『夢売るふたり』 黄金期日本映画のような
誘われて、珍しく試写に行った。映画が始まって数分、オープニングの最後に『夢売るふたり』のタイトルが映し出されたとき、思わず「うーん、うまいなあ」とつぶやいてしまった。冒頭、キャストの名とともに、これから始まる物語を分からせるために過去が簡潔に説明され、未来が予感される。
夜明けの築地市場。貫也(阿部サダヲ)が仕入れをし、自転車で帰ってゆく。開店5周年の小料理屋。店は妻の里子(松たか子)と2人で切り盛りし繁盛しているが、不注意から火を出してしまう。燃え上がる店を茫然と見つめる夫と妻。
同時に、同じ朝を迎えている何人かのショットが挿入される。玲子(鈴木砂羽)が不倫相手の上司(香川照之)と路上でキスをして別れ、その直後に上司は車にはねられ、病院で手切れ金を渡される。独身OLの咲月(田中麗奈)があわただしい家族の食卓で空しい表情を見せている。ウェイトリフティング選手のひとみ(江原由夏)が練習に励んでいる。風俗嬢の紀代(安藤玉恵)が商売している。彼女らは、これから貫也の結婚詐欺にきっかけを与え、あるいは引っかかる女たちだ。
オープニングでこれだけの処理をしておいて、さて貫也と里子が結婚詐欺を企むことになる道筋がじっくり描かれる。店の客だった玲子と一夜をすごした貫也が思わぬことから玲子の手切れ金を受け取るのだが、帰宅すると里子に浮気がばれてしまう。熱湯のような風呂に貫也をつけて追及する松たか子の怖いこと! 里子はその出来事をヒントに、店の再建資金をかせぐために結婚詐欺を思いつく。その第一号が、2人が新たに勤め始めた店の客である咲月。黒縁の眼鏡をかけた田中麗奈が、結婚願望にあせるキャリア・ウーマンを演ずる。
玲子、咲月の女性2人との絡みで、騙される女たちの微妙な心理や、騙す貫也の本気とも演技ともつかないそぶり、裏で糸を引く里子の計算と、夫への愛と嫉妬をていねいに描いたことで、見る者はぐいぐい映画に引き込まれてゆく。だからその後の女たちとの物語が、短い描写の積み重ねでも納得がいく。何人もの女を登場させたせいで上映時間は2時間を超えるけど、飽きることはなかった。
偶然に出会った風俗嬢の紀代と、絡んでくる暴力夫(伊勢谷友介)。結婚とは縁遠いウェイトリフティング選手。ハローワークの担当者で小さな息子のいるシングル・マザーの滝子(木村多江)。騙す男と騙される女、騙す夫に嫉妬する妻の三者三様の心理が複雑に絡んでドラマを緊迫させてゆく。
里子が貫也にアドバイスする形で、騙すには自分をそのままさらけだせばいいのよという独白が、貫也が女たちを騙しているシーンにかぶさる。その通り、貫也は自分の情けなさや思いをそのまま女たちにつぶやき、それにほだされて女たちは騙される。でも貫也や貫也を操る里子もまた、さらけだされた思いに傷つき、嫉妬する。嘘が真を引き出してしまう。借りているうらぶれた飲み屋で、里子と貫也は騙しているはずの嘘から真が噴き出すのを意識したぎこちない会話を交わす。
騙しにかかった滝子に本気になったのではないか。そう疑った里子が、帰ってこない貫也を追って滝子のアパートを訪ねるシーンが素晴らしい。町工場と木造アパートが並ぶ下町を、雨の中、赤い傘をさした里子がゆく。カメラはそれを俯瞰で捉えている。雨に濡れて揺れる赤い傘は里子の心そのもののようだ。傘といい、包丁といい、小道具の扱いも行き届いている。まるで良き時代の日本映画の繊細な心理劇、例えば成瀬巳喜男の映画を見ているような気分になる。
結末は、罪を犯す存在であるにしても結局は人間を信頼しているらしい西川美和らしい収め方。『蛇いちご』や『ディア・ドクター』もそうだったけど、映画がベタなリアリズムじゃないと感じられるのは、そんな姿勢の故だろうか。その意味でも、彼女の映画は戦後的なヒューマニズムに裏打ちされた黄金時代の日本映画に似たテイストを持っているように思う。
西川美和は原案・脚本・監督を一人でこなすスタイルにこだわり、資金的にもメジャーな製作会社と組もうとしていない。でも、こういう映画こそ日本映画の真ん中にあってほしい。作家性の強いこじんまりした映画だけでなく、エンタテインメント性と作家性を両立させたスケールの大きな映画をつくってほしい。彼女は物語の面白さや謎をちりばめるエンタテインメント性を、師匠の是枝裕和よりずっと持ち合わせていることだし。西川とともに今後の日本映画を背負ってほしい一人、山下敦弘が、東映と組んで『マイ・バック・ページ』『苦役列車』と苦闘しつつもそれなりのレベルの映画をつくっているように……。
松たか子も阿部サダヲも素晴らしい。特に松たか子は主演女優賞もの。女の優しさと怖さと色気を堪能させてくれた。
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Comments
どうもです。
そうですね、西川監督の作品をもっと観てみたいです。3年に1本だともったいないですね。
観た直後と、改めて感想を起こしている時と、違う印象が残る作品でした。時間が経過してからの方がいろいろと思うところがあるのかもしれませんね。
Posted by: rose_chocolat | September 08, 2012 10:25 AM
西川美和や山下敦弘や内田けんじや園子温ががんがんメジャーな映画をつくるようになったら、当然出来不出来はあるでしょうが、日本映画ももっと面白くなると思うんですが……。メジャーな映画がTVの延長でしかなく、才能ある監督がマイナーな作品しかつくれないのは不幸ですね。
Posted by: 雄 | September 08, 2012 03:23 PM