October 29, 2012
October 27, 2012
篠山紀信展「写真力」
Sinoyama Kishin photo exhibition ”The People”
篠山紀信展「写真力」に行ってきた(~12月24日、初台・東京オペラシティ アートギャラリー)。
1960年代から現在まで、篠山が半世紀以上にわたって撮ってきた歌手、映画や歌舞伎の役者、アスリート、アーティスト、人々のポートレート129点が大きな会場いっぱいに、見上げるような特大サイズで展示されている。ポーズする三島由紀夫(1969)、水着の山口百恵(1977)、ジョン・レノンとヨーコ(1980)、あでやかな坂東玉三郎(1988)、宮沢りえのヌード(1991)、蒼井優(2011)など、それぞれの時代を象徴するイメージとして記憶に鮮明だ。
既によく知られた写真が多いけれど、それが特大サイズで展示されていることに新しい発見がある。毛髪の一本一本や皮膚の細かな皺まで細密に記録されたディテールを見ていくと、篠山紀信というのは巨大な眼球のことであるのが改めてよく分かる。対象の微妙な一瞬を切り取る眼球の観察力、細密な描写力は比類ない。
そして眼球の背後にあるのは「空」であるように思える。眼球の背後にあるべき作者の精神、創造する者の作家性に当たる部分には何もない。その代わりそこを埋めているのは時代の無意識とでも呼べばいいだろうか。作家性を無にして、そこに時代が求める無意識の欲望を呼び込む。それが篠山紀信が採用した戦略であるように思える。そのようにして篠山は時代が求めるメディア、巨大な眼球になった。
October 23, 2012
法界寺から醍醐寺へ
a trip from Hokai Temple to Daigo Temple, Kyoto
ボランティアの用事で大阪へ行ったついでに京都へ寄り、日野の法界寺と醍醐寺を訪れた。
京都の地下鉄東西線、石田駅を降りて東へ、醍醐山に向かって歩いていくと旧奈良街道があり、「乳薬師 日野法界寺」の道標が立っている。法界寺は醍醐山の麓に位置し、大和路のような民家が続くゆるやかな坂道を登ってゆく。
法界寺は安産の日野薬師として知られている。きっと賑わっているに違いないと思っていたら、日曜日の昼間なのに人っ子ひとりいない静寂。
ここへ来たのは、この阿弥陀堂と本尊の阿弥陀如来(どちらも国宝)を見たかったから。平安時代も半ばを過ぎると、阿弥陀仏のいる西方浄土への成仏を願う浄土教が流行した。そこで数多くの阿弥陀堂が建てられ、本尊として阿弥陀仏が安置された。法界寺の阿弥陀堂と阿弥陀仏は、同じ頃つくられた平等院鳳凰堂とともに、その代表的なものと言われる。
鳳凰堂もそうだけど、堂といっても小さなものでなく、立派な建物。とはいえ桧皮葺で、屋根の勾配もゆるやか、大きな廂が出ていて大寺の威圧感はない。
本尊の阿弥陀如来は3メートル近い大きなもの。定朝様式と呼ばれるものらしく、頬はふっくらと丸く、なんともやさしい顔をしている。僕は若い頃、奈良の天平仏が好きでよく見に行ったので、和風と言われる定朝様式にはあまりなじみがなかった。でも京都で仏像を見始めるようになると、ふくよかな丸顔、やさしい表情の仏さんが多いのに気づく。平安貴族はこういう顔の仏を好んだのか。
日野という土地は、親鸞が出た日野氏の根拠地。法界寺も日野家の菩提寺に当たる。親鸞もここで生まれ、幼い頃は法界寺の阿弥陀仏に親しんだらしい。幼い親鸞が座って仏を見上げていたのとちょうど同じ場所に座っているかと思うと、ちょっとどきどきする。
法界寺は檀家が少なく寺の維持管理に困難を来たしていると書いた寄進帖があったので、ささやかな金額を寄進する。
地下鉄にひと駅乗って醍醐寺へ。お遍路の一団と一緒に門をくぐる。法界寺とは対照的に、こちらは世界文化遺産に登録されているので参拝客でいっぱいだ。
