルヴァはボンドに「俺たちは似た者同士だ」と言う。追う者と追われる者は兄と弟なのだ。

むろん、ドラマとしてしっかりしているだけでなく、007シリーズのお約束はちゃんと踏襲されてファンを楽しませてくれる。舞台はトルコの山岳地帯からイスタンブール、上海、マカオ(長崎・軍艦島のロケもある)、ロンドン、そしてスコットランド(まるで『シャイニング』導入部のような沈鬱な風景と建物)と世界各地を転々とする。007シリーズが製作された1960年代では、これはスパイ・アクションであると同時に観光映画であり、ボンドガールが出てくるお色気映画(『ゴールドフィンガー』最高!)でもあったんですね。

武器調達係のQが久々に出てきて(今回は若いベン・ウィショーのオタク的Q)、「壊さずに返してくださいよ」とおなじみのセリフをしゃべる。初代ボンド・カーのアストン・マーチンが登場して、助手席に乗ったMが嫌味を言ったのに対しボンドがシフトレバーの赤いボタン(これを押すと助手席が空中に吹っ飛ぶ)に手をかけて、にやりとさせるシーンもある。イヴが実はこれもおなじみ、Mの秘書のマネーペニーであることが最後に明かされる。

コインの裏表であるMの息子2人、シルヴァとボンドがボンドの故郷スコットランドの生まれ育った舘(スカイフォール)で、Mを追い、Mを守りつつ対決するラストも見事だ。荒涼とした野原に孤立して建つ古い舘に、ボンドと舘の狩猟番キンケイド(アルバート・フィニー)が古めかしいライフルとナイフを武器に立てこもる。シルヴァと手下たちが攻撃ヘリを伴って襲撃してくる。生家に戻り昔ながらの武器だけでMを守るボンドと、最新鋭のヘリを駆使してMを殺そうとするシルヴァは、ここでも対照的だ。

「スカイフォール」という言葉には、聞くところによるとラテン語で「天が落ちても(世界が終わっても)正義を貫く」という格言があるとか。だとすればスカイフォールの舘を爆破、崩壊させてMを守ろうとするラストは、ボンドの母(M=英国)への忠誠を示しているんだろう。

髭面のダニエル・クレイグだけでなく、Mのジュディ・デンチ、シルヴァのハビエル・バルデムがいいなあ。『ロシアより愛をこめて』以来の傑作じゃないかな。


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December 23, 2012

『人生の特等席』 カーブを打つ

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Trouble with The Curve(film review)

アメリカの劇作家リリアン・ヘルマンの自伝『未完の女』だったと思うが、彼女のパートナーだったハードボイルドの始祖ダシール・ハメットについて印象的なくだりがある。リリアンとダシールが湖でボートに乗っていたとき、オールを漕いでいたダシールがなにか失敗をしてしまい、リリアンが彼を助けようとしたときのこと。ダシールはリリアンを睨み、強い口調で「決して僕を助けようとするな」と言う。

『人生の特等席(原題:Trouble with the Curve)』でも同じような場面があった。主人公ガス(クリント・イーストウッド)が緑内障で視力に異常を来たし、家具に躓いたりドアを開けにくくなっているのを手助けしようとする娘のミッキー(エイミー・アダムス)に対して、「お前の助けはいらない。自分でできなければ死ぬまでだ」と怒る。

こういうガスのキャラクターは、これまでクリント・イーストウッドが過去に演じてきた役柄の数々を踏まえている。『荒野の用心棒』であり『ダーティ・ハリー』であり『スペース・カウボーイ』であり『ミリオンダラー・ベイビー』であり『グラン・トリノ』であるといった具合に。ひとことで言えば、他人の助けをいっさい借りず、自分ひとりの力でこの世に立つ「強い男」ということだろうか。

ハメットはコミュニストであり、一方、イーストウッドは共和党支持者だから(といって白人至上主義でもタカ派でもないが)、西部開拓以来、思想的・政治的な立場を超えてアメリカ男の底に共通する精神なんだろう。イーストウッドが数々の映画で演じてきた男たちは、そうした精神のさまざまな表れであり、その精神が時に勝利する姿、時に敗北する姿なんだと考えることもできる。

『人生の特等席』はロバート・ロレンソ監督の長編デビュー作。ロレンソは『マディソン郡の橋』などでイーストウッド監督の助監督を務め、その後はイーストウッドが持つマルパソ・プロダクションのプロデューサーを務めてきた。だから役者としてのイーストウッドの系譜についても熟知している。

ただ、この映画が今までのイーストウッド映画と違うところといえば、父と娘の葛藤と愛情をテーマにしていることだろうか。僕の記憶では、イーストウッドが主演した映画で妻や子供といった家族が大きな役割を演じるものは意外に少ない。『センチメンタル・アドベンチャー』くらいだろうか。

