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November 28, 2012

ガラス戸越しの紅葉

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autumn color through the window

このところの寒さでカエデの紅葉がぐっと進んだ。こんなに鮮やかな紅葉は何年ぶりか。築85年のわが家のガラス戸越しに。

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November 26, 2012

那須温泉行

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a trip to Nasu Spa(大丸温泉)

知人に誘われて那須温泉へ行ってきた。谷ひとつ隔てた板室温泉は5年前に来たことがあるが、那須温泉は10代のころ1度訪れただけ。大きな旅館やホテルが並んだ温泉街という記憶があったけれど、久しぶりに来てみると、ずいぶんさびれた印象。廃業した旅館があり、営業しているところも古びた建物が多い。

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那須岳は紅葉も終わり、もう冬支度。3連休初日の昨日は雪が降ったらしく、高度を上げると路上に雪が残っている。いちばん高い茶臼岳もうっすら雪化粧。

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町営の共同浴場・鹿の湯へ行ったのだが連休で超満員。仕方なく同じ源泉を引いている旅館で日帰り入浴することにした。とろりと乳白色の硫黄泉は、温泉へ来たなあ、という満足感がある。

鹿の湯は41~48度まで湯温の違う6つの浴槽があるけれど、ここは露天を含めて3つ。手前の浴槽が42度くらいか。ちょうど良い湯加減。奥は熱くて43~44度程度。1、2分入ってすぐ出た。鹿の湯の48度には熱烈なファンがいると聞く。東京の銭湯の比ではなく、どんな熱さなんだろう。ここの露天はおそらく40度以下。ぬるくて、長時間入れる。僕はぬるめの湯に長時間入るのが好み。

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泊まりは知人の別荘。温泉街は寂しいけれど、その下に広がる高原が別荘地として開発され賑わっており、おしゃれなレストランや店も多い。朝、窓から朝日が射し込んで目が覚めた。

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外へ出るとクヌギの林。紅葉の終わった葉がずいぶん落ちていて、歩くとさくさくと気持ちよい音を立てる。

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朝日が林を赤く染める。

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知人夫妻が子供のように可愛がっている柴の愛犬。

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この日は温泉街を抜けて那須岳をさらに登り、大丸温泉へ。ここは日本秘湯を守る会のメンバー。

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川を堰きとめてつくった、いくつものの露天がある。下流から上流へ、沢を上りながらの露天めぐりが面白い。湯は無味無臭無色透明の単純泉。飲んでも白湯みたい。熱さもちょうど良く、山に抱かれての長湯。

露天は女性専用以外は混浴で、男も女も旅館が用意したタオルを巻いて入ることになっている。おばちゃんたちが入ってきて、賑やかにおしゃべりを始めた。しばらくすると若い子も2人、そろりそろり入ってくる。東北の温泉は混浴が多く、透明の湯でもたいていタオル禁止だけど、関東圏では宿がタオルを用意して昔ながらの混浴を守っているんだな。


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November 21, 2012

遅めの紅葉

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autumn colors in my garden

今年は東日本の紅葉が遅いらしい。わが家の紅葉も、まだ色がようやく濃くなってきたところ。紅葉の盛りにはまだ1週間くらいかかりそうだ。

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カエデ。まだ色づきが薄い。

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ドウダンツツジ。こちらも紅葉しているのは一部。


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November 18, 2012

『みんなで一緒に暮らしたら』 75歳の恋愛映画

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Et si on vivait tous ensemble?(film review)

フランス文学者の鹿島茂さんが、「フランス人は国民性のなかに恋愛が埋め込まれている」と言っている(11月14日、朝日新聞)。さすが鹿島さん、うまいことおっしゃる。そういう目で『みんなで一緒に暮らしたら(原題:Et si on vivait tous ensemble?)』を見ると、これはほのぼのしみじみの老人映画なんかでなく、現役ばりばりの恋愛映画に見えてくるから面白い。75歳になるジェーン・フォンダがその主役。

