« June 2012 | Main | August 2012 »

July 29, 2012

国会を包囲する

1207291w
surrounding the Diet for No Nukes

7月29日は金曜夜の官邸前集会のかわりに、「脱原発 国会大包囲」。先月亡くなった高味君を偲んで仲間たちと新橋で昼間から呑んでいたら、「再稼動反対」の声と鳴り物が響いてきて途切れない。会を終えて、仲間の2人とデモに合流する。高味君はわれわれの仲間のなかで最も激烈な反原発論者だったから、元気だったら当然参加していたろう。歩きながら、彼の不在を思う。

1207292w

おや、黒旗に「芸」の文字。全共闘世代ならすぐ分かる、日大全共闘芸闘委の旗。40年たって、「日大全共闘芸闘委のようなもの」となっていたが。関係ないけど先日、芸闘委に所属して日大を除籍になった写真家と話をしていたら、網膜はく離で失明するところだったという。幸い大事にはいたらなかったようだが、写真家にとって眼は命と同じ。ここでも時間は確実に、時に残酷に過ぎてゆく。

1207293w

保安院が入る経産省前で。保安院は日曜日もなにやら仕事しているらしく、灯りがついていた。

1207294w

夕暮れの国会前は先週の金曜夜より遥かに大勢の人。キャンドルやペンライトを手に。

1207295w

国会の周囲を半周したけど、人が多すぎて前に進めない。間違いなく国会を人の輪で包囲したろう。


| | Comments (7) | TrackBack (0)

July 27, 2012

今年の初収穫

1207271w
cherry tomatos in my garden

今年の実のものの初収穫はミニトマト。取れるのは遅かったが、大ぶりで真赤になった。有機肥料をたっぷりやったので甘い。ゴーヤはまだ実がついていない。

バジル、ミント、レモンバーム、パセリなどのハーブ類はサラダに使っている。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

July 26, 2012

谷川晃一句集『地名傷』

1207261w
Tanikawa Koichi's haiku

画家の谷川晃一さんから句集をいただいた。

谷川さんは画家であると同時に何冊もの美術論を出しているエッセイストであり、最近は絵本もたくさん書いている。でも俳句をたしなむとは知らなかった。

タイトルは『地名傷』(南庭工房刊、500円)。表紙や見返し、本文には谷川さんの線描画がたっぷり添えられている。ページをめくると最初の句が……。

ハンペンを二つに切ってプノンペン

股倉にチャック噛みつくカムチャッカ

あははは。と、こういう場合、ただ笑う以外に術がない。

谷川さんによると、先ごろ『サカサあそび──オカのカオ』という回文の絵本を出した。そのために回文を探しているうち言葉を逆さに読むくせがつき、そこから「早口ことば、地口あそび、意味のダブリ」による俳句ができたんだそうだ。読んでいると、真面目な顔で冗談を連発する谷川さんの表情が思い浮かぶ。

眠れない熱帯夜をやり過ごすには、こういうのに限る。皆さんにも少しだけ、お裾分け。

シャガールがゲイシャガールとシャンゼリゼ

我が輩はオス猫であるアルゼンチン

アサ刑事ヒル運転手バンコック

チェンマイでシュウマイ売っても儲かるまい

いいかげん冗談やめてよ シャルル・ジョルダン

| | Comments (0) | TrackBack (0)

July 25, 2012

『崖っぷちの男』 立ち竦む身体感覚

Man_on_a_ledge
Man on a Ledge(film review)

別に高所恐怖症でなくとも高いところから下を見ればたいていの人は身体が竦むし、そういう映像を見せられても身体は同じ反応をする。『崖っぷちの男(原題:Man on a Ledge)』は、そうした感覚を映画の最初から最後までうまく使っていた。そして最後にはその感覚を解放するために、高所から飛び降りるカタルシスまで用意されている。

ニューヨークの高所といえば高層ビルだけど、エンパイアステートビルのような超高層では、キングコングにはよくても人間の感覚にはあまりに高くて逆に現実感が薄くなるし、映画がVFXの世界になってしまう。いわば身体感覚の及ぶ高所ということで選ばれたのが、ミッドタウンのマディソン街と45丁目の角に建つ中層のルーズヴェルト・ホテル。