妻に先立たれたガスは、娘のミッキーを幼い頃にある事情から他人に預け、ひとりで大リーグのスカウトとして働いてきたことに内心負い目を感じている。ミッキーは父親のガスに捨てられたと思い込み、他人に心を開かないまま弁護士としてキャリアを積んでいる。頑固で似た者同士の父と娘が会うと、必ず口論になる。眼を痛めてスカウトとしての仕事に不安を抱えるガスに、小さい頃ガスに野球を見る眼を仕込まれたミッキーが手助けしようとする。ガスはミッキーを頑なに拒絶する。

これも今までのイーストウッド映画と違うところは、「強い男」であるガスが、その強さ(頑固さ)を最後まで貫かず娘の助けを受け容れるところだ。演ずるイーストウッドの82歳という年齢もあるだろう。イーストウッドの映画を見続けてきた者にとって、彼が小便の出が悪いと嘆いたり、机に躓いたりする姿をスクリーンで見るのは、演じているものとはいえ辛いものがある。でも、娘の助けを受け容れることによってガスが変わり、心を閉ざしていた娘のミッキーも変わる。

原題のTrouble with The Curveは、ガスが大リーグにスカウトする選手がカーブをうまく打てないことを見抜くかどうかが鍵になることから来てるけど、ガスとミッキーの父娘も人生でストレートしか打てず、カーブに対処できないことの比喩になっている。そんな2人がカーブを打てるようになる。その変貌こそがこの映画の主題だろう。

だから『人生の特等席』はイーストウッドには珍しい家族の映画になった。役者としてのイーストウッドの軌跡を踏まえ、かつ年齢にふさわしい役をつくりだしたのは、イーストウッドとつきあいの長いロバート・ロレンソだからこそなんだろう。もっとも、スポーツ映画としてお約束通りの終わり方は都合よすぎるし、イーストウッド自ら監督した作品群に比べると苦味が足りないような気もする。


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December 14, 2012

『恋のロンドン狂騒曲』 ロンドンの寅さん映画

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You Will Meet a Tall Dark Stranger(film review)

親と子、2組の夫婦が壊れてそれぞれが新しい相手を見つけ、4組のカップルが出来あがるけれど、そのそばからどのカップルも壊れそうな気配がありあり。懲りない男と女(つまり、われわれすべてということですね)の恋の空騒ぎを、これだけ豪華な役者で、手練れウッディ・アレンの脚本・監督で見せられて面白くないはずがない。身につまされる大人のコメディで、次作『ミッドナイト・イン・パリ』(日本ではこちらが先に公開された)のような映画としての深みはないけれど、たっぷり笑い、楽しめる。

親世代のカップルは、アンソニー・ホプキンスにジェマ・ジョーンズとイギリスの名優2人。レクター博士や真面目な役柄の印象が強いアンソニーが、ナイスバディの若い娼婦にころりと参って再婚し、豪華なアパートメントや高価な服を貢ぐ。70代の老人がスポーツジムに通い、バイアグラに頼る姿がけなげ。アラン・アーキンあたりがやれば爆笑ものなんだろうけど、イギリス紳士のアンソニーがやることでおかしみが出た。いかにも蓮っ葉な元娼婦の妻が、最後、アンソニーの心は離れてしまったのに子供ができたのを喜ぶあたりも泣かせる。

妻のジェマ・ジョーンズは『ブリジット・ジョーンズの日記』そのままのような、世間知らずでお人よしの典型的なアッパー・ミドルクラスの老女。夫に出ていかれて一人になり、アルコール(スコッチをストレートで)に頼り、娘夫婦のところにやたら顔を出し、オカルト的な占い師にはまる。降霊会で知り合った、やはり前世を信ずる古書店主と結ばれるが、このカップルだけがめでたしめでたし。とはいえ、金がなくなった元夫や資金を当てにしている娘の攻勢もあって、怪しげな信心が覚めてしまえばカップルの先行きは分からない。

娘のナオミ・ワッツは、ロンドンの美術ギャラリーでオーナーのアシスタントを務め、独立の機会を狙っている野心家。オーナーのアントニオ・バンデラスにくらくらしてW不倫の関係になりそうになる。ところが、バンデラスはナオミが紹介した女性アーチスト(企画段階ではニコール・キッドマンだったらしい)と不倫していたというオチ。起業の資金を当てにしていた母親はオカルト男と一緒になってしまい、彼女の将来は???

