September 27, 2012
September 25, 2012
万座の秋
ゴマナの白い花が咲くと「万座に秋がやってくる」そうだ。背後の白樺の葉はまだ緑だけど、一部に黄色くなりはじめた木もある。紅葉のピークは10月10日とのこと。ここの紅葉は全山が紅ではなく黄色くなる。
長野県須坂へ抜ける万座峠に向かって歩いていくと、ナナカマドが色づきはじめている。白樺の黄色い紅葉のなかで、ナナカマドの赤がアクセントになる。
野薊に蜜蜂。
近くにある牛池の湿原に咲いていた花。小生、花の名にうといので、ご存知の方ご教示ください。
日進館の背後には熊四郎山がそびえている。谷から硫化ガスと温泉が噴き出しているので、植物の生えない岩山の一帯があり、その周囲に熊笹が茂り、少し上に行くと背の低い高山植物が生えている。
江戸時代、猟師の熊四郎が万座温泉を発見したとの言い伝えがある。彼を祀る熊四郎洞窟。
早朝の気温は10度を下回り、肌寒い。
ガンコウランの黒い実。
September 24, 2012
万座の湯
家族の湯治につきあって10カ月ぶりに万座温泉にやってきた。ここは標高1800メートル。秋雨前線の影響もあって激しい雨が降ったかと思うときれいに晴れ、かと思うと一面のガスに包まれて視界がなくなったり、1時間ごとに天気が変わる。
いつも泊まる日進舘は明治初期の開業。5種類の源泉を持っている。酸性硫黄泉。露天の極楽湯はそれらをミックスさせた湯で、見事な乳白色。極楽湯につかりながら万座の四季をながめるのが、ここへ来る最大の楽しみになっている。
これは深夜の極楽湯。ススキの季節に来たのははじめてだ。雨上がりで、空には満天の星。
極楽湯から100メートルほど下ると湯畑がある。湯の温度は90度。硫化ガスが出ているので立ち入り禁止。ここはかつての火口の底に当たる場所だそうだ。周囲には草木が生えず、黄色くなった岩山が続く。
館内には7つの湯がある。これは苦湯。薬効は一番と言われ、湯治客はこの湯を目当てにやってくる。42度前後に調整されている乳白色の湯が肌をすべる滑らかな感触がたまらない。
苦湯(左)の右手には姥湯がある。こちらはぬるい湯で、乳白色も薄く半透明。ほかの湯は90度あるので水を加えて湯温を下げているが、姥湯は源泉100パーセント。霧が流れたり、闇が深くなっていったり、外の景色を眺めながら、ぬるめの湯に長時間つかるのが何ともいえない快楽なんだな。
苦湯から外に出ると半露天の苦姥湯と、笹の葉を入れた笹湯がある。どちらも熱めの湯。
新しくできた万天の湯。こちらも5種類の源泉をミックスさせたもの。新しいだけに明るく気持ちよい。
湯治宿だった時代、熱い湯をぬるくするために使った湯もみ板。
September 17, 2012
1958年のグラフ・ジャーナリズム
graph journalism in Japan 1958
一昨日、大西みつぐさんが主宰する「東京写真・研究準備室」にお招きいただいて、写真家・渡部雄吉のドキュメント「Criminal Investigations」(写真上)とその背景について少しおしゃべりする機会がありました。この作品については当ブログ(7月1日)でも触れていますのでそちらに当たっていただくとして、当時のグラフ・ジャーナリズムについて調べたなかで面白いと思った資料を備忘録代わりに再録しておきます。
☆ ☆ ☆
今回、「Criminal Investigations」として写真展が開かれ写真集が刊行された作品は、月刊誌『日本』1958年6月号に「張り込み日記」として掲載された。