1924年開業の由緒あるホテルで、その典雅な外観から「マディソン街の貴婦人」と呼ばれる。毎年大晦日にはガイ・ロンバート楽団(団塊の世代には懐かしい名前です)の年越しパーティーが開かれることで有名だった。原題にあるledgeは、21階の部屋の窓の周囲に張り巡らされた棚のこと。人間1人が立てる程度の幅があり、ここだけ白色の石で組まれていて、建物のデザイン上のアクセントになっている。

映画は冒頭からいきなり原題通り「棚の上の男」のシチュエーションを提示する。ミッドタウンの地下鉄から出てきたニック(サム・ワーシントン)が偽名でチェックインし、21階の部屋で「最後の食事」を取った後、窓から外へ出て棚に立つ。自殺者がいると通行人が騒ぎはじめ、パトカーやはしご車がやってくる。ニックは交渉人として女性刑事リディア(エリザベス・バンクス)を指名する。

まずは問答無用でサスペンスの舞台をつくっておいて、その後おもむろに背景を説明しにかかる。アクション映画の常道だけど、やっぱり引きつけられる。ニックは30億円のダイヤを横領した罪で服役中の元ニューヨーク市警刑事で、父親の葬儀に出ることを許されたところを逃走した脱獄囚だった。

ニックの身元が判明するまでに時間がかかる。ニックはリディアに「俺はハメられた」と訴える。どうやらニックが時間稼ぎして人目を引いている間に、本当の狙いは別にあるらしい。ニックの弟・ジョーイ(ジェイミー・ベル)と恋人のアンジー(ジェネシス・ロドリゲス)が姿を現し、隣のビルの屋上から内部に侵入を試みる。

隣のビルには、ニックが横領したとされる30億円のダイヤを持つ宝石商・イングランダー(エド・ハリス。憎らしいほどうまい)のオフィスと保管庫がある。実際、ルーズヴェルト・ホテルの近く、47丁目の5番街と6番街の間はニューヨークのダイヤモンド街で、ここでは世界のダイヤモンドの半分以上が取引されていると言われる。

このあたりまでくると、どうやらこの映画が新手の「宝石泥棒」ものらしいことが分かってくる。闇でデヴィッドのために働いていたニックの指示で、ジョーイ(頼りにならない弟)とアンジー(必要もないのにビキニで着替えてみせたり)が保管庫の30億円のダイヤを盗みにかかる。ニックの狂言自殺を担当・指揮するのがニックを横領犯に仕立てた悪徳警官で、真相を知るニックを抹殺しようとする。自分も窓から棚に出てしまうリディアとニックが、男と女、なんだかいい雰囲気になってくる。

そんなストーリーが進行するなかで、ニックが報道ヘリの風圧にあおられて転落しそうになったり、SWATTに急襲されたり、高所で竦む身体感覚が何度も揺さぶられる。実際のロケとVFXを組み合わせているんだろうけど、はらはらどきどき度は満点(撮影は『マイ・ボディガード』『コラテラル』が印象深いポール・キャメロン)。後で考えればいろいろ無理はあるけど、見ている間はそういうことを感じさせないのがよくできたアクション映画。最後、ニックは21階から飛び降りてみせて、何度も味わわされた立ち竦む感覚を解放させる。

「宝石泥棒」ものの定石通り、すべてがうまくいき、死んだはずの父親まで生き返って、泥棒一家のラストはめでたしめでたし。監督はドキュメンタリー出身で、劇映画第1作のアンガー・レス。いかにもハリウッドのアクション映画だけど、定石にひねりを利かせて、これからも期待できそうだ。


| | Comments (0) | TrackBack (2)

July 20, 2012

金曜夜は国会で

1207201w
No Nukes parede on friday night

この日は東京都写真美術館で田村彰英写真展「夢の光」オープニングをのぞいた後、官邸・国会前の「脱原発」金曜デモに参加する。

1207202w

地下鉄・霞が関駅から官邸方面へ。日曜に代々木公園で買った「NO 原発」バッジをつけ、脱原発の意思表示である白い風船をもらう。官邸方面へは交通規制されて入れない。

1207203w

国会前の左右の歩道は市民で埋まっている。大きな混乱はない。

1207204w

「再稼動やめろ」「子供を守れ」の声がいつまでもつづく。

今日のデモには鳩山元首相も参加したとか。小沢・鳩山グループが同じ隊列にいて、野田政権を倒す政局に利用しようとしているのは気色悪いね。集会でもあれば、「ナンセンス!」と声を出したいところだ。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

July 19, 2012

『苦役列車』 おかしみの相乗?