40年来の友人である2組の夫婦とひとりの独身男が、死の準備をしなければならない歳になって共同生活を営むことになる。独身で女遊びも盛んな写真家クロード(クロード・リッシュ)が心臓発作で倒れ老人ホームに入れられる。それを見舞った2組の夫婦が、こんなところで死なせられないと施設を脱走させ、社会活動家ジャン(ギイ・ブドス)とアニー(ジェラルディン・チャップリン)夫妻の家に連れてきたのだ。認知症の症状が出始めたアルベール(ピエール・リシャール)と元哲学教師ジャンヌ(ジェーン・フォンダ)夫妻もアパートを引き払って越してくる。

5人は固い友情で結ばれているのだが、ひとつ屋根の下で暮らすことで、彼らの過去の恋愛が浮上してくる。ジャンヌと写真家のクロードはかつて不倫の関係にあり、居間でクロードと2人だけになると、彼女は戯れにヌード・モデルがよくするポーズを取ってみせたりする。2人の間には昔の恋愛感情が今も流れているようだ。もっとも、本気なのかといえばそうとも言えない。かつての恋愛感情の揺曳を楽しんでいる、といった風情。

実はモテ男のクロードは、ジャンヌと同時進行でかつてアニーとも不倫の関係にあった。アニーは自分の家の居間でクロードとジャンヌが戯れているのを偶然見てしまうが、彼女は何も言わずそっとドアの陰に姿を隠す。その短いショットで、アニーもまたクロードに対する恋愛感情を引きずっているのかもしれないと思わせる。感情を素直に表に出すジェーン・フォンダに対して、深い思いを内へと秘めるジェラルディン・チャップリンの老婆ぶりも見事だ。同じ屋根の下の微妙な三角(それぞれ夫がいるから五角?)関係。

5人の共同生活に、ひとりの若い男が入ってくる。ジャンヌが犬の散歩のために雇った学生のディルク(ダニエル・ブリュール)。民俗学研究者の卵であるディルクは、ジャンヌの勧めで5人の世話をしながら老人の共同生活を研究対象として記録しはじめる。ジャンヌとディルクが犬の散歩に公園に出かけ、ベンチでジャンヌはディルクに生々しい話題を振ってゆく。私たちにセックスがあると思う? 夫とはたまにしかないけど、自慰はする。そのとき誰を思い浮かべると思う? ディルクは、どぎまぎして答えられない。

教師が学生を指導するような対話を交わしながら、ジャンヌは息子どころか孫ほども若いディルクに恋愛ゲームを仕掛けているように見える。もちろん、これも本気じゃない。実はジャンヌは重い病気にかかっているのだが、手術を拒否し死期が近いことを自覚している。その上での友人との共同生活であり、戯れの恋愛感情なのだ。そうやって人生の最後の時間を楽しんでいる。

ジャンヌだけではない。自分が撮った女たちの裸の写真をトランクにためこんでいるクロードも、共同生活から抜け出して娼婦を買うのが楽しみ。若いディルクにバイアグラの調達を頼むあたり笑ってしまうけれど、ジャンヌとの戯れだけでなく、娼婦との一時の疑似恋愛を楽しんでいる。ジャンヌもクロードも、若い男と女の一途な恋愛とは違うけれど、年齢がもたらす余裕をもちながら恋愛を楽しみつくそうとしている。

共同生活のなかで秘められた過去の恋愛が表沙汰になり、5人の友情に亀裂が入りそうになるけれど、これもまた年齢がもたらす互いの寛容さで乗り越える。画面がぽんと切り替わって、画面いっぱいにアップされたグラスにシャンペンが注がれる。5人が変わらぬ友情を確認するのかと思わせておいて、それがいきなりジャンヌの葬儀。ジャンヌが生前に注文したピンクの棺の上に、4人がシャンペン・グラスを置いて去ってゆくシーンが洒落ている。

40年ぶりでフランス映画に出演した75歳のジェーン・フォンダが魅力たっぷりで、見惚れてしまった。

脚本・監督は42歳のステファン・ロブラン。商業映画2作目。この若さで、このキャリアで、こういう大人の映画をつくることを可能にするのは、やっぱり「国民性に恋愛が埋め込まれている」せいなのかな。