『日本』は講談社が1958年1月に創刊した総合月刊誌。講談社は戦前から大衆娯楽月刊誌『キング』を発行していたが、戦後は戦前のような売れ行きに届かず、1958年にこれを『日本』としてリニューアルした。想像するに、出版界の一方の雄である講談社は『文藝春秋』『中央公論』『世界』といった戦後論壇をリードした雑誌群に対抗する総合誌が欲しかったのだろう。目次を眺めると、例えば6月号には藤原弘達、戸川猪佐武、高木健夫、川口松太郎(松下幸之助との対談)、鹿地亘、高峰秀子といった執筆陣が並んでいる。
渡部雄吉の「張り込み日記」は巻頭のグラビアで11ページ。この号のグラビアには、他に次のような写真が掲載されている。
長野重一「青い目にうつった観光ニッポン」、土門拳「ふるさと 獅子文六・横浜」、林忠彦「宮城まり子」、三木淳「現代の色 岡田謙三」、丹野章「狂乱のロカビリー」。錚々たる名前が並んでいる。大御所の土門拳は別として、渡部雄吉、林忠彦、三木淳、長野重一は、これに田沼武能の名前を加えれば、当時のグラフ・ジャーナリズムで最も活躍していた写真家たちといっていいだろう。この陣容から見ても、『文春』『中公』『世界』に張り合おうという意識がありあり。
「張り込み日記」は殺人事件を追う警視庁の刑事2人に20日間密着したドキュメント。現実の殺人事件を追う刑事に同時進行で密着するとは過去にもそれ以後にも例のない取材で、現在では考えられない警察の対応は別にして、こんな企画を実現させたことからも講談社の新雑誌に賭ける意気込みがうかがえる。渡部雄吉は「張り込み日記」で見事なフォト・ストーリーをつくりあげ、編集部に厚く信頼されたのだろう。1カ月おいた8月号から年内出づっぱりで『日本』の誌面に登場することになる(すべてモノクロ)。
8月号「東京・長崎人生列車」(長崎行き夜行列車のドキュメント)
9月号「エンピツ日記 ある政治部記者の生活」
10月号「日本の応接間」(帝国ホテルのドキュメント)
11月号「皇太子最後の青春」(正田美智子との婚約が発表された皇太子を軽井沢などに取材)
12月号「梨園のチャンピオン 中村勘三郎」
10ページ前後のグラビアを毎月つくることの大変さは、かつて編集者として週刊誌のグラビアを担当した経験からもよく分かる。渡部雄吉はこの年、他の月刊誌の仕事もしているし、『アサヒカメラ』など写真雑誌にも作品を載せている。「張り込み日記」ではニコンサロンで写真展もやっているから、35歳の働き盛りといっても寝る間もない忙しさだったろう。
ところで、当時のグラフ・ジャーナリズムで一人の写真家にいちばん多くのページを割いていたのは『中央公論』ではないか。10ページ前後から多いときで19ページ。『中央公論』が当時のグラフ・ジャーナリズムの核のひとつだったことは間違いない(グラフ・ジャーナリズムには今回取り上げた総合月刊誌だけでなく、週刊誌・週刊グラフ誌、女性誌、専門誌などさまざまなメディアがある)。この年、1958年のラインナップを見てみる(すべてモノクロ)。
1月号 「有楽町」浜谷浩
2月号 「東京地裁執行吏合同役場」東松照明
「フランキー堺」大竹省二
3月号 「瀬戸内海の傷痕」緑川洋一
4月号 「民族の表情」田村茂
5月号 「見下げた東京」(ヘリから撮影した東京)浜谷浩
6月号 「社会党書記長」(浅沼稲次郎)山田健二
「谷崎潤一郎」浜谷浩
7月号 「課長さん」東松照明
「藤本真澄」大竹省二
8月号 「名古屋」東松照明
9月号 「王国」奈良原一高
10月号 「群集」藤川清
11月号 「日本一の米どころ」浜谷浩
「広津(和郎)先生」渡部雄吉
12月号 「山手線」吉岡専造
凄い名前が毎月のように写真を出していた。浜谷浩を核に、若手の東松照明、奈良原一高といったVIVOの面々。「課長さん」や「名古屋」は東松照明の初期のドキュメントとしてその後も繰り返し展示・印刷されているし、「王国」は奈良原一高の代表作のひとつに数えられる。
