50年目の伝言
memories of Nakamura Kiyostsugu
中学2年のとき、2カ月だけ同じクラスになった同級生がいる。彼、中村清継君は中学2年の春、関西から引っ越してきて、僕らのクラスに編入された。学校は中高一貫の私学だったので、彼が通っていた関西の私学とは互いに編入を認めあうことになっていたようだ。
新学期が始まって4、5日目。遅刻しそうになり、田端駅の改札を抜け坂道を早足で登りながら、やはり急ぎ足で前を歩いている生徒を見ると中村君だった。やあ、と挨拶したのが中村君と言葉を交わした最初だったと思う。学校まで、時間を気にしながら、彼が前にいた学校のことなどを話した。色白で、凛々しい顔の少年だった。
2カ月ほどして、中村君は学校を休むようになった。病気だと聞いていたが、夏休み前、突然に亡くなったと知らされた。小児麻痺による全身衰弱だというけれど、体育の授業も出ていたと記憶するし、病気のようには見えなかった。新しくクラスに加わった仲間が、ほんの少しだけ一緒にいて、仲良くなった頃いきなりいなくなる。なんだか信じられなかった。担任のO先生とクラス全員で葬儀に参列した。
高校2年、東京オリンピックの年、彼の三周忌だったと思う。そのころは学校を辞め大学に戻っていたO先生と、当時のクラス仲間とで綱島(だったか)の中村君の自宅を訪れ、墓参りをした。そのとき撮ったのが上の写真。中村君の父上とお姉さんが一緒に写っている。お姉さんは楚々とした美人で、その後、仲間が集まると、中村君のお姉さん、きれいだったな、と必ず話題になった。20代で独身だったO先生に、先生、気があるんじゃない? とからかう者もいた。先生も満更ではなさそうだった。遠い昔の記憶である。
昨日、皆が65歳になったのをきっかけに、その年の卒業生全員に声をかけた「学年会」が母校で開かれた。会の途中、中学2年のO先生のクラスにいた者の名前が呼ばれ、壇上に上げられた。出席されたO先生と一緒に写真を撮るという。話を聞くと、こうだった。
学年会に出席したある同級生の知り合いが、なんと中村君のお姉さんと結婚していたのだという。学年会が開かれることを知ったお姉さんが、若くして亡くなった弟の同級生を懐かしく思い、写真を撮って送ってほしいと頼まれたとか。遠い記憶が何十年もの間、細い1本の糸のようにつながっていて、50年後、糸の両端で互いの存在を確かめあう。そんな、甘やかな気持を抱きながら写真に収まった。
それで昔の写真を引っ張り出してみたのだが、中村君だけでなく、ここに写っている仲間の3人が既に亡くなっている。
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