秀吉が「醍醐の花見」でつくらせた有名な庭で知られる三宝院の屋根。
金堂。秀吉の命で1600年に紀州から移築されたもの。
五重塔。京都でいちばん古い五重塔。
観音堂の下で真言を唱えるお遍路さん。
霊宝館に安置されている薬師三尊、千手観音などを見る。平安時代の仏像は、いかにも貴族顔の薬師三尊や阿弥陀如来より、十一面観音や千手観音のほうが親しみやすいような気がする。
地下鉄で三条大橋へ。休日の午後、いろんな音が聞こえてきた。チェロのクラシック。
トロンボーンのジャズ。
橋の下からはコーラス。
河原ではコンガ。
午後4時前で、京都へ来ると必ず寄る店はまだ開いてない。先斗町をそぞろ歩き、開いていた店で一休み。
October 19, 2012
『アウトレイジ ビヨンド』 言葉の抗争劇
フレンチ・ノワール『そして友よ 静かに死ね』でいちばん印象に残ったのは深い皺が刻まれ白髭をたたえた男たちの顔だったけど、『アウトレイジ ビヨンド』の男たちも負けてない。なかでも大阪のヤクザ組織の幹部を演ずる西田敏行と塩見三省がすごい。
濃い目のメイク、この映画のために少し太ったのか、「気のいいおじさん」ふうなイメージから一転して凄みを利かせる西田と、こんな男が近くにきたら思わず避けてしまいそうな悪人面の塩見。そこに大阪弁の迫力が加わって、彼らふたりがすごむと中尾彬や光石研ら関東のヤクザでは太刀打ちできない。
続編というのは、いろんな意味で難しい。続編が作られるということは、前作がヒットしたか、評判が良かったからに違いない。実際、前作『アウトレイジ』は、このところ不調だった北野武監督が、かつての暴力を扱ってもどこか静謐な映画から一転してエンタテインメントな快作だった。
前作で面白かったのは、暴力渦巻く世界で穏やかで忠実そうな顔をしながらしれっと親分を裏切る三浦友和や、切れ者の経済ヤクザを演じた加瀬亮、ヤクザと持ちつ持たれつ、彼らを操りつつ出世しようとする刑事の小日向文世といった面々だった。『ビヨンド』は前作で光ったこの3人を軸に構成されている。
ただ、単純な武闘派じゃない彼らのキャラクターの面白さは見る者は既に分かっているわけだから、彼らにそれ以上の味付けは難しく、そこは辛いところ。『ビヨンド』は、前作で生き延びたこの3人が自滅してゆく物語になっている。
親分を殺してボスにのし上がった三浦友和を狙うのは、前作のいわば敗者である北野武と中野英雄。前作で敵味方だった2人を結びつけ、強大になった三浦・加瀬の組織に対抗させようと謀るのが小日向文世。
だからこれ、北野武と中野英雄が落とし前をつける復讐譚で、かつての東映ヤクザ映画なら彼らの恨みを軸に情感あふれる抗争劇に仕立て上げたろう。でも北野武はそっちの筋は深追いせず、2人の出現によって表面化する組織の内部対立と、それに絡む神山繁ら大阪のヤクザ組織との虚実入り乱れた抗争を、かつての深作欣二などに比べればずっと醒めた目で見つめている。
直接的な暴力描写が少ないこともあって、だからこの映画、熱くない。熱いといえば、暴力ではなく大阪弁対東京弁の言葉のやりとり。西田・塩見の大阪弁対北野・中野の東京弁の対決が最大の見所だ。さらに、殺し合いの現場を描かず、死体がころがっている暴力団事務所を引き気味に捉えたショットなど、いかにも北野武好み。深作欣二の『仁義なき戦い』は手持ちカメラのぐらぐら揺れ動く映像がエネルギッシュだったけど、ここでは静かな画面が挟み込まれ、そこに死の匂いが漂う。ちらりと『ソナチネ』の世界を垣間見せる。
ただし、エンタテインメントとしての面白さは『アウトレイジ』に比べるといまいち。ラストも小日向文世が相手ではヤクザ映画らしいカタルシスに欠けるなあ。
October 16, 2012
October 14, 2012
October 12, 2012
大間再開にNO!