後の時代に写真史を跡づけるとなると、どうしても作家性の高い写真家が中心になる。最近は作家性が重視されるからなおさらだ。グラフ・ジャーナリズムはともすれば軽視されがちだけど、浜谷浩が活発に写真を発表したり、東松照明、奈良原一高といった写真家がグラフ・ジャーナリズムでも盛んに活躍していたことを再確認しておきたい。
September 14, 2012
菊地成孔ダブ・セプテットを聞く
Kikuchi Naruyoshi Dub Septet live
今年の春(だったか)菊地成孔ダブ・セクステット(クインテット+ダブ・エンジニア)を聞いたとき、菊地自身がMCでこのグループでの演奏はこれが最後、次は新しいバンドになると言ってた。ネットその他の噂では、トロンボーンが、しかも女性プレイヤーが入るらしいということだった。これはぜひ聞かなきゃということで、セプテット(セクステット+ダブ・エンジニア)の初ライブに行ってきた(9月13日、表参道・BLUE NOTE)。
いつものように、拍手に迎えられてタイトなスーツにネクタイと揃いのユニフォームで決めたメンバーがステージに登場してくる。噂通り、従来のメンバーに加えて、女性トロンボーン・プレイヤーの駒野逸美が登場。小柄、肩までのストレート・ヘア、若い。菊地はテナーでなくアルト・サックスを抱えている。
演奏したほとんどは知らない曲だった。でも一人、あるいはサックス、トランペット、トロンボーンの3管を重ねた音でテーマを吹き、それぞれがソロを取る形は変わらない。お披露目だからか、ピアノやベースを含めそれぞれのソロをきちっと聞かせてくれる。菊地のアルトや類家心平のトランペットの速さと濃密さに対抗して、駒野のトロンボーンも頑張っていた。前半はまだボジョレ・ヌーヴォーみたいな味だったけど、後半はぐいぐいとバンド全体が盛り上がる。ピアノの坪口昌恭がドライなタッチで聞かせた。
後で調べると、1曲目の「STRAUS SPHUNK」はじめ、「LYDIOT」「CONCERTO FOR BILLY THE KID」などジョージ・ラッセルの曲(プラス菊地の曲)が多い。そうか。ジョージ・ラッセルもサックス、トランペット、トロンボーンの3管セクステットを持っていたから、その編成を基にしているのか。
もっともセクステットといっても、有名なジャズテット(カーティス・フラー、ベニー・ゴルソン、アート・ファーマー)みたいな、いかにもジャズらしいハードパップでなく、演奏はあくまでクールにしてハード。以前のバンドはマイルス・クインテットを下敷きに彼らの曲を現代的に演奏するというのがコンセプトだったようだから、これからはラッセル・セクステットを参照しつつ彼らの音楽を現代的に甦らせるって方向なんだろうか。
ジョージ・ラッセルは「リディアン・クロマティック・コンセプト」というジャズ理論を提唱したことで知られる。なにせ菊地自身が「完全に理解してるわけじゃない」(菊地・大谷能生『東京大学のアルバート・アイラー』文春文庫)と言ってるくらいだから僕にはさっぱり分からないけど、大雑把に言えば「ドレミファソラシド」でなく「ファソラシドレミファ」のリディアン・スケールに基づいて音楽をやるということらしい。いわゆる「モード奏法」ですね。
モードといえばマイルスだから、マイルスの次にラッセルを選んだのは、菊地のなかでは必然だったんでしょう。となると、ジョージ・ラッセルはピアノだから、前のバンドでマイルス役だった類家心平のように、ピアノの坪口昌恭の出番が多くなるのかな。