Photo
Kueki Ressha(film review)

西村賢太の小説『苦役列車』から滲み出るおかしみの元は文体にあると思う。戦前の私小説をモデルにした古めかしい文体を、地の文にも会話にも採用している。例えばこんなふうに。

「斯くして、最も手っ取り早い日銭の稼ぎ先を失った貫多は、たちまち次の日より困窮状態に追い込まれる次第と相成った。/飲み食いの方の不如意は無論、買淫どころか煙草銭にさえ事欠く有様となってしまった」

「『畜生。山だしの専門学校生の分際で、いっぱし若者気取りの青春を謳歌しやがって。当然の日常茶飯事ででもあるみてえに、さかりのついた雌学生にさんざロハでブチ込みやがって』」

戦前の古い小説みたいな空気と、身勝手で臆病で嫉妬むきだしのセリフばかり吐く主人公の、時代から取り残された生き方とが妙に親和して、客観的に考えればこんな嫌な奴はいないのに、読んでるうちに親近感を覚えてしまう。

一方、山下敦弘の映画から滲み出るおかしみの元もその文体にある。『リンダ・リンダ・リンダ』でも『松ヶ根乱射事件』でも『天然コケッコー』でも、カットを短く刻まない長回し、風景や人を正面から捉えるカメラ・ポジション、セリフとセリフのあいだの絶妙の間。物語をあれこれ動かすより、ショットやセリフの面白さの積み重ねで映画をつくる。そんなスタイルに貫かれた画面のなかで、ペ・ドゥナや新井浩文や夏帆が生き生き動きまわっていた。

でも映画『苦役列車』は、西村賢太のおかしみと山下敦弘のおかしみが合体して相乗効果を上げたかと言われれば、面白いシーンはそれなりにあるんだけど、うーん、ちょっと残念だったね。

もちろん小説の文体のおかしみがそのまま映画の文体のおかしみに移しかえられる訳はない。そこで山下敦弘が考えたのは、メジャーな映画にふさわしく物語として再構成すること。そのため小説には存在しない康子(前田敦子)を登場させて、貫多(森山未來)と康子の青春ストーリーを脇の主題にしようとしたと思う。でもそんなふうに物語的要素を増やしたために、『マイ・バック・ページ』に続いて山下敦弘本来のスタイルはずいぶんと弱くなったなあ。

大手製作会社の映画の作り手として当然の変貌だろうけど、かつては川島雄三も加藤泰も深作欣二も5社体制のなかで個性あふれる作品をつくっていたわけだから、山下は自分のスタイルをこれからどうつくってゆくのか。彼の映画を見つづけたい。

その代わりに山下が力を入れたのは、舞台になる1980年代の東京、真っ盛りのバブルから取り残された場末の町や風俗街のリアリティ。代田橋や大泉、八王子、土浦あたりでロケし、さらにデジタルでなくスーパー16ミリのフィルムで撮影しているから粒子が荒れ、その効果は出てるけど、そのために映画全体がリアリズムになった。原作は実体験を基にした私小説ではあるけれど、必ずしも三人称のリアリズムではなく、むしろ貫多の目から見られた歪んだ一人称に近い。

当時のバブルの雰囲気は、貫多がバイト先で知り合う専門学校生の正二(高良健吾)とガールフレンドに象徴させている。それ以上に背景を描けば社会的視点が入ってきてしまうから、そうしなかったのはいかにも山下らしいけど。

最後、貫多がアパートのごみ溜めに上空から降ってくるのは、『マグノリア』で最後に蛙が降ってくるのを思い出した。でも、あのシュールな終わり方と違って、最後は大家に家賃を催促されておかしみのあるリアリズムで終わる。このラスト、好きだなあ。

| | Comments (0) | TrackBack (9)