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November 14, 2012

『危険なメソッド』 ダークな世界をクールに

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A Dangerous Method(film review)

20世紀が生んだ独創的な思想のひとつに精神分析がある。夢判断からその人の精神世界を分析してみせたフロイトと、それを発展させ個人的・集団的無意識世界を探求したユング。小生、2人の本をちょっと覗いた程度の知識しかないけど、人間の心の奥底を探ろうとした当時は新奇な学問が、まだ20世紀を象徴する自動車や近代建築やファッションのない世界から生まれてきたことに、『危険なメソッド』を見て改めて気づいた。

フロイト(ヴィゴ・モーテンセン)とユング(マイケル・ファスベンダー)、2人の巨人の師弟関係と決別。ユングの患者であり、ユングの愛人となり、ユングと別れてフロイトの患者ともなり、後に自らも精神分析医となったザビーナ(キーラ・ナイトレイ)。ザビーナを間に挟んだユングとフロイトの葛藤。また、ユングと妻とザビーナ3人の間の葛藤。そんなドラマがチューリッヒとウィーンの優雅な町を舞台に繰り広げられる。

撮りようによってはどろどろの映画になるだろう。でもデヴィッド・クローネンバーグ監督は、ショッキングな内容をいつもの静謐かつクールな語り口で物語る。しかもクローネンバーグ好みの小道具やシーンがそこここに出てくる。

ザビーナのトラウマが父親から受けた折檻と性的興奮にあることを突きとめたユングが、医師と患者の関係を踏み超えてその関係を再現するショット。ユングが妻を被験者に言語連想の実験をするときの、被験者の汗だか脈拍だかを測る嘘発見器ふう実験器具に寄せる偏愛的な視線。レマン湖に浮かぶヨットのなかでユングとザビーナが寄り添い横になっているのを俯瞰する素晴らしいショット。

もともと『危険なメソッド』は、脚本家・劇作家であるクリストファー・ハンプトンの舞台劇をクリストファーが自ら脚本化しもの。『ザ・トーキング・キュア(談話療法)』という原作の舞台は、フロイト、ユング、ザビーナの3人を中心に大量の心理的・思想的言語が飛び交う言葉の劇だったんじゃないかな。そういう言葉の世界、僕たちもテキストを通してしか知らなかったダークな世界を、美しい風景とヨーロッパの古都、20世紀初頭の、まだ前世紀の雰囲気が残る優雅な世界のなかに置いて映像化してみせるのがクローネンバーグの狙いだったんだろう。


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November 10, 2012

コシヒカリの稲刈り

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a harvest of Koshihikari rice

NPO棚田ネットワークで買ったコシヒカリの苗が実り、1株だけの稲刈り。

10月下旬にバケツの水を抜き、2週間ほど乾かした。水を抜いたときはまだ葉や茎が青々としてたけど、どうやら黄金色になってきた。まだ青いままの穂もあり、首を垂れていない。わが家の庭はお隣が家を建て直してから日陰の時間が長くなり、日照が不足していたんだろう。

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これが刈り取った、というより植木鋏で切った稲穂。これから10日ほど日干しする。ご飯一口にしかなりそうもない収穫。にしても嬉しいものだ。

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November 08, 2012

マッコイ・タイナーを聞く

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McCoy Tyner Trio with Gary Barts

マッコイ・タイナーが来日するのを知ってさっそく予約を入れ、楽しみにしていた。楽しみにしていたというより、これがマッコイを聞く最後の機会になるもしれないな、と感じていた。

このところマッコイの新譜が出たという話を聞かない(ちゃんとチェックしてるわけじゃないけど)。5年ほど前、1年間ニューヨークに滞在したとき、どうしても聞きたかったのがロリンズとマッコイだった。ロリンズは聞けたけど、僕の知る限りマッコイがNYのライブハウスで演奏することはなかったし、各地のジャズ・フェスティバルに出ることもなかった。だから、あまり積極的な演奏活動をしていないのかな、と思っていた。