聞き手としては、どんな理論、どんなコンセプトであろうが、いい音楽が聞ければそれでいい。菊地成孔のバンドは常にコンセプチュアルでありながら、いい音を出す。だから好きになれる。このバンドがどう成熟していくのか。楽しみだなあ。アンコールで「甘いのを1曲」と言って演奏した「DO YOU KNWO HONEY?」。ダンサブルで、それまでのぐりぐりと濃い音の緊張をほぐしてくれました。これがまた憎い。
September 12, 2012
September 10, 2012
『プンサンケ』 犬の哀しみ
『プンサンケ(英題:Poongsan)』は漢字で書くと「豊山犬」、北朝鮮原産の狩猟犬のこと。北朝鮮製の煙草の銘柄でもあり、この映画の名無しの主人公はいつもプンサンケを吸っているので、「プンサンケ」と呼ばれる。豊山犬は一度噛んだら離さないと言われ、それが主人公のキャラクターの暗示にもなっている。
プンサンケ(ユン・ゲサン)は38度線をはさんで韓国と北朝鮮を行き来し、依頼人の望む物や人を届ける闇の配達人。単身バイクに乗り、国境の非武装地帯を突破し、ソウルとピョンヤンを3時間で結ぶ。……なんてこと、どう考えたって不可能。
でも製作・脚本がキム・ギドクと聞けば、なるほどと思う。キム・ギドクの映画はありえない設定や非現実的な物語であることが多く、しかしキム・ギドク独特の強烈な映像と心理描写で見る者を強引に納得させてしまう。その結果の現実とも幻想ともつかない奇妙なリアリティが彼の映画の魅力だ(今日、新作『ピエタ』がヴェネツィア映画祭金獅子賞を取ったというニュースが流れた)。
監督のチョン・ジュホンは『絶対の愛』『ブレス』でキム・ギドクの助監督を務めた男。同様にギドクの助監督だったチャン・フンの『映画は映画だ』もギドクの製作・原案だった。『プンサンケ』と『映画は映画だ』に共通しているのは、ギドクのテイストを残しつつアクション映画として楽しめるエンタテインメントを志向していること。
脱北した北朝鮮高官から情報を引き出すため、韓国情報部の男たちがピョンヤンに住む高官の愛人・イノク(キム・ギュリ)をソウルに連れてくるようプンサンケに依頼する。プンサンケは誰に対しても一言も発しない。イノクを連れ出したプンサンケは、わざと監視兵に発見させたり、裸の全身に泥を塗って湿地に隠れたり、水中で失神させたり、手荒な方法で国境を突破する。プンサンケとイノクは無言のうちに惹かれあうようになる。
韓国情報部の男たちは、プンサンケを利用したあげく抹殺しようとする。亡命した高官を暗殺するため韓国へ潜入している北朝鮮情報部の男たちも、プンサンケを捕えて拷問にかける。プンサンケはどちらの側からも、「お前は北の男か南の男か」と問われる。イノクの死を知ったプンサンケの復讐とは……。
キム・ギドク自身の映画ならアクションではなく愛の物語になっただろう。でも『プンサンケ』では2人の感情が通いあうのは、国境を抜けたあと「プンサンケ」を吸って一服したり、プンサンケがイノクにカメラを向けたりといったシーンで示されるだけで、あっさり処理されている。プンサンケが一言もしゃべらないのも、過去を明かさない正体不明の男であるための設定なのは分かるけど、イノクとの愛に関してはもっと濃密であってほしかった。
そこが十分に描かれていないから、その後のプンサンケと両国情報部がからむ激しいアクションも気が抜けたように感じられる。南北情報部の男たちが、タランティーノ映画のように互いに銃をつきつけあうのも今更といった感じ。
北でなく南でもなく、無名の心だけに反応する闇の配達人の哀しみというプンサンケの造型にメッセージは感じるけど、ラブ・ストーリーとしてもアクション映画としても中途半端になってしまったのが残念だなあ。とはいえ、それなりに楽しめます。
September 07, 2012
シネパトスから官邸前へ
closing of the Cinepathos movie theater