July 18, 2012

エネルギー政策で政府に物を言う

1207171w
send a public comment of no nukes for energy policy
(7月16日「さようなら原発 10万人集会」のデモ)

政府が今後のエネルギー政策を決めるために国民から意見を求めている。

新聞テレビなどで報道されているように、政府はこの国の2030年のエネルギーについて原発依存度①ゼロ、②15%、③20~25%の3つの選択肢を示している。細野ら閣僚の発言を聞いていると、どうやら政府は①と③を見せ球にし、なんとか原発を残すため②を選びたいらしい。

先週から始まった意見聴取会では、東北電力や中部電力の幹部が「抽選」で選ばれ、③を主張していたことが発覚した。意見を求められているのは国民であり、それを聞くのは政府と当事者の東電であろう。いくら「個人として」といっても、当事者の東電社員は応募を遠慮するのが常識というもの。相も変らぬ「やらせ」体質に、怒りというより笑い、笑いというより悲しくなる。この国は変わらないのか。

聴取会が行われた3つの会場で意見表明を希望した人(563人)の内訳は、①ゼロ・シナリオが73%、②15%シナリオが11%、③20~25%シナリオが16%となっていた(朝日新聞)。原発問題に関心の高い人が応募する傾向が高いだろうことを考えに入れても、7割の人が脱原発を望んでいるわけだ。

一昨日の「さようなら原発 10万人集会」には主催者発表で17万人の市民が集まった。金曜日の国会前の集会も回を重ねるごとに参加者が増えている。先の記事は、官邸スタッフの「首相が『原発はゼロにします』と言わないと(政権が)もたないかもしれない」との危機感あふれた発言を紹介している。「大きな音」ではなく「大きな声」に、政府はあせっている。

変わらない国を変えるには、ここしばらくが正念場。政府が意見を求めているんだから、せっかくの機会、どんどん言おうじゃないですか。やり方にいろいろ問題はあるにしても、これをパスする手はない。私もさっそくコメントを書き込んだ。締め切りは8月12日。コメントは下から送れます。

「政府には、まかせておけない! 『脱原発』パブリック・コメントを送ろう」

| | Comments (0) | TrackBack (0)

July 16, 2012

さようなら原発 10万人集会

1207161w
No Nuclear Power Station parade

新宿駅では満員で山手線に乗れず、原宿では改札を抜けるのに10分以上かかった。こんなに人が集まっているのを見るはいつ以来だろう。「10万人集会」を名乗るのもダテじゃない。一人で、家族で、あるいはグループで、たくさんの人間が会場の代々木公園に向かう。

1207167w

遠くから旗が見えた。え? 今も全共闘があるの? と思ったら現役の学生でなく、ご同輩でした。

「脱原発」を共通項に、いろんな集団が集まっている。中心になっている市民団体・NGOだけでなく、政党、労働組合、仏教や神道系の宗教団体、革マル派、ひょっとしたら民主党を抜けた小沢グループも来ているのか(来てないだろうな)。

1207163w

意思表示するものを何も持ってこなかったので、フクシマ20キロ圏からいわき市に避難している希望の社福祉会の「NO 原発」バッジを買う。

1207162w

メイン会場。呼びかけ人の大江健三郎、坂本龍一、鎌田慧らがあいさつ。90歳の瀬戸内寂聴さんは、「今日は冥土のみやげにと思って来ました」。

会場周辺は立錐の余地もないほどの人また人。先週末に呑んだとき、Aと「16日に代々木公園で会おう」と約束したが、とても人を探せる状態じゃない。

1207164w

デモが出発。市民グループは原宿駅前、表参道から明治公園のコース。

1207165w

リズムを取りながら「原発いらない!」「再稼動反対!」。

1207166w

このところ夏は日焼けによる皮膚炎が出るので、この炎天下はきつい。今日はヨガのレッスンもあるので表参道駅で列を抜け、「NO 原発」バッジを胸元からバッグにつけかえて地下鉄に乗る。明日以降もバッグにつけておこう。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