ナオミの夫はジョシュ・ブローリン。『ノー・カントリー』のテキサス男を少し知的にしたようなアメリカ男。作家だが、第1作が売れただけの一発屋になりかかっている。売り込んだ原稿の返事が来ないのにいらいらし(編集者の僕の体験でも、ダメな原稿の返事はできるだけ遅らせたい)、義母のジェマと嫌味の言い合いがすごい。義理の親子で、こんな辛らつな言葉のやりとりをするんだ。

落ち込んだジョシュは向かいのアパートの窓で見かけたインド系の美女、フリーダ・ピントに惚れて誘いをかける。『スラムドッグ$ミリオネア』の少女が、すっかり大人になった。ジョシュの甘い言葉にいかれたフリーダは結婚直前に婚約者を捨ててしまうけれど、一方、ジョシュは出版社に売り込んだ作品が盗作であることがばれそうになりあわてている。このカップルもすんなり行きそうにない。フリーダのアパートに移ったジョシュは、今度は向かいの窓に元妻の下着姿を見てどっきりしているみたいだし。

4組のカップル8人のキャラクターを短いショットとセリフで印象づけながら、どこまでも懲りない恋の行方を軽いリズムで描くウッディの職人技。ウッディの映画の登場人物は、男はいつもウッディの分身で、女は彼が次から次へ追いかけた女性たちの影を引きずっている。

だから彼の映画を見続けるのは、いってみれば「寅さん」シリーズを見てるようなもの。でも「寅さん」がスタイルもストーリーも型にはまった落語的な面白さなのに対して、ウッディは作品ごとにアイディアがあり、映画の背後からウッディの神経症的な内面が時に激しく、時にソフトに露出してくるのが面白い。

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December 13, 2012

グラフ・ジャーナリズムについて話す

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lecturing on the photo journalizm

アメリカ文化の専門家、立教大学の生井英考先生とは小生が週刊誌の編集者をしていた30年近く前からの知り合い。当時、先生はまだ大学院生で、雑誌編集を手伝ってもらっていた。といっても、アメリカ事情についてはわれわれよりずっと深い知識を持っていて、逆にこちらが教わることが多かったものだ。

生井先生に呼ばれて立教大学に行ってきた。「ジャーナリズム論(報道と写真)」の授業で、2週にわたりゲスト・スピーカーとしてグラフ・ジャーナリズムについて学生諸君と話す。

今週は戦前の対外宣伝誌『FRONT』の復刻版10冊を手に取ってもらいながら、グラフ・ジャーナリズムの歴史、報道写真の確立、国家宣伝とプロパガンダ写真の技術などについて。デジタル世代の学生たちは、手仕事のフォト・モンタージュの出来栄えに驚いていた。

来週は友人の写真家、白谷達也さんが実際に雑誌のために撮影した写真を借りて、学生たちにページを組んでもらう。

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December 12, 2012

『アルゴ』 映画みたいに荒唐無稽

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Argo(film review)

監督としてのベン・アフレックは、処女作『ゴーン・ベイビー・ゴーン』にしろ『ザ・タウン』にしろ、古風なスタイルのハードボイルドや犯罪映画をつくってきた。現在のハリウッドでは貴重な少数派だけど、『アルゴ(原題:Argo)』では一転、ニュース映像ふうな手持ちカメラやテンポの早いカットつなぎで小気味いいサスペンスに仕上げている。いまハリウッドでいちばん脂が乗っている撮影監督、ロドリゴ・プリエトと組んだと知れば、それも納得。

映画は事実に基づいている。イスラム革命後のイランで起きたアメリカ大使館占拠事件で、カナダ大使私邸に匿われた6人のアメリカ大使館員が国外脱出に成功した。その後、クリントン政権時代に、その真相が明らかにされた。CIA要員がSFファンタジー映画のプロデューサーを装ってテヘランに入り、6人を映画のスタッフに仕立てて脱出させたのだ。

「まるで映画みたい」に荒唐無稽な計画。CIAの人質奪還のプロ、トニー・メンデス(ベン・アフレック)はSFファンタジー映画の企画をでっち上げるために、ハリウッドに協力者を探す。特殊メイクのジョン・チェンバース(『猿の惑星』でアカデミー賞を取った実在の人物。ジョン・グッドマン)と大物プロデューサーのレスター(アラン・アーキン)の2人がトニーに協力することになる。

レスターは没脚本のなかから「アルゴ」というチープなSFファンタジー(トニーはfuckingと言っておりました)を選び、脚本家から安く買い叩く。コスチュームをつくって派手な製作発表を行い、雑誌に記事を掲載させることに成功する。イランを騙すには、まずアメリカ国内を騙すというわけだ。

トニーの息子がSFファンで、息子がテレビで『猿の惑星』を見ているときにこのアイディアを思いついたり、息子がフィギュアを飾っていたり、架空映画の絵コンテをもらったイランの革命防衛隊の兵士が喜んだり、映画好きの心をくすぐるカットがたくさん出てくるのが憎い。ハリウッドの映画製作の現場や映画人の生態が時に辛らつに描かれているのも面白い。