銀座シネパトスが来年3月で閉館になるというニュースがあった。今日は韓国映画『プンサンケ』を見に。
シネパトスではB級ノワールやアクション、あるいはエロティシズム系しか見た記憶がない。というより、そういう映画しかやってなかった。銀座4丁目の交差点からすぐのところにこんな映画館が生き残っていたことが不思議だ。5年前まで勤めていた会社から歩いて10分もかからなかったので、仕事の合間に来たこともある。映画を見ていると数分おきにゴトンゴトンと地下鉄の音がして決していい環境ではなかったけれど、映画が映画だから、ガキのころ小便くさい映画館で怪しげな映画を見て胸をときめかせていたことなんかを思い出していた。
シネパトスでどんな映画を見たろう。思い出すままに3本あげてみる。
『ホットスポット』
いちばん印象に残っているのがこれ。テキサスの田舎町で色と欲に狂う男女が織り成すクライム・サスペンス。いかにもデニス・ホッパー監督らしいクセのある映画だった。ロードショー公開されることもないこういう映画が「当たり」だと、その日一日、幸せな気分になれた。
『アンダーカヴァー』
1年住んでいたニューヨークのブルックリンから帰ってきてすぐ、ブルックリンを舞台にした映画だと聞いて見に来た。悪徳警官ものだけど、ブルックリンの場末ばかり出てくるのがシネパトスで見るのにふさわしい。
『雷魚』
映画は好きでも、ピンクまでは手が回らない。当時、ピンク映画四天王と言われた瀬々敬久監督の作品が評判だったので見に来た。文芸映画ふうの感触が面白かった。
映画が終わって外に出ると、三原橋地下街の灯りがついている。
脱原発集会に参加するため霞が関へ。地下鉄を出ると鳴り物と「原発いらない」の声。先々週より参加者は多い。
いつもは国会方面へ歩いていたので、官邸前へ行ったのは初めて。
September 06, 2012
『夢売るふたり』 黄金期日本映画のような
誘われて、珍しく試写に行った。映画が始まって数分、オープニングの最後に『夢売るふたり』のタイトルが映し出されたとき、思わず「うーん、うまいなあ」とつぶやいてしまった。冒頭、キャストの名とともに、これから始まる物語を分からせるために過去が簡潔に説明され、未来が予感される。
夜明けの築地市場。貫也(阿部サダヲ)が仕入れをし、自転車で帰ってゆく。開店5周年の小料理屋。店は妻の里子(松たか子)と2人で切り盛りし繁盛しているが、不注意から火を出してしまう。燃え上がる店を茫然と見つめる夫と妻。
同時に、同じ朝を迎えている何人かのショットが挿入される。玲子(鈴木砂羽)が不倫相手の上司(香川照之)と路上でキスをして別れ、その直後に上司は車にはねられ、病院で手切れ金を渡される。独身OLの咲月(田中麗奈)があわただしい家族の食卓で空しい表情を見せている。ウェイトリフティング選手のひとみ(江原由夏)が練習に励んでいる。風俗嬢の紀代(安藤玉恵)が商売している。彼女らは、これから貫也の結婚詐欺にきっかけを与え、あるいは引っかかる女たちだ。
オープニングでこれだけの処理をしておいて、さて貫也と里子が結婚詐欺を企むことになる道筋がじっくり描かれる。店の客だった玲子と一夜をすごした貫也が思わぬことから玲子の手切れ金を受け取るのだが、帰宅すると里子に浮気がばれてしまう。熱湯のような風呂に貫也をつけて追及する松たか子の怖いこと! 里子はその出来事をヒントに、店の再建資金をかせぐために結婚詐欺を思いつく。その第一号が、2人が新たに勤め始めた店の客である咲月。黒縁の眼鏡をかけた田中麗奈が、結婚願望にあせるキャリア・ウーマンを演ずる。