July 13, 2012

琉球の紅型展

1207121w
Colors and Shapes of the Ryukyu Dynasty

「紅型(びんがた) 琉球王朝のいろとかたち」展(~7月22日。六本木・サントリー美術館)を見てきた。

紅型は琉球王朝で王族など主に上層階級に用いられた衣装の染色技法。型紙を使い、顔料や染料で模様を染めてゆく。同じ模様が反復されることからくるデザイン的な美しさと鮮やかな色どりが素晴らしい。特に尚王家に伝わる数点の衣装(国宝)は華やか。一方、庶民階級が身につけた苧麻の紅型も、細かな小紋の模様と沖縄の海や空を思わせる藍や水色が粋だ。

鮮やかな黄色や赤などの顔料、染料は中国や東南アジアから来ている。松竹梅など日本的な模様も、鮮やかな色に染められるとどこか異国風になる。

30年以上前、雑誌の考古学特集で沖縄本島北部の今帰仁城(なきじんグスク)へ取材に行ったとき、発掘された安南(ベトナム)や中国の大量の貨幣や陶器片を見たことがある。その帰り道、那覇で紅型の藍地の暖簾を求め、ぼろぼろになるまで家で愛用した。そんなことを思い出しながら紅型を見ていると、日本と中国に両属し海洋貿易国家として栄えた琉球王朝が、近代以前は日本とは別の国であり別の文化を持っていたことを改めて認識させられる。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

July 11, 2012

コシヒカリが伸びてきた

1207111w
raising a rice plant

5月に求めたコシヒカリの苗。2週間ほどでポットからバケツに植えかえ、それから約1カ月、大分伸びてきた。もう少し伸びて、丈が50センチほどになったらいったん水を抜き、乾かしてからもう一度水を張る。これを「中干し」と言うそうだ。さて、秋にはコシヒカリが何十粒か収穫できるか。

1207112w

ムクゲも咲き始めた。これからは毎日数輪ずつ、夏の盛りが過ぎるあたりまで咲きつづける。咲いた花は1日だけで落ちてしまう。いったい毎年、何輪の花が咲くんだろう。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

July 08, 2012

『プレイ 獲物』 走るというアクション

La_proie
La Proie(film review)

『プレイ 獲物(原題:La Proie。餌食といった意味)』の主人公・フランク(アルベール・デュポンテル)はとにかくよく走る。デイパックを背負い、ぎくしゃくした3流ランナーみたいなフォームで腕を大きく振りながら、追っ手から逃げる。逃げながら、ひとりの男を追う。フランクを追うのは女性刑事・クレール(アリス・タグリオーニ)、フランクが追うのは妻を殺し娘を誘拐したモレル(ステファン・デバク)。

銀行強盗で捕まったフランクと仲間は服役中だが、刑務所内で仲間割れを起こす。フランクは妻と娘を守るために、冤罪で釈放される同房のモレルに伝言を託す。ところがモレルは冤罪ではなく、若い女性を狙う性犯罪者だったことが分かる。妻と娘の身を案じたモレルは刑務所を脱獄するが、妻は殺され、娘は行方不明になっていた……。

ひと昔前、『ラン・ローラ・ラン』という主人公が初めから終わりまで走っている映画があったけど、フランクもそれに劣らずよく走る。自宅に戻った彼は妻と娘がいなくなっているのに愕然とするが、張り込んでいたクレールら警察と鉢合わせして、フランクが逃げはじめる。途中から高速道路に入り、逆走してくる車を次々にかわしながら走り、陸橋下を走る列車に飛び移る。VFXではなく、アルベール・デュポンテルとアリス・タグリオーニ(無論スタントだろうけど)が体を張ってるのがすごい。

モレルを追う元憲兵の家を訪ねて警官に包囲されたフランクは、クレールに「俺は嵌められた」(フランクはモレルの犯した犯罪の容疑もかけられている)と言い残して、また走って逃げる。

モレルは清純派好みで、好みのティーンエイジャーとすれ違うときらりと目を光らせる。実はモレルの女房も犯罪に加担していて、「あの娘はだめよ」なんて夫をたしなめる。誘拐したフランクの娘もいかにもモレル好みのかわいい女の子で、彼がいつ女の子に牙を剥くのか、見る者を心配させる。モレルを演ずるステファン・デバクが、普通の眼鏡をかけ、おとなしい服装で小市民然とした異常者を演じているけれど、出番があまり多くないのが残念。普通の夫婦の異常ぶりをたっぷり見たかったなあ。