No Nukes meeting in front of the Diet
1カ月ぶりに国会前の脱原発集会へ。参加者がぐっと減っているかと思ったけれど、心配したほどではなかった。相変わらずたくさんの人たちが思い思いのメッセージを掲げて参加している。国会前で挨拶しているのは、大間原発予定地内の「あさこはうす」で建設に長年反対しつづけている小笠原厚子さん。
大間原発建設再開に反対するメッセージを書き込む。僕は原発ゼロといっても必ずしも即時全面停止でなく、地元住民の納得を条件に段階的なものであってもいいと思っているけれど、大間はいけません。MOX燃料を燃やす大間を建設するということは核燃料サイクルを維持することになる。核燃料サイクルを維持することは、原発政策を維持することに等しい。
October 10, 2012
October 03, 2012
『そして友よ、静かに死ね』 男の顔
『そして友よ、静かに死ね(原題:Les Lyonnais=リヨンの男たち)』でいちばん印象的だったのは、元ギャングのモモン(ジェラール・ランヴァン)はじめ、出てくる男たちに刻まれた深い皺や悲しげな目、白くなった髭をたくわえた顔のアップだったなあ。昔、『男の顔は履歴書』って映画があったけど、年を重ねた男の顔はその過去を語る。そんないくつもの顔を見ているだけでも、映画館に足を運んだ甲斐があった。まだ見ていないけど北野武『アウトレイジ・ビヨンド』の男たちはどうだろう。
ロマ族(ジプシー)のモモンは「リヨンの男たち」と呼ばれた強盗グループのリーダー。子供のころ差別されたモモンを助けて仲間になったフランス人のセルジュ(チェッキー・カリョ)以外は、口髭のクリスト(ダニエル・デュバル)はじめロマ族が多いらしい。物語は男たちが年老いて引退した現在と、ギャングとして暴れまくった1970年代を行き来しながら進むけど、若いギャングたちはいつも、流れ者であるロマがいっとき居住する野原のキャンピング・カーや粗末な小屋にたむろしている。
ロマ族は東ヨーロッパに多いけど、フランスやスペインにも数十万単位で住んでいる。東ヨーロッパのロマを主人公にした映画といえばクストリッツァの何本もの映画や『ガッジョ・ディーロ』を思い出す。フランス映画でロマを主人公にした、しかもフィルム・ノワールといえばアラン・ドロンの『ル・ジタン』があった。「ジタン」とはフランス語でロマのこと。ロマの一匹狼、アラン・ドロン演ずる主人公の孤独な反逆がいかにも70年代の映画だった。
『ル・ジタン』の監督はジョゼ・ジョバンニ。1960~1970年代のフレンチ・フィルム・ノワールを代表する監督だった。ジョバンニは本当のギャングで後に小説家に転向、暗黒小説と呼ばれるハードボイルドを書いた(確か『気狂いピエロ』の原作も)。そこから映画に転じ、『ラ・スクムーン』『暗黒街のふたり』『ブーメランのように』などでJ.P.ベルモンド、アラン・ドロンらのスターを輝かせた。
もう一方のフレンチ・フィルム・ノワールの雄、ジャン=ピエール・メルヴィルの作品がリアリズムを基底に、ハードかつ寡黙な映画だったのに対し(僕はメルヴィルが好きだった)、ジョゼ・ジョバンニの映画は情動にあふれ、熱く、時にセンチメント過剰になる。
『そして友よ、静かに死ね』のオリヴィエ・マルシャル監督は、『あるいは裏切りという名の犬』もそうだったけど、ジョゼ・ジョヴァンニの熱く、情動的なフィルム・ノワールを受け継いでいる。男たちの顔のアップはじめ、どんぴしゃり決まった画面、絶えず背後に流れて観客を揺さぶる音楽(70年代のシーンではジャニス・ジョプリンやディープ・パープル)、正統派のカットつなぎといった演出で、男たちの友情と裏切り、家族との葛藤というこれまたフィルム・ノワールの定番のストーリーが展開する。
フィルム・ノワール好きとして見ていて心地よいけれど、あまりにノスタルジックであることにいささか不満も残る。フレンチ・ノワールを見ていたころは東映仁侠映画もよく見たけど、いま東映任侠映画を当時のテイストそのままでつくられたらどう感ずるだろう。2010年代につくるフィルム・ノワールの意味、なんて考えても始まらないのかな。
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