トニーがテヘランへ入ってからはサスペンスが加速する。トニーのアイディアに不信を抱く人質。大使館から逃げた6人の身元を確認しようとする革命防衛隊。ロケハンが許可され、スタッフに偽装させた6人を連れ出したバザールでは、暴動に巻き込まれそうになる。アメリカ国内では、いったん承認されたプランに中止命令が出る。脱出に向けて高まる緊張に引きこまれる。結末が分かっているとはいえ、はらはらどきどきさせる腕は確か。

1979年当時のテヘランが再現されているのも見どころ。テヘランの屋外シーンは主にイスタンブールで撮影されたようだ。当時の写真や映像を元に、群集がアメリカ大使館になだれこむ場面や男がクレーン車から吊るされている場面(これは僕も記憶にある)が再現されている。大使館を占拠するシーンでは、カメラマン(助手)にエキストラと同じ服を着せ、8ミリや16ミリのカメラを持たせて群集にまぎれて撮影したらしい。それが記録映像みたいな荒れた粒子の、動きの激しいショットになっている。

監督としてのベン・アフレックはハードボイルドやクライム・サスペンスが好きなファン(僕もそのひとり)が好むマイナーな存在だったけど、この映画をきっかけにメジャーな作品に進出するんじゃないかな。


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December 09, 2012

50年目の伝言

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memories of Nakamura Kiyostsugu

中学2年のとき、2カ月だけ同じクラスになった同級生がいる。彼、中村清継君は中学2年の春、関西から引っ越してきて、僕らのクラスに編入された。学校は中高一貫の私学だったので、彼が通っていた関西の私学とは互いに編入を認めあうことになっていたようだ。

新学期が始まって4、5日目。遅刻しそうになり、田端駅の改札を抜け坂道を早足で登りながら、やはり急ぎ足で前を歩いている生徒を見ると中村君だった。やあ、と挨拶したのが中村君と言葉を交わした最初だったと思う。学校まで、時間を気にしながら、彼が前にいた学校のことなどを話した。色白で、凛々しい顔の少年だった。

2カ月ほどして、中村君は学校を休むようになった。病気だと聞いていたが、夏休み前、突然に亡くなったと知らされた。小児麻痺による全身衰弱だというけれど、体育の授業も出ていたと記憶するし、病気のようには見えなかった。新しくクラスに加わった仲間が、ほんの少しだけ一緒にいて、仲良くなった頃いきなりいなくなる。なんだか信じられなかった。担任のO先生とクラス全員で葬儀に参列した。

高校2年、東京オリンピックの年、彼の三周忌だったと思う。そのころは学校を辞め大学に戻っていたO先生と、当時のクラス仲間とで綱島(だったか)の中村君の自宅を訪れ、墓参りをした。そのとき撮ったのが上の写真。中村君の父上とお姉さんが一緒に写っている。お姉さんは楚々とした美人で、その後、仲間が集まると、中村君のお姉さん、きれいだったな、と必ず話題になった。20代で独身だったO先生に、先生、気があるんじゃない? とからかう者もいた。先生も満更ではなさそうだった。遠い昔の記憶である。

昨日、皆が65歳になったのをきっかけに、その年の卒業生全員に声をかけた「学年会」が母校で開かれた。会の途中、中学2年のO先生のクラスにいた者の名前が呼ばれ、壇上に上げられた。出席されたO先生と一緒に写真を撮るという。話を聞くと、こうだった。

学年会に出席したある同級生の知り合いが、なんと中村君のお姉さんと結婚していたのだという。学年会が開かれることを知ったお姉さんが、若くして亡くなった弟の同級生を懐かしく思い、写真を撮って送ってほしいと頼まれたとか。遠い記憶が何十年もの間、細い1本の糸のようにつながっていて、50年後、糸の両端で互いの存在を確かめあう。そんな、甘やかな気持を抱きながら写真に収まった。

それで昔の写真を引っ張り出してみたのだが、中村君だけでなく、ここに写っている仲間の3人が既に亡くなっている。


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December 04, 2012

吉武研司の「八百万の神々」シリーズ

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Yoshitake Kenji exhibition

ご近所の飲み仲間である画家の吉武研司さんが、教えていた女子美術大学を退官する記念展が大学ギャラリーで開かれた(~12月4日)。

ここ数年、吉武さんが描きつづけている「八百万(やおよろず)の神々」シリーズがたくさん展示されている。直径数メートルの大きな円や楕円のキャンバスに、人であり神であり動物でも植物でもあるようなかたちが無数に描きこまれている。赤地のものが多いけど、新しく描きはじめた緑地の作品「八百万の神々─緑神誕生」の前で。

このところ吉武さんは地下鉄・北参道駅や成田空港などパブリック・スペースの巨大陶板壁画で活躍してるけど、本業の絵でも大きな鉱脈を堀りあてたみたいだ。このシリーズがどんなふうに発展していくか楽しみ。


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