最後、娘を連れたモレルと、モレルを追うフランクと、フランクを追うクレールが、崖の上で出会う。そこから先の展開、予想がついてしまうのがちょっとね。

サスペンス映画として考えれば、モレルがどんなふうにフランクの妻を殺し娘を誘拐したのか、そっちをちゃんと描くほうが、追うフランクとの対比で緊張感が出たと思うんだけど、監督のエリック・ヴァレットはそれよりフランクが走りに走るアクションにいちばんの興味があったみたいだ。その意味でこれはスリラーというよりアクション映画と呼ぶのがふさわしい。

| | Comments (2) | TrackBack (3)

July 07, 2012

『ラム・ダイアリー』 帰らざる日々

The_rum_diary
The Rum Diary(film review)

手元に『ラム・ダイアリー(原題:The Rum Diary)』の原作者、ハンター・S・トンプソンの代表作『ラスベガスをやっつけろ』(室矢憲治訳・筑摩書房)がある。ページをぱらぱらめくっていたら、こんな一節が目についた。著者のトンプソンと呑んだくれの仲間が、ラスベガスに向かって砂漠を突っ切って車を走らせる場面である。

「サンセット通りで借りてきたこの真赤なでかいシヴォレーのオープンカーにしてからが支払いはバッチリむこう持ち……この車のトランクの中身ときたら……大麻二袋、メスカリン七十五錠、強力なペーパー・アシッド五枚、卓上調味料容れに入ったコカイン……さらに液体としてはテキーラとラムがそれぞれ一クォート、バドワイザーの一ケース」

真赤なシヴォレーのオープンカー、ドラッグ(映画『ラム・ダイアリー』では、舌がべろんと伸びる幻覚シーン以外あからさまには出てこないけど)にラム酒、これ『ラム・ダイアリー』の小道具3点セットそのままではないか。ラスベガスに着いたトンプソンがホテルで部屋を汚し放題に汚してしまうあたりの描写(「バスルームの床はゲロとグレープフルーツの食べカスと、割れたガラスでおおわれ、…足元の敷物は、マリファナの種で緑色に変わりはじめていた」)も、映画『ラム・ダイアリー』冒頭、プエルトリコのホテルのシーン(上の英語版ポスター)とまったく同じ。

ってことは『ラム・ダイアリー』は、1960年代カウンター・カルチャーの時代に『ヘルズ・エンジェルズ』や『ラスベガスをやっつけろ』といったゴンゾ(ならず者)ジャーナリズムで売り出したハンター・トンプソンの原点なんだな。原作はトンプソンの、長らく刊行されなかった自伝小説。

1960年、売れない小説家のポール(ジョニー・デップ)がプエルトリコの倒産寸前の新聞社に雇われてやってくる。ポールはカメラマンのボブ(マイケル・リスポリ。いい味出してます)、呑んだくれの記者・モバーグ(ジョヴァンニ・リビシ)といったクセのある男たちと親しくなり、彼らの汚いアパートにころがりこむ。ポールは島のリゾート開発を目論むアメリカ人実業家、サンダーソン(アーロン・エッカート)と知り合うが、彼の婚約者・シュノー(アンバー・ハード。当初、スカーレット・ヨハンソンがキャスティングされたらしい。よく似てる)に一目惚れしてしまう。ポールは怪しげなリゾート開発計画に加わるよう求められるのだが……。

いつの時代、どこの国にもある、仕事と酒と異性に明け暮れ、翻弄される青春の物語。それがカリブ海のプエルトリコを舞台に展開される。絵に描いたような青い海と熱帯の森。ビーチを私有するアメリカ人金持ち。対照的に、古く粗末な建物に住み、小屋のような酒場に集まるプエルトリコ人たち(プエルトリコは米西戦争の結果、スペインから割譲されたアメリカの連邦自治区。住民は米国市民権を持ち、島には産業らしい産業もないのでニューヨークなど大都市へ移住した者も多い。それが『ウェストサイド物語』の背景になっている)。

