『ラム・ダイアリー』 帰らざる日々
手元に『ラム・ダイアリー(原題:The Rum Diary)』の原作者、ハンター・S・トンプソンの代表作『ラスベガスをやっつけろ』(室矢憲治訳・筑摩書房)がある。ページをぱらぱらめくっていたら、こんな一節が目についた。著者のトンプソンと呑んだくれの仲間が、ラスベガスに向かって砂漠を突っ切って車を走らせる場面である。
「サンセット通りで借りてきたこの真赤なでかいシヴォレーのオープンカーにしてからが支払いはバッチリむこう持ち……この車のトランクの中身ときたら……大麻二袋、メスカリン七十五錠、強力なペーパー・アシッド五枚、卓上調味料容れに入ったコカイン……さらに液体としてはテキーラとラムがそれぞれ一クォート、バドワイザーの一ケース」
真赤なシヴォレーのオープンカー、ドラッグ(映画『ラム・ダイアリー』では、舌がべろんと伸びる幻覚シーン以外あからさまには出てこないけど)にラム酒、これ『ラム・ダイアリー』の小道具3点セットそのままではないか。ラスベガスに着いたトンプソンがホテルで部屋を汚し放題に汚してしまうあたりの描写(「バスルームの床はゲロとグレープフルーツの食べカスと、割れたガラスでおおわれ、…足元の敷物は、マリファナの種で緑色に変わりはじめていた」)も、映画『ラム・ダイアリー』冒頭、プエルトリコのホテルのシーン(上の英語版ポスター)とまったく同じ。
ってことは『ラム・ダイアリー』は、1960年代カウンター・カルチャーの時代に『ヘルズ・エンジェルズ』や『ラスベガスをやっつけろ』といったゴンゾ(ならず者)ジャーナリズムで売り出したハンター・トンプソンの原点なんだな。原作はトンプソンの、長らく刊行されなかった自伝小説。
1960年、売れない小説家のポール(ジョニー・デップ)がプエルトリコの倒産寸前の新聞社に雇われてやってくる。ポールはカメラマンのボブ(マイケル・リスポリ。いい味出してます)、呑んだくれの記者・モバーグ(ジョヴァンニ・リビシ)といったクセのある男たちと親しくなり、彼らの汚いアパートにころがりこむ。ポールは島のリゾート開発を目論むアメリカ人実業家、サンダーソン(アーロン・エッカート)と知り合うが、彼の婚約者・シュノー(アンバー・ハード。当初、スカーレット・ヨハンソンがキャスティングされたらしい。よく似てる)に一目惚れしてしまう。ポールは怪しげなリゾート開発計画に加わるよう求められるのだが……。
いつの時代、どこの国にもある、仕事と酒と異性に明け暮れ、翻弄される青春の物語。それがカリブ海のプエルトリコを舞台に展開される。絵に描いたような青い海と熱帯の森。ビーチを私有するアメリカ人金持ち。対照的に、古く粗末な建物に住み、小屋のような酒場に集まるプエルトリコ人たち(プエルトリコは米西戦争の結果、スペインから割譲されたアメリカの連邦自治区。住民は米国市民権を持ち、島には産業らしい産業もないのでニューヨークなど大都市へ移住した者も多い。それが『ウェストサイド物語』の背景になっている)。
ポールはその両方の世界に足を突っ込みながら、あっちにぶつかり、こっちにぶつかって迷う。酔ってプエルトリコ人の酒場に迷い込んだポールとボブが無理な注文をし、「グリンゴ(白人)めが」とにらまれ、あわてふためいて車で逃げる。駆けつけた警官に火を吹きかけて逮捕され、即席裁判にかけられる。サンダーソンが保釈金を払い、恋敵に助けられる。翌朝、車を取りに戻るとドアも座席もなくなっていて、男二人が珍妙な格好で車を走らせる。
そんな破目をはずした日々が続く。外は熱帯の雨、朽ちかけたアパートの暗い室内に茫然と座るポールを捉えたショットの甘やかな悲しみがとてもいい。
結局、ポールはリゾート計画の嘘を暴く記事を書こうとするのだが、編集長(リチャード・ジェンキンス)が夜逃げして、社屋はからっぽ。とはいえ、ポールはそれを知って志を貫こうとするわけでもなく、サンダーソンのヨットをかっぱらっておさらばする。後のゴンゾ・ジャーナリズムの雄らしからぬ、迷い犬のような帰らざる日々。物語がドラマチックに盛り上がるのでなく、全体にゆるーいテイストなのがいい。ハリウッド製エンタテインメントではまったくないけど、好きだなあこの映画。
ジョニー・デップは晩年のハンター・トンプソンと親しかった。それもあってのことだろう、過激である一方、ジャンキーのダメ男でもあった故人の若き日々を愛を込めて演じている。『パイレーツ・オブ・カリビアン』や『ダーク・シャドウ』もいいけど、こういうジョニー・デップをもっと見たい。脚本・監督はかつて『キリング・フィールド』を撮った、久々のブルース・ロビンソン。
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