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September 17, 2012

1958年のグラフ・ジャーナリズム

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graph journalism in Japan 1958

一昨日、大西みつぐさんが主宰する「東京写真・研究準備室」にお招きいただいて、写真家・渡部雄吉のドキュメント「Criminal Investigations」(写真上)とその背景について少しおしゃべりする機会がありました。この作品については当ブログ(7月1日)でも触れていますのでそちらに当たっていただくとして、当時のグラフ・ジャーナリズムについて調べたなかで面白いと思った資料を備忘録代わりに再録しておきます。

       ☆       ☆       ☆

今回、「Criminal Investigations」として写真展が開かれ写真集が刊行された作品は、月刊誌『日本』1958年6月号に「張り込み日記」として掲載された。

『日本』は講談社が1958年1月に創刊した総合月刊誌。講談社は戦前から大衆娯楽月刊誌『キング』を発行していたが、戦後は戦前のような売れ行きに届かず、1958年にこれを『日本』としてリニューアルした。想像するに、出版界の一方の雄である講談社は『文藝春秋』『中央公論』『世界』といった戦後論壇をリードした雑誌群に対抗する総合誌が欲しかったのだろう。目次を眺めると、例えば6月号には藤原弘達、戸川猪佐武、高木健夫、川口松太郎(松下幸之助との対談)、鹿地亘、高峰秀子といった執筆陣が並んでいる。

渡部雄吉の「張り込み日記」は巻頭のグラビアで11ページ。この号のグラビアには、他に次のような写真が掲載されている。

長野重一「青い目にうつった観光ニッポン」、土門拳「ふるさと 獅子文六・横浜」、林忠彦「宮城まり子」、三木淳「現代の色 岡田謙三」、丹野章「狂乱のロカビリー」。錚々たる名前が並んでいる。大御所の土門拳は別として、渡部雄吉、林忠彦、三木淳、長野重一は、これに田沼武能の名前を加えれば、当時のグラフ・ジャーナリズムで最も活躍していた写真家たちといっていいだろう。この陣容から見ても、『文春』『中公』『世界』に張り合おうという意識がありあり。

「張り込み日記」は殺人事件を追う警視庁の刑事2人に20日間密着したドキュメント。現実の殺人事件を追う刑事に同時進行で密着するとは過去にもそれ以後にも例のない取材で、現在では考えられない警察の対応は別にして、こんな企画を実現させたことからも講談社の新雑誌に賭ける意気込みがうかがえる。渡部雄吉は「張り込み日記」で見事なフォト・ストーリーをつくりあげ、編集部に厚く信頼されたのだろう。1カ月おいた8月号から年内出づっぱりで『日本』の誌面に登場することになる(すべてモノクロ)。

8月号「東京・長崎人生列車」(長崎行き夜行列車のドキュメント)
9月号「エンピツ日記 ある政治部記者の生活」
10月号「日本の応接間」(帝国ホテルのドキュメント)
11月号「皇太子最後の青春」(正田美智子との婚約が発表された皇太子を軽井沢などに取材)
12月号「梨園のチャンピオン 中村勘三郎」

10ページ前後のグラビアを毎月つくることの大変さは、かつて編集者として週刊誌のグラビアを担当した経験からもよく分かる。渡部雄吉はこの年、他の月刊誌の仕事もしているし、『アサヒカメラ』など写真雑誌にも作品を載せている。「張り込み日記」ではニコンサロンで写真展もやっているから、35歳の働き盛りといっても寝る間もない忙しさだったろう。

ところで、当時のグラフ・ジャーナリズムで一人の写真家にいちばん多くのページを割いていたのは『中央公論』ではないか。10ページ前後から多いときで19ページ。『中央公論』が当時のグラフ・ジャーナリズムの核のひとつだったことは間違いない(グラフ・ジャーナリズムには今回取り上げた総合月刊誌だけでなく、週刊誌・週刊グラフ誌、女性誌、専門誌などさまざまなメディアがある)。この年、1958年のラインナップを見てみる(すべてモノクロ)。

1月号 「有楽町」浜谷浩
2月号 「東京地裁執行吏合同役場」東松照明
     「フランキー堺」大竹省二
3月号 「瀬戸内海の傷痕」緑川洋一
4月号 「民族の表情」田村茂
5月号 「見下げた東京」(ヘリから撮影した東京)浜谷浩
6月号 「社会党書記長」(浅沼稲次郎)山田健二
     「谷崎潤一郎」浜谷浩
7月号 「課長さん」東松照明
     「藤本真澄」大竹省二
8月号 「名古屋」東松照明
9月号 「王国」奈良原一高
10月号 「群集」藤川清
11月号 「日本一の米どころ」浜谷浩
      「広津(和郎)先生」渡部雄吉
12月号 「山手線」吉岡専造

凄い名前が毎月のように写真を出していた。浜谷浩を核に、若手の東松照明、奈良原一高といったVIVOの面々。「課長さん」や「名古屋」は東松照明の初期のドキュメントとしてその後も繰り返し展示・印刷されているし、「王国」は奈良原一高の代表作のひとつに数えられる。

後の時代に写真史を跡づけるとなると、どうしても作家性の高い写真家が中心になる。最近は作家性が重視されるからなおさらだ。グラフ・ジャーナリズムはともすれば軽視されがちだけど、浜谷浩が活発に写真を発表したり、東松照明、奈良原一高といった写真家がグラフ・ジャーナリズムでも盛んに活躍していたことを再確認しておきたい。


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Comments

大西みつぐさん主宰の「東京写真・研究準備室」に出席しました。[写真家・渡部雄吉のドキュメント「Criminal Investigations」とその背景について] の熱い語りを拝聴しました。ここで更に作家性の高い写真とグラフ・ジャーナリズムの比較、その歴史性を把握することが出来ましたことお礼申し上げます。

Posted by: 坂巻ちず子 | September 19, 2012 at 07:37 PM

ありがとうございます。お役に立てたなら嬉しいです。旅先ですので携帯から短文で失礼します。

Posted by: 雄 | September 21, 2012 at 02:53 PM

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