1980~90年代に2度ほどマッコイのライブを聞いたことがある。会場は今回と同じブルーノート。そのうち一度はピアノを弾くマッコイの直ぐ後ろの席で、巨体から汗を流し、目にも止まらない早弾き、強いタッチのほとばしるピアノに圧倒された。 

この日のマッコイは、十数年前とはずいぶん変わっていた(11月6日、表参道・Blue Note)。74歳だからそんな年でもないのに巨体は小さくなり、足元はおぼつかない。3人のメンバーがステージに上がった後、肩から黒いバッグを提げ、ゆっくりゆっくり登場する。バッグに何が入っているんだろうと思ったけど、この日のために用意されたスタインウェイの脇に置いたままピアノを弾きはじめた。

ソロでイントロを弾いた後、ベース(ジェラルド・キャノン)とドラム(モンテス・コールマン)が入ってきてテーマが始まる。自作の「フライ・ウィズ・ザ・ウィンド」で。美しいメロディ、強いタッチは変わらないけど、さすがにかつての早弾きはない。途中でピアノ・ソロが入って、コルトレーンを偲んだソロ・ピアノの名作「エコーズ・オブ・ア・フレンド」を思い出す。インパルス時代の、次から次へメロディアスなフレーズを紡ぎだした面影も重なってくる。

ゲストのゲイリー・コールマン(as)はマイルス・バンドにいとこともあるプレイヤー。アルトとソプラニーノを吹いて、ちょっとだけコルトレーンを思い出させる。

プログラムは自作の曲と「アイ・シュッド・ケア」「イン・ナ・メロー・トーン」などスタンダード。「バラード・フォー・アイシャ」は美しいメロディ、「ブルース・オン・ザ・コーナー」のブルースでは会場が盛り上がる。どの曲にもマッコイのソロがはさまれる。ベースはいい音を出し、サックスは控え目にマッコイを支える。演奏は1時間と少し、アンコールはなし。

病気でもしたんだろうか。かつての、ぶちのめされるような圧倒的なピアノではない。でもマッコイのピアノの美しさは変わらないし、力強いタッチも健在、最後の「イン・ナ・メロー・トーン」ではほんの少しだけ、かつての早弾きを聞かせてくれた。ファンとしては、それだけで満足。第一線でばりばり弾いているわけじゃないけど、悠々と音楽を楽しんでいる。観客も老いたマッコイを温かく見ている。そんな印象のライブだった。

ピアノの脇に置いた黒いバッグは結局、一度も開けずにまた肩にかけてマッコイはステージを降りた。何が入っていたんだろう。


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November 05, 2012

「日本の70年代 1968-1982」展

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The 70s in Japan exhibition

ご近所の埼玉県立近代美術館で「日本の70年代 1968-1982」展(~11月11日)をやっている。休日の午後、散歩がてら行ってきた。

のっけから知った名前が出てきて、おや、こんなところで出会うとは。佐々木美智子撮影の「日大全共闘」。彼女は写真家であり、新宿ゴールデン街の飲み屋の経営者でもあり、僕は常連ではなかったけど何度か店に行ったことがある。

前半の展示の中心は横尾忠則と赤瀬川原平。映画やアンダーグラウンド演劇のポスター、雑誌の表紙やグラビア、単行本の装丁、大阪万博の企画などなど。美術といっても美術館の額縁に収められた作品でなく、他ジャンルやメディア、商品との境界領域での仕事。粟津潔や宇野亜喜良も含めて、70年代を知る者にはおなじみのイメージが並んでいる。

演劇(寺山修司、唐十郎)、映画(大島渚、『季刊 フィルム』」)、マンガ(上村一夫、真崎守)、写真(森山大道、中平卓馬)、建築(黒川紀章)、CM(パルコ、資生堂)、雑誌(ぴあ、宝島、an・an)、レコード・ジャケットなども呼び込まれて、「70年代カタログ」といった風情だ。後半、狭い意味での美術中心の展示は、当時関心が薄かったこともあり谷川晃一を除いてなじみがない。

