『プロメテウス』 リドリー・スコットの叙事詩
『プロメテウス(原題:Prometheus)』はリドリー・スコット版『2001年 宇宙の旅』であり、同時にシリーズ第5作『エイリアン・ライジング』なんですね。
2本の映画の背後に見えるのは古代ギリシャ。『2001:A Space Odyssey』はタイトルの通り、宇宙船ディスカバリー号の受難と漂白が叙事詩「オデュッセイア」になぞらえられていた。人類発生以前、類人猿の地球に未知の生命体からのメッセージであるモノリスが立っている。2001年、そのモノリスが指さす木星へとディスカバリー号が向かい、旅の途中、未知の生命体によって宇宙船の中央制御コンピューターが狂いはじめる。
一方、プロメテウスはギリシャ神話の神。かつて神々と人間が争った時、神々が人間から奪った天上の火を人間に与えたとされる。人間は神々の子孫だが、人間が悪さばかりしているので、神々は人間と人間に火を与えたプロメテウスを罰した。そんなストーリーがこの映画の背景になっている、と思う。そのギリシャの神々は、映画『プロメテウス』では太陽系の外にある星LV223の「エンジニア(人間を設計した技術者といった意味か)」として現れる。
映画『プロメテウス』も人類発生以前の地球から始まる。古代の地球にやって来たエンジニアが自らの肉体を砕いて自分のDNAを濁流に拡散させる。濁流は海につながり、そこから人類が誕生する。アイスランドで撮影したらしいけど、荒涼とした大地と天地創造を思わせる滝の風景に、冒頭からリドリー・スコットの映像感覚が冴える。エンジニアがギリシャ彫刻を思わせる大理石のような肌を持っているのも、映画がギリシャを指向していることの表れだろう(ギリシャ神話にプラスしてキリスト教のいろんな要素が重なっているようだけど、それはさておき)。
クレジットが終わってプロメテウス号の内部の場面になると、無人の宇宙船内の静寂。これは『2001年 宇宙の旅』だけでなく、もう1本のスペースものの傑作『惑星ソラリス』の冒頭を思わせる。ただひとり、アンドロイドのデヴィッド(マイケル・ファスビンダー)が動いている。アンドロイドのデヴィッドは端正な顔立ち(デビッドがひとりで見ている映画『アラビアのロレンス』のロレンスそっくり)で、機械にもかかわらず幼児のような無垢と悪意を同居させている。ファスビンダーは、デヴィッドの口調は『2001年 宇宙の旅』のコンピューターHALの声を参考にしたと言っている。
プロメテウス号は巨大企業ウェイランド社のもので、科学者のエリザベス(ノオミ・ラパス)やウェイランド社のヴィッカーズ(シャーリーズ・セロン)が乗り組み、エンジニアの星を目指している。実はプロメテウスにはウェイランド社のオーナーで年老いたピーター(ガイ・ピアース)も密かに乗っている。デヴィッドやヴィッカーズは、オーナーの意図に沿って動いているらしい。ピーターの目的はエンジニアと会って不老不死を手に入れることのようだ。不老不死を求める話はギリシャのみならずいろんな神話に登場して、ここでもまた映画は神話的な背景を覗かせる。
プロメテウス号がエンジニアの星に着いてからの展開は、リドリー・スコットの『エイリアン』第1作のリメイクと言ってもいいくらい、その構造はほとんど同じだ。人工的な建造物があり、中に入っていった隊員がエンジニアやエイリアンと遭遇する。第1作でのエイリアンや宇宙船のデザインはスイスのアーチスト、H.R.ギーガーの手になるもので、以後、今にいたるまでこの種のヴィジュアルに大きな影響を与えているけれど、『プロメテウス』もそのデザインを踏襲している。鋼鉄のメカニカルな感触と巨大化した性器のような奇怪な形態。そこにはいつも粘液がまとわりついている。
第1作はホラー映画のスタイルを取って、エイリアンの出現は見る者を恐怖におとしいれた。でも『プロメテウス』ではそんな脅かしの映像やショットのつなぎはあまり使われない。古代文明を思わせるドームや、エンジニアの宇宙船操縦室や、エイリアンの薄気味悪い映像から、恐怖を味わうというより、リドリー独特の美的感覚を楽しむ映画だろう。その意味でもこれはエイリアン・シリーズというより、『2001年 宇宙の旅』に近い。もっとも、リドリーの映画はスタンリー・キューブリックの映画みたいに、隠された意味をあれこれ詮索しても始まらない。巨匠になったリドリーの美しい叙事詩に酔っていれば、それでいいんだと思う。
映画の最後、どのようにエイリアンが誕生したかが明かされる。だから『プロメテウス』は『エイリアン・ライジング』でもあるわけだ。当然、続編があるんだろう。
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