ポールはその両方の世界に足を突っ込みながら、あっちにぶつかり、こっちにぶつかって迷う。酔ってプエルトリコ人の酒場に迷い込んだポールとボブが無理な注文をし、「グリンゴ(白人)めが」とにらまれ、あわてふためいて車で逃げる。駆けつけた警官に火を吹きかけて逮捕され、即席裁判にかけられる。サンダーソンが保釈金を払い、恋敵に助けられる。翌朝、車を取りに戻るとドアも座席もなくなっていて、男二人が珍妙な格好で車を走らせる。

そんな破目をはずした日々が続く。外は熱帯の雨、朽ちかけたアパートの暗い室内に茫然と座るポールを捉えたショットの甘やかな悲しみがとてもいい。

結局、ポールはリゾート計画の嘘を暴く記事を書こうとするのだが、編集長(リチャード・ジェンキンス)が夜逃げして、社屋はからっぽ。とはいえ、ポールはそれを知って志を貫こうとするわけでもなく、サンダーソンのヨットをかっぱらっておさらばする。後のゴンゾ・ジャーナリズムの雄らしからぬ、迷い犬のような帰らざる日々。物語がドラマチックに盛り上がるのでなく、全体にゆるーいテイストなのがいい。ハリウッド製エンタテインメントではまったくないけど、好きだなあこの映画。

ジョニー・デップは晩年のハンター・トンプソンと親しかった。それもあってのことだろう、過激である一方、ジャンキーのダメ男でもあった故人の若き日々を愛を込めて演じている。『パイレーツ・オブ・カリビアン』や『ダーク・シャドウ』もいいけど、こういうジョニー・デップをもっと見たい。脚本・監督はかつて『キリング・フィールド』を撮った、久々のブルース・ロビンソン。


| | Comments (0) | TrackBack (6)

July 01, 2012

渡部雄吉「Criminal Investigation」展

1206291w
Watabe Yukichi photo exhibition
(写真はDMより)

今では渡部雄吉という写真家を知っている人も少なくなったかもしれない。1950~60年代、グラフ・ジャーナリズムの全盛時代に、『文芸春秋』『太陽』などを舞台に活躍した。

今回展示された「Criminal Investigation」(~7月8日、清澄白河・TAPギャラリー)は1958年の作品で、雑誌『日本』に「張り込み日記」として発表され、そのまま忘れられていたもの。半世紀後に神田の古書店でイギリス人によってオリジナル・プリントが発掘され、ヨーロッパで写真展が開かれ、パリで凝った造本の写真集まで出版された。このところ1950~60年代の日本写真の欧米での再評価が進んでいるけれど、これもその一環と考えていいんだろう。

内容は1958年に起こったバラバラ殺人事件の捜査を追ったドキュメント。警視庁に特別の許可を得て、2人の刑事に密着取材している。今では考えられない、写真にとっても雑誌にとっても牧歌的な時代だったんだなあ。ベテランと若手の刑事が組んで犯人を追う。警視庁での捜査会議。おそらく初冬、オーバーを着た2人の刑事が町に出て聞き込みをし、駅に張り込む。河原の葦原に佇む。一日が終わって居酒屋で疲れを癒す。

戦後の匂いが色濃く残る上野、浅草、入谷界隈と思しき場所を舞台に、どの場面も見事に決まっている。夜、上野(多分)の陸橋で懐中電灯で手元を照らしながら相談しているショットなど、まるでメグレ警視ものの一場面みたい。あるいは松本清張原作の映画『張り込み』か。取材の過程で渡部はきっと2人の刑事と親しくなり、さりげない演出がほどこされているようにも感ずる。それがドキュメンタリーなのにどこかフィクションめいた空気をつくりだし、とてもいい効果を上げている。

この作品の数年前に、エルスケンの『セーヌ左岸の恋』が世界的ベストセラーになっている。現実と虚構がないまぜになった見事な写真集だけど、「Criminal Investigation」は『セーヌ左岸の恋』の「ドキュ・ドラマ」を事件物に仕立て直してみせた応用編に思える。この時代の日本のフォト・ジャーナリズムの実力を見せつけられた。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« June 2012 | Main | August 2012 »