以前、目黒区美術館でやった「戦後文化の軌跡 1945-1995」展ほどの厚みはないけれど、懐かしさを超えて、今も見る者を挑発する「もの」たちが集められている。美術だけでなく、あらゆるジャンルの「額縁」を疑ったこの時代。やっぱり好きなことを勝手にやっているのが面白い。


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November 03, 2012

『希望の国』 現実に拮抗できたのか

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The Land of Hope(film review)

『希望の国』は20××年、海に面した架空の地・長島県で地震と津波が起き、原子力発電所が事故を起こして住民に避難命令が出たという設定になっている。いうまでもなく東日本大震災と福島第一原発の事故を思い起こさせる。実際、気仙沼など津波に襲われた被災地でロケしているから、見る者は未来の架空の物語というより現実に起こった物語としてこの映画を見る。

主な登場人物として3組のカップルが登場する。牛を飼う酪農家の泰彦(夏八木勲)とアルツハイマーの妻(大谷直子)。泰彦の息子で家業を手伝う洋一(村上淳)といずみ(神楽坂恵)の若い夫婦。隣家の息子ミツル(清水優)と恋人のヨーコ(梶原ひかり)。

泰彦の家は避難区域のすぐ外にあり、自主避難を勧告されるが、拒否して無人になった地域に住みつづける。畜舎で飼育する牛には殺処分命令が出る。映画の最後、泰彦は牛を殺した直後に夫婦で心中する。洋一といずみは近くの町に避難して働きはじめるが、いずみが妊娠していることがわかる。放射能に過敏になった夫婦は町民から白い目で見られて居づらくなり、さらに遠い町に避難することを決める。ヨーコはミツルとデートしている間に津波が家を襲い、両親が行方不明になる。ミツルとヨーコは、津波ですべてが押し流された一帯を両親を探して歩く。

酪農家の自殺も、妊娠した夫婦の不安と白眼視も、多くの人が家族を失ったことも、僕らは現実のこととして知っている。園子温監督は、こうした現実から何を取り出し、見る者に何をフィクションとして差し出そうとしたのか。『希望の国』とは監督の祈りなのか反語なのか。

泰彦はチェルノブイリをきっかけに原発の危険に目覚めたことになっている。彼は息子夫婦を逃がすけれど、自分は避難せず牛を守りつづける。園監督はその人間像に「希望」を見たのか。泰彦の妻が無人の町で牛や羊の間をさまようシーンは美しいけれど、最後に大地に根を張った大樹が炎に包まれるのは、「希望」が「絶望」へと反転したことを示しているのではないか。

洋一といずみに授かった新しい命は「希望」だけれど、さらに遠くへと逃げた先でも測定器は高い放射能の値を示す。2人を遠くへ追いやった町民の「空気」とともに、これは「絶望」の暗示ではないのか。ミツルとヨーコが津波で流された町を「一歩一歩」歩くのは果たして「希望」なのか。

結局、映画は現実の混沌を混沌のまま差し出すしかなかった。「希望」にせよ「絶望」にせよ、現実の混沌からフィクションとして何ものかを結晶させ、それを映画の核として取り出すことが、いまこの国でいちばん力のある園監督をもってしてもむずかしかった。原発事故に正面から取り組む意欲は素晴らしいにしても、圧倒的な現実に拮抗することがはきなかったように見える。

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セイタカアワダチソウ

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tall goldenrod

昨日の夜、ヨガ仲間と韓国料理店で米麦焼酎のチャミスルを飲んだのが、今朝はちょっとだけ残っている。で、起き抜けに久しぶりに別所沼まで散歩。

岸辺のセイタカアワダチソウ。この北アメリカ原産の植物は1960年代に全国にはびこり、生態系を壊すと悪玉扱いされたものだけど、今ではひっそりと可憐な花を咲かせている。


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November 02, 2012

冬の準備

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buds of Denmark Cactus

冬に朱色の花を咲かせるデンマーク・カクタスの蕾が大きくなってきた。

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たくさんのアキアカネが庭を舞っている。

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