玲子、咲月の女性2人との絡みで、騙される女たちの微妙な心理や、騙す貫也の本気とも演技ともつかないそぶり、裏で糸を引く里子の計算と、夫への愛と嫉妬をていねいに描いたことで、見る者はぐいぐい映画に引き込まれてゆく。だからその後の女たちとの物語が、短い描写の積み重ねでも納得がいく。何人もの女を登場させたせいで上映時間は2時間を超えるけど、飽きることはなかった。
偶然に出会った風俗嬢の紀代と、絡んでくる暴力夫(伊勢谷友介)。結婚とは縁遠いウェイトリフティング選手。ハローワークの担当者で小さな息子のいるシングル・マザーの滝子(木村多江)。騙す男と騙される女、騙す夫に嫉妬する妻の三者三様の心理が複雑に絡んでドラマを緊迫させてゆく。
里子が貫也にアドバイスする形で、騙すには自分をそのままさらけだせばいいのよという独白が、貫也が女たちを騙しているシーンにかぶさる。その通り、貫也は自分の情けなさや思いをそのまま女たちにつぶやき、それにほだされて女たちは騙される。でも貫也や貫也を操る里子もまた、さらけだされた思いに傷つき、嫉妬する。嘘が真を引き出してしまう。借りているうらぶれた飲み屋で、里子と貫也は騙しているはずの嘘から真が噴き出すのを意識したぎこちない会話を交わす。
騙しにかかった滝子に本気になったのではないか。そう疑った里子が、帰ってこない貫也を追って滝子のアパートを訪ねるシーンが素晴らしい。町工場と木造アパートが並ぶ下町を、雨の中、赤い傘をさした里子がゆく。カメラはそれを俯瞰で捉えている。雨に濡れて揺れる赤い傘は里子の心そのもののようだ。傘といい、包丁といい、小道具の扱いも行き届いている。まるで良き時代の日本映画の繊細な心理劇、例えば成瀬巳喜男の映画を見ているような気分になる。
結末は、罪を犯す存在であるにしても結局は人間を信頼しているらしい西川美和らしい収め方。『蛇いちご』や『ディア・ドクター』もそうだったけど、映画がベタなリアリズムじゃないと感じられるのは、そんな姿勢の故だろうか。その意味でも、彼女の映画は戦後的なヒューマニズムに裏打ちされた黄金時代の日本映画に似たテイストを持っているように思う。
西川美和は原案・脚本・監督を一人でこなすスタイルにこだわり、資金的にもメジャーな製作会社と組もうとしていない。でも、こういう映画こそ日本映画の真ん中にあってほしい。作家性の強いこじんまりした映画だけでなく、エンタテインメント性と作家性を両立させたスケールの大きな映画をつくってほしい。彼女は物語の面白さや謎をちりばめるエンタテインメント性を、師匠の是枝裕和よりずっと持ち合わせていることだし。西川とともに今後の日本映画を背負ってほしい一人、山下敦弘が、東映と組んで『マイ・バック・ページ』『苦役列車』と苦闘しつつもそれなりのレベルの映画をつくっているように……。
松たか子も阿部サダヲも素晴らしい。特に松たか子は主演女優賞もの。女の優しさと怖さと色気を堪能させてくれた。
September 02, 2012
鎌倉の墓参
visiting the grave of my friend in Kamakura
6月に亡くなった同級生・高味壽雄君(6月23日に追悼を書いた)の墓参りに、鎌倉市腰越の満福寺七里ガ浜霊園へ行く。やはり同級生でニューヨーク在住のI君が帰ってきたので、恩師のN先生も含め総勢9人。もっとも、かつての先生と生徒といっても、この歳になると教師も生徒も区別がつかない。
墓は、高味君が生前住んでいた鎌倉市長谷から江ノ電で海岸沿いに5分ほどのところ。腰越の丘陵を望み、ちょっと上がれば反対側に海も見える。ブログ「Radical Imagination」のサブタイトルに「from 鎌倉 with Love」と記していた高味君にふさわしいロケーション。
墓参りの後は、彼も好んだ腰越漁港の地魚を出す店